津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

長岡河内離国

2008-04-17 19:32:25 | memo
 三齋の死後、家老職を勤めた長岡(村上)河内は肥後を離國する事になる。
その折の「長岡河内被召出度由ニ而堀田加賀守様より之書状」

   猶々御病中御披見もいかヽと存候へとも如此ニ御座候
   必不及御報候以上
 其後使を以も御見廻不申候御気色次第ニ被得御験気候哉承度奉存候左様に
 御座候得ハ御同名三齋被召仕候長岡河内儀帯刀殿見廻として罷下候由承候
 彼者いまた浪人にて長崎ニ罷在候由承候ニ付前かとより存候者儀ニ候間此方
 へ罷下心安被居候様ニと町左近を以内談いたし候處ニ同心に候此段早々可得
 御内意候処ニ此度ハぬし身代之とんちゃくよりも無之見廻迄に罷下候と申候ニ
 付隠密ニ而申合候儀ニ候へとも自他ワきよりも御聞可被成と存如此ニ御座候委
 細ハいつにても面上可得御意候恐惶謹言
  (慶安二年)六月二日              堀田加賀守(判)
          細川肥後守(光尚)様
                   人々御中

 堀田加賀守家中の町左近とは誰か。光尚室彌々死去に際し三齋の激しい怒りをかって、扶持放しになった町源右衛門は、のち堀田家に仕官することになるが、一族であろうか。長岡河内の堀田家召出しに係わっているのが興味深い。
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性懲りもなく

2008-04-17 18:15:54 | 徒然
 「大日本近世史料・細川家史料」の「人物索引」は、事情があってストップしている。東大史料編纂所のデーターベースは素晴らしくて、名前を打ち込めばその人物に関し、20数冊の書籍(細川家史料)が座右になくとも、たちどころに詳細な情報に接する事が出来て有り難い。だが(ここが私のこだわりの所以だが)、どのような人物が細川家と係わりをもっていたかを瞬時に知るには、やはり「人物索引」が必要だろうと思うのである。

 私は又、残る10巻のタイピング作業を行っている。校正など充分に行った上、東大史料編纂所のご理解を得て再度アップしたいと願っている。別段お叱りを受けて閉鎖した訳ではないが、内容がしっかりしたものにしなければいけないと、十二分に理解し頑張っている。
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忍冬葉(suikazura)

2008-04-17 12:25:05 | 歴史
 
すいかずら(忍冬葉)という植物である。私は以前本妙寺近くに住んでいたが、愛犬の散歩に良く通った本妙寺の裏山に見受けられた。名前を知らずに来たが今回ひょんな事で知る事となった。それは寛永三年五月十八日の「日帳」にある、次のような記事である。

      「すいかつらのは拾石■五斗取候て、ほし候て、可上由(略)」

 漢方の薬にでも使うのだろうが、十石五斗(?)とは凄い量である。五月といえばちょうどかわいい花が咲く頃だそうだが、そんな時期が収穫にてきしているのだろうか。

このような写真を眺めると、ちょっと里山でも歩いてみたい気持ちになる。
(写真はサイト「空風耳風」からお借りした)sora-m.ddo.jp/suikazura.htm
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