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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ウクライナ兵の惨状伝えない日本メディア

2023年12月21日 | 国家と戦争
   ウクライナ戦争の停戦へ向けた世論が日本で広がらないのはなぜか。
 さまざまな要因がありますが、ウクライナ兵(兵は市民)の惨状が伝えられていないことが1つの大きな要因ではないでしょうか。

  <渡河作戦は「自殺任務」 米紙報道、兵士証言

 こうした見出しでウクライナ兵の声を伝えた米紙ニューヨーク・タイムズの記事を紹介する記事が、19日付の京都新聞(共同配信)にベタで載りました。

< 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は16日、ウクライナ軍が南部へルソン州で本格化させたドニエプル川の渡河作戦について、犠牲が大きく「自殺任務だ」と訴える複数のウクライナ兵の証言を伝えた。

 ウクライナ側は戦果を強調するが、多くの兵士が逃げ場のない川岸や水中でロシア軍の攻撃を受け、死亡しているという。

 ウクライナ外務省は11月中旬、ロシア側が支配するドニエプル川の東岸に複数の拠点を確保したと表明した。しかし兵士らは同紙に「そこに拠点を築くのは不可能だ」と明かし、発表は誇張されていると指摘した。>

 この短い記事で分かるのは、ウクライナ政府・軍は兵士に「自殺任務」ともいえる無謀な命令を下し多くの死者を出している、にもかかわらず政府は「戦果」を偽って発表している、と複数の兵士が証言していることです。

 ニューヨーク・タイムズ紙は、ウクライナ兵の死者数は「7万人近く」とも報じています(20日付朝日新聞デジタル)。

 日本のメディアはこうした実態を、ニューヨーク・タイムズ紙など外国メディアの報道を短い記事で紹介するだけです。日本メディアがウクライナ戦争報道で大きなスペースを割いているのは、一貫してゼレンスキー大統領の言動と米バイデン政権の動向です。

 これは世界の中できわめて特異な状況だと松里公孝・東京大学大学院教授は指摘します。

「西側のメインストリーム・メディアは戦闘の実態を報道するようになった。賞賛すべきは、これらの局の記者がウクライナ兵とともに塹壕に入って取材していることである。…凄惨な映像が、欧米のテレビでは毎日のように流されている。いまだにゼレンスキーを英雄扱いし、西側が支援すればウクライナが勝てるかのような報道をする日本のマスコミはかなり変わっている」(「正義論では露ウ戦争は止められない」=「世界」2024年1月号所収)

 ウクライナ軍幹部はゼレンスキー氏に「45万人から50万人の追加動員」を提案し、ゼレンスキー氏が検討中だと報じられています(20日付朝日新聞デジタル)。

 これ以上犠牲者を出すことは許されません。もちろんロシア兵も同じです。直ちに停戦協議を始める必要があります。

 兵士の凄惨な状況を報じず、ゼレンスキー氏やバイデン氏の言動を中心にした報道で戦争継続を煽っているメディアの責任はきわめて重いと言わねばなりません。


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「2つの戦争」を停める2つの視点

2023年12月18日 | 国家と戦争
  

 ウクライナ(2022.2.24~)とガザ(2023.10.7~)で続いている「2つの戦争」。犠牲者が増え続ける一方、停戦へ向けた動きが見えてきません。即時停戦を阻んでいるものは何か、2つの論稿が重要な視点を提示しています。

 イスラエルは「ハマスのテロに対する反撃だ」として無差別空爆・攻撃を正当化し、アメリカはそれを支援し、ドイツなど欧州各国も支持しています。その「テロ」について、隠岐さや香氏(科学史家)はこう述べています。

「テロリズムとは無差別な暴力という出来事のみを切り取って示す表現である。それは手段としての暴力を名指しはするが、その目的や背景を見えなくしてしまう。だが実際にはテロ行為には常に何らかの目的があるので、根本となる問題が消えない限り、新たなテロ志願者は増え続ける。これが各国の直面する現実である。…ここは改めて「人命の尊重」という原則に立ち返り、停戦を心から訴えたい」(11月22日付京都新聞「論考2023」=共同)

 ウクライナのゼレンスキー大統領が即時停戦を拒否し「勝利するまで戦う」姿勢を貫いているのは、「ロシアの侵略を許すことになる」からという主張です。これについて松里公孝氏(東京大学大学院教授)はこう指摘します。

「露ウ戦争は膨大な人命の犠牲を生んでおり、人道的な観点からはすぐに停戦しなければならない。…いまの戦線を前提にした停戦論に対しては、「ロシアの侵略を追認するのか」という正義論からの批判がなされる。これは停戦協定と和平条約を混同した議論である。長期的な和平のためには正議論が必要だが、停戦は、「これ以上は戦えない」と交戦国の少なくとも片方が判断することによってなされるのである。…停戦交渉に正議論を持ち込むと歴史の議論になり、きりがなくなるので、持ち込むべきではないのである」(「世界」2024年1月号所収「正義論では露ウ戦争は止められない」)

 「テロ」とは何か。領土・国家の「正義」をどう貫くか。それにいずれも深い歴史的背景があり、双方に言い分があります。それは曖昧にしてはならないけれど、それを前面に立てれば、戦闘は止まらない。松里氏の言葉を借りればいきなり「和平条約」を締結しようとしても無理だということです。

 前面に立てて最優先すべきは、「人命の尊重」(隠岐氏)であり、「人道的な観点」(松里氏)です。
 この原点に立ち返って、イスラエルには無条件でジェノサイドを止めさせる。ウクライナ戦争では停戦協定を締結する。それが、当事者(国)はもちろん、国際社会全体にとっての急務です。

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「二つの戦争」のいまだからこそ「死刑廃止」へ

2023年12月09日 | 国家と戦争
   

 京都アニメーション放火殺人事件(2019年7月18日)の論告求刑公判が7日京都地裁で行われ、検察は死刑を求刑しました。

 メディアは論告求刑が行われる前から、死刑へ向けて世論を誘導してきました。

 例えば裁判が行われている地元の京都新聞は、1日付で「極刑以外、考えられない」という遺族の意見陳述を、そして7日付では青葉被告の「命で償う」と言葉を、それぞれ見出しで強調しました(写真中)。他のメディアも大同小異です。

 しかし、世界の趨勢は死刑制度廃止です。日本はそれに逆行しているばかりか、通告の数時間後には執行されること、絞首刑という明治時代からの野蛮な手法がとられていること、情報公開がほとんどないことなど、死刑存続国の中でも非人間性・反民主性が際立っています(2022年10月11日のブログ参照)。

 こうした多くの問題を不問にしたまま、メディアが世論を誘導し、死刑が求刑され、判決が下されようとしていることはきわめて重大です。

 それはいま、とりわけ大きな危険性をもっています。なぜか。

 死刑制度にはいくつも重大な問題がありますが、その中の1つを、作家の平野啓一郎氏はこう指摘しています。

「死刑制度というのは、人を殺すような酷いことをした人間は殺してもよい、仕方がないという例外規定を設けていることになります。事情があれば人を殺すことができるという相対的な態度です。

 はたして、私たちは、そのように相対的に、ある事情のもとでは人を殺すことのできる社会にしてしまってよいのでしょうか。このような例外規定を設けているかぎり、何らかの事情があれば人を殺しても仕方がないという思想は社会からなくならないでしょう」(『死刑について』岩波書店2022年)

 重要なポイントです。さらにつけ加えれば、「事情があれば人を殺すことができる」という権限(権力)を与えられているのは「国家」だということです。死刑制度とは、「国家」による殺人が「合法的に」容認される制度であり、思想なのです。

 このことの重大さをいまとりわけ考える必要があります。なぜなら、言うまでもなくイスラエルによる連日の無差別攻撃(ジェノサイド)によって子どもたちはじめ多数の市民が虐殺されているからです。そしてウクライナでも市民の犠牲が絶えません。

 この「二つの戦争」があらためて私たちに突き付けているのは、人の命より大切なものはないということです。にもかかわらず、「国家」は大義名分をつくって大々的に人を殺す。それが「戦争」です。

 一方で「戦争」によるおびただしい犠牲に心を痛めながら、一方で「国家」による殺人である死刑を当然視し期待すらする。それは大変な矛盾です。

 「戦争」を憎み、人の命が守られることを願うなら、「国家」による「合法的」な殺人を容認すべきではありません。あらためて死刑制度の廃止が求められています。


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ウクライナに広がる戦争忌避、求められる停戦協議

2023年12月06日 | 国家と戦争
   

 ウクライナ市民の間で、戦争体制に対する抗議・批判が広がっていると報じられています。

<長引くロシアの侵攻と戦況の膠着を受け、ウクライナ国内でも市民らの間に「戦争疲れ」が広がりつつある。

 ロイター通信によると10月から11月にかけ、キーウ中心部の広場では、従軍する兵士の除隊時期を明確に示すよう、兵士の家族らが政府に求める抗議デモを開いた。一連の運動で2万5千筆の署名が集まったという。侵攻翌月の昨年3月から夫が従軍しているアントニナ・ダニレビッチさんはロイターの取材に「私たちはウクライナの勝利を望むが、(兵士たちは)休息が必要だ」と訴える。

 ウクライナは自軍の犠牲者数を公表していないが、米メディアの報道によると、米政権は死者7万人、負傷者12万人にも上ると推計している。ロイターは記事内で「抗議運動はウクライナ軍の間で疲労感が高まっており、増加する死傷者数が家族にも打撃を与えていることの表れだ」と評した。士気が高いウクライナ国内でも、前線に行くのを避けたがる人も多いとされる。

 英BBCの調査によると、偽の診断書を発行するなど不正な手段で徴兵を逃れた男性は約2万人に上るという。戦時体制下のウクライナでは18~59歳の男性の出国が原則禁止されているが、約65万人の男性がドイツなど欧州に逃れ、オーストリアでは少なくとも1万4千人の男性が偽造書類や密入国あっせん業者などを使って入国したという。

 一方、ウクライナ国内で依然として横行する汚職問題も戦況や政府への信頼に影を落としかねない。ゼレンスキー氏は今年8月、徴兵逃れと引き換えに賄賂を受け取る汚職が続いているとして、兵士の徴兵、招集担当のウクライナ各州の軍事委員会トップを全員解任。国防省でも装備品などの調達をめぐる汚職疑惑が発覚し、更迭が相次いだ。

 キーウ国際社会学研究所によると、政府への信頼度は2022年5月の74%から39%(23年10月)に急落ゼレンスキー氏への支持率も同月の91%から76%にやや下落した。
 今年1月に辞任した元政府高官はこのごろ、ゼレンスキー氏への批判をSNS上で積極的に展開。ゼレンスキー氏と距離を置くキーウのクリチコ市長も12月1日に公開された独誌シュピーゲルのインタビューで、「全てが一人の男の気分に左右されるのであれば、もはやロシアと変わらなくなるだろう」と述べ、政権が権威主義的傾向を強めていると批判した。>(5日付朝日新聞デジタル=抜粋、太字は私)

 4日のNHK・BS「国際報道2023」(5日NHK総合再放送)も兵士の家族らのデモを報じました。デモのプラカードには、「兵士は(政府の)捕虜ではない!」「18カ月たった兵士には自由を」などと書かれています(写真)。参加者たちはこう話しています(同番組より)。

「前線で戦っている夫を2年近くも待っている。無事を祈っているが、夫の精神的・肉体的健康がギリギリの状態だ」

「兵士たちはいまも塹壕の中で凍え、食べるものもなく治療も受けられていない。復員する権利を与えられるべきだ」

 メディアは「戦争疲れ」と称しますが、人間としての、人権を守ろうとする人としての当然の要求、主張が表面化してきていると捉えるべきでしょう。

 今こそ停戦協議を始めるべきです。グローバルサウスの国々はじめ国際的な停戦斡旋が鳴りを潜めています(報道がありません)が、あらためてその機運を高めることが求められています。

 それはもちろん、ロシアの侵攻を不問にすることではありません。ロシアの責任、領土問題は停戦協議の中でしっかり話し合う必要があります。

 いま何よりも必要なのは、もうこれ以上戦争の犠牲者を出さないことです。

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ガザ・「虐殺を眺めるだけ」にならないために

2023年11月11日 | 国家と戦争
 

 「ガザ攻撃1カ月」の今月7日の琉球新報国際面トップ記事の見出しが忘れられません。
「虐殺眺めるだけなのか」 憎しみ募り、世界に不信

<「この1カ月はまるで数千年のように長かった」「民族浄化はいつまで続くのか」―。イスラエル軍の激しい攻撃にさらされるパレスチナ自治区ガザ。攻撃開始から7日で1カ月だが、求めた停戦はかなわぬまま。避難生活を送る市民は共同通信の電話取材に憎しみや悲しみと国際社会への不信を語った。「なぜ世界の人々は虐殺を眺めるだけなのか」>(共同配信)

 ガザの惨状を目の当たりにして、傍観者でいるつもりはなくても、イスラエルの暴挙を止めることができない「世界」は結局、「虐殺を眺めるだけ」の傍観者になっている。その「世界」の中にいる私も。このガザ市民の言う通りだ。どうすればいいのだろう…そんな思いの中で、強い示唆を受けた論稿を読みました。

 カリフォルニア大学バークレー校教授のジュディス・バトラー氏の「哀悼のコンパス 暴力を批判する」(清水知子氏訳・解説、「世界」12月号所収)
です。(以下、抜粋)

「メディアを通して殺戮を見ている多くの人々は、とても絶望的な気持ちになっている。だが、彼らが絶望的である理由のひとつは、まさにメディアを通して見ているからであり、熱しやすく冷めやすい、希望のない道徳的怒りの世界の中で生きているからである

 政治道徳を変えるには時間がかかり、忍耐強く勇気をもって学び、名づける(価値判断する―私の解釈)必要がある。そうすることで、道徳的非難に道徳的ビジョンを添えることができるのだ。

 ぞっとするようなこの瞬間を越えて視野を広げなければならない。現代のメディアは、多くの場合、パレスチナの人々が何十年もの間、爆弾テロ、恣意的な攻撃、逮捕、殺害といった形で生き抜いてきた恐怖を詳らかに報じていない。…占領下のパレスチナや強制的に離散させられたパレスチナ人が耐えてきた根本的な不正義に対する理解を、その時々の道徳的対応が蝕んでしまう恐れがある」

 メディアの映像を見て、悲しみ、怒る。それは「道徳的怒り」であり、そこでとどまっていては、事態の解決には至らない。むしろそうした熱しやすく冷めやすい「道徳的対応」は、根本的な不正義に対する理解をむしばむ。「道徳的非難」に「道徳的ビジョン」を添えなければならない。そのためには、忍耐強く学ばなければならない。何よりも歴史を学ばなければならない―。

 清水知子氏(東京藝術大准教授)の解説によれば、バトラー氏はユダヤ人で、フェミニズム、クィア理論に大きな影響を与える哲学者。多くの著作で「ユダヤ性とは何かについて徹底して掘り下げている」といいます。

 バトラー氏の指摘は、パレスチナ問題にとどまらず、あらゆる社会・世界の問題に対して言えることではないでしょうか。

 ただ、それでも「虐殺眺めるだけなのか」という指弾の声に対する即答にはならないでしょう。だから「直ちに停戦を」の声を上げ続けなければなりません。小さな声でも。声を上げながら、歴史を学ばねばなりません。

 8日夜、京都大学で映画「ガザ素顔の日常」の上映会がありました。上映前に解説した岡真理氏(早稲田大教授)が同日京大構内で行われた「パレスチナ連帯昼休み集会」(残念ながら参加できませんでした)で、パレスチナ出身の女性が参加者に訴えた言葉を紹介しました。

「歴史の審判において、正し側に立ってください」

 せめてこの言葉を忘れないようにしようと思います。

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大統領選延期で停戦論を封じるゼレンスキー氏

2023年11月10日 | 国家と戦争
  

 ウクライナのゼレンスキー大統領は6日のビデオ演説で、来年3月に予定されている大統領選挙を延期する意向を示しました。ウクライナ戦争の行方を考えるうえできわめて重要な動向です。

 毎日新聞(8日付)デジタル版はこう報じています(抜粋)。

<ゼレンスキー大統領は「今は選挙に適切な時期ではないと信じている」と述べ、延期する考えを強く示唆した。選挙の実施で「ウクライナの民主主義を示すべきだ」との声が欧米からあり、戦時下で民意を問うべきか否かが議論になっていた。

 ゼレンスキー氏は「我々は団結し、論争などによる分断を避ける必要がある。状況は変わっておらず、勝利しなければ国が無くなってしまう」と強調した。その上で「戦時下で非常に多くの課題がある中、選挙の話題を軽々しく社会に投げかけるのは無責任だ」と述べた。

 戦時下のウクライナ国内では言論と報道の自由を完全に確保できないとの指摘もあり、有権者が選挙の公平性に疑念を持てば、政権の求心力低下につながりかねない。こうした状況を踏まえ、ゼレンスキー氏は実施は困難との判断に傾いたとみられる。>

 このゼレンスキー氏の言い分によれば、戦争中は大統領選挙は行わないことになります(ウクライナの戒厳令はあらゆる選挙を禁止)。つまり戦争中はゼレンスキー氏が大統領で居続けるわけです。

 この記事は触れていませんが、ゼレンスキー氏の言明の背景には重要な事実があります。それは、ウクライナ大統領府顧問のアレストビッチ氏が大統領選へ出馬する意向を明らかにしていることです。

 アレストビッチ氏は、「ロシアに占領された土地は、武力ではなく、政治的な手段によってのみ回復させる」と主張しています(8日のNHK国際報道2023=写真右)。
 領土問題は戦争ではなく外交によって解決を目指すべきだという即時停戦論です。

 NHKはじめ日本のメディアは、ウクライナ国内はロシアとの主戦論で一枚岩だと報じ続けていますが、大統領府顧問のアレストビッチ氏が即時停戦を主張して大統領選に立候補しようとしていることは、メディアの報道いかに偏向しているかを示しています。
 
 ゼレンスキー氏が「論争などによる分断を避ける必要がある」と言ったのは、アレストビッチ氏の主張を念頭に置いたものであることは明白です。ゼレンスキー氏が大統領選挙を延期しようとしているのは、即時停戦論を封じ、戦争を継続するためにほかなりません。それは「大統領選の延期」というより、「ゼレンスキー独裁体制の無期限延長」と言うべきでしょう。

 「勝利しなければ国が無くなってしまう」というのは戦争をする国家権力の常とう句です。そうやって「国民」を戦争に動員することがいかに甚大な犠牲(膨大な市民の死)を招くかは歴史が証明しています。

 戦争中でも、戦争中だからこそ、市民は冷静に現状を分析し、討論を交わして今後の進路を決める必要があります。そのために「選挙休戦」を国際的監視下で行うなど、英知を結集すべきです。

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「ガザの損害は広島に比肩」とマレーシア首相が岸田首相に言った意味

2023年11月08日 | 国家と戦争
   

 岸田首相は5日、訪問先のマレーシアでアンワル首相と会談しました(写真左=官邸HPより)。
 日本のメディアは、「安全保障協力の強化で一致」(5日付朝日新聞デジタル)、「安保能力支援へ調整加速」(6日付京都新聞=共同)など、「中国を念頭に、防衛協力を進める方針で一致した」(同)との報道一色でした。官邸のレクチャーで記事を書いているのですから、無理もありませんが、会談は本当にそのような友好ムードだったのでしょうか。

 共同通信の配信記事には次のくだりがあります。

「アンワル氏は会談後の共同記者発表で「ガザの損害は広島に比肩する」と述べ、停戦実現の努力や人道支援で協力を深めたいとの考えを示した」(6日付京都新聞)

 マレーシアやインドネシアではイスラエルのガザ攻撃に対する市民の批判が広がり、大規模なデモが行われています(写真右はインドネシア)。同時に、イスラエルを後ろで支える黒幕アメリカに対する批判も強まっています。

 それはアンワル首相も同じです。6日の「NHK国際報道2023」は、アンワル氏の次のような発言を紹介しました。

アメリカからハマスをテロ組織として非難するよう外交的に圧力をかけられた」「脅しに屈しない」(写真中)

 そのアンワル氏が岸田氏に「ガザの損害は広島に比肩する」と言ったのです。それはすなわち、イスラエルがガザでやっていることは、アメリカが広島に原爆を落としたのに匹敵するジェノサイドだということです。だから(言葉に出したかどうかは分かりませんが)、「広島出身のあなたなら、当然イスラエルの虐殺を批判し、即時停戦を働きかけるべきではないか」という思いだったのではないでしょうか。

 アンワル氏の念頭に、10月27日の国連総会の緊急特別会合で採択された「人道的休戦」を求める決議に、アメリカが反対し、日本がそれに追随して棄権した事実があることは間違いないでしょう。

 岡真理氏(早稲田大教授)は、日本市民がイスラエルのジェノサイドに対して沈黙すること、すなわち「即時停戦」を要求しないことは、「自らの歴史の忘却にほかならない」とし、その歴史の1つがアメリカによる広島・長崎への原爆投下だと指摘しました(10月31日のブログ参照)。

 アンワル氏も同じ思いだったのではないでしょうか。アメリカによる原爆投下というジェノサイドの被害を受けた歴史を持つ日本が、そのアメリカに追随してイスラエルのガザに対するジェノサイドに対して「沈黙」する、「即時停戦」に賛成しないとは、いったいどういうことなんだ、と。

 そもそも今回の岸田氏のマレーシア、インドネシア訪問は、日米軍事同盟によるアメリカの意向に従い、中国をにらんで両国との軍事協力強化を狙ったものです。そして日本のメディアは一斉に、「防衛協力の強化で一致」と日本政府(その背後のアメリカ政府)の思惑通りにことが進んだかのように報じました。

 しかし、実際は、イスラエルのガザ空爆を巡って、両国の強いアメリカ批判、そのアメリカに追随している日本に対する不信感が渦巻いていることを目の当たりにした訪問だったのではないでしょうか。

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ウクライナ政府が抗議した「通販生活」表紙は間違っていない

2023年11月03日 | 国家と戦争
  雑誌「通販生活」(2023年冬号、マガジンハウス社発行=写真)の表紙の文章に対し、在日ウクライナ大使館が10月27日に抗議。マガジンハウス社は30日、「おわびの文書」を同大使館に渡しました。

 ウクライナ大使館が抗議した「表紙」の文章は、猫が武装した兵士の映像を眺めて語っているもの。全文は以下の通りです(実際は縦書き、改行はそのまま、太字部分は実際は赤字です)

 プーチンの侵略に断じて屈しない
 ウクライナの人々。
 がんばれ、がんばれ、がんばれ。
 守れ、守れ、守れ。
 殺せ、殺せ、殺せ。
 殺されろ、殺されろ、殺されろ。
 人間のケンカは「守れ」が
 「殺し合い」になってしまうのか。
 ボクたちのケンカは
 せいぜい怪我くらいで停戦するけど。
 見習ってください。
 停戦してください。

 これに対しウクライナ大使館がSNS上で抗議。同社は「ロシアのウクライナ侵攻を猫のケンカに例えたことについて、「不適切な言葉で表現した」とするおわびの文書を在日ウクライナ大使館に渡したと発表」(10月31日付朝日新聞デジタル)しました。

「同社によると「通販生活」の表紙では毎号、猫のイメージを使用している。担当者は「これ以上、一人でも亡くなったり傷ついたりしてほしくないという思いで掲載したが、ケンカに例えた表現は軽率だったと反省している」と話した」(同)

 この表紙の文章のどこが「不適切」なのでしょうか。ケンカに例えたことも「軽率」だとは思いません。戦争はまさに「人間のケンカ」であり、「守れ」が「殺し合い」になるという指摘はまったくその通りです。それが戦争・国家の論理です。

 動物に語らせるのは典型的な表現技法の1つであり、同誌は毎号その手法を使っているとのこと。この文章は芸術表現です。ウクライナを批判しているものでもありません。むしろウクライナ市民を応援しているとも読めます。停戦の必要性を印象深く表現した、時宜に適した優れた文章だと思います。

 これに抗議したウクライナ大使館(ウクライナ政府)の方が「不適切」です。それは「表現の自由」に対する圧力と言えるでしょう。ウクライナ政府の「抗議」なら何でも無条件で通用する(批判されない)という風潮はきわめて危険です。

 しかも重大なのは、このウクライナ政府の抗議によって、停戦を訴える声がかき消されたことです。

 不当な圧力に屈することなく、ウクライナ戦争においても、パレスチナにおいても、声を大にして訴えなければなりません。「直ちに停戦せよ、猫に見習って!」

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イスラエルを支持するゼレンスキー氏の「二重基準」

2023年10月28日 | 国家と戦争
   

 パレスチナ・ガザ地区に対する無差別空爆で市民・子どもたちを虐殺(ジェノサイド)しているイスラエルへの国際的批判が強まっています。同時に、イスラエルを支持・支援しているアメリカや欧州諸国へも批判の矛先が向いています。

 その一方、同じくイスラエルを支持していても批判の対象になっていない(報道されていない)のがウクライナのゼレンスキー大統領です。

 ゼレンスキー氏は7日、ハマスの攻撃の直後に、「テロが二度と、生命を奪ったりすることがないようにしなければならない。イスラエルの自衛権は、疑う余地がない」と声明を出し、歴史的経過を無視してハマスを一方的に「テロ」と非難し、イスラエルへの支持を表明しました。同日夜のビデオ演説でもイスラエルへの共感を表明しました。

 翌8日にはイスラエルのネタニヤフ首相と緊急の電話協議を行い、改めて「連帯」を伝えました(以上の事実は25日付朝日新聞デジタルより)。

 さらに、イスラエルが地上侵攻の意図を明確にした後の11日、ゼレンスキー氏は訪れていたNATO(北大西洋条約機構)本部でこう述べました。

「重要なのは団結だ。可能なら各国指導者がイスラエルに行って支援することを勧める」(13日付朝日新聞デジタル)

 ゼレンスキー氏の度重なるイスラエル支持表明について、朝日新聞はこう論評しています。

「ゼレンスキー氏が今回、イスラエル寄りの姿勢を示したのは、米国や英国、ドイツといった支援を続ける国々のウクライナへの注意や関心が低下することを恐れた可能性がある。また、攻撃を受けているという立ち位置が同じであると強調することで、イスラエルを敵に回すよりも、将来的な軍事支援の可能性を残しておいた方が現実的だとゼレンスキー氏が判断したのではないかとの見方がある」(25日付朝日新聞デジタル)

 イスラエルへの支持をめぐって、アメリカの「二重基準(ダブルスタンダード)」が露わになっています。

「米国は、ロシアの侵略に対するウクライナの抵抗を、人権や民主主義を守る闘いと位置付けてきた。…しかしいま、子どもを含むガザ住民を空爆で殺傷しているイスラエルを支持し、地上侵攻も容認する状況に陥っている」(21日付朝日新聞デジタル)。これがアメリカ・バイデン大統領の「二重基準」です。

 アメリカはじめNATO諸国の軍事支援に依存し、イスラエルを支持すると繰り返し表明しているゼレンスキー氏も、バイデン氏と同じ「二重基準」に陥っていると言わざるをえません。

 国連のグテレス事務総長は、「パレスチナ人は56年間(イスラエルによる)息の詰まる占領下に置かれてきた」とし、ガザに対するイスラエルの攻撃を「明確な国際人道法違反」と断じ、「即時停戦」を要求しました(24日)。これは事実で正当な主張です。

 これに対し、イスラエル(コーヘン外相)は「自分を破滅させようとする相手とどう停戦できるのか」と反発しました。盗人猛々しいとはこのことです。

 パレスチナでもウクライナでも、国家間の戦争の犠牲になっているのは市民であり子どもたちです。これ以上の人権侵害はありません。アメリカやNATO諸国の「二重基準」に追従することなく「人権と民主主義を守る」という主張を一貫させるには、いずれの戦争においても「即時停戦」の立場に立つことです。


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岡真理氏が解明する「ガザの事態」の根源

2023年10月23日 | 国家と戦争
   

 20日夜、緊急学習会「ガザとは何か」が京都市内で行われました。講師は岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)(写真右は岡氏=左端とガザの実態を訴えた女性)。

 岡氏は「日本のメディアはガザの事態を10月7日(ハマスの攻撃)からしか見ていない」とし、重要な「4つの視点」を挙げました(以下、講演から)。

 ①現在、ガザで起きていることは、イスラエルによる「ジェノサイド(大量殺りく)」にほかならない。
 日本のメディアは「地上戦」ばかり取り沙汰しているが、今起こっていることがすでにジェノサイドである。

 ②日本の主流メディアは、問題の歴史的文脈を捨象した報道によってこのジェノサイドに加担している。
 メディアは「憎しみ・暴力の連鎖」と言うが、そうではない。「どっちもどっち」ではない

 ③歴史的文脈とは何か? イスラエルは、入植型植民地国家、アパルトヘイト国家である。
 メディアはこのことを隠ぺいしている。

 ④イスラエルの犯罪を裁かない、Justiceをめぐる国際社会の「二重基準」が、ジェノサイドを可能にしている。「二重基準」は、アメリカにとって都合がいいか悪いかだ。

 ガザとは何か?

 ガザは1967年以来、50年以上イスラエルの軍事占領下にあり、2007年に完全封鎖された。これは「集団懲罰」であり、国際法違反だ。経済基盤は破壊され、住民の多くが極度の貧困状態にある。繰り返される攻撃で、社会インフラは破壊された。

 封鎖下のガザに対して繰り返されるイスラエルの攻撃

〇2008~09年  22日間  犠牲者・1400人超
〇2012年11月  8日間  犠牲者・140人超
〇2014年7・8月  51日間  2200人超(人口比では日本の15万人に相当)、白リン弾も使用
〇2021年5月  15日間  256人

 ガザの住民は、1948年のイスラエル建国にともなう民族浄化によって、暴力的に故郷を追われて難民となった人たち。人口は現在約230万人。65%が24歳以下で、40%が14歳以下。平均年齢は18歳。イチゴはじめ農産物の生産がさかんだったが、イスラエルの輸出規制によって衰退。

 主流メディアが明らかにしたがらない歴史的文脈=問題の根源は、なぜガザの人々が「難民」となったのかである。

 欧米社会は「ホロコースト後」も反ユダヤ主義という歴史的宿痾を克服することができなかった。そこでヨーロッパのユダヤ人は、帝国(米英)の力を背景に、パレスチナに自分たちの国を創った(入植)。それがイスラエルだ。

 国際社会(欧米諸国)は、ヨーロッパ・キリスト教社会における歴史的ユダヤ差別と近代の反ユダヤ主義、ホロコーストを、パレスチナ人を犠牲にすることであがなったのだ。

 ハマース(岡氏の表記)とは何か?

 1967年、東エルサレム、ヨルダン川西岸地域、ガザがイスラエルに占領された。1987年の第1次インティファーダ(パレスチナ人の抗議運動)でハマースが誕生した。

 2006年、パレスチナ民族評議会選挙で、ハマースが民主的に勝利し、統一政府がつくられた。しかしアメリカはこれを承認せず、クーデターを画策し、ガザは内戦状態になり、パレスチナは分裂した。

 ハマースは、占領された祖国の解放を目指す民族解放運動組織であり、今回の奇襲攻撃の本質は、占領下の人々による占領軍に対する抵抗(抵抗権の行使)である。

 ガザは<世界最大の野外「監獄」>と言われるが、その意味は、たんに封鎖によって物が入ってこないということではない。生殺与奪の権利を占領者が握っているということだ。
 そのガザを世界が見捨ててきた政治問題を人道問題にすり替えてはならない
 
 岡氏はある宗教家(マンスール・アル=ハッラージュ)の言葉で講演を締めくくりました。

「地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。人が苦しんでいるのを、誰も見ようとしないところのことだ」

 不勉強による無知、何もしない(不作為)ことの犯罪性・共犯性を突き付けられました。「どっちもどっち」ではない。歴史を学ぶこと、歴史的視点で現実を見ることの重要性をあらためて痛感します。

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