shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

You And The Night And The Music / Judy Bailey

2010-05-04 | Jazz
 ジャズ界ではよく “幻の名盤” とか言って入手困難な稀少盤を必要以上にありがたがる傾向がある。もちろん優れた内容の盤も多いが、中には “何でコレが名盤やねん?” と首をかしげたくなるような盤まで稀少価値だけで5桁6桁の値がつくという浮世離れした世界である。私も最初はワケがわからず傍観を決め込んでいたのだが、実際に海外オークションをやってみてだんだんそのカラクリが分かってきた。
 当時、廃盤店主の多くは年に2~3回海外買い付けに行ってオリジナル盤を仕入れてきたものだが、一部の業者はネットを駆使して eBay オークションで安く落札したものに法外な値を付け、リッチで盲信的な常連客に売りさばいて暴利をむさぼり続けた。彼らの入札競争によって落札価格が高騰し、結局それが海外のセラーを強気にさせるという悪循環を招き、人気のあるオリジナル盤は庶民の手の届かない高嶺の花になってしまったのだ。
 今日取り上げるジュディー・ベイリーはジャズ界では珍しいオーストラリアの、しかも女性ピアニストということで、これは商売になると踏んだのかどうかは知らないが上記の業者が彼女のデビュー・アルバム「ユー・アンド・ザ・ナイト・アンド・ザ・ミュージック」(1963年)を “ピアノトリオのコレクターなら持っていて当り前” とか言ってマニア心を煽った結果、コレクターの間であっと言う間に超人気盤になり、今では10万円前後で取り引きされていると聞く。もう開いた口が塞がらない(゜o゜)
 こう書いてくると値段が高いだけで中身はイマイチ、みたいに思われるかもしれないが、このアルバムに限って言えば聴き応え十分な内容で、“持ってて当り前” とは言わないまでも(笑)持っていて決して損はない名盤だと思う。私は良い音で聴けさえすれば1円でも安い方がいいので、業者連中が狙わないニュージーランド盤を16,000円で手に入れた。 NZ 盤はオリジナルの AU 盤とレコード番号が違うだけで他は殆ど同じなので、私としてはめっちゃオイシイ買い物だった(^.^)
 このアルバムはタイトルに「ナイト」が付いた曲ばかり集められており、それらがピアノトリオ・フォーマットで演奏されている。全体的な印象としては“オーストラリアの女ビル・エヴァンス” といった感じで、それもリリシズムがスベッタだの転んだだのといった内省的な演奏ではなく、エヴァンスの本質とでもいうべきハードボイルドなプレイが楽しめるのが嬉しい。しかも単なるエヴァンス・エピゴーネンでは終わらないオリジナリティーも随所に感じられるのだからもう言うことナシだ。
 私がまず気に入ったのはタイトル曲の A-①「ユー・アンド・ザ・ナイト・アンド・ザ・ミュージック」。エヴァンス・ライクなカッコ良いフレーズの速射砲といい、ヴァンガード・ライヴを彷彿とさせるようなベースとのインタープレイといい、実にテンションの高い演奏が繰り広げられる。短く切断されたブツ切りフレーズの波状攻撃やチェンジ・オブ・ペースの妙なんかもエヴァンスが憑依したかのようなプレイで、この手の音が好きなファンにはこたえられない演奏だと思う。
 先日キョロシーの名演を紹介したばかりの我が愛聴曲 B-③「ナイト・イン・チュニジア」も疾走感溢れるプレイがめっちゃスリリングで、縦横無尽にスイングしながらもピアノの鋭いアタック音が炸裂、ベースもブンブン唸りを上げて暴れ回るという理想的な展開だ。他にもスローなソロ・ピアノ風のイントロから一転して急速調のトリオ演奏で駆け抜ける A-②「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」や典雅にスイングする A-④「ディープ・ナイト」、威風堂々たるランニング・ベースに乗って美麗フレーズが続出する B-①「ザ・ナイト・ハズ・ア・サウザンド・アイズ」なんかかなりエエ感じ。一方スローな B-②「ナイト・アンド・デイ」や B-④「ラウンド・ミッドナイト」ではやや凡庸な演奏に終始しているように思う。
 とまぁこのようにエヴァンス好きな日本のピアノトリオ・ファンには大ウケしそうな内容なのだが、なぜか未 CD 化のままである。権利関係とか色々複雑なのかもしれないが、日本のレコード会社も毎回同じようなラインナップで再発を繰り返す暇があったら、こういう盤を CD 化してくれたらエエのに...

ジュディー・ベイリー

The House Of Blue Lights / Eddie Costa

2010-05-03 | Jazz
 5月に入ってピアノトリオが続いている。昭和歌謡やハードロックにかまけて最近あまりジャズを聴いてなかったので久々に聴いてみようという軽いノリ(←いつものパターンです)で思いついた盤をテキトーにアップしていたのだが、901 さんから “ガツン!とくるピアノ... 次はエディ・コスタかな?” とコメントをいただいたので、早速そのアイデアに便乗することにした。ということで今日はエディ・コスタの「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」です(^.^)
 エディ・コスタという人はジャズ界ではどちらかと言えばマイナーな存在で、リーダー作もジュビリー、モード、コーラル、そしてこのドット盤と、マイナー・レーベルに4枚あるだけで若くして自動車事故で夭折してしまったのだから普通なら忘れ去られてしまいそうなものだが、彼の場合は違った。相棒のベーシスト、ヴィニー・バークと共に “50年代速弾きチャンピオン” の異名をとる天才ギタリスト、タル・ファーロウのアルバムに参加して一躍その名を知らしめていたからだ。特に「タル」収録の「イエスタデイズ」におけるスリリングなプレイは彼の才能が如何なく発揮された素晴らしいもので、中低域をハイスピードで弾きまくるタルにユニゾン奏法で絡んでいくピアノがめちゃカッコ良かった。
 彼はピアノの他にヴァイブ奏者としても知られているが、ヴァイブでは没個性で平凡なプレイに終始していたのに対し、ピアノのプレイは非凡な才能の煌めきに溢れていた。彼のピアノの一番の特徴は低音域を駆使した力強いタッチにあり、ガンガン弾きまくる左手のハンマー奏法が絶妙なドライヴ感を生み出し、メロディアスにスイングする右手とまるで対話しているかのように独自の世界を形作っていく。これは他のピアニストには見られないユニークな奏法で、聴き手は知らず知らずのうちに彼のスイングに惹き込まれていってしまうのだ。
 この「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」は1959年にベースのウェンデル・マーシャル、ドラムスのポール・モチアンと組んで作り上げた彼の最高傑作で、何と言ってもジジ・グライス作のタイトル曲①「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」が断トツに素晴らしい。まるでドラキュラが出てきそうなジャケットの雰囲気と相まって、妖気すら漂うハードボイルドな演奏がめちゃくちゃカッコイイのだ(^o^)丿 マーシャルとモチアンの生み出す正確無比なリズム(←コレ快感!)に乗ってコスタの左手が縦横無尽に暴れ回り、自由に歌いまくる右手と組んずほぐれつしながら一気に駆け抜け、10分という長さを全く感じさせないピアノトリオ史上屈指の名演になっている。とにかくこのユニークな低音ゴリゴリ・プレイ、ハマると癖になること請け合いだ。
 ①が凄すぎて他のトラックが霞んでしまいがちなこのアルバムだが、③「ダイアン」、④「アナベル」で聴ける圧倒的なスイング感も捨て難い。ここでもリズム・セクションの二人がめっちゃエエ仕事しており、コスタも気持ち良さそうに弾きまくっている。特に③におけるマーシャルの弾むようなベースは彼のベスト・プレイの一つに挙げていいと思う。盤石なリズムに乗ってスインギーなフレーズが続出する⑥「ホワッツ・トゥ・ヤ」も彼特有の低音域を巧く使った独創的なタッチで卓越した表現力と豊かなイマジネイションを感じさせる名演になっている。
 このアルバムはCD化されてすぐに買った記憶があるが、そのあまりの素晴らしさにどーしてもオリジナル盤が欲しくなり廃盤店を廻って値段を調べたところ、モノラル盤35.000円に対してステレオ盤が18,000円だった。何なん、この17,000円の差は?実際、50年代のステレオ盤というのはコンテンポラリー・レーベルのような一部の例外を除いては技術的にまだまだ稚拙で音像の定位に違和感を覚えるような盤が多く、 “オリジナル盤はモノラル” というのが私の家訓であり、信条であり、座右の銘だったのでかなり迷ったのだが、値段の差があまりにも大きかった(←ほとんど倍近い値段やん!)ので結局ステレオ盤をチョイス、買って帰った日に恐る恐る針を落としてみて “DOT ULTRA STEREOPHONIC” の意外なまでの音の良さに大喜びしたのを覚えている。その後、モノラル盤を聴く機会があったが、ハッキリ言ってステレオ盤の方がエエ音していた。まぁたまたまこの盤に限っての事だとは思うが、何かめっちゃ得したような気がしで妙に嬉しかった(^o^)丿

ハウス・オブ・ブルー・ライツ

Jancsi Korossy

2010-05-02 | Jazz
 ヤンシー・キョロシーはルーマニアのピアニストである。ヨーロッパのジャズと言うと世間では、クラシックの素養をベースにモードやフリーを消化してそれらをヨーロッパ的な感性で表現したような60年代後半以降の盤が主流だが、 “クラシック=眠たい、モード・ジャズ=退屈、フリー・ジャズ=精神異常” と感じる私にとってはほとんど無縁の音楽と言っていい。現にこのキョロシーにも69年にドイツのMPSレーベルからリリースした「アイデンティフィケーション」という人気盤があり、当時はキョロシーで唯一CD化されていた盤ということで興味を引かれたのと、有名スタンダードを演っているから多分大丈夫やろうと油断した(笑)こともあって、私もそのCDを買って聴いてみたのだが、これがもう聴くに堪えないフリーなアドリブの嵐で、スタンダードのメロディーをギッタギタに破壊し尽くすようなアホバカ・プレイにブチ切れた私は即刻中古屋へと売り飛ばしたものだった。
 しかしノーマから復刻されたこの 10インチ盤「ヤンシー・キョロシー」は違った。元々は65年録音のエレクトレコード盤がオリジナル(EDD 1104)で、まだモードやフリーの悪しき影響を受けておらず、良い意味での “アメリカのジャズのコピー” 的色彩が強い、清々しいバップ・ピアノが楽しめるのだ。それもそんじょそこらに転がっているようなノーテンキなバップ・ピアノではなく、異常なまでにハイ・テンションでスリリングなプレイが聴けるのだからコレはもうこたえられない(≧▽≦)
 全8曲入りのこのアルバム、まずは何と言ってもA面1曲目の①「ナイト・イン・チュニジア」、コレに尽きる。シャキシャキしたドラムスにブンブン唸るベースが絡みつき、鋭利なナイフのようなピアノ音の速射砲がスピーカーから飛び出してくるイントロを聴いただけでそのただならぬ気配、尋常ならざるテンションの高さが伝わってくる。とにかく小賢しいことは一切抜きでピアノトリオの王道を行くような直球勝負と言える演奏で、トリオが一体となって燃え上がるその様は筆舌に尽くし難い素晴らしさだ。ピアノのハネ方とアタック音のメリハリのつけ方なんかめっちゃカッコエエし、ハイ・スピードでガンガン弾きまくりながらも溢れるような歌心がビンビン伝わってくるそのプレイにジャズ・ピアニストとしての抜群のセンスを感じてしまう。漲るパワー、迸り出るエネルギー...そのすべてが圧巻だ。
 超有名スタンダード②「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は実を言うとそのメロディー展開も気だるいテンポもイマイチ好きになれない私の苦手曲なのだが、このキョロシー・トリオの演奏はすんなり入っていける。キョロシーの絶妙な間の使い方とドラムスの瀟洒なリズムが生み出す独特のグルーヴに思わず聴き入ってしまうのだ。あまり好きでもない曲をここまで聴かせてしまうのってある意味凄いことだと思う。
 ③「ブルース・フォー・ギャレイ」でもまるで黒人のようなグルーヴィーなピアノが楽しめて言うことナシ。①②③と聴いてきて、ジャズ後進国ルーマニア出身というハンデは微塵も感じさせないし、むしろ本場アメリカの凡百ピアニスト達よりも遥かにジャズを感じさせるところが凄い。ただ、④「ジュニア」、⑥「ボディ・アンド・ソウル」、⑦「ティップ・トップ」はソロ・ピアノなのでパス(笑) 誰が何を弾こうとジャズのソロ・ピアノは苦手だ。
 B面アタマの⑤「ブロードウェイ」は私の愛聴スタンダード曲の一つだが、ここでもキョロちゃん(←チョコボールかよ...笑)の端正で温か味のあるピアノと張り切りまくるベース、そして乱舞するシンバルが絶妙なバランスを保ちながらスインギーな演奏を聴かせてくれるし、ガーシュウィンの名曲⑧「バット・ノット・フォー・ミー」でもスイング感溢れるノリノリの演奏が楽しめる。まさに “ジャズは歌心とスイングだ!” と声を大にして言いたくなるような名曲名演だ。
 彼のエレクトレコード音源としてはもう1枚、4人のピアニストのトリオ演奏を集めたオムニバス盤10インチ「ジャズ・イン・トリオ」(EDD 1164)があり、そこに収められたチャップリンの「ライムライト」とナット・アダレイの「ワーク・ソング」も同好のピアノトリオ・ファンなら必聴だ。私はこの2枚のキョロシーが好きで好きでついには eBay でルーマニアのセラーから2枚ともオリジナル盤を買ってしまった(笑) どちらもピカピカ盤を結構安く買えてラッキーラララだったが、ノーマからこれらの全音源を1枚にまとめたコスト・パフォーマンス抜群のCDが出ていた(NOCD 5681...今は多分廃盤)ので、アナログに拘らないならそちらが断然オススメだ。

ナイト・イン・チュニジア
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プレイ・ピアノ・プレイ ~大西順子トリオ・イン・ヨーロッパ

2010-05-01 | Jazz
 私がジャズを聴き始めたのは1993年頃だった。ビルボード誌の集計方法改悪によって全米チャートがラップやヒップホップといったワケのわからんブラック・ミュージックだらけになり、それまで愛聴してきた80’s系のポップなロック曲が激減したため、洋楽に愛想を尽かした私は何か夢中になれる音楽はないモンかと色々なジャンルの音楽を聴き漁り、私を夢中にしたロックのノリに近いものをジャズのスイングに感じたのだ。非常に乱暴な言い方になるが、私にとっては AC/DC のタテノリ・ロックもアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのファンキー・ジャズも、思わず身体が揺れてしまうという点では似たようなモノだった。
 ジャズを聴き始めて私が最初にハマったのがいわゆるひとつのピアノトリオというフォーマットで、最初の1年ほどは “寝ても覚めてもピアノトリオ” 状態が続いた。管が入らない分、大好きなブラッシュやアコースティック・ベースの音が堪能できるし、何よりもサックス界の一部に蔓延していたシーツ・オブ・サウンドとかいう暑苦しい奏法につきあわされるリスクが無くなるからだ。
 まだインターネットも何もなかった当時、ジャズ・ド素人の私にとっての情報源はスイング・ジャーナルというジャズ専門誌だけだった。そんな SJ 誌で当時大プッシュされていたのが大西順子という日本人ピアニストで、ちょうどデビューしたてでいきなりセンセーションを巻き起こしていたこともあり、私も早速彼女のデビュー・アルバアム「Wow」を買ってきて聴いてみた。コンテンポラリーなジャズ・ピアニストの多くはエヴァンス派といってパラパラと流麗に弾くタイプが主流なのだが、彼女のピアノは力強くガンガン弾きまくるスタイルで、まるでデューク・エリントンの「マネー・ジャングル」を聴いているかのような錯覚にとらわれるほど豪快なプレイが楽しめ、私はいっぺんに彼女のファンになった。
 その後の彼女は数々の名盤を生んできたジャズの聖地、ニューヨークのクラブ “ヴィレッジ・ヴァンガード” でのライヴ盤を始め、破竹の快進撃を見せるのだが、そんな彼女のキャリアのピークを記録したライヴ盤が1996年にリリースされたこの「プレイ・ピアノ・プレイ ~大西順子トリオ・イン・ヨーロッパ」である。この盤は96年7月にヨーロッパで行われたモントルーを始めとする3つのジャズ・フェスティバルに彼女が出演した時のセット・リストの中からベストのプレイを収録したもので、トリオが一体となって展開するスリリングなプレイがたまらないピアノ・トリオ・ジャズの名盤だ。
 特に気に入っているのがアルバム・タイトルにもなった①「プレイ・ピアノ・プレイ」で、エロール・ガーナーの隠れ名曲を探し出してくる嗅覚も大したものだが、それを完全に消化し、さらにパワーアップさせてまるで自分のオリジナル曲のように弾きこなしてしまうあたり、もうさすがと言う他ない。そのか細い腕からは想像も出来ないようなパーカッシヴなピアノのドライヴ感、ドラムスのシャープな切れ味、ベースのゴリゴリした押し出し感... それらが渾然一体となってライヴならではの生き生きした空間を感じさせてくれるところが何よりも素晴らしい。大西順子のベスト・プレイの一つに挙げたい名曲名演だ。
 有名スタンダード②「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」はいきなりアドリブから始まる大胆な展開で、最初は何の曲を演っているのか???なのだが、このアドリブが又凄まじく、火の出るようなインプロヴィゼイションの連続に言葉を失う。その眼も眩むようなスピード感は圧巻だ。残りの5曲はすべて彼女のオリジナル曲だが、これが又甲乙付け難い出来の良さ。ダイナミックなプレイに圧倒される③「スラッグス」、急速調で変幻自在のプレイを聴かせる④「トリニティ」、唯一のバラッドでありながら緊張感溢れるモンク風ナンバー⑤「ポートレイト・イン・ブルー」、端正な導入部から一気に順子ワールドへ突入し凄まじいインタープレイの応酬を聴かせる⑥「クトゥービア」、そして彼女の代表曲の一つ⑦「ザ・ジャングラー」ではスタジオ録音ヴァージョンを凌駕するスリリングなプレイが楽しめてもう言うことナシだ。
 エレピやシンセサイザーに手を出して失速してしまう前の、オーソドックスなフォービート・ジャズを演っていた頃の大西順子は本当に凄かった。それを如実に物語っているのがこのライヴ盤なのだ。

モントルーの大西順子・ジャズ名曲メドレー


プレイ・ピアノ・プレイ