大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

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旧海軍の将旗、小沢治三郎中将の遺族宅で発見

2012年08月14日 21時36分33秒 | 歴史検証


旧日本海軍の将官が軍艦に乗艦しているときに掲げられた将旗が、最後の連合艦隊司令長官、小沢治三郎中将の遺族宅(東京都世田谷区)で見つかったことが13日、分かった。小沢中将が南遣艦隊司令長官、第3艦隊司令長官として参戦した内容を昭和天皇に報告した2通の上奏文の控えも発見された。将旗には大将旗、中将旗、少将旗があり、発見されたのは少将旗。小沢中将が少将だったときに、旗艦に掲げられていたものとみられる。縦1・67メートル、横2・53メートル、麻製で、ほとんど傷みのない状態。現存する将旗はほとんどなく、きわめて珍しいという。

小沢中将は昭和15年に中将に昇進、16年10月に南遣艦隊司令長官となり、英東洋艦隊を壊滅させたマレー沖海戦などを指揮。その後、軍令部に戻ったときに、同作戦を昭和天皇に直接説明、上奏文を提出している。レイテ沖海戦ではおとり部隊の指揮官を務め、後に軍令部次長となった際、同海戦の模様を昭和天皇に上奏している。2つの上奏文の控えはいずれもきちょうめんな字で、墨で書かれ、17年7月の南遣艦隊の際の上奏文は、マレー沖海戦で英東洋艦隊を撃滅した様子を詳しく報告。19年12月の第3艦隊の上奏文は「遂ニ作戦目的ヲ達成シ得ズ」とレイテ沖海戦の敗戦の模様を記している。

@敗戦という屈辱からから67年が過ぎ去り、国家はいかに再建せられたか。靖国に眠る英霊は無駄死にだったのか。とまれ、明日は国民一人一人が英霊に感謝し問いただす、そんな一日にしたいものです。 合掌

大西瀧治郎
遺書
特攻隊の英霊に曰す
善く戦ひたり深謝す
最後の勝利を信じつゝ肉
彈として散華せり然れ

共其の信念は遂に達
成し得ざるに至れり
吾死を以て旧部下の
英霊と其の遺族に謝せ
んとす

次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利
敵行為なるを思ひ
聖旨に副ひ奉り自
重忍苦するを誡とも

ならば幸なり
隠忍するとも日本人た
るの矜恃を失ふ勿れ
諸子は國の寶なり
平時に處し猶ほ克く

特攻精神を堅持し
日本民族の福祉と世
界人類の和平の為
最善を盡せよ
海軍中将大西瀧治郎

八月十六日 大西中将
富岡海軍少将閣下
御補佐に対し深謝す
総長閣下にお詫び申し上げられたし
別紙遺書青年将兵指導
上の一助ともならばご利用あり
たし