Life in America ~JAPAN編

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THE GOD DELUSION

2008-06-23 12:59:06 | アメリカ生活雑感
「あなたは神を信じますか?」
こう問われれば、場合によっては返事は「はい」にも「いいえ」にもなる。
自分やチームが絶体絶命のピンチに立たされたとき、愛犬が瀕死の状態に陥ったとき・・今までの人生の中で、「カミサマ」と一心に祈った経験は数え切れない。と言いつつ、普段は何の信仰もなく、自分を「無神論者」と呼ぶ。神もあきれるいいかげんさだ。

日本人にとって一番難しい話題は「宗教」だと思う。
アメリカに来たばかりの頃、日本人の宗教観を聞かれて答えに窮した記憶が生々しい。過去何十年、何も考えずに生活してきたし、別に特定の宗教がなくても生きてこられたからかもしれない。日本人の多くは似たようなものだろう。
いったい、宗教とは、神とはなんぞや?
人類がそのために殺し合ってしまうほどの力とは、いったい何なのか。
アメリカで暮らし始めてからとみに、無神論者の私でも深く考えさせられるテーマでもあった。

ところで、奇しくも昨今Pちゃんとの会話のほとんどを占めているのが、この「宗教」、特に「神」に関する話題。というのも、今彼が夢中になっている本が、これ。

 
リチャード・ドーキンス博士の「THE GOD DELUSION」(日本語訳本タイトル『神は妄想である』

イギリスのethologist(動物行動学者)でevolutionary biologist(進化生物学者)、ドーキンス博士が2006年に発表して世界中に議論を巻き起こした本だ。
まだ読んでいないので中身に触れることはできないが、このドーキンス博士は熱烈なatheist(無神論者)として知られる人物でもある。
動物行動学者としてダーウィンの思想を受け継ぐ第一人者である氏の研究を真っ向から批判し立ちはだかったのが、ダーウィニズムを「神への冒涜」として受け入れないキリスト教原理主義者たちだった。科学を否定する彼らの批判や脅しに一切ひるむことなく書き上げたこの本はいわば、ドーキンス博士からのキリスト原理主義者、果てはtheist(神の存在を信じる人々)全てに宛てた痛烈な反論であり、戦いの記録であり、新たな挑戦状ともいえる。


Pちゃんはこの本を絶賛しながら読んでいる。
理由を聞くと、これは単なる一方的な批判本ではなく、ドーキンス博士の学者としての豊富な知識や十分な調査に基づくcritical thinking(批評的思考)によって書かれているからだという。ドーキンス氏が受け取った読者からの熱烈な批判や手紙なども引用されていて、それに丁寧に(かつ辛らつに)答えているのもとても好感が持てるというのだ。しかも氏はいかにもイギリス人らしいウィット(ブラックジョークともいえる)に富んでいるようだ。(受け取り方には個人差があるのでいい悪いは言えない。もちろん。)

そのうえ、Pちゃんはatheist(無神論者)だ。
私みたいなのを「中途半端なatheist」(多分ほとんどの日本人がこれ?)と呼ぶとすると、彼は「完璧なatheist」。
その理由のひとつは、ドーキンス氏と同じ立場であること、つまり「存在を証明できてこそ真実。証明できない限り真実にあらず」という科学者の基本的姿勢にある。(もちろん、神を信じる科学者も多く存在するので科学者全てがこういう考えというわけではない。それに、私個人的にはこういう科学至上主義的考えが好きではない。大体、世の中証明できないことだらけじゃないか。UFOもゴーストも、ただ科学の証明が追いついていないだけ。人間の歴史、科学の歴史などちっぽけなものにすぎない。)
そしてもうひとつは、彼の“宗教的歴史”、つまり生い立ちやキリスト教教育、そして何より彼の性格に深く関係している。


以下、Pちゃんの話をまとめてみると **  **  **  **  **  **  **  
子どもの頃のPちゃんは、当時住んでいたドイツの田舎町の子どもたちとまったく同じように、親に連れられて教会に通う“普通の”カソリックの家庭の子どもだった。
ドイツのエレメンタリースクール(小学校)には必ず「宗教」の授業があり、近くの教会の神父が先生として教えに来ていた。この神父は特に厳格で近寄りがたいタイプで、Pちゃんはこの人のことが個人的に怖かったことを覚えている。
さらに、Pちゃんは何でもまじめに真正面から受け止めて考えてしまうタイプの子だったので(今も変わらんが)、この先生がしきりに繰り返し脅かす「sin(人間の犯す罪)」に関しては心底恐怖心を植え付けらた。
この頃、子どもたちは教会で「懺悔の時間」を持つように命じられる。
「ものを盗みました」「友達の悪口を言いました」「親に口ごたえしました」・・・どんな小さなことも罪として懺悔しなければならない時間が、無垢な子どもだったPちゃんの恐怖心を一層あおることになった。
そもそもスペイン人の子として異端視されてひとりぼっちだったPちゃんの孤独に輪をかけるように、恐怖と不安感におびえる宗教・・なんだかおかしいと思い始めたのもこの頃だった。
十代になったPちゃんは、14歳のときいよいよconfirmation(キリスト教の堅信式)を迎える。しかし依然としてもやもやとした不安感をは拭い去れないでいた。
転機が訪れたのは高校に入ってからだった。高校の宗教の先生のひとりは、今までに会ったことのないとてもリベラルな先生だった。「聖書にもいろんな矛盾点がいくつもある。文字通り受け止めることはない」とある日クラスで言ったそのひとことに、Pちゃんは大きな衝撃を受ける。と同時に、重くのしかかっていたものから解放された気がした。
「なんだ、やっぱりそうなんだ。それでよかったんだ・・・」
この時期、Pちゃんは科学にのめりこんでいく。神などという観念に左右されず存在し続ける宇宙の絶対的な美しさ、自然の原則や底知れぬパワーにどうしようもなく惹かれていくと同時に、所詮人間の作ったものにすぎない「神」に長い間恐れおののいていた自分がばかばかしくなってしまった。
16歳のとき、自分はこれ(物理の道)で生きていこうと心に決める。それは、神の呪縛から自らを解き放つ道を選び歩き始めることでもあった。・・・

**  **  **  **  **  **  **  **  **

Pちゃんのように、神についてとことん学び、考え、思いつめ、追い詰められて悩んだプロセスは私にはない。それが「中途半端なatheist」である私と彼との決定的な違いだ。その葛藤の歴史を経て、自ら神を捨てたPちゃんにはそれなりの決意や確信があったに違いない。両親はそのとき、そんな彼に何も強要せずに自らの選択を尊重したという。これは大切なことだと思う。
「ほとんどの無神論者はほとんどの有神論者と同じように無害である」と彼は言う。
宗教を持つこと、持たないことはお互いの自由に基づいた選択であり批判し合うことではない。(その意味では、ドーキンス博士の宗教を批判する態度をめぐっては科学者の中にも批判者が存在する。)
ただ、一番やっかいなもの、これからの社会の発展を妨げる諸悪の根源になるものが、「信仰によってのみ科学を否定しようとする一部の狂信的な人たちによる考えや圧力だ」とPちゃんは力説する。

アメリカでは、「無神論者の大統領候補には投票しない」と答えた人が「ゲイの大統領候補に投票しない」よりも上回る。無神論者は社会悪であり、愛国心のないやつらの象徴だと考えられているからだ。そのため、ほとんど100%の政治家は敬虔なキリスト教徒のふりをしているという。
また、いまだにダーウィンの進化論を学校で教えることを禁じている州もある。ここで教育を受けた子どもたちはやがて、戦争を平気で“聖戦”と呼ぶようになるのだろう。
科学を正しく理解し、critical thinking(批評的思考)ができてこそ、国に、世界に相互理解が生まれ、平和がもたらされる。そのためには、移民や低所得層などの子どもたちにも、きちんと教育の機会を与え、宗教によるバイアスのかからない正しい教育を受けさせることがいかに大切であるか、それしか世界を救える方法はないんじゃないか・・・私たちの議論は、いつもここに落ち着く。

カソリック教徒であるオバマ氏は「大統領は、国の法律を決めるときに宗教的な議論を持ち込むべきではない。国の方針はあくまで正しい調査や考えに基づいて議論され、決められなければならない」ときっぱりと表明している。ブッシュはいつも個人的宗教論を持ち込み、国を混乱に落とし入れた。正しい教育を受けた人とサルとの大きな違いだ。

宗教を知らずに世界を知ることはできないし、真に分かり合うことは不可能だと思う。
人とかかわることは宗教とかかわることと同義語である。
日本で何も宗教を持たず知らずで育ってきた無知な人(私)は、世界に出たとき必ずこの壁にぶち当たる。
そういう意味では、この『THE GOD DELUSION』は、今世の中で最も熱い議論がどのように繰り広げられているのかを知る重要なヒントになるのではないだろうか。

私もこれから読んでみなければ!

(つづく)
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なかなか (テリ)
2008-06-25 00:34:42
興味深いテーマですね。

ただ、この中で「無神論者(atheist)」の定義については思うところあります。多くの人が、特定の教派(セクト)的宗教に属することと、広い意味での「神(god, deity, etc.)」を信じることとを区別していません。だから、前者を否定することがそのまま後者の否定につながると思っているケースが多いのですが、この二つはかなり違うものです。

進化論を否定するような原理主義的キリスト教は私もごめんこうむりたいですが、一方で科学はすべて仮説とその検証で成り立っていますから、それでカバーできないものがある(すなわち不可知)ということも同じように前提になっています。この不可知の部分に対してどういう態度を取るかで、その人の「無神論」度は測れると思うのですが。この不可知に対して謙虚になると、何やかんや言って(わたしの目からは)とても宗教的な発言をする科学者はたくさんいます。

余談ですが、エバンジェリカルなキリスト教の信者が車などに「IXOUS」という文字の書かれた魚のマークをつけていたりします。これ、「イエス・キリスト・神の子・救い主」の頭文字をとると「魚」という語になる(ギリシャ語で)ということから、魚がキリストのシンボルとされているところから来るのですが、最近「DARWIN」と書かれた魚に足が生えてる、というこのパロディー版が出回っています。すると敵(なのかな?)もさるもの、今度はIXOUS魚がDARWIN魚を食べてるという対抗版が発売されたとか。いやはや。
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Pちゃんが読めたらなあ (shoko)
2008-06-25 02:50:51
コメント本当にありがとうございます。
やはりご専門の方にお話をうかがうと、納得性が高まり引き締まります。

私も、「無神論者」については最近まで混同していました。「私は宗教を持ちません」と「神を持ちません」は別ものとして考えねばなりません。たとえば仏教はキリスト、ユダヤ、イスラム教のように特定の神をもたない宗教ですよね。神の存在を信じないから無神論、というなら仏教の信者は無神論者になってしまう。

また、私は特定の宗教を持たないけれど「神」の存在は心のどこかにあります。それはアブラハムのような特定の人ではなく、私をこの世に存在させてくれたご先祖であり、現在生かせてくれているすべてのもの(自然の恵み)だったりするわけです。だから私はathiestではないわけです。
ドーキンス氏はこういう人を、“agonistic (不可知)atheist”と呼んでいるそうです。

>この不可知の部分に対してどういう態度を取るかで、その人の「無神論」度は測れると思うのですが。この不可知に対して謙虚になると、何やかんや言って(わたしの目からは)とても宗教的な発言をする科学者はたくさんいます。

これはまさしく、Pちゃんも言っていました。たちの悪いのはこういう科学者だと。今度、テリさんとゆっくり生トークしてみれば、と私は彼に言うのですが(難しいので逃げ腰・・)

>今度はIXOUS魚がDARWIN魚を食べてるという対抗版が発売されたとか。

今度探してみます(笑)


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む、難しい・・・ (やっちゃん)
2008-06-25 04:03:58
私には難しすぎて、コメントできるような知識はないんですが、、、
確かに、ESLなんかで宗教の話になると困ってしまいます。お盆はお寺に墓参り。大晦日には神社。結婚式は教会で・・・ってパターンですよね。日本人は。
「なんで?」と聞かれても、深く考えたことすらなかったですね。
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いい写真 (shintaroni)
2008-06-25 11:43:51
大事なお話の中、失礼します。
Pちゃんと本のカバーというこの写真、
いい写真だなあと思って、見てます。
特に、Pちゃんがコーヒーを飲んでいるところが
また、いい。うまく言えませんが、
この写真、かなりグー(エド)
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お詫びと訂正 スペルミス (shoko)
2008-06-25 13:36:16
“agonistic (不可知)”はagnosticの間違いでした。
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Unknown (shoko)
2008-06-25 13:40:33
やっちゃん
本当に何も疑問に思わずにやってますよね。子どもの頃、違いがわからずお墓で手をたたいて怒られました(笑)

shintaroni
ありがとう。実はこのショットを撮るのにやれコーヒー飲めだの飲むなだの、ちょっと止まって待てだの、いろいろ試したのよん。Pちゃん、結構モデルになるの好きみたい。
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