津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「うー頭 井戸を覗いて かやりこみ」

2008-04-11 14:08:17 | 徒然
 昭和28年の大水害で貴重な写真などを殆ど失ったが、私の歩き出して間もない頃と思われる写真が数枚残されている。その中にでっかい頭の私が、井戸の側で写っているものがある。この写真を見ると表記の肥後狂句が頭に浮かぶ。肥後狂句とは熊本弁を使った狂句なのだが、「うー頭」とは「大きな頭」とでも言おうか、「井戸を覗いたらかやり(返り)こんでしまった」、という単純な句だが「言いえて妙」である。当時の私は健康優良児で、東京市長から表彰を受けたという。亡くなった姉に言わせると、「単なるデブよ」と云う事になるが、頭のでかさが異常で、健康優良児ならぬ栄養失調児ではないのかとさえ思わせる。最近腰を折って草むしりをしていたら、まさに「かやりこみ」状態で、我が身体を支えようとして両手を土の中に突っ込んでしまった。最近は上下のバランスもメタボ状態なりに取れていると思うのだが・・・外でこっそり手を洗い、自分の部屋に駆け込んだ。
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改名

2008-04-11 10:00:28 | memo
 改名がどのような手続きを以って成されるのか、史料を持ち得ない。申し出れば即座に認められるのか・・?。次のような史料を見ると、ある時期まとめて決済という事もあるのだろうか・・?

 ■寛永五年正月二日「日帳」から
 
    今日名を被替候衆

   小笠原肥前守(備前カ・長元)
   小笠原民部少輔(長之)
   氏家志摩守(元高)
   佐(藤)将監
   道家帯刀(一成)
   菅村緒左衛門
   余田三右衛門
   鯛瀬茂大夫
   杉原少三郎
   堀平左衛門
   山田七郎兵衛
   吉田平兵衛
   伊藤治兵衛
   森左太夫
   河嶋善兵衛
   藤井権兵衛
   佐藤七左衛門
   坂崎勘右衛門
   財津善内兵衛
   弓削孫丞
   西沢伝兵衛
   鳴海助右衛門
   山田久丞
   林隠岐守
   八木田丹右衛門
   服部武右衛門
   田屋治部右衛門 

(この時代の文書は「何がどうなった」という書き方をしない。これらの人の名前も、「前の名前はどうであったのか」若しくは「改名後の名前はどうなのか」がハッキリしない。個人の記録を当たるしかないが、日にちが特定できるだけでも「良し」とせねば成るまい)

 ■一方、寛永四年正月(一日)忠利は、惣奉行二名に改名を命じている。

  一、(浅山)清右衛門・(田中氏次)興左衛門も、明日名をかハり可申旨、小谷忠二郎を(以)被仰
     出、則清右衛門ハ修理亮、興左衛門ハ兵庫ニ可罷成旨由申候也


    (二つの記録を見ると、改名は正月の行事ではないのかと思わせる)
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