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地場・旬・自給

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沖縄の変貌

2017-01-17 04:37:46 | 石垣島

沖縄は急速に変貌している。それは稲作農業が消えかかっていることにある。沖縄が好きである。日本が残っているからだ。沖縄の中でも八重山が好きだ。八重山の唄が好きという事がある。八重山の水土が好きという事がある。八重山の人たちのさっぱりした感触も好きだ。昨年石垣島では悲しい事件が2つあった。一つは高樹沙耶という元女優が、マリファナ所持で捕まったことだ。もう一つが中山市長が自衛隊基地の受け入れを発表した。マリファナ事件は長野県の美麻でもあった。ここも良く絵を描きにゆくところだ。私が絵を描きにゆく行くところで、こういう事件が2つも起ったことがつらい。車を止めて、何日も同じところで描いている。何やら怪しいではないか。そばの家で大麻を栽培していたとすれば、気持ちが悪い。多分あの家だというものは知っている。そのあたりで絵を描いたようだ。こんなところに家がある。移住者だなと思ったわけだ。知らない民宿など泊まれないなと思う。

以前も、関西の漫才師がテレビ番組と称して、忍野の友人の家の隣でいい加減な畑をやったことがあった。畑の様子を見て、インチキだという事はすぐわかった。それはすぐやめて、今度は同じ芸人が石垣でおかしなテレビ番組をやった。今はその芸人は除名処分になった。石垣での活動もやめたようだが、都会から石垣島に来る者には碌なものがいない印象である。車を停めて絵を描いて、公園の警備員が来たこともあった。誰かの通報かもしれないと思った。迷惑はかけないようにひそやかに描いているのだが、マリファナ事件は気分が悪い。そして、もう一つは中山石垣市長の突然の自衛隊の受け入れ表明である。全くの突然である。自衛隊が来るという4つのは、公民館単位になっているのだが、4つともが反対を表明している。その反対住民から話を聞くと、議会では表明していた。ところが、会いもしないうちに自衛隊受け入れを表明した。

中山市長は以前から受け入れるとみられてきた。言動行動が、むしろ誘致したのではないかというような人だからだ。そして、中山市長の行動発言は、自衛隊の情報操作を受けている。反対住民に会ってはまずいという、指令の下急遽12月26日に受け入れが発表されたのだろう。理由は国防は国の専権事項だから、住民が賛成とか、反対とか議論すること自体がそぐわないというのだ。ミサイル基地が作られるという。北朝鮮の核爆弾が落とされて、死滅する時にも国の専権事項だからなどとうわ言を言うのだろうか。いろいろの考えがあっていいのだから、誘致して石垣の安全を図るという考えもあるだろう。いずれにしても、まず十分の事態を把握してから、住民投票をするのが筋である。このまま行けば辺野古の二の舞になる。あの仲井眞前知事は選挙の時には反対を表明しておいて、知事を止める直前に工事を承認して、沖縄の歴史に悪代官として名を残した。中山市長も同じ運命なのか。

八重山と沖縄本島と較べると、田んぼがあるかないかである。田んぼがあるから八重山は素晴らしいのだ。それは瑞穂の国の原型を感じるからだ。沖縄本島にもたくさんの田んぼが戦前にはあった。ところが本島では田んぼはほぼ無くなった。理由は米軍基地である。ベイ軍基地が出来て、瑞穂の国の文化がずたずたになったと思われる。田んぼを継続する意思が失われた。田んぼを失うとともに瑞穂の国の心も薄れた。利益の出る仕事であれば、田んぼである必要が無くなった。八重山の小浜島では祭りのために5穀を辞める訳にはゆかないと言われていた。米軍基地ができるとこういう地域を大切にする気持ちが失われる。石垣に自衛隊基地ができると、田んぼが無くなる可能性がある。今でも田んぼは利益が出るからやっている訳ではない。田んぼに惹かれる思いがあるからだろう。自衛隊が来て、こういう瑞穂の国に思いをはせる気持ちが失われることが怖い。

 

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生前整理計画

2017-01-16 04:31:25 | 暮らし

だんだん片付けが進んでいる。今のところ、捨ててしまって困ったものは一つもない。昨年は荷物を半減することができた。今年はさらに半減する。そして来年はさらに半減する。そこまで行けばやっと整理がついたというぐらいに減るだろう。3年連続で半減する予定。すでに去年でごみのような荷物が半分になった。今年で4分の1になる。そして来年には目標の1割まで減ってゆく。今年は、軽トラ20台分を廃棄しなければならない。実は正月から、どんどん捨てている。すでに8台分を捨てた。ごみ屋敷がやや普通の家になってきた。あと今年のノルマは12台分である。今年半減できるかが勝負である。そこまで行けば、来年の半減も希望が出てくる。70歳までには始末がつくように頑張る。生前葬があるなら生前整理と、自分で考えで作った言葉のつもりだった。ところが、すでに生前整理普及協会というものまである。そして「認定指導員」「作業技能士」の育成も行うとある。自分でやれるうちに気が付いてよかった。

生前葬というものは、これからの生き方を改めるために行うのだろう。生前葬の後どう生きるのかがなければ、自分の葬式を自分で行う意味はない。私はずいぶん昔に文芸春秋画廊で最後の個展を行った。絵描きとしての生前葬個展である。そう表明して最後の個展を行った。そしてその後は「私絵画」を目指している。絵描きを目指した自分にあきらめのけじめを最後の個展でつけた。生前整理は、これからの生き方を定めるために行っている。残りの生き方を煮詰めたものにするために余分なものをそぎ落とそうという事だ。あと30年絵を描こうと考えている。中川一政氏をめざし、100歳を目指して描くつもりだ。その為に、生前整理を行っている。自分が持っているものが自分の残りの30年を縛っては困る。物で安心することを出来ないようにする。石垣で絵を描いて居てそういう事に気づいた。石垣では何も持ち物がない。ホテルに暮らす。絵を描くにはこれで十分だという事を知った。

持ち物を整理する意味はこれから描く絵の方角を定めるという事だ。先日捨てるくらいなら、絵をみんなに配ったらどうかと言われてびっくりした。人にあげられるようなものなら、捨てはしない。人に見られたくもないものだから、捨てている。明日生きるために捨てる。これを断捨離とか名づけたらしいが、それとも微妙に違う。最後は軽自動車一つではなかろうか。家とか残った絵とかはどう処理をつけるかは決めてある。残したまま死んでも処理がつくようにした。軽自動車があれば、アトリエに十分だ。ここで寝ることもできる。ブログも書ける。そうか後はコンテナを借りて倉庫にすればいいのか。あと半減、半減の2年荷物が減れば、コンテナに入る。目標はコンテナ一つに入るだけの荷物と考えることにしよう。街でよくコンテナ倉庫というのを見かける。石垣にもあった。1か月5000円くらいのようだ。

命が消えた時にすべてが消える状態というものに覚悟が何とか出来始めた。この覚悟を作るために物を捨てているわけだ。この覚悟がなくて絵を描いていては衰退すると考えている。絵を描くという行為だけに意味を見て行く。絵を描いて居る時の心境は、楽しい訳でもない。充実感がある訳でもない。考えている訳でもない。眼になり、道具になっている。絵を描くものになっているような感じだ。それが良いという事でもないのだが、現状そうなっていること。それは生きるという事を反芻しているような気がする。ある時奇跡のような成功もある。取り返しのつかない失敗もある。この道具である人間の磨き型であろう。絵を描いて居るとき、今ブログを書いているような意味で、頭を使い考えてはいない。無念無想とかいう訳でもない。何かぶつぶつつぶやいているような状態である。この状態をさらに純粋なものにするために、物というものを捨てるのもありかなと思って捨て始めている。

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トランプと金正恩

2017-01-15 04:42:38 | Peace Cafe

トランプ氏は顰蹙を買う発言で当選した大統領である。北朝鮮の金正恩とツイッターでやり合う姿は、外交を弄んでいるとしか思えない。この二人はよく似ている。言葉を弄して、世界を破滅に導こうとしていることに気づかない。一人は小国の冒険主義者であり、一人は世界最大の国の次期大統領である。これからこの二人で世界を崩壊に導く可能性も出てきた。リーダーが最悪な場合、国家はどうなるか。2つの実験が進む。アメリカが節操のない国になってしまった。北朝鮮レベルの国になった。自国だけ良ければ構わないと考える国。アメリカが直接的に得になることだけをやろうという、アメリカファーストだ。アメリカが日本に来て余計なことをしなくなる可能性が出てきたことだが。多分脅せば金が出るくらいの、強盗外交が展開されるのだろう。脅されたアベ政権がおたおたしなければいいのだが。世界はゲスどもによって危ういことだ。

トランプによると日本の防衛を肩代わりしているので、損をしているという脅した。上手くやればアメリカは帰ってくれるかもしれない。アベ政権は泣いてすがって引き留めるだろうが、金の切れ目が縁の切れ目となる可能性が出てきた。ソフトバンクの孫正義氏は早速、訪問して5兆円のアメリカ投資を約束した。トヨタは1兆円だそうだ。大企業というものは強いものに従いたい。金儲けが出来れば、国家など存在しない。TPPができないなら、自ら出かけてゆく。日本の政治家もトランプのやり方をまねているようだ。維新の大阪知事はヘリポート抗議の人たちを土人と呼び捨てた、機動隊員をよくやったと言わんばかりにねぎらった。鶴保議員は土人発言を差別ではないと国会でわざわざ主張した。要するに良識を求める人たちから顰蹙を買う事で、人気を期待している。沖縄が損をしていればいいと言う、文句があるのなら補助金は出さない。利己主義者が人気を博すという現状である。

世界はトランプ的になっている。権力者という強いものが弱者をあげつらい差別をする。そして、人気を得る。成功者だけに正義があるとする社会。成金を成功者として理想とする社会。それから落ちこぼれた人間たちが、良識を失い選挙で成金を応援する。トランプのような差別主義者を貧困層が民主主義の選挙で選択する時代になった。選挙が論理性を失い始めている。近隣諸国を敵視するのも幼稚な手法。トランプを買えば誰でも金儲けができると宣伝する、サギ政治である。本来政治は正面から向かうべき道を指し示すべきだろう。こういう国を作るために、辛いことも我慢して頑張ろうというべきところだ。努力なしに上手く行くことなど何もない。黙っていて与えられることなどない。しかし、選挙ではもうまともな主張が選ばれなくなって言る。衰退する世界のなかで、良識格差が広がってゆく。民主主義の試練の時代が来た。

トランプが世論の動向を先取りして、思わぬ勝利に至った。日本も権力の暴言に甘くなった。甘くなっただけではなく、その方が人気を博すという社会になった。政治全体の質が悪くなっている。それは有権者が追い詰められているという事かもしれない。格差社会の結果、常民の劣化が始まったという事だろうか。トランプがアメリカで選択される理由に、クリントンより貧困層に支持されたという事があると言われている。トランプ主義の期待感でアメリカ社会は株価が過去最高になっている。弱者が、貧困層が、追い詰められ強い政治に期待してしまう構図。次に来るのはその期待の大きさに対する反動の絶望だろう。強いものが欲だけで動くことになれば、アメリカは中国と経済で結びつこうと変わるはずだ。だから、中国の居ないTPPを外れるのだ。アベ政権が中国との対立を深めている間に、日本は置いてけぼりを食らう。ロシアとの経済関係強化が裏目に出るに違いない。トランプ政治は人気取りの新しい形なのだろう。

 

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象徴天皇の意味

2017-01-14 04:04:54 | 暮らし

平成天皇の生前退位が検討されている。生前退位が行われることはほぼ決まったようでよかった。その前提として考えなくてはならないことは、象徴天皇の意味である。検討委員会の議論が象徴の意味に及ばないのでは、天皇の存在をタブー視していることにならないだろうか。憲法において、「第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定められている。この意味を国民全体が曖昧にしかとらえていなかったのではなかろうか。日本人が自らの憲法を学美、自らのものにしてこなかったという事を痛感する。憲法9条2項があっても、自衛の為の武力は持てるとした、欺瞞が憲法全体を正しく読む努力を避けさせたのではないか。子供たちが素直に読めないのが日本国憲法の置かれた、位置である。当然ながら自分のこととして、一番深く考えていたのが、平成天皇であった。象徴天皇に関する考えの表明が8月8日にあった。

「私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。」

日本国の象徴の意味を自分なりに書いて見る。瑞穂の国日本の象徴である。日本人の暮らしの象徴で在ったのではないか。それは日本の歴史を通して、天皇家が成立以来少しづつ形成された姿である。明治の日本帝国の形成に利用され、軍国主義権力の中心の存在にされた。これは一時期の特殊な形態である。天皇は日本文化に基づく暮らしを送る、文化的な存在である。文をもって象徴となる。もちろん天皇家としての神官としての祈りは当然のことだろう。それは水土を祭ることであろう。稲作を祭ることである。稲作は経済であり、技術であり、文化であり、国の根本であった。瑞穂の国の育てた文化を尊重するもので在ってもらいたい。日本人一人一人が天皇のような暮らしを日本人の暮らしとして感じられるような、日々の送り方を天皇には象徴として行ってもらいたい。それが憲法に定める象徴天皇ではないかと考える。それは武力をもって権力を司るのではなく、文化力をもって尊重されてきた、天皇の本来の在り方であろう。平和国家日本の象徴として、天皇が存在する意味である。

天皇自身が考えてきた象徴天皇の意味を日本人全体で考える必要がある。日本国がどのような国であるのかに関して、一定の理解がなければ憲法の示す、日本国の象徴の意味を見出すことは出来ないだろう。さらに日本国民統合の象徴という事になれば、日本人がどのようは方角の統合を目指すのかが議論されなければ明確になることはないだろう。天皇の存在は、憲法の示す平和への願いと両輪である。日本の平和主義が、分をもって国を治める天皇の存在と通じている。現在天皇自らによる、一つの象徴の意味の提示があった。この機会に国民は広く議論するべきことであろう。

もう一つ考えなくてはならないことは、女系天皇を認めるかどうかである。男系で進めば、必ず天皇家は途絶える。私はその方が良いと考えている。途絶えた方が良いと考えている。憲法の定めるところの天皇は途絶えることは、仕方がないことだ。新しい形の天皇家がその時うまれる。天皇の現在の在り方は、人権を無視したものである。天皇を辞めるという事も出来ない。それに関して発言もできない。生前退位は何年も握りつぶされてきたのだ。女系の是非を議論するよりも、憲法に規定する天皇家はどこかで終わることは、むしろ自然であり良いことだと考えている。天皇家が歴史にふさわしい形に変わる必要がある。もし男系が100年後に失われる時が来るとすれば、それはそれで、新しい知恵によって、新たな形が模索されることだろう。

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カフェイン中毒死

2017-01-13 04:01:16 | 身辺雑記

カフェイン中毒で死んだ人のことがテレビで流れていた。その時コーヒー5杯以上は危険と言った。先日は5杯毎日飲む人の方が長生きというのもあった。どちらも正しくどちらも間違いである。その人その人で判断しなくてはならない。コーヒーを毎日飲む。学生の頃からの習慣なので、50年近く毎日飲んでいることになる。今は午前中以外には飲めなくなった。昔は寝る前でも飲んでいた。朝起きると、すぐにコーヒーを入れる。だいたい5杯分くらいを入れて午前中に飲んでしまう。頭がはっきりするので飲む感じである。コーヒーの味がわかるのかというと、コーヒーの味は昔からよく分からない。苦いと感じている訳でもなく、たまには美味しいと思う事もある。家でいれるとしても、喫茶店で飲むとしても、美味しいと思うのは、コーヒーの味の為ではなく、どうも体調の影響が大きいようだ。だからモカが好きだとか、ブルーマウンテンが美味しいとかいうようなことは全く分からない。判別がつくこともないし、まずくなければそれでよいという範囲の事だ。

味が分からないから入れ方もいい加減かと言えば、そういう訳ではなく、毎日最善と思われる入れ方をしているつもりだ。専門家から指導を受けたこともある。コーヒーは湧き水で入れている。出来れば新鮮なものを汲んでくる。湧き水の方が良いのかどうかわからないが、かなり観念的に良いと決めて込んでいる。ここまでこだわる人は少ないだろう。小田原の水道をまずいと思ったことはない。東京都美術館に自分のお茶を持って行って毎日飲んだが、さすがに水がカルキ臭くてお茶の味が台無しだった。あの水では今は暮らせない。水を汲んでくるのはいいのだが、その水の良さが味に効果があるのかどうか確認できたことはない。ただ、湧き水を汲んでくるという気分の方を大事にしている。コーヒーは毎朝豆を挽く。加藤コーヒーというところから通販で買う。月に一回程度、2キロの豆を買う。好みがないとはいえモカの味を中心に選択する。味が分からないくせにうるさいようだが、最近のモカはモカの味がしなくなった。あの輸入禁止以来おかしい気がしている。これも思い込みである。

実は、加藤コーヒーで美味しいのはブラジルである。ところがこのブラジルが曲者で、何しろブラジルは広大である。それをブラジルでは判別がつくはずもない。一応観念として標高の高いところが良いらしいとか、何とかという最高級の認定を受けたとか、有機栽培であるとか、そういうのを選択したりするのだが、情けないがこの味の判別が出来ないのだ。だから、ブラジルがたまたまおいしいことがあったという程度のことになってしまう。モカの方が無難と思い注文する。ところが相変らずおいしいモカには出会わない。実は原因には気づいている。老化である。今後も味などだんだんわからなくなるのだろう。眼が衰え、耳が遠くなり、脚が衰える。味が分からなくなる。自覚に乏しいところはありがたいのかどうか。子供の頃は味の判別には相当の自信があったのだ。食べ物屋のお店を始めた人が、私を試験に使ったほどだったのだ。3種の肉団子を順位をつけてもらいたいというのだ。美味しい順に感想を述べたら、やはりごまかせないと言っていた。肉やら粉に違いがあったらしい。今の衰えからは信じられないような話だ。

歳をとると微妙な味など分からなくなる。分からないくせに年より程うるさくはなる。蘊蓄も言いつのる。多分味だけでない。判断も同じだ。たぶん絵も同じなのだろう。そうだと、残念なんだが自分だけ例外と考える訳にもいかない。コーヒーはコーヒーで大差ない。缶コーヒーはさすがにだめだが、コンビニカフェラテで十分である。最近カフェオーレとは言わなくなった。どうでもいいがついカフェオーレと出てしまって、直される。絵を描きにゆくと必ず買う。ポットで入れて行けばいいのだが、これはまずくなる。こういう観念が年寄りのうるささなのだろう。本当は分かりやしないくせに。何故か、セブンイレブンではカフェラテはない。セブンイレブンは嫌いなので、出来るだけ他の店に行くので、ちょうどいいのだが。

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絵を描き奇跡を待つ

2017-01-12 04:32:23 | 水彩画

車の中に描いた絵を並べてある。

絵を描いて居る時の頭の中を確認してみると、グルグルしていて、ぶつぶつつぶやいて居るようなおかしな状態である。数学を解いているときに近いかもしれない。冷静ではあるのだが、いつもと頭の働かせ方が違う。画面に向かい回答の見つかる奇跡を、ありとあらゆる角度から待っている。活路の見えない中で、前には奇跡が起きたのだと、思わぬ展開があったのだと、ほとんど希望のないグルグルを続けている。楽しいから描いている。描きたいから描いて居るのだから、何故こんなことをまたやりたくなるのか不思議なことだ。泥沼にわざわざ向かう訳だ。ほとんどの場合、すっきりしない解けない課題を持ち越したような感じで終わる。少しは描けたかなという日もあるが、良いと思ってやっていたことが方向違いに終わる。絵を描くという事は、実に絶望と直面するという事だと思う。やってもやっても訳の分からないところで、ぐずぐずしている。行きつ戻りつ。今日も一日無駄だったというのに、諦める気はしない。

中判全紙のタテも車の中で十分に描ける。

このだめな状態が自分だからだ。何も生み出さない徒労の日々が絵を描くことだと思う。それでも描き続けるのは、かつて経験した奇跡を待っている。始めるときは希望に満ちている。この絵ではできるかもしれないと、いまだかつてない絵が描けそうな気持になって始める。具体的にその進み具合を思い返してみる。描きたいと思うところから塗り始める。計画も、算段もしないようにする。構図を考えるとか、どこから何処を描こうかというようなことも考えない。考えると肝心のことから逸れる。ただ、いつもの場所に位置して、いつのもの所を、始める。紙は平らにおいて描く。その時一番描きやすそうな、描けそうな部分から筆をおく。大体はみずでかなり薄めた、グレーで始める。そのグレーも決まっている訳ではない。コバルトバイオレットとコバルトグリーンを混ぜることが多いい。白の混ざったグレーは使わない。絵具材料が変化して以来、もういいや、という感じでその場に合うグレーを混ぜ合わせては、作り出して描き始める。

描きたいと思ったところから始める。始めたら後は手順はない。急に反応して強い赤を置いて見たりする。気になりだしたところを、対象を見ながら進める。30分ほどすると画面全体に色が置かれている。紙を立てれば流れてしまうジャジャバ状態。そのくらい薄い。その時々だが、ともかく画面全体が濡れている状態になったら、画面を離れる。それを置いておいて、つぎの紙に描きだすこともある。昨日の続きを始めることもある。30分は乾くのを待つしかない。乾くのを待ちながら、描いて居る場所をブツブツ見ていることも多いい。天候にもよるが次の色が塗れるとこまで乾いたら、今度は画面を立てたり、寝かしたりしながら、濃度の様々に違う絵の具で描いてゆく。何をしているかわからない状態。そして結局のところ行き着いて大抵は絶望する。全く駄目だという事に気づく。

ここからは、もうやみくもにありとあらゆる思いつくことをやる。やっている内にあれという展望があったりする。何か新しい面白さが見つかりかかる。希望が湧いて来る。勇気が出る。またぶつぶつ言いながらやってみる。そして、2時間ほどするともうやれないという事になる。終わりというより、もうやればダメになるのが分かっている、いつもの限界のようなものに到達する。これでだいたい午前の仕事が終わる。昼間は車の中で弁当を食べて、昼寝をしている。午後は2時くらいからまた始める。場所を移動して又同じことを始めることもある。午前の絵の続きがやれそうなら続きを描く。奇跡を待っている。絵を描くという事は、人生を体験している感じだ。生きているという実感がある。一枚の絵を描くたびに人生を歩むようなすごさがある。生きたのだと感じる。失敗続きの人生でも、面白い。絵を描く奇跡。読み返して思ったのだが、絵を描くことで自分を作ろうという事のようだ。

 

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二地域居住

2017-01-11 04:27:16 | 暮らし

小田原でも空き家は増加を始めている。日本中で間違いなく空き家は増加している。小田原の空き家に越して来て長くなった。有難いことに何の過不足もなく快適に暮らしている。土地は1000坪ぐらいある。昭和初期の家である。作りもしっかりしていて、まだまだ100年住める状態である。空き家にならず同じような暮らしを目指す人に引き継いでもらえればと思っている。欅の30㎝の大黒柱の家だ。山仕事をしていた方が、木を伐り出すところから選んで、木が生えていた太陽の向きで木を使って、自分のために建てた家だそうだ。わたしはこの大黒柱に魅かれてこの家に決めた。立派な家に住まわせてもらえたとを感謝している。暮らしながら直し続けて、アトリエやギャラリーを整備した。畳をやめて床暖房の板の床にした。寒い家だからである。昨年までその床暖房もめったに使わなったのだが、今年は暖かい正月なのに使っている。いろいろ事情があり仕方がない。

小田原は何とか東京まで通勤できる。新幹線なら35分である。私も東京での急ぎの用事では新幹線を使う。三軒茶屋でも暮らしていたのだが、上野の都美術館に行くなら大した違いはない。小田原でも久野舟原は里山である。住宅が増えたとはいえ、箱根の外輪山に続いている自然豊かな場所だ。久野川があり、湧き水もある場所である。自給的に暮らすには東京に一番近い、最善の場所だろう。ずいぶんあちこちを探して越して来た。自然養鶏で鶏が飼えて、卵を販売して暮らせる場所。これほど条件のそろったところは他にはないだろう。私にとってはやってみて上手く行ったのだから、間違いがないことだ。別に養鶏をやらなくてもこれほどの場所は少ないだろう。安く東京に出ようと思えば、小田急線で新宿まで874円である。最近は東京にも出なくなったが、昔はぶらっと絵を見によく出かけた。東京に出やすいという事もそのころの暮らしには必要だった。

海があり、山があり、温暖で、土壌が良く、水が湧き出る。自給生活には最高の水土の地である。初心者でも自給自足が可能な土地である。来たい人が居たらお世話したいと思う。農地の紹介は出来る。農業機械もある。長野県に移住する。大分県が良い。そいう話もよく聞く。しかし、東京から離れてしまってはダメな暮らしもある。私は絵を描くなら東京を離れてはだめだと考えてきた。80%くらいの絵画は東京で発表されている。この状況を離れると、社会の中で動いている絵画を見失うような気がした。今は絵の社会はどうでもよくなったが、どうでもいいと言い切れるのは見ているからだ。それは絵だけではないと思う。多くの分野で一番熱があり、動いている場所の身近にいるという事は、分野によっては必要なことではないだろうか。まあ、国会のデモにもゆかない訳にはいかない。それでいて、家に帰れば山の中なのだ。湧き水で自給自足に暮らしているのだ。そういう暮らしができるのが小田原の見事さである。

この小田原でも空室率が上がっている。東京都内でも空室率が上がっている。それでもマンション建設は減らない。何か人間の暮らしに変化が起きているのだろう。2地域住居を考えてみたほうがいい。大地震が来れば小田原だって危険だが、逃げる場所はあるし、食べ物も水もある。東京に暮らす便利さは捨てがたいという人も多いい。しかし、これからは長時間働かなくても良い企業もあるようだ。小田原で自給自足の態勢が取れれば、生き方が変わる。そんなことは興味のない人には全くばからしいことだろう。おかげ様で、小田原の空室率が上がっている。価格も値下がり傾向が続いている。これは都内とは違う傾向だ。良い時代になったものだ。日本という素晴らしい水土の中で、自由に場所を選んで、自給自足の暮らしが可能になってきたのだ。こんなことは日本の歴史になか出始めた起きた僥倖である。いつでもどなたでも、そんな暮らしを考える人には協力するつもりだ。覚えておいてほしい。

 

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絵画言語化の意味 2

2017-01-10 04:43:47 | 水彩画

思考を言語化するという事が言われる。正確な論理性を持つためには、考えていることを言語化する必要がある。宗教でも言葉が必要となる。哲学であればなおさらである。美術にも言葉化することで明確になることがある。幼児的なスキキライ判断ですませていては、絵画を深めることは不可能である。思考すること、考えるという事は言葉で考える場合と、感覚的に反応する場合があるのだろう。おいしいということは、全ての動物に備わった美味しいものは食べれば生きることができるという原点がある。その感じたことを量的にとらえ、すごくおいしいかったというだけであれば、どのように美味しかったのかまでは人には伝わらない。伝わりにくいだけでなく、実は自分にとっても、美味しいというひとくくりの感覚にとどまっていることになる。言葉化するとは自分が感じた美味しいさを、自分個人の独自のものとして、分析してみる行為である。そして言語化することによって、自分がどのような美味しさを望んでいるのかが、確認できるのではないだろうか。

美味しそうという感覚が、安全に食べることができるという事であり、タベレルという感覚が美しいというものにもつながる。絵を描いてみるという事は絵に描いて、自分の頭の中で感覚として生まれた価値のあるものを、画面という世界に表わす行為。人との間に有る伝達された表現として、客観性のあるものになるという事であろう。それは、私絵画であっても同じことである。むしろ、私絵画であるからこそ、自己の内部世界の、客観的思考が必要になるのではないか。絵画の言語化とは、自分の内部に芽生えたものを、画面化する過程で、言葉に置き換えてみることで、その意味を反芻して、深める行為である。絵画的思考を記録する、再現する、さらに深める、人と共有化するという事になると、言語化が必要となる。日本の職人的絵師であれば、弟子が黙って絵画技法を盗めという事になる。しかし、新しい美しさを発見し、創作する。そこには見る人を含めた文化的な共通性が必要となる。それが言葉化する意味だ。

自分の精神に入り込んだ絵を描くためには、何を描くかが分かっていなければならない。美しいものを描くとすれば、なぜ自分が美しいと感じたのかが分からなければ描くことができない。自分が感じるという言ことは特殊なことなのだ。みんながその花を美しいと言って絵にも描いて居るから、その美しさを絵にしようというのが、お稽古の絵である。表現ではない、手順の絵である。自分の美とは何か。自分が描きたいと思うものを突き詰め、その自分独自の世界が立現れた時に、絵はその人の絵として意味を持つのではないか。自分の存在を探り当てるためには言語化して、自分の美を探る必要がある。絵が言葉にならないという事の多くの場合は、自分自身が理解していないためだ。分かっていないが何かありそうの範囲で絵を描いて居るからだ。確かに大半の絵がそういう甘さの範囲で描かれてきたとは言える。良い絵というものは、この実に曖昧な世界を、作者の明確な絵画世界としてあらわしているものだ。

では言葉で分かったことだけ描けばいいのかと言えばそれも違う。言語化するというのは、分からないという問題個所を明確にするという事でもある。絵画は分からないという事の重要性を、分からないままに表現できる手段でもある。詩のおもしろさはまさにここにある。何か魅力あると感じている世界を、言葉化してみることで扉を開けることになる。絵も何かあるという想念を画面に具体化することで、その世界を解き放てる。自分の絵の分かっている範囲とまだ曖昧なところが明確になるという事がある。言葉化してみることで内容が、その言葉がわかり切った範囲であれば、実はその人の絵はそんな常識の範中の絵という事でもある。言葉化できないから絵を描いて居るとしても、その言葉化できない周辺を言葉化する努力によって、自分の絵がやろうとしていることが見つかるかもしれない。昨日今日と、ここまで書いて見て考えた。つまり考えていることを言葉化してみた。

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絵画言葉化の意味 1

2017-01-09 04:21:42 | 水彩画

念頭にはその年にやることを考えてきた。ところが、今年は改めてそういう事にならない。このところやることは絵を描くことだけだから、これからの正月はこういうことになりそうだ。「2017年は絵を描く。」これだけで終わりである。役目というものがない。問題は絵だ。これで自分の絵が描けないとすると、言い訳がない。名画を描くためではない、自分の絵を描くためだけなのだから出来ないわけがない。必要と考えているのは、絵を語り合う場である。たぶん自分の確認ができるのではないか。これを作りたい。これが新たにやる今年の具体的な計画。こうして、まだ元気なうちに絵に専念することが出来たのはありがたい。絵が少しづつ自分に近づいている実感がある。これは良い傾向である。次に描く絵をどうしようとか、どう描くか。どう進めようかなどと思う事はない。ただ、自分というものに向って描き進める。そして終わってみて考えることになる。何をしたのかである。もちろんやることはあって描き始めるのだが、意図を持って進めるという事でもない。むしろ意図を捨てて描いている。

描いて見なければどうなるのかはわからない。その場にゆだねる。ゆだねることで自分というものが出現するかもしれないと考えている。描き出す前に何を描くのかは決める。誰でもそうである当たり前のことだろう。庭を描く。畑を描く。そいう何もあるが、畑の何を描くのかという事になる。土を描こうという時がある。土の持っている力のような。畑をやっていてわかる良い土というような感触。草を描こうという時もある。花を。こういう更なる具体的なものを通して、その先にある何であるかだ。つまり、土を描くとして土の何を描くのかが分からなければ絵にならない。土という得も言われぬ、未知の豊かさを秘めた物に向かい合い、描けるかどうかと進める。土はすべてを生み出す。土台である。全てを包み込む。生命の源である。このように言葉化しているものを、描けるかである。漠然と土は美しいなあーと描くのが悪いという訳ではない。私にとってはそれではだめだというだけのこと。

土がどんな色をしているか正確に写すなら、その土を画面に塗ればいいだろう。しかしそれでは土の色とは程遠いい。自分の頭の中にある土というものが描けなくては意味がない。しかし確かにその土は、視覚的に確認している土だ。単なる観念ではない。絵に描くとは、その土の意味が分からなければその色を塗るなど出来ない。と考えている。土の意味などという理屈っぽいことは絵を描く人間らしくない、考え方かもしれない。そのややこしいところが自分の絵と思うしかない。とはいえ土を描いて居るときには、そんなことは全く忘れている。良い色だなあ―、良い感触だなあー、良い匂いだなあー。このすべてをどうすれば描けるだろうと思うだけである。2,3日して冷静になって初めて、土の意味をとらえていないなどと、反省をする。

それにしても絵は不思議なものだ。なかなか描けない。こうだと思って描いて見て、それがだいたいは違っている。その理由ははっきりとはしないが、描きたい方角は分っているつもりで始めるのだが、描く方法が見つからない。見えている物の描き方が分からない。あの空の感じとは思うが、あの空になることはない。あの空には目に見えている物だけではない何かを見てしまっている。水彩画に変わった時に絵は変わった。紙を変えた時にも絵は変わった。筆を変えた時に絵は変わった。それは自己否定が絵を描く方法に及んだからだと思っている。いつも来た道にはまり込めば、新らしい方角には行けない。新たな方角は、新たな手法が必要であろう。絵を言葉として語ってみる。何がかけないのかを言葉化してみる。絵を描くということは分からない自分というものに直面しているという事になる。絵の不思議は自分の不思議でもある。

 

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新たな従軍慰安婦像

2017-01-08 04:34:04 | Peace Cafe

従軍慰安婦像が釜山の日本領事館前に設置され、韓国政府は不可逆的な約束にも対応ができない。朴槿恵政権が崩壊している。韓国は国家存続の危機と言っても良い状況であろう。それは世界の経済競争にすべてを投げうって挑戦した結果起きたことである。競争には勝利もあれば敗北もある。経済競争が危うくなった。韓国はなりふり構わず、韓国の伝統的な文化までも危うくなるような、弱者切り捨ての挑戦を続けた。優秀な人材も現れたことだろうが。全体としては精神の荒廃は進んだに違いない。企業は国家を捨てても利益を目指すだろう。そういう事件が頻発している。韓国を批判しているのではない。翻って日本のことを言いたいのだ。条件が似ていて、最も競争を先鋭化させた韓国が日本の参考になるという事である。このことは何度も、このブログでも書いてきた指摘だ。アベ政治が経済優先で国際競争のために大切なものを見失っているという指摘だ。

従軍慰安婦像に関して、日本政府には国家の品格というものを考えてもらいたい。世界中に日本という国の品格を示してもらいたい。韓国のやっていることは、褒められたことではないと私も思う。しかし、ここでは相手がどうであれ、日本が品格ある立派な対応をしてもらいたい、と考えている。世界の眼を意識して、日本がどのような国だるかを示せる機会にする。それがどんな態度であるかを考えてみたい。日本の防衛大臣の靖国神社参拝も、近隣諸国からは不愉快なことなのだ。慰安婦像と同じようにみられるということを書いた。それが品格を落とす態度ということである。確かに、神社に参拝するのにとやかく言われる筋ではない。それなら、従軍慰安婦像にとやかく言われる筋ではないとなる。相手の気に障ることはお互い行わないというのが、品格ある態度である。ところが安倍政権の大臣は靖国神社に行きたくて仕方がない人が多い。踏み絵を踏もうという事だろう。総理大臣になる資質があることが示せると考えているのだ。

アベ政権は韓国が一線を越えたと感じて、大使を一時帰国させた。近隣諸国に対して、日本が負けて居ない、相手の言いなりではないと示せる態度のつもりで在ろう。それが品格ある態度と言えるだろうか。世界から見れば、日本はヒットラーと類似の侵略国家なのだ。世界は他国というものを冷たい目で見ているものだ。そう考えておかなければならない。だから、韓国の行う慰安婦像に対してもさもありなんと受け止められ、韓国同情論の方が強くなる。こうした、刷り込まれた侵略国家日本像をどのように、変えてゆくかである。まずは、防衛大臣が靖国神社に行くなど論外である。言い分はあるのだろう。政治家であるなら、日本の未来の平和のために考えなければならない。日本が軍事基地を作るようなことは行わない。防衛と言いながら、原爆実験を続ける北朝鮮を世界はどう見ているか。迷惑な冒険主義のテロ国家とレッテルが張られている。日本が防衛と言いながら、中国の目と鼻の先に軍事基地を作ることは、平和国家やるようなことではない。中国が武力主義で拡張しているという事とは別のことだ。相手がどうであれ、日本がどのように品格を保つかである。

日本の平和主義は世界の希望である。日本が全く武力を捨てて、平和主義を貫くことも一つの安全保障である。日本は武力では国際貢献しなくとも、経済や食糧や医療や災害援助で国際貢献してゆくという姿勢を、徹底して示してゆくことだ。それ以外に世界が平和になる道はないことを行動で示してゆく。その道を毅然として進むことが日本国の品格ではないだろか。相手がどうあるかで、右往左往しない。自分の正しいという道を堂々と歩むこと。これが、従軍慰安婦像への対応ではないか。日本が品格ある国になることが、次の世代にまでこの問題が持ち越されない唯一の道だ。くだらない挑発に対抗してはならない。相手に問題があるなら、より正しく歩めばいいだけである。

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デッサンの必要性

2017-01-07 04:44:28 | 水彩画

絵を描こうと思う時、まず基礎のデッサンをやってからという人がいる。その始め方では絵を間違う。絵を描きたいという思いを大事にすべきだ。デッサンがしたいという人はデッサンをやればいいのであり、絵が描きたいという人は絵を描けばいい。自分が絵を描き始めた時は幼稚園だ。その時のやり方でそのまま来た。別段教わったことはない。誰かに教わったという記憶がない。金沢大学でも、フランスの美術学校でも絵を描く技術を教えてくれたという事は、全くない。ただ絵を描く場所があっただけだ。カルチャーセンターよりも絵を教えてはいない。一番教わったと言えば、春日部洋先生である。しかし、春日部先生も私を指導したとは思っていなかったと思う。一緒に絵を描きに行っただけである。先生から学ぼうとすると、先生の作り出したものを受け売りすることになる。絵を描いて居て困ることは、身についてしまった受け売りを拭い去ることだ。絵は自分であること以外に何もない。

デッサンが必要という意味は、自分が描きたいと思うように、自由に描ける技術が必要という意味だろう。物を見てそっくりに描き写す必要があれば、そうやればいい。それはデッサンの一種であるが、コピー機デッサンである。コピー機の写し方とデッサンの見方は本質的に意味が違う。本当の意味のデッサンをするは、自分の物に対する解釈なのだ。物を見て、自分の頭の中で図にする置き換えの技術なのだ。自分の頭の中の見る訓練という方が近い。頭の中で絵を作る訓練が必要なのだ。だからデッサンが一定のレベルに達すると、観るという事がデッサンをするという事になる。木炭で画面に映し出す必要は小さな要素になる。ここまでが第一段階なのだろう。所が画面に映し出すコピー機技術をデッサンと勘違いしがちだ。初心者とは限らないが、頭の中に絵が無いにもかかわらず絵を描いている人がいる。そのうち何とかなるだろう、のス~ダラ方式では絵は描けない。絵は最初の一筆から、最後の仕上がりを縛るような意味が有るからだ。描き出した間違いが災いして、自分の絵の行方が定かにはならない。

天才といわれるような人は、初めから絵が頭の中に確定的にあるのだろう。それを移しているだけなのだ。頭の中に絵が無い人は、絵を描いても無駄かと言えばそうでもない。その人なりの絵は描ける。私絵画はそれでいいのだ。ただ、あくまで頭の中の絵を求めて描かねばならない。頭の中に人の作り出した絵が出てきてしまう事をどう乗り切るかである。頭の中の自分絵を育てるためにデッサンが必要な場合もある。人間は見ているようなきがしていても、ほとんど見ていない。見ているつもりを正すのがデッサンなのだ。見えていないことに気づくためにデッサンをして、眼を鍛える。ところが、多くの初心の人はコピー機になるためにデッサンをする。自分の眼で見るという事を忘れて、客観というか、一般的な薄味の見方で見るための眼に堕落するためのデッサンになる。それくらいならデッサンなど学ばない方が良いという事になる。だから、デッサンをやるのも良いのだが、頭の中の自分の観念と、行き来するような見え方を作り出すためのデッサンをやる必要がある。これは肝要である。

具体的には、自分が描きたいというものをデッサンしなければならない。くだらない石膏デッサンなど百害あって一利もない。受験の難しい芸大生はいわゆる石膏デッサンが上手なのだろうか。芸大生なら良い絵を描けるかと言えば、そんなことは全くない。私が絵だと思う、中川一政氏も独学である。須田剋太氏も独学である。鈴木信太郎氏も。マチスも、ボナールも、あのゴッホも、好きな画家は石膏デッサンなどやった人はいない。どうしてもデッサンをしたいという人は、自分が描きたいというものをデッサンすべきだ。私は時々樹をデッサンする。自然の樹木のなかには実に描きたくなるものがある。彼らは何百年もその土壌に根差し動かず。水を吸い上げ、太陽の光を受けて光合成をして、酸素を作り出している。落ち葉を大地に返し。そして最後には朽ちて大地に戻る。樹木の動かず立って、風のなかにある自然の姿こそデッサンしたくなる。

 

 

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福島原発事故処理費、21兆円越え

2017-01-06 04:02:04 | Peace Cafe

原発事故処理費が21兆円越えという予測が出てきた。報道は政府の想定が何故何倍にもなったのかとその理由を説明している。今後も到底21兆円でも収まらないはずだ。そんなことは事故後すぐにわかっていたはずだ。政府は事故処理を小さく見せたいということで、10兆円程度とか言っていただけだ。しかも東電の企業努力で電気代に上乗せしないでも可能だと説明していた。原発事故は死んだ人も居ない小さな事故だと主張した自民党の大臣もいた。原発事故をいかに小さく見せようとも、この事故は日本の文明的な方角の失敗という、とてつもなく大きなものだという事を知らなくてはならない。その後もアベ政権は原発推進をしているが、これは日本という国と、人類を破滅に向う政策である。原発は安い電力であると政府を主張し、経済競争のためには必要というのが、政府の考えだ。ところがこの通り一旦事故が起これば、安いどころではない。どれほど高い電力になるかを自覚しなければならない。2度と事故を起こさないという事は、災害の島日本列島では不可能なことだ。

事故の補償費が倍増したという事だが、私は事故の補償費を申請しているが、音沙汰もない。明らかに私は原発事故の被害者である。お茶などの作物が政府の指示で出荷停止になったのだ。それを東電には伝えた。東電は東電の書類で申請しろと主張した。私は事故の被害者だ。事故の加害者が何故、被害者に対して面倒な方式を押し付けるのだ。被害の状況を調べて被害に対して保証するのが、加害者の当然の義務だ。ところが東電はその後一切対応をしない。交通事故を起こせば、保険会社が両者の間に入り事故の補償を行う。東電は事故の補償をどう考えているのだろう。政府は何をしているのだ。確かにJAに加入している農家は、JAが一括して補償金を貰ってくれたという。JAはありがたいと言っていた。私もJAに加入はしているが、この原発の被害を受けたお茶畑は、あしがら農の会という組織で行っている。その為に、被害の対応はJAはしないことになった。個別に行えという事だ。その結果、東電は無視したままだ。事故の補償が倍増したなどと言っているが、私は被害を申請している。対応しないのは東電の犯罪行為だ。

日本はインドに原発を輸出するという。もしインドの原発で事故が起きたらどうなるのだろう。日本の原発企業は製造者責任を問われないのだろうか。インドとは言わないが、原発の管理を十分にできない国もあるだろう。売れればいいという事で、北朝鮮に原発を売ることはできないだろう。原発は人類の未来にとって、危険に満ちた技術だ。もし、問題ある使われ方をすれば、人類が滅びるような大惨事につながる。原爆の製造にもつながる。原発が至る所に存在するような世界になれば、大噴火や大地震で事故が起こる可能性は増大する。日本は世界でも厳しい基準で、耐用年数の40年を超えても原発を使ってゆくそうだ。どれほど高い電力になることだろうか。政府に失望をして暮らしてゆかなければならない日本という国の不幸。

フクシマ原発事故では、溶けだした核燃料の回収方法がいまだ分からない。たぶん不可能なことなのだ。全体をチェルノブイリのように、固めてしまう以外ないのだと思う。たとえ回収できたとしてどこに置いておくというのだろう。国会の倉庫にでも置けると考えているのだろうか。地下深くに入れて仕舞い、何万年も寝かせておくつもりだろうが、一体そんな厄介なものをどこで引き受けてくれるというのだろうか。安全だというなら、国会の下に埋めた方が良い。それなら原発の危険性を忘れないで議論ができる。日本への失望を実感させたものが、原発 事故対応である。政府に統治能力がかけているという事がよく分かった。あの不幸な事故を、原発廃棄に繋げることが出来れば、日本への希望は繋がったのだが。

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赤色ヤケイ

2017-01-05 04:15:20 | 自然養鶏

photo by Lip Kee

酉年である。NHKテレビで幻の鳥赤色ヤケイをタイのジャングルで探す「ダーウィンが来た」という番組を放送していた。赤色ヤケイがどのように暮らしているのかには以前から興味があったので、楽しみにしてみた。何より驚いたことは耳朶、顔の横にある肉垂れが白かったことだ。しかもハート形の鮮やかな白だった。赤色ヤケイの耳朶は赤だと思い込んでいた。土佐小地鶏のイメージが強かったかもしれない。但し小地鶏の脚は黄脚である。耳朶の色は生息地域での違いなのだろうか。あるいは個体差なのだろうか。こういう研究はあるのだろうか。ネットでは赤から白までいろいろの写真が出てきた。私の昔の思い込みでは赤のはずだ。小国の耳朶は完全な赤という事になっている。東天紅は耳朶白という事だ。この違いを品種として固定することはなかなか難しい。実は、テレビに出たタイの赤色ヤケイは、飼われている人間の作り出した鶏と交雑している可能性が高い、と私は見たのだが。果たしてどういう事になっているのか。

赤色ヤケイの足の色は鉛色である。楊柳色と言える。東天紅は楊柳色であり、小国は黄脚である。小地鶏の足が楊柳色なら赤色ヤケイである。これが耳朶の色との組み合わせでなかなか揃わない。他はすべて良いのに、耳朶だけは白が差す小国ということになる。長年の割り切れない想いが、すっきりとした。つまり赤色ヤケイの耳朶は赤もあれば、白もあることになったという事だ。原種の赤色ヤケイの耳朶の色にこのような変化があるのでは、作られた鶏の固定の困難さも当然のことである。脚の色はどこから黄脚が出たのだろうか。これも不思議な変化だ。黄脚のヤケイというものが、いまではいるのだろうか。しかし赤色ヤケイは幻の鳥というほどの希少種ではない。テレビ的にはそうなるのだろうが。なかなか見ることが難しいという程度の事である。ブキサールというインドネシアの品種は、赤色ヤケイと交雑させるという事が行われているらしい。鳴き声を競技するため、つまりジャングルに響き渡る声を良しとするので、ヤケイとの交雑をする。これも一例だが、闘鶏の為の交雑などもある。結果ヤケイ自体が家禽の影響を受けた可能性がある。

赤色ヤケイがかなり高い木の上で寝ていた。相当に飛ぶ。日本キジ程度には飛ぶという事だ。夜寝る時には高いところに寝るということは分かるが、メスが卵を抱く場所は地上のはずだ。ダーウィンが来たでも、写っていたのはオスだけである。メスはどこかで抱卵している可能性が高い。見つからなかったのだろうか。テレビ映像ではオスが一羽だけだったが、本来単独でオスだけがいるというのは、少し不自然な気がした。地上で抱卵しなければならないので、メスは地味な保護色だ。抱卵していなければ、雄と一緒に高い木にとまって寝ているはずだ。メスは複数いる群れで生活をしているはずだ。この辺ももう少し取材してもらいたかった。

鶏やヤケイの遺伝子の調査というものは進んでいるようだ。家禽に関する調査では、家禽というものの交雑は複雑で、品種というものの整理が遺伝子的には明確にならないもののようだ。それがどうもヤケイの遺伝子解析でも似たようなことがあるようで、調査個体が少ないためなのか、家禽と4つのヤケイの関係も明確とまでは言えない。昔から、鶏の祖先は赤色ヤケイのみだと言われているが、交雑という意味では、どのヤケイとも可能なのだから、いろいろのことが起きていると考えた方が良いのかもしれない。私は子供の頃、高麗キジとバンタムとの交配を行った。死もごりではあったが有精卵は取れた。ヤケイはすでに家禽との交雑の影響を受けているのではないだろうか。ここに書いたことは、全く素人の感想にすぎないのだが、赤色ヤケイのNHKの映像について、専門家の人の助言はなかったのだろうか。赤色ヤケイとしてどの程度の信頼性がある映像なのだろうか。

 

 

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問題は残業にある訳ではない。

2017-01-04 04:40:17 | 暮らし

サービス残業を無くすという建前が横行している。この建前を企業が懺悔のように発表する偽善。会社が倒産しても残業を減らすだろうか。国際競争で危うくなっている企業に、倫理的な正しさなど期待する方がおかしいだろう。真に受けて報道するのは報道が提灯持ちに過ぎないからだ。企業がおかしいと思ったら社員は、ストライキをすればいいのだ。それが出来ないなら辞める。日本の企業は効率が悪いそうだ。海外の企業は効率がもっといいと言われているが、それも嘘だろう。韓国は世界で一番労働効率が悪いと言われている。こういうのはすべてデーターの取り方がおかしいだけだ。日本の働き方が、外国といくらか違うという事はあるだろう。工場での労働効率が特別悪いという事はない。準備に時間を弄するとか、朝礼に時間がかかる。準備体操が要らないとか。いろいろあるかもしれないが、そんなことは大した問題ではない。

事の真相は労働効率よりも、製品の競争力は、品質である。労働投下時間が100時間の製品でも、10万円のものも1000万円のものもある。この違いが労働効率の違いとなって表れる。絵を描いて居れば、私の絵など労働効率で言えば最悪である。労働の質が悪いのだろう。原価割れ確実である。売れない製品をいくら合理的に生産しても、労働効率は良くならない。日本の製品が売れなくなっているのだ。それで安売りをするから、労働効率が悪くなる。良いものを作り、高く売れば、労働効率は良くなる。ここでぜひ確認しておきたいのは、良い製品を作り上げるのに、残業時間を気にしているようでは不可能だという事だ。寝ても覚めても、ご飯を食べているときも、新製品を発想し続け無ければ、いまだかつてないようなものを作ることは出来ない。そういう労働力の質の問題。残業云々どころではない。労働の意味が徳農家のように創造的な質になるのかどうか。この点ではどこ国もどこの民族も同じである。

ダビンチはフランスで大切にされたから、フランスに移住したのだ。企業の競争に勝つためには、人材次第である。良い人材がいて、働きやすい環境があって、その人材の十分な能力が発揮された企業が勝利する。日本が急成長したときには、日本人という誇りが影響した。敗戦の逆ばねもあった。日本のために頑張るという意識が日本企業の勝因になった。前の東京オリンピックの頃の選手は日本の為に金メダルを取るよう頑張った。今度の東京オリンピックでは自分のために頑張る。お金が主目的という選手も多く存在する。こういう状況の中、企業が能力主義を前面に打ち出して競争している。それならイチローではないが、力のある発想力のある人はアメリカの企業に行くだろう。問題はそういう労働環境にある。100の仕事を50時間で出来る人も居れば、200時間かかる人も居る。農業で見ていればごく当たり前のことだ。草を生やさず管理すれば、草取り時間は無くなる。200時間かかってよく働く人といわれても、企業では役に立たない人に過ぎないのだ。

だから、自分が認められるためには、隠れてでも残業をする。その結果給与が倍になれば、むしろ労働効率が良いことになる。こんなことは新聞社の人や、テレビ局の人は日々の仕事で身に染みていることだ。よくも白々しい報道を繰り返しているものだと思う。正直に考えた方が良い。良い絵を描くために、残業は良くないなど言う人はいない。良い仕事をする環境を作ることが大事なのだ。良い自分の暮らしの環境を作るために精一杯働けばいい。企業がブラックなら白くなるよう戦えばいい。戦えないなら、止めればいい。新発想が要求される仕事こそ新しい発明を伴う、良い仕事である。良い仕事の方角は自分を、自分の暮らす地域を、自分の暮らしている国を幸せにするためのものであるかどうかだろう。ここに、残業禁止を持ち込むようでは日本が終わりである。

 

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正月料理、けんちん汁

2017-01-03 04:43:34 | 自給

正月というとけんちん汁を思い出す。おじいさんは建長寺で作られていた精進料理であり、本来捨てる野菜の皮などを使っていたと言っていた。特に正月だから豪華なおせち料理を食べるという事でもなかった。お餅をついて、雑煮がある。あとはけんちん汁ぐらいだった。それでも十分過ぎるほど満足だった。お餅をいれたけんちん汁が大御馳走だったのだ。暮れになると陽だまりでおばあさんとまだ中学生だった保子おばさんが野菜を切る。むしろの上に座り込んで、ひたすら2日間ぐらいは野菜を切るのだから、すごい量だ。それを寒風に三日ほど干しておく。夜は取り込んだのだろうか。あまり記憶にが定かではないが凍らせたのかもしれない。記憶にあるのは、大根、ゴボウ、ニンジン、サトイモ、白菜、長ネギ、すべてを細かく切る。お豆腐屋さんになった、後はこんにゃく、油げ、お豆腐。お寺で育ったおじさんが必ず持ってきてくれるのだ。正月誰も台所には立たず、料理をしないで済ますという事になっていた。

けんちん汁づくりはおばあさんの役割だった。まず干し野菜をいためていた。菜種油は絞った記憶があるから、その油だったかもしれない。醤油味である。段々に足しては、食べ続けた。どの野菜も家で作ったものだ。伊達巻とか、昆布巻きとかいうようなものを食べた記憶はない。黒豆はあった。年ごとに何かが加わるようになった。勤めに出たおじさん達がお土産を持って戻ってきてくれるからだ。送ってくれると言えば、必ず新巻き鮭があった。お弟子さんという北海道のお寺から毎年送られてくれた。その新巻きの頭で、三平汁のようなものを作る。これこそごちそうだった。私は両親と正月をしたことはなかった。両親は子供どころではないほど商売に追われていた。そのおかげで子供時代の大半を山梨の山奥で暮らすことができた。両親は、その貧しいおじいさんから、お金を借りなければならないほど、困窮していた。つらかったことだろう。子供を預け続けていたこともつらかったのかもしれない。

私は親から離れて辛いと思う事もなかったが、夜になって布団の中で泣いていたことは何度かある。朝起きればさっぱり忘れているのだが、なぜか夜泣いてしまう事があった。家に帰りたいと言ったことはない。帰れないという事が分かっていた。今思えば、親元を離れて山寺で自給自足で暮らせたことは、何と豊かなことであったか。鶏の世話と、風呂焚き、庭の草取りが分担だった。子供だから、すべて遊びのようなものだったが、草取りだけは辛かった思い出だ。お寺の周りをぐるりと草取りをするのだが、一まわり終わるともう、最初に取ったところは草が生えだしていた。そうするとおじいさんから、根から採らないからこういうことになると怒られる。そのうち除草剤というものが出来て、除草剤を蒔いた後、庭の鯉が全部浮いていたことがあった。強烈な毒性である。それでも草取りから解放された方を家族全員が喜んでいた。

けんちん汁は竈で炊いている。薪は暮れの内に十分に薪小屋に積み上げたから安心である。この薪割が、12月の最大の行事だ。一年分の燃料を積み上げる。2週間ぐらい、全力でやらなければ終わらない。この作業が楽しくて仕方がなかった。近場の山の年はまだいいのだが、離れた山から降ろさなければならない年は、運ぶ作業が危険なうえに手間取った。子供でもかなりの太さの切り株を担いで山を下った。そして薪割、栗虫。小学生ながら、一日中働いても何ともなかった。いまなら、児童労働で処罰されるのだろうか。中当たり前に子供は当てにされた労働力だった。それを悪いことだっとは思えない。むしろ私にはありがたいことだった。けんちん汁醤油の味付けだった。醤油も味噌も当たり前に自家製であった。プロパンが来て、薪割が無くなり。醤油も味噌も仕込まなくなった。豊かになり、いろいろのことを失った。今年はけんちん汁を正月には食べて見るとする。

 

 

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