


岸田首相とラーム・エマニュエル駐日米大使は26日、広島市の平和公園を訪れ、「核戦力をちらつかせるプーチン大統領をけん制」(27日付共同配信記事)しました。
エマニュエル氏は、「大使として広島に来ることが大事だった」と述べるとともに、ウクライナ情勢について、「第2次世界大戦以降、最悪の人道危機」と表現し、日本にも避難民受け入れ態勢が必要だと述べました(26日朝日新聞デジタル)。
いかにも“平和の大使”という図ですが、果たしてエマニュエル氏に「人道」「平和」を語る資格があるでしょうか。なぜなら、彼はシカゴ市長時代、警察官による黒人射殺の事実を否定・隠ぺいし、遺族らから「黒人の命を致命的に軽視するシンボル」だと呼ばれ、駐日大使就任に反対する「声明」まで出されていた人物だからです。
駐日大使への起用が内定した昨年6月の報道を引用します。
< ラーム・エマニュエル氏の駐日大使起用をめぐり、同氏が市長時代に警察官に射殺された被害者の黒人らの遺族ら28人が(2021年6月)10日、エマニュエル氏の駐日大使起用に反対する声明を発表した。
声明を出したのは、2016年にシカゴ市警の警察官に射殺された16歳の黒人少年のおばや、14年に同じく警察官に射殺された25歳の黒人男性の母親ら。声明では、「エマニュエル氏はシカゴ市での警察官による無分別な殺害という事実の否定と隠ぺいに手を貸した」と非難。さらに同氏を「黒人の命を致命的に軽視するシンボルだ」とし、バイデン氏(大統領)に対してエマニュエル氏を駐日大使に指名しないように求めた。
もともとエマニュエル氏の人事には民主党左派から強い反対論が出ている。14年に起きた17歳の黒人少年が警察官に射殺された事件をめぐり、警察当局は1年間にわたって事件状況を映したパトカーのビデオ映像を公開しなかったが、その「情報隠し」に関与したと批判されたのがエマニュエル氏だった。>(2021年6月10日の朝日新聞デジタル)
遺族の痛切な訴えや民主党内の反対を無視して、バイデン氏はエマニュエル氏の駐日大使起用を強行しました。それは両氏が個人的にきわめて親しい関係だからです(写真右)。エマニュエル氏は26日の広島訪問の際にも、自らを「大統領の友人」(28日付ハンギョレ新聞)と誇示しました。
このような人物が、何事もなかったような顔で駐日大使に就任し、平和公園で献花する姿は醜悪極まりないと言わざるをえません。
日本のメディアは当然、射殺された黒人遺族の「声明」や民主党内外の反対は知っています。知っていながら、エマニュエル氏の駐日大使就任にあたってその事実・経過を報じ、大使としての資格を問い、バイデン氏の任命責任を追及したメディアはありませんでした。
日本メディアの差別・人権感覚の乏しさ、アメリカ追随姿勢があらためて問われます。
バイデン氏はウクライナ戦争でさかんに「人道」「民主主義」を口にし、その擁護者であるかのように振る舞っていますが、氏の実像はおよそ「人道・民主主義」とは無縁であることが、エマニュエル駐日大使問題にもはっきり表れています。
新年恒例の大学箱根駅伝は、正月の楽しみの1つですが、昨年、今年と2年連続で不快な思いをしました。それは、優勝を争った有力校である駒澤大学の監督が、監督車から選手を激励するさい、「男だろ」とジェンダー差別を露わにしたことです(写真左)。
駒澤大監督の「男だろ」は今年だけではありません。優勝した昨年も連呼されました(2021年1月10日のブログ参照)。これについては一般紙の投書欄にも批判の投書がありましたが、駒澤大ではまったく顧みられることなく、今年も繰り返されました。
実は駒澤大の差別体質はこれだけではありません。より深刻な問題があります。それは、在日コリアンの学生が本名(民族名)を名乗ることに大学側が障壁を設けてきたことです。
在日朝鮮人人権協会が発行している「人権と生活」誌(2021年12月号)に、「駒澤大学における在日朝鮮人の名前使用問題について」と題したキム・ソンミョン(金誠明)氏(留学同東京委員長)の論稿が掲載されました。その要旨は次の通りです。
< 在日朝鮮人のユ・ジェホ(兪在浩)さんは2016年に駒澤大に入学。当時同大は、通名(日本名)を使用する学生に対し、登録名を途中変更しないことを誓約する「通称名使用願」を提出させていた。
大学進学を機に本名を名乗るようになっていたユさんは、「朝鮮人として誇りを持って生きたい」と考え、2017年5月、登録名を本名に戻すことを決意。
しかし駒澤大教務部は当初、「通称名使用願」を理由にユさんの申し出を拒否。ユさんがあきらめず交渉を続けた結果、同大は「深くお詫び申し上げます」という文言を含む「本名使用願」の提出を要求。ユさんは仕方なく提出(2018年3月)しましたが、「今はすごく屈辱的に感じます」と述べている。
こうした経過が2021年3月に日本のメディアで報じられ、同年5月、「自身の民族的ルーツを積極的に表明できる環境づくりを求める大学連絡会」が結成。連絡会は3537筆の署名をもって駒澤大と交渉。結果、同大は21年6月30日付の「学長メッセージ」で、「学生の多様な価値観や歴史的背景に対する配慮を欠く対応」だったことを認めて謝罪し、名前使用に関する措置を撤回した。
しかし駒澤大は、この事件の根幹に民族差別の問題があることを認めていない。ユさんに対するネット上での差別的誹謗中傷に対しても、同大は自らの対応によって起きた民族差別を防止する措置を取るどころか、黙認している。
今回の事件を通じて問われていることは、本名、そして自主的に生きる権利を否定され続けてきた在日朝鮮人の現実といかに向き合うかということではないだろうか。
駒澤大学の問題に矮小化するのでなく、植民地支配の未精算、民族差別が根幹にある大学全体の問題として、何よりもまず、日本の学生・教職員一人ひとり、そして日本社会全体の認識が変わる必要がある。>
「通称名使用願」「本名使用願」なるものを提出させていたとは、驚くべきことです。ユさんらのたたかいによって駒澤大は謝罪・撤回しましたが、他の大学ではどうなのでしょうか。在日コリアンの「登録名」に関する差別はないでしょうか。
抗議を受けたことには謝罪・撤回するけれど、その根幹にある民族差別については反省しない。これは駒澤大に限らず、日本政府をはじめ日本社会全体の特徴ではないでしょうか。
「男だろ」も「在日朝鮮人の名前使用問題」も、駒澤大だけの問題ではありません。キム氏が論稿で強調しているように、問われているのは日本社会全体の差別体質です。
犯罪の被害者・家族を支援する活動・団体、同じく加害者・家族を支援する活動・団体はそれぞれ存在します。その両者を一体になって支援する団体がこのほど結成されました。画期的な活動として注目されます。
支援団体を立ち上げたのは、加害者家族を支援するNPO法人「ワールド・オープン・ハート」代表の阿部恭子さん(写真左)ら。14日の結成記者会見で、「被害者と加害者の分断をあおらず、全ての人の支援を目指す」と強調しました(14日の朝日新聞デジタル、写真中)。
共同代表の一人で、「被害者と司法を考える会」代表の片山徒有さんは、会見で、「次男(当時8)をはねたダンプカー運転手に次男と同い年の息子がいるとわかったとき、「加害者との『見えない壁』が壊れた」と説明。加害者と対話することで「疑問が解けた」という被害者は多いと述べ、「適切な仲介があれば同じ人間と理解できる」と話し」(同朝日新聞デジタル)ました。
「修復的司法」という概念・実践があります。加害者が「罪」に正面から向き合うことで更生を図るもの(私の浅い理解)ですが、この支援団体の取り組みはその画期的な実践といえるでしょう。
それは加害者だけでなく、被害者家族にとってもきわめて重要であることが、片山さんの話から分かります。
加害者と同時に、その家族への支援は必要不可欠です。事件に直接関係がないにもかかわらず、社会的バッシングを受け、そのうえ、「加害者家族は当事者でないとして支援が想定されておらず、社会で孤立している」(阿部恭子さん、10月5日NHK「ハートネットTV」)からです。
加害者家族へのアンケートでは、事件によって、「結婚が破談」39%、「進学・就職を断念」37%、「転居を余儀なくされた」36%にのぼっています(「ワールド・オープン・ハート」調べ2014年)。
この背景には、「家族」をバッシングする「日本独特の家族人質社会」(浜井浩一・龍谷大教授、同番組)があります。
それは、天皇・皇族を頂点とする日本の「家族制度」とけっして無関係ではないでしょう。
今回立ち上げた団体(団体名は未定)は、今後、「死刑制度の是非を問うシンポジウムや被害者と加害者の対話などを企画していく」としています。
折しも、12月15日は32年前の1989年、国連で「死刑禁止条約」が採択された日です。死刑は国家による殺人であるにもかかわらず、日本はそれを温存・実行している世界でもまれな人権後進国です。
法務省は裁判員制度(私はこれ自体に反対です)で裁判員となる年齢を来年度から18歳に引き下げようとしています。そうなれば「市民」は18歳から「死刑」の判断を迫られることになります。
阿部さんや片山さんらの活動は、死刑制度廃止の世論・運動を広げる上でも、たいへん重要な意味をもっています。
「私たちの『表現の不自由展・その後』」(6~11日、写真左)が行われていた名古屋市の「市民ギャラリー榮」(市の施設)で8日午前、郵便物が破裂する事件が起こり、展覧会が事実上中止に追い込まれる事態が起こりました。
日本の「表現の自由」・民主主義は重大な岐路に立っています。
同展覧会は、「あいちトリエンナーレ2019」(19年8月)で同じく妨害にあって一時中止した企画展「表現の不自由展・その後」の出展作品から、日本軍性奴隷(「慰安婦」)など戦時性暴力を象徴する「平和の少女像」や、天皇裕仁が映ったコラージュを燃やす場面を撮影した「遠近を抱えてPart2」などが展示されています。
こうした展示が攻撃の対象になっていることは、侵略戦争・植民地支配、天皇制批判が日本のタブー・「表現の不自由」の中心になっていることを証明するもので、その意味でも今回の事態はさらに重大です。
名古屋市の河村たかし市長は8日、「市民に具体的に危害が加えられた。漫然と続けていいのか。市は施設を管理する務めがあり、ストップするのは市民の安全確保のために当然だ」(8日朝日新聞デジタル、写真中も)と述べ、使用取り消しを正当化しました。
しかし、郵便物の破裂で「市民に具体的な」被害は出ていません。河村氏は「トリエンナーレ」の時から「不自由展・その後」に敵意をむき出しにしてきました。
「不自由展」主催団体は、「警備を尽くせば開催できる」「ぜひ一日でもいいので再開させてほしい」「暴力や脅しで表現の自由が潰されることは許されない」(同朝日デジタル)と訴えています。
横大道(よこだいどう)聡・慶応大大学院教授(憲法学)も、「脅迫で表現の場を奪うことは言語道断だ。名古屋市はこれで展示を終わらせていいのか。公共施設の使用拒否は、明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見される場合に限られるという最高裁の判例がある。安全確保を理由に不許可にすれば、反対派に事実上の「拒否権」を与えることになるからだ。表現の自由を守るためにも、市には最大限の努力をしてほしかった」(同朝日デジタル)と話しています。
同展覧会は、東京、大阪でも計画されていましたが、いずれも妨害があり、いったん決まった会場(公共施設)が使用許可を取り消したため予定通り開催できなくなっています。
大阪では、府所有の施設「エル・おおさか」が使用を拒否し、吉村洋文知事(日本維新の会)がそれに賛同する見解を明らかにしていました。
これに対し、「表現の不自由展かんさい」実行委員会は6月30日、「利用者に危険がおよぶ明白な危険があるとは言えない」として、使用承認を取り消した会場側(大阪府)の処分執行停止を大阪地裁に提訴していました。
その判断が9日下され、大阪地裁は、「憲法の表現の自由は保障されるべき」として会場側の処分を執行停止とし、実行委員会に会場の使用を認めることを決定しました(写真右)。暗闇の中の一筋の光といえる決定です。
「表現の不自由」とたたかっている表現者・市民に対し、右翼などが妨害行為を行う。警察(政府)は事実上それを見逃し(泳がせ)、会場を所有する右翼的首長が会場の使用許可を取り消す。こういうパターンの民主主義破壊が、名古屋、大阪、東京で起こっているのです。
この現実を、自分とは関係ないと見過ごすことは許されません。こうした言論・表現の自由に対する攻撃は、日米軍事同盟体制がいっそう危険な段階に向かっていることとけっして無関係ではありません。言論・表現への攻撃は戦争国家の入口です。その歴史の教訓を今こそ肝に銘じるべきではないでしょうか。
三重県のHPに掲載された「外国人の不法就労・不法滞在の防止について」という告知に使ったイラストが、「差別的」だとSNSで批判を浴び、県があわてて削除したという出来事がありました(6月28日の朝日新聞デジタル)。
問題のイラスト(写真左・中、朝日新聞デジタルより)の差別性は一見して明白です。作成したのは三重県警本部生活環境課だといいます。ツイッターなどで、「排他主義的な悪意が見える」「外国人への偏見をあおる」などの批判が相次いだのは当然でしょう。
しかし、イラストを削除しても、「外国人の不法就労」問題は何も解決しません。
外国人「不法就労」といわれるものの多くは、技能実習生が決められた職業以外に就労すること(「入管法違反」)です。はじめに監理団体を通じて契約した企業から姿を消し(失踪)、別の仕事に就くのですが、なぜこうしたことが後を絶たないのでしょうか。
その背景について、岩下康子広島文教大准教授がこう指摘しています(抜粋)。
「技能実習生の失踪はここ数年増加し続けている。犯罪者になることがわかっていながら、なぜ失踪を選ぶのか。
2019年の失踪者数は前年同様、約9千人を記録。失踪の理由として筆頭に挙がるのが低賃金だ。送り出し時点における日本の情報がまやかしであることも問題だが、最低賃金以下で働かせる現場であることはさらに問題である。
今年保護した技能実習生は、残業が多く休みは日曜のみの建設現場で働いていたが、6万円弱の月給に耐えられず飛び出したという。彼の話はモノ言わぬ存在として据え置かれた技能実習生の実態を象徴する。
犯罪者ではなく被害者であるはずの彼は、入管法違反となった一方、使用者は何の咎めも受けていない。
失踪者の増加は、相当数の闇受け入れ先があるということにつながる。ここでは、住民登録もなければ一切の社会保険も発生しない。存在しない前提の人間が働くのであるから、何が起きても自己責任だ。命の危険にさらされて初めて自分の置かれた状態に気づく失踪者もいる。
こんな裏社会を日本にはびこらせないためにも、失踪に歯止めをかけること、すなわち互いに納得ができる受け入れを行うことが何よりも肝心だといえる」(6月23日付中国新聞)
こうして技能実習生の人権が踏みにじられている根底には、本来実習生を守るべき監理団体がその役割を果たしていない問題があります。
「技能実習制度では、監理団体に監理費(売上)を支払うのは、実習生を雇用している実習実施者(会社)であるため、監理団体は実習生を守るために指導するなど会社と対立するようなことができなくなる」(「日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書・2021年」外国人人権法連絡会発行)という制度上の問題があるのです。
こうした制度をつくっている元凶が日本政府であることは言うまでもありません。外国籍の人々を人として受け入れて多文化共生をすすめるのではなく、安価な労働力・雇用調節弁として使い捨てる。そして「法」の網で「犯罪者」をつくって弾圧・排除する。それが入管政策であり、日本政府の基本政策です(写真右は名古屋入管)。
それは、朝鮮半島を植民地化し、朝鮮の人々を使い捨てにし、敗戦後も諸権利を奪い続けていることと深く関連しています。
日本の植民地主義はいまも続いています。それが外国人「不法」就労問題の根源です。
非正規労働者に対する差別についての最高裁判決が13日(写真左)と15日に相次いで行われました。非正規労働問題は、言うまでもなく当事者だけでなく日本社会全体の問題ですが、それが顕著に表れているのが、非正規公務員労働の過酷な実態です。コロナ禍で問題はいっそう深刻になっています。
中国新聞は「非正規公務員の嘆き」と題した連載を行いました(9月16日~21日)。この中で、「やりがい搾取」といわれる深刻な実態があることが明らかにされました(写真中)。非正規公務員とりわけ女性労働者の仕事への使命感につけこんで、低賃金・重労働・不安定雇用を強いる。それが「やりがい搾取」です。以下、同連載から。
非正規公務員の数は、国家公務員が約15万人(職員全体の36%、男性55%、女性45%、2019年)。地方公務員は約64万人(女性75%、男性25%、2016年)。
地方公務員の平均月給は、正規職員=36万2047万円(2019年)に対し、非正規は、保育士が17万4287円、看護師が21万7965円、教員が25万7839円など(2017年)。
非正規公務員の職場は、役所の事務(写真右)のほか、婦人相談員、保育士、教員、図書館司書、ハローワーク相談員、給食調理員など、まさに住民に直結した数々の現場に広がっている。
なかでも婦人相談員は、全国に1447人いるが、その8割は非正規。
広島県内の女性(52)は、勤務時間は週30時間だが、携帯電話は話さない。休日でも夜中でも「夫から逃げたい、助けて」などのSOSが入るから。
時間外の相談はすべてボランティア。勉強会があっても経費は使えない。休日をつぶして自費で出掛ける。それで手取り給与は月約10万。飲食店のアルバイトなど複数かけもちして費用を捻出。
「もう限界かなって。相談者を守るより前に、まずは自分自身を守る環境が必要です」。それでも踏ん張るのは、「(相談者が)わずかでも一歩を踏み出す後押しができて、私も胸をなでおろす」瞬間があるから。しかし最近つくづく思う。「これって『やりがい搾取』じゃない?」
夫の暴言などに悩む広島市内の30代女性は、連載を読んでこう投稿しました。「弱者の味方になる人たちを、こんなに安く使っていたなんて」「相談する方も申し訳なくて気が引ける。これは国からの暴力ですよ」(10月2日付中国新聞)
もちろん、非正規公務員の過酷な実態は男性にもあります。しかし、その犠牲が女性により重いことも事実。ジャーナリストの竹信三恵子さんは、そこには「家事ハラ(家事労働ハラスメント)」と「ジェンダー秩序」が重なっていると指摘します(『官製ワーキングプアの女性たち』岩波ブックレット、2020年9月)。
「家事ハラ」とは、「女性が無償で担ってきた家事やケア的な仕事の価値を貶め、家事や育児などを抱えた労働者を蔑視して職場から排除しようとするハラスメントの総体」を指す竹信さんの造語です。
さらに、今年度から正規との格差をいっそう広げる「会計年度任用職員制度」なるものが始まりました。
上林陽治氏(地方自治総合研究所研究員)は、「二〇二〇年四月一日を挟んで、非正規公務員は二つの惨劇に襲われる事態」になっているとし、「会計年度任用職員制度」と「コロナウイルス禍」をあげ、「非正規化が進展している相談支援員に、低処遇と業務量増による感染リスクのアンバランスが集中」していると指摘。こう警鐘を鳴らします。
「コロナウイルスは正規・非正規を選びません。その点は公平です。ところが感染リスクの高い現場に非正規を選んで配置しているのは人なのです。ここに正規・非正規の処遇格差が加わると、非正規のモチベーションは下がり、離職へのドライブがかかります。「やりがい」だけでは仕事を続けていけない事態が目の前に迫り、非正規公務員に丸投げしてきた公共サービスは崩壊の危機を迎えています」(同上『官製ワーキングプアの女性たち』)
非正規公務員の善意・使命感につけこむ「やりがい搾取」。いかにも日本的な支配方式ではないでしょうか。コロナ禍で家庭・職場内の困難な状況が増すなか、相談支援員はじめ公務労働はまさに市民のライフラインです。それがこうした実態であることは、公共サービスだけでなく社会全体の崩壊の危機ではないでしょうか。
一般メディアはおそらくまったく報じないでしょうが、きょう13日、たいへん重要な裁判が大阪高裁で始まります。
2009年12月4日、京都朝鮮第一初級学校に対する在特会らによる襲撃事件が起こりました(2010年1月、同3月にも。写真右は2回目の襲撃=中村一成著『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件』岩波書店より)。
「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ」など大音量の怒号を繰り返した在特会メンバーらに対し、京都地裁は刑事訴訟で、侮辱罪、威力業務妨害罪、器物損壊罪で懲役1年~2年の有罪判決を下しました(2011年4月)。
さらに民事訴訟で京都地裁は、被告らの街宣はたんなる不法行為ではなく、人種差別撤廃条約が規定する人種差別にあたると認定し、約1226万円の損害賠償を命じるとともに、将来にわたって学校の半径200㍍以内での街宣を禁止する画期的判決を言い渡しました(2013年10月7日)
しかし、実行犯の中心だった元在特会幹部・西村斉被告は2017年4月23日、再び京都朝鮮学校があった場所(移転後の跡地)へ行き、「ちょっと前まで、ここに日本人を拉致した朝鮮学校があった」などのヘイトスピーチを繰り返し、それをネットで配信しました。これに対し京都地裁は、名誉毀損として罰金50万円の有罪判決を下しました(2019年11月29日)。
有罪判決は当然です。ところがこの判決には重大な瑕疵がありました。西村被告が「拉致事件」を持ち出したことをもって、その演説は「専ら公益を図る目的」でなされたものだとし、ヘイトスピーチを「公益目的」と認定してしまったのです。
判決後、学校側弁護団は「声明」で、「判決理由において、被告人の言動が民族差別であることへの明言を回避し、公益目的を認定したこと(および量刑)は極めて不当であり、ヘイト被害を受けた学校関係者への動揺を与えている。本件のヘイトクライムとしての本質に対する判断を回避していることは、昨今の日本社会での反差別・反ヘイトスピーチの立法化の流れに逆行する判決内容」だと批判し、控訴審における是正を強く要求しました。
その控訴審の第1回公判が、きょう行われます。この裁判でヘイトスピーチを「公益目的」とした地裁判決を是正させることはきわめて重要です。
学校襲撃に対する先の民事判決(2013年10月)は、街宣を「公益目的」とする被告側の主張を退けて人種差別と認定したものです。今回(19年11月)の判決はそれを事実上否定するものです。画期的判決を打ち消して司法判断を逆戻りさせることは絶対に阻止しなければなりません。
ヘイトスピーチに対しては、「差別的言動解消法」(2016年6月3日施行)が制定されましたが、理念法であるため、実効性に大きな弱点があります。
たとえば、先の東京都知事選でも、立候補した桜井誠・元在特会会長が中国、韓国、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対し差別用語も含めたヘイト演説を繰り返しました(写真左)が、それを止めさせることはできませんでした(桜井の選挙ヘイトは今回だけではありません)。
ヘイト問題に詳しい関西学院大の金明秀教授は、桜井演説について「地域社会からの排除を扇動しており明白なヘイトスピーチだ」としたうえで、「実効性ある対策は取れていない」と指摘しています(9日付沖縄タイムス=共同)。
ヘイトスピーチを「公益目的」とした判決を放置することは、こうしたヘイトスピーチをいっそう野放しにすることにつながります。
さらに、ヘイトスピーチの元凶は、安倍政権の在日外国人差別政策です(高校無償化制度からの朝鮮学校排除は象徴的)。「公益目的」論を排除することは、安倍政権の差別政策とたたかう上でもきわめて重要です。
「コロナ」でテレビに登場しない日がない小池百合子都知事ですが、世の中の関心が「コロナ」に集中している陰でとんでもないことを目論んでいます。
「毎年9月1日に東京墨田区の横網町公園で開かれる関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式の開催に、東京都が一種の「順法誓約書」の提出を要求して、物議を醸している。行事を主催する日本の市民団体は、追悼式の開催を萎縮させかねない内容だとして撤回を求める声明を出した」(19日付ハンギョレ新聞日本語電子版)
「声明」(18日)を出したのは「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」。それによると、経過はこうです。
昨年9月以降、都(小池知事)は、朝鮮人犠牲者追悼式典の公園使用許可申請の受理を3回にわたって拒否。
12月24日、都は「集会を開催する場合の占有許可条件」(以下「条件」)を文書で実行委に提示。
今年2月、実行委は都に対し、これまでの追悼集会が「条件」に反していないことの確認を文書で要求。都は「今回設けた条件に概ね合致している」と文書で回答。
にもかかわらず、いまだに使用許可申請は受理されていない。
都が提示した「条件」の主な内容は次の通りです。
「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都主催の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は使用しない」「(集会で使用する拡声器は)必要最小限の音量にする」。そして、こうした「条件」を「遵守する」旨の「誓約書」を小池知事に提出すること。「誓約書」には「(都が)必要な指示をした場合は、その指示に従います。…指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存はありません」と明記。
広島市が「8・6」平和公園での集会に音量規制をかけようとしていることを想起させますが、東京都の場合はもっと悪質です。小池知事の今回の所業には背景があります。
実行委が追悼集会(写真右)を始めたのは1973年。朝鮮人犠牲者追悼碑が横網公園に建立され年からです。碑の建立実行委員会には都議会全会派の代表も参加していました。以後、追悼式典には毎年、歴代都知事から追悼文が寄せられました。
ところが、小池氏は知事就任翌年の2017年から、式典に追悼文を寄せることを拒否。
同じく2017年から、追悼式典と同時刻同じ場所で、右翼団体「日本女性の会 そよ風」が集会。「彼らは集会で、『日本人も(朝鮮人に)やられた』と主張し、朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典を妨害」(19日付ハンギョレ新聞)。
「そよ風」は今年2月、都が「条件」を通知したことについて、「ブログに『誓約書を書けば…晴れてもう一つの慰霊祭の存在が認められる…40年間反日左翼だけの言論空間だった公園が、両論併記になったのです』と書いて」(同ハンギョレ新聞)、小池知事の措置を歓迎。
小池氏は、「2010年に『そよ風』主催の集会で講演」(都への抗議・要請署名サイト)しています。
小池氏はもともと、右翼団体「日本会議」と深い関係にあります。知事選に出馬するまでの自民党国会議員時代は「日本会議議連」の副会長を務めていました。
知事就任直後には、「朝鮮学校が朝鮮総連の強い影響下にあると結論づけた都調査報告書」を都のHPにアップ(2016年9月20日付産経新聞)するなど、朝鮮学校敵視をあらわにしてきました。
小池氏は、公園使用の「条件」を示し「誓約書」を取ることによって、朝鮮人虐殺犠牲者追悼集会に干渉・規制し、同時に、追悼集会を妨害する右翼団体の違法なヘイト集会(2016年6月3日施行の「ヘイトスピーチ解消法」違反)を取り締まるどころか、逆にそれに市民権を与えようとしているのです。
「コロナ」の陰ですすめられている小池氏の暴挙を絶対に許すことはできません。