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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

映画「福田村事件」(森達也監督)の隠れた見どころ

2023年09月04日 | 差別・人権
   

 森達也監督の映画「福田村事件」が1日公開されました。NHKクローズアップ現代(8月30日)も取り上げるなど話題になっています。

 「福田村事件」とは、関東大震災5日後の1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)で、通りがかった香川県三豊郡(現・観音寺市および三豊市)から来た薬売り行商団15人が朝鮮人と見なされ、幼児や妊婦を含む10人(お腹の子を含め)が、在郷軍人などの自警団などによって惨殺された事件です。

 知る人の少ない事件ですが、森氏は2001年ころ、慰霊碑建立に関する地元紙の小さな記事に目が留まり、映像化の企画を温めてきたといいます。

 優れた映画です。森氏が「キーワード」という「集団心理」の危険性がよく描かれています。しかもたんに流言飛語の問題にせず、「韓国併合」(1910年)、「三・一独立運動弾圧」(1919年)などの背景にも触れています(十分とは言えませんが)。

 とりわけ評価したい点を2点挙げます。

 1つは、森氏が「朝鮮人と誤って日本人が殺された事件ととらえられるのには強い違和感を覚える」とし、惨殺される直前に行商団のリーダーが村人らに訴えた言葉に「全ての思いを込めた」(8月28日付京都新聞)という、その言葉です(写真右がそのシーン)。
 それは、「鮮人ならええんか。朝鮮人なら殺してもええんか

 この言葉(セリフ)がなかったら、森氏の意図に反して、とんでもない曲解を与える危険性があったでしょう。

 もう1つは、虐殺された行商団は、被差別部落の人々でした。福田村事件の底流には、朝鮮人差別と部落差別の二重の差別があったのです。事件が埋もれた(フタをされた)のも、「被害者が被差別部落出身で声を上げられなかった」(8月30日付琉球新報=共同)のが大きな理由の1つだと思われます。

 この点を映画はきちんと描くのだろうか。それが注目点の1つでした。なぜなら「クローズアップ現代」ではそのことは一言も触れられなかったからです。

 杞憂でした。森氏は「水平社宣言」(1922年)も含め丁寧に描いていました。それがこの映画をとりわけ素晴らしいものにしたと言えるでしょう。

 優れた映画ですが、疑問を1つ。

 森氏は新聞の取材にこう述べています。「社会派と銘打つが、娯楽作品として見てほしい」(8月28日付京都新聞)
 どういう意味で「娯楽作品」と言ったのか分かりませんが、強い違和感を禁じ得ません。このテーマが「娯楽作品」になるわけがありません。「娯楽作品」にしてはいけません。

 そういえば、こういうシーン(展開)は必要なのかと首をかしげる場面がいくつかありました。それがもし「娯楽作品」を意図した結果だとしたら、不自然・不必要なばかりか、作品の質を落とすものと言わざるをえません。

 最後に、森氏のインタビューやメディアの映画評では触れられていないけれど、きわめて重要な“見どころ”を挙げます。

 それは、最後の字幕です。そこには次の一節があります。福田村事件の加害者らは、「大正天皇死去による恩赦」によって釈放された。

 そうです。「この事件では…自警団員7人に有罪判決が下されたものの、昭和天皇即位による恩赦で釈放された」(畑中章宏著『関東大震災 その100年の呪縛』幻冬舎新書2023年7月)のです。

 天皇制国家の朝鮮侵略・植民地支配・植民地戦争の延長線上で起きた虐殺事件。その加害者らが、大正天皇死去(昭和天皇即位)の「恩赦」で釈放された。「福田村事件」の本質を象徴する顛末です。


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女子サッカーにみる「ジェンダー平等」の闘い

2023年08月02日 | 差別・人権
  

 サッカー女子W杯が注目されていますが、その華やかな表舞台とは別に、裏では「ジェンダー平等」をめぐる熱い闘いが続いています。

 男子選手と女子選手の格差・差別が顕著に表れているのが、賞金・選手への支給をはじめとする待遇面です。

 今回の女子W杯の賞金総額は1億1千万㌦(約152億9千万円)。昨年の男子W杯カタール大会の賞金(4億4千万㌦)の4分の1です。移動も、男子はチャーター機かビジネスクラスが普通なのに対し、女子は何時間以上、あるいは結果によってビジネスクラスという条件付きでした。

 W杯元代表でドイツ大会優勝メンバーの川澄奈穂美選手(写真右=朝日新聞デジタルより)は、「自分が代表にいたころ、男子の代表がW杯で勝つと100万円の勝利給が出ると知って衝撃を受けました。女子では聞いたことがなかったので。男女の待遇差は大きく、代表戦の日当やスタッフの数もまったく違いました」(7月31日付朝日新聞デジタル)と振り返ります。

 そんな状況が変わりつつあります。

 W杯の賞金は、男子との差はまだ歴然ですが、前回大会(2019年)に比べれば約4倍に増えました。今大会では出場選手には1次リーグ敗退でも3万㌦(約417万円)が支払われるようになりました。

 この背景には、国際プロサッカー選手会(FIFPRO)の存在があります。
 選手会は要望をFIFA(国際サッカー連盟)への書簡にまとめ、各国の代表チームに署名を呼び掛けました。
 その活動に選手会スタッフとして取り組んできた辻翔子さん(元サッカー選手)が語っています。

「ニュージーランド代表、ノルウェー代表はすぐに理解してくれました。米国、スウェーデン、ニュージーランド、カナダ、豪州代表は、選手全員がサインをしてくれました。昨年10月中旬に署名が約150人分集まったところで、書簡を提出しました。…結果、賞金の大幅な引き上げや、移動手段やホテルといった待遇の改善、賞金のうち選手への配分金を確保するという私たちの要求が認められました」(7月23日付朝日新聞デジタル)

 また、「カナダなど複数のチームで男子との格差是正を求める動きが続き、待遇改善を訴えた南アフリカはW杯前の試合をボイコットした」(7月21日付京都新聞=共同)など各国チーム独自の行動もありました。

 そんな記事の中に、日本チームの名前が出てきません。日本チーム・選手は選手会の署名に協力したのでしょうか?

 競技団体の理事に占める女性の割合は、ノルウェーが男女同数、スウェーデンが7人中3人、イングランドが10人中3人などに対し、日本は27人中3人(FIFAの2019年調査)。女性コーチの割合は、カナダ19%、スペイン18%などに対し、日本は3%です(7月31日付朝日新聞デジタル)

 川澄選手はこう主張します。

「海外に出て、このままじゃだめだと気づきました。米国の女子代表も、裁判で長年戦って報酬の平等を勝ち取ったんです。カナダや豪州、南アフリカの選手も積極的に声を上げている。そんな選手たちを身近に見て、環境や待遇をよくするためには、戦わないといけないと考えるようになりました。…何より未来を夢見てサッカーをしている子どもたちに、平等な環境をつくらないといけない。日本社会は変化を起こすのが難しいかもしれませんが、みんなが一枚岩になって取り組むことが大切だと思います」(同上)

 川澄選手の訴えは、けっしてサッカーだけの問題ではないでしょう。日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中125位(世界経済フォーラム)。日本サッカーの男女差別・後進性は日本社会の反映にほかなりません。

 NHKはじめメディアはW杯の勝敗に一喜一憂しますが、その背景にあるジェンダーギャップ、それと闘っている選手たちの奮闘に思いをいたし、「変化を起こすのが難しい」日本社会でもジェンダー平等が前進するよう、私たちも闘わねばなりません。

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中島京子原作・「やさしい猫」はどこにいる?

2023年07月31日 | 差別・人権
   

 NHKドラマ「やさしい猫」(主演・優香)が29日最終回(全5話)でした。原作は中島京子さん(写真右=朝日新聞デジタルより)。小説が書かれたのは2年前。入管行政の犠牲になるスリランカ男性と日本のシングルマザーと娘、3人家族のたたかいの物語でした。

 強制送還逃れの「偽装結婚」と決めつけられ、問答無用に収監され、元気だった体が数カ月で衰弱した男性。必死の思いで「仮放免」を勝ち取るも、健康保険もなく、理不尽な「家宅調査」を受けるなど、人権侵害の数々…。入管行政の実態がよく描かれていました。

 クライマックスの裁判シーンで、男性の弁護士(滝藤賢一)が述べた言葉が秀逸でした(メモなので正確ではありません。以下同じ)。

「これは東京の片隅の1つの家族のことではありますが、問われているのは国の姿勢です。国が人の幸福追求権を奪っていることが問われているのです

 NHKドラマで「国」を追及する鋭い言葉が繰り返されたの珍しいでしょう。

 最も心打たれたのは、家族を支援する元入管職員(吉岡秀隆)の言葉でした(第4話)。「相手は国だ。国と闘っている」という弁護士に対し、元職員はこう言います。

「(入管相手の)裁判で勝つ確率は2%だけど、(犠牲になっている外国人を)救いたいと思っている日本人もそれくらいかもしれない」「誰と闘っているのが分からないのが一番問題かもしれない

 中島さんは朝日新聞への寄稿で、先の国会で強行された入管法改悪を批判し、小説執筆の動機をこう述べています。

どうしてこんな法律が通ってしまったんだろうとぼうぜんとするが、それはおそらく、多くの有権者が問題に気づかず無関心でいるからだ。気づいてもらえる一助になればというのは小説を書いた動機でもあるが、一つ小説が書かれたくらいでは、影響力は限られる」(7月22日付朝日新聞デジタル)

 先の元入管職員の言葉に通じます。やはりこれが中島さんが作品に込めた思いの核心でしょう。

 タイトルの「やさしい猫」とは、ネズミを食ってしまった猫が、そのネズミには子ネズミたちがいることが分かり、子ネズミたちを引き取って自分の子ネコたちと一緒に育てた、というスリランカの童話のタイトルだそうです(第1話)。

 最終回、裁判が終わって、妻(優香)の実母(余貴美子)が言います。「人間はみな泣きながら生まれてくる。人生は苦しいものだ。でも、生きていく中でやさしくなり、笑うことを知っていく」。なぜ「やさしい猫」のタイトルがつけられたのか分かった気がしました。

 98%の日本人は「やさしい猫」になれるでしょうか。ならなければなりません。「やさしさ」ではなく、人としての責任として。

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「読書バリアフリー」と図書館

2023年07月22日 | 差別・人権
   

 「ハンチバック」で芥川賞を受賞した市川沙央さんは、記者会見(19日)でこう述べました。

「(この作品を通じてどんなことを伝えたいですか、の質問に)読書バリアフリーが進むことです。読みたい本を読めないというのはかなりの権利侵害だと思うので、環境整備を進めてほしいと思います」

「(最後に一言)ちょっと生意気なことを言いますけれど、各出版社、学術界でなかなか電子化が進んでいません。障害者対応をもっと真剣に早く取り組んでいただきたいと思っています。よろしくお願いします」(19日付朝日新聞デジタル、写真左も)

 難病「先天性ミオパチー」で人工呼吸器や電動車椅子を使って生活している市川さん。「ハンチバック」には、「目が見える、本が持てる、ページがめくれる、読書姿勢が保てる、書店へ自由に買いに行ける―。そんな「5つの健常性」を満たすことを要求する読書文化に、主人公が憎しみをあらわにする場面がある」(20日京都新聞=共同)そうです(私は作品未読です)。

 「5つの健常性」を満たすことを要求する読書文化、その「健常者」の「特権性」を打ち破る「読書バリアフリー」の切実さ―気付かなかった重要なことを教えられました。

 大津市に、原因不明の病気で寝たきりの生活を送りながら、社会福祉士などの資格を取得した女性がいます。畑中信乃さん(37)。畑中さんは「同じような境遇で困っている人や家族が悩みを共有できる場所を」とSNS(交流サイト)「toiro(といろ)https://toiro.googlecomcom.com/」を立ち上げました。

 そんな畑中さんの人生・活動が京都新聞(5月17日付夕刊)で紹介されました(写真右)。サイトを通じて畑中さんに市川さんの記者会見のもようを伝えたところ、次のようなメールがありました。

「芥川賞の市川さんのニュースを興味深く拝見していました。電子書籍化が進んでくれるのを願うと共に、図書館に導入して欲しいと強く思います!
 読みたい本が電子書籍化していても、全部購入しないといけないのが現状で、ちょっと調べ物をしたい時などでも買わないといけないのが結構大変でした。今年卒業した通信大学のレポートの参考文献などでも苦戦しました。
 市川さんが発信してくれることで、少しずつ状況が変わってくれると思っています。」

 なるほど、図書館です。書籍が電子化しても、全部買わなければいけないのでは「バリアフリー」にはなりません。大切なことを気付かせてもらいました
 6月18日のブログ(「図書館が危ない」)で、子どもたちのために図書館を充実させる必要があると書きましたが、障害者の権利を守る「読書バリアフリー」のためにも、図書館の重要性を共通認識にする必要があります。

 日本図書館協会(公益社団法人)は1954年に「図書館の自由に関する宣言」を採択しました(1979年に改訂)。「宣言」は、「図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任をはたす」とうたっています。

 図書館は、戦争・戦時国家体制の反省に立って、市民の「知る自由・権利」を守り広げることを責務として戦後再出発したのです。
 戦争で真っ先に犠牲になるのは子どもと障害者です。図書館が「読書バリアフリー」の拠点になることは、戦争国家化の動きに抗って平和と人権を守る図書館の基本理念に通じるのではないでしょうか。

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見過ごせない河村名古屋市長の障害者差別

2023年06月06日 | 差別・人権
   

 3日付の朝日新聞デジタルが、「障害者への差別発言相次ぐ 名古屋城復元めぐる市主催の討論会」と題した記事を配信しました。他のメディアではほとんど報じられていないようなので、長くなりますが、引用(抜粋)します(写真左も)。

< 名古屋市が復元をめざす名古屋城木造天守のバリアフリー化をめぐり、市が主催した3日の市民討論会の中で、エレベーター(EV)の設置を求める意見を述べた身体障害がある男性に対し、他の参加者から差別発言があった。

 市民討論会は名古屋市中区内で開かれ、市側が住民基本台帳から無作為に選んだ18歳以上の参加希望者が出席した。河村たかし市長も参加した。(中略)

 討論会では、車いすの男性(70)が天守最上階まで車いすも運べるEVが設置されなければ、「障害者が排除されているとしか思えない」と市側に訴えた。

 その直後、EV不要の立場から2人の男性が発言した。最初の男性は車いすの男性に対し、「河村市長が作りたいというのはエレベーターも電気もない時代に作ったものを再構築するって話なんですよ。その時になぜバリアフリーの話がでるのかなっていうのは荒唐無稽で。どこまでずうずうしいのかっていう話で。我慢せえよって話なんですよ。お前が我慢せえよ。エレベーターを付けるなら再構築する意味がない」などと話した。

 次に発言した男性は身体障害がある人への差別表現を使った上で、「エレベーターは誰がメンテナンスするの。どの税金でメンテナンスするの。その税金はもったいないと思うけどね。毎月毎月メンテナンスしないといけない。本当の木造を作って」などと話した。

 この2人の男性の発言の後には会場の一部からは拍手も起きた。

 河村市長は報道陣から差別発言があったことへの見解を問われ、一部は「よう聞こえなかった」とした上で、「自由に言ってもらうのが前提で、広い気持ちで考えるのが普通ではないですか」と話した。一方、市の担当者は差別発言があったことを認めた上で、「個人の勢いで言われたことで、制止することはしなかった。今後の運営の課題としては受け止める」と話した。

 車いすの男性は「頭が真っ白になるくらい傷ついた。市には発言を止めて欲しかった」と話した。>

 同記事によれば、河村市長は2018年5月にEV不設置を表明。障害者団体がこれを批判し大規模なデモも行われた。日弁連は昨年10月、障害者団体からの人権救済申し立てに基づき「最上階までのEV設置」を要望する文署を河村氏に提出した。しかし河村氏は昨年12月、最上階まで設置しないことを容認すると改めて発言。障害者団体が抗議していた、という経緯があります。

 河村氏は5日の定例会見でも、「市民討論会だからな」を連発し、差別発言を差別発言と認めませんでした。「市民討論会」だからといって何を言ってもいいわけでないことは言うまでもありません。

 討論会で差別発言を行った者の暴言は聞くに堪えず、それに拍手した者も含め、厳しく批判されなければならないのは当然です。
 しかしより重大なのは、河村氏が当日報道陣に対し、そして5日の会見でも、この差別発言を容認したことです。また、市担当者も市長の顔色をうかがって差別発言を制止しなかったことです。

 事は自治体(政令都市)の首長が一貫して障害者を差別する姿勢を取り、それを市主催の催しで拡散したという深刻な問題です。

 さらに、各社の記者が取材していたと思われますが、この問題を軽視あるいは無視したメディアの責任も重大です。

 これは名古屋市だけ、障害者差別だけの問題ではありません。差別(発言)を見て見ぬふりをし、沈黙して容認する。それが日本を差別社会にしているのです。とりわけ今回は市長、市当局が直接の当事者であるだけにより深刻で、絶対に見過ごすことはできません。

 河村氏は差別・人権蹂躙の確信犯です。近年も、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」に圧力をかけて中止させ(2019年8月、写真中)、東京五輪で優勝した後藤希友選手(ソフトボール)の金メダルを噛んだうえセクハラ発言を連発する(2021年8月4日、写真中)など、問題を繰り返しています。河村氏は即刻辞任すべきです。

 あらゆる差別を見逃さず、声を上げて、差別を許さない社会をつくっていかねばなりません。

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再提出された入管法改悪阻止は日本市民の責務

2023年04月13日 | 差別・人権
   

 10日午後6時から京都駅タワー前で、「入管法改悪反対キャラバン&デモin近畿」のアピール活動がありました(写真左)。3月26日に高槻を出発し、梅田、兵庫を経て京都に。さらに奈良、滋賀を回って今月15日に大阪大結集が行われます。

 岸田政権が閣議決定して国会に提出(3月7日)した入管法改悪案は、2021年3月、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんの名古屋入管での死亡(事実上の虐殺)事件もあって、市民の激しい反対で廃案になったものを臆面もなく再提出したもの。この一事だけでも改悪法の不当性、岸田政権の反人権・非人間性は明らかです(写真中はサンダマリさんが亡くなる11日前2021年2月23日の映像=弁護団が公表)。

 改悪案の内容は別に譲り、ここでは最近読んだものから、この問題が日本市民、私自身の問題であることを再確認させてくれた論稿を紹介します。

 入管問題に一貫して取り組んでいる弁護士の児玉晃一氏は、金井真紀氏(文筆家)、木村友祐氏(作家)との座談会で、入管制度に端的に表れている日本(政府)の外国人敵視・排斥の背景・根源についてこう指摘します。

終戦直後の在日朝鮮人や中国人への処遇を知ると、背景が理解されます。さらには戦前の特高警察にまで遡ります。第一次世界大戦の際、外国人取り締まりが重視され、1917年に特高警察の中に外事課ができます。植民地支配下においた朝鮮人などの動向も監視していました。敗戦後に特高警察が解体されたとき、一部はのちの入国管理局に移行し、人的礎が築かれたようです。そう聞くと、外国人を犯罪者扱いする由来が納得できます。そして現在も東京地検で外国人事案は公安部が扱っているのです。ごく単純なオーバースティも公安が扱っており、根深いです」(「世界」4月号)

 入管の礎は特高警察、そして地検では今も公安が―。

 入管問題は偏狭ナショナリズムの問題にほかならないことを、鈴木江理子氏(NPO法人移住者と連帯する全国ネットワーク共同代表理事)の指摘で再確認しました。

「経済社会のグローバル化とともに、国民国家のゆらぎが指摘されて久しい。阿部浩己氏は、国境管理は国家主権の最後の砦であり、収容は国境の存在を可視化する政治的効果をもつと指摘したうえで、収容措置のaudience(観客―私)は国民であるという。阿部氏の議論に従えば、退去強制の恐怖と無縁で生きる「国民」にとって、入管収容施設は、安全保障化された被収容者(「送還忌避者」)の過酷な毎日や絶望に対して心を痛めることなく、自らの安全と国家の存在意義を理解する装置として機能しているともいえよう。いまや入管収容施設の存在は、グローバル化(脱国家化)に拮抗し、移民・難民排斥によって新たなナショナリズム(再国家化)を目指す人々からの支持も獲得している。このような状況が続く限り、密室の人権侵害をとめることはできないであろう」(『入管問題とは何か』明石書店2022年、児玉晃一氏との共編著)

 そして鈴木氏はこう指摘します。

私たち市民は、この社会に生きる者の責任として、分け前なき者たち(人権蹂躙されている入管収容者―私)の声に耳を傾け、ともに声をあげる必要がある。入管収容施設における暴力から目を背けることなく、在留資格を絶対視せず、在留資格や国籍にかかわらず、人間としての権利と尊厳を認めること。これこそが、私たち社会の人権という基盤を強化する重要な一歩となるであろう」(同)

 京都駅前の行動で、なぜ自分は入管法改悪に反対するのか、参加者がマイクリレーで次々語りました。それを聴きながら、自分はなぜだろうと自問しました。そして一番中心にあるのは、「国家の殺人に加担してはいけない。加害者になってはいけない」という思いだと再確認しました。


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人権機関がない・勧告に従わない日本の異常

2023年02月07日 | 差別・人権
  

 国連の人権理事会が3日、日本の人権状況に対する勧告を行いました(写真左・中)。人権理事会は加盟国の人権状況を定期的に審査していますが、日本に対する審査・勧告は6年ぶりです。

 勧告は、115の国・地域から指摘された300項目が盛り込まれています。この中には、▶在日コリアン差別撤廃▶ヘイトスピーチ禁止▶死刑制度廃止▶入管の医療体制改善▶同性婚合法化▶性的マイノリティ差別解消▶外国人技能実習制度改善―など、切実で深刻な日本の数々の人権侵害の改善・改革が指摘されています。

 その中で、あまり注目されてこなかった(と思われる)問題に、「国際的な基準に沿った独立した人権救済機関の設置」があります。

 この問題は、昨年11月の国連自由権委員会の勧告にも盛り込まれました。その意味について、国際的NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」日本代表の土井香苗氏が朝日新聞のインタビューに答えています(1日付朝日新聞デジタル、写真右)。

 土井氏は、日本の人権状況は「世界の国の動きから遅れ、ついていけていない」とし、「その主たる原因の一つが、国内人権機関の設立ができなかったことだと思っています。なんでないの、と声を大にして言いたい」と強調しています。
 
「国内人権機関」とは何か。

裁判所とは別に、人権侵害からの救済と人権保障を推進するための国家機関です。1993年12月の国連総会で、『国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)』が採択されたのですが、政府から独立して、人権救済や立法・政策提言、人権教育などで権限を行使することが期待されたのです。すでに世界では約120カ国が人権機関を持っています」(土井氏、同)

 それが日本にはない。

「端的にいえば、日本の霞が関に人権をつかさどる役所がないということです。…日本には、人権政策を責任を持って作る機関がないのです。その結果、もちろん人材もいません。世界各国政府に多数いる『人権専門家』の国家公務員は、日本にはほぼいません。このような現状では、日本の人権政策が場当たり的で、政府高官のリーダーシップに欠けるのは必然ともいえます」(同)

 2000年代はじめには、人権擁護法案とともに人権機関を創設しようとする動きもありましたが―。

「様々な方面からの反対にあって、国内人権機関を作る動きはつぶされてしまいました。…最大の抵抗は永田町の中にあり、一部の少数の議員の反対で、今も封印されたままになっている状態です。…包括的な差別禁止法が20年前に成立していたら、と思わずにはいられません」(同)

 日本が世界の人権後進国であることを示すのは、国内人権機関の不在だけではありません。
 これまで国連の様々な人権条約機関が日本に勧告を行ってきましたが、日本政府はそれを無視し続けてきました。

 法学博士(国際人権法)で人権機関での活動が豊富な藤田早苗氏はこう指摘します。

「日本はそれぞれの条約機関からさまざまな勧告を受けてきた。では、その実施はどうなのだろうか。(2014年の自由権規約審査で)議長が会議の終わりにこのように言った。「日本はこれまで何度も同じ勧告を受けてきて、まったく改善しようとしていない。まるで国際社会に対して反抗しているように見える」…2013年6月には、当時の安倍政権は条約機関の勧告には法的拘束力がないので従う必要がないという閣議決定をした」(藤田氏著『武器としての国際人権』集英社新書2022年)

 国内人権機関を置かない。数々の国連人権条約機関の勧告を無視し、「従う必要はない」と閣議決定する。そんな自民党政治を一掃しない限り、日本が人権後進国から脱することはできません。
 

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「W杯基準」に達していない日本の差別・人権感覚

2022年12月08日 | 差別・人権
    

 サッカーW杯をめぐる日本の報道は、熱狂する「市民」の姿と森保一監督はじめ日本選手への称賛にあふれています。しかし、世界の視点は違います。

 韓国のハンギョレ新聞(日本語電子版)は2日、「ドイツが日本戦で怒ったのは敗北したからではない」と題するドイツ特派員(ノ・ジウォン記者)の記事を掲載しました(以下抜粋)。

<私はW杯を目前に控えたドイツ社会の雰囲気を注意深くながめた。W杯の熱気はなかなか感じられなかった。W杯大使が同性愛を「精神的損傷」と述べたことで、雰囲気はさらに落ち込んだ。

 ドイツ最大の性的マイノリティ人権団体は、同性愛を法律で禁止し違反すれば懲役7年のカタールに「旅行警報」を下すよう政府に要求した。

 ドイツなど7つの代表チームが着用することになっていた「虹の腕章」を禁止すると国際サッカー連盟(FIFA)が発表すると、冷え込んでいた熱気は怒りへと変わった。

「差別反対はドイツが非常に重視する価値だ。ドイツ代表チームのパフォーマンスには非常にがっかりしている。イエローカードを受けることを覚悟すべきだった」

 ベルリンに住むダニエルさんは日本との初戦の話が出ると熱っぽく語った。日本に負けて怒っていたのではなく、代表チームが「卑怯だった」というのだ(試合前、口をふさぐ写真を撮りながら、FIFAの言うまま「虹の腕章」をはずしたこと―私)。

 ダニエルさんは「いっそ他の7チームと連帯して試合をボイコットしていたら、FIFAもどうすることもできなかっただろう」と批判した。>

 W杯に対するドイツ市民・社会の受け止めがよく伝わってきますが、この記事でさらに注目されるのはそのあとです。イ記者はドイツが2006年に差別禁止法(一般平等法)を制定するなど、「差別に反対する市民の力を基礎として」差別反対を制度化していることに触れ、こう続けています。

「ドイツはなぜW杯に冷笑的なのか」から出発した問いは、「韓国ではいつごろ実現するのか」という疑問へと広がった。ノ・ムヒョン政権が差別禁止法を最初に発議してから15年がたった。(今年)4月の世論調査では67・2%が差別禁止法導入の必要性に同意した。韓国市民もすでに準備はできているようだ。>

 イ記者はカタールの性的マイノリティへの差別、その批判を貫かなかったドイツチームに対するドイツ市民の「怒り」を報じるだけでなく、それはなぜなのかと問題意識を持ち、自国(韓国)との違いに着目して、差別禁止法の必要性へと視点を広げています。

 日本の報道との落差を思わずにはいられません。差別禁止法の制定が急務なのは日本も同じです。

 日本は、試合では「歴史的」な成果を挙げたかもしれませんが、今回のW杯が提起した差別・人権問題に対する応答は、きわめて不十分でした。それはメディアだけでなく、日本チーム・日本サッカー協会、市民、日本の政治・社会全体の問題です。

 そしてそれは、差別・人権問題だけではないでしょう。原発・自然環境破壊、難民・紛争・戦争などの重要問題に対しても、自国の利益(サッカーで言えば日本の勝利)のみに関心を集中させ、国際的視点を持つことができない。そんな日本の弱点が今回のW杯でも表れたのではないでしょうか。

 「W杯基準に達していない」(7日帰国時の森保監督のインタビュー)のは、サッカーのレベルよりも、日本人・日本社会の差別・人権意識、国際感覚の方でしょう。


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サッカーW杯・人権侵害に抗議広がる欧州、お祭り騒ぎの日本

2022年11月21日 | 差別・人権
   

 サッカーワールドカップが20日、中東のカタールで始まりました。日本のメディアは、「初のベスト8なるか」など「日本代表」の勝敗に焦点を当て、「国」を挙げたお祭り騒ぎを煽っています。

 しかし、欧州・豪州は違います。カタールのさまざまな人権侵害に対する抗議、観戦ボイコットが広がっているのです。

 W杯に直接関係しているカタールの人権侵害は、会場建設などに携わった外国人労働者の搾取・虐待です(写真中)。

 英ガーディアン紙は2021年2月に、W 杯開催が決まってからの10年間で、6500人以上の外国人労働者が死亡したと報じ、欧州に大きな衝撃を与えました。
 アムネスティ・インターナショナルはその根源に「カファラ」という搾取制度があることを指摘し、カタール政府やFIFA(国際サッカー連盟)に改善を申し入れてきましたが、事態は改善されていません。(2月3日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20220203)

 加えて問題になっているのが、LGBTQ(性的少数者)に対する人権侵害です。

 カタールでは同性愛行為が法律で禁じられていますが、国際人権団体は今年10月、「当局が性的少数者を不当に拘束、虐待している」として渡航に注意を促しました(18日付沖縄タイムス=共同)。

 10月27日には、オーストラリア代表の選手らがこの問題で、「効果的な改善策」を要求する異例のビデオ声明を出しました(17日付日経新聞)。

 欧州各地で起こっている抗議・ボイコットの動きは次の通りです(共同、日経、NHKの報道より)。

ドイツ プロリーグ「ブンデスリーガ」のスタジアムに「ボイコット・カタール」の横断幕が掲げられてきた(写真左)。
 ベルリンやミュンヘンでもパブリックビューイングの目立った計画はなく、横断幕を掲げる店も多い。
 11月1日にドーハを訪れたナンシー・フェーザー内務・スポーツ相は、「全ての人にとってW 杯は安全な祭典であるべきだ」と発言。
 選手団のチャーター機の機体に「多様性尊重を」のメッセージ。

スペイン バルセロナのコラウ市長は10月下旬、同国代表戦の観戦に公共施設などを提供しないと表明。提供すれば「人権を侵害する国の共犯になる」からだという。

フランス 人権問題などを理由にパリやマルセイユが観戦イベントを開催しないと宣言。

デンマーク 死亡した労働者を追悼する黒いユニフォームも。

オランダ 選手が外国人労働者に面会予定。差別に反対する腕章。

元代表選手ら 元ドイツ代表主将のフィリップ・ラーム、元フランス代表主将のエリック・カントナらが「ボイコット」の声を上げる。

 日本はどうでしょうか。選手や政治家からカタールの人権侵害に対する抗議やボイコットの声が出ているでしょうか。メディアは欧州の動きを伝えるだけで、自ら批判の論説・主張を掲げているでしょうか。そして、サッカーファンをはじめとする市民は、カタールW 杯の暗部、人権侵害の実態にどれだけ目を向けているでしょうか。

 人権侵害(差別)を見て見ぬふりをして、「勝敗」だけを眼中に競技に没入し、「日の丸」を振ってそれを応援し、メディアがそれを煽る。こんな人権後進国の実態から脱却しなければなりません。

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あふれる「排除アート」と無自覚の加害性

2022年10月21日 | 差別・人権
   

 渋谷区のバス停ベンチで休んでいた大林三佐子さんが殺害された事件(2020年11月16日、写真左は現場)をモチーフにした映画「夜明けまでバス停で」(監督・高橋判明、脚本・梶原阿貴、主演・板谷由夏)が8日から公開されています。

 五十嵐太郎・東北大大学院教授(建築史・理論)は、現場のベンチが手すりで仕切られて横になることができない仕様になっていたことに注目しました。

 五十嵐氏の調査では、こうしたベンチは近辺にあふれていました。ベンチだけでなく突起物をデザインした「アート」は珍しくありません。それらはホームレスが横になれないようにした「排除アート」です。

「何も考えなければ、歩行者の目を楽しませるアートに見えるかもしれない。…しかし、その意図に気づくと、都市は悪意に満ちている。私見によれば、1990年代後半から、オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、日本では他者への不寛容とセキュリティ意識が増大し、監視カメラが普及するのと平行しながら、こうした排除系アートやベンチが出現した。ハイテク監視とローテクで物理的な装置である」(五十嵐太郎著『誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論』岩波ブックレット2022年6月)

 五十嵐氏の本を読んで、自分が住むアパートの近辺を自転車で10分余ゆっくり走ってみました。すると、近所の中央公園に、バス停に、仕切りベンチをはじめ「排除アート」が随所にあることが分かりました(写真中、右)。

 五十嵐氏は、「排除アート」と「通常の市民」の関係についてこう指摘します。

「おそらく、通常の生活をしている人は、仕切りがついたことを深く考えなければ、その意図は意識されないだろう。言葉で「~禁止」と、はっきり書いていないからだ。しかし、排除される側にとって、そのメッセージは明快である。つまり、排除ベンチは、言語を介在しない、かたちのデザインによるコミュニケーションを行う。
 禁止だと命令はしないが、なんとなく無意識のうちに行動を制限する。これは環境型の権力なのだ」(同)

 アーティストの工藤春香氏は、「排除アート」と旧優生保護法による人権侵害の共通性に注目します。

<(工藤氏は)障害者らに不妊手術を強いた旧優生保護法には、「誰が『市民』で、誰がそうでないのかを線引きする」排除アートが重なると指摘。「誰しも無自覚のままに排除に加担するかもしれない怖さ」も感じている。
 「誰かが決めたルールを何となく受け入れ、倫理として内面化していないか。それにはじかれた人が何を思うのか。意識的に考え、疑問を持ち、地道に声を上げ続けるしかないと思います」>(4日付沖縄タイムス=共同)

 きわめて根源的な問題提起です。国家権力は「~禁止」と露骨な表現(命令)を避けて、結果として「国家」にとって都合の悪い人間(グループ)を排除する。「通常の市民」は「無自覚のまま排除に加担する」。

 ホームレスだけの問題でないことは言うまでもありません。障害者、在日朝鮮人、沖縄(琉球)、アイヌなど、日本社会で差別されている人々はすべてそうした「無自覚の排除」の犠牲者ではないでしょうか。

 そしてその「排除」は、やがて「国家」に従順でない人々に向けられ、戦時体制で頂点に達します。「通常の市民」は“非国民”の「排除」に無自覚のまま加担する…。

 そんな、排除・差別の社会をつくる国家権力の策動が、ますます強まっていると感じざるをえません。

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