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稲作の40%経費削減

2013-05-31 04:10:46 | 稲作
政府自民党の主張する稲作では、経費を40%削減することになっている。これはよほどのことである。電気作るのに、40%の経費の削減を要求することはしていない。何故、稲作だけここまで厳しい要求が起こるかである。農家は経営を合理化せず、適当にやっているに違いないという思い込みがある。農家も経営に必死である。農家の責任にすることはよしてほしい。ワタミの社長も自民党から立候補するらしいから、ワタミ農場で補助金抜きで40%の経費削減を実現してもらいたい。その形が実現できてから、主張するのでも遅くはない。電力の生産費を40%削減しようとしても、円安というようなことが起こり、むしろ電気は高くなる。農業では、規模拡大と、大型化が主張されている。雇用労働力で稲作もおこなわれるのだろう。問題は、規模拡大と、農地の集約化。これは何年も主張しながら、出来ないで来たことである。新しい要素を加えない限り先に進まないだろう。その新しい方法とは、耕作放棄地の強制的な借り上げのようだ。

政策として行われるのは、補助金を出して企業参入を推進するということになる。補助金が終わってもその企業は日本で農業を続けているだろうか。はるかに安く生産できる、海外に農場を移転して行かないだろうか。日本でのお米が利益が出ない場合、生産業の工場の海外移転と同じことが起こるだろう。シャープが新亀山工場を作ったとしても、採算が合わなければ工場を休止せざる得ないくなる。同じことが農業で起こる可能性は高い。どういう理由で、日本国内での生産を続けさせるのだろうか。税金の優遇とか、補助金とか、導入せざる得ないことになる。企業が日本の農地を管理してくれる仕組みを作るには、もう一工夫が必要になる。この場合、それをもらえない農家はさらに追い込まれるだろう。農産物は気候や自然条件で、どこでも同じ生産性で出来る訳ではない。まして、農地保全、自然環境の保全、こうした要素を無視した収奪的な農法と価格競争しなければならないとしたら、食糧の安全性ということも問題になる。アメリカでは遺伝子組み換えを行うだろう。自分が食べるためではないならば、安全の基準が整備されていない、安全基準ギリギリの方向に、生産経費の削減を広げてゆく。

もちろん、規模拡大も必要だし、大型機械の導入も必要である。日本にもそういう経営が可能な、地域は存在する。北海道のようなところ、大型化が可能な地域では進めたほうがいい。八郎潟の干拓地のような大型化可能な農地では、自由な稲作が許されないというのではだめだ。小田原の稲作は大型化は出来ない。たぶん日本中に広がる、中山間地の棚田のような、一枚が1000㎡以下の変形の田んぼをどうするかである。このまま競争原理の正義を持ち込めば、さらに耕作放棄が広がる。そういう本当のいいの放棄地は、企業は使わない。そして、集落が消滅して行く。限界集落対策も同時に考えなければならない。結果日本の地方の中山間地全体がどうなるかも見極めて置く必要がある。林業が放棄されて、水害や土砂災害が増えると同様なこと起きないか。瑞穂の国の稲作文化が消えてゆくということになる。これは日本人が日本人でなくなるということだ。安倍氏が本物の日本主義者なら、このことの意味はわかるはずだ。

新しい形の田んぼの維持法を考える必要がある。経営ではない稲作の実現である。学校田のようなものだ。日本人が日本人であることを、守るための田んぼである。大型化も出来ない。大型機械の導入も難しい。こうした中山間地や、住宅混在地域の水田地域の中で、自然環境の要因、住宅地域との位置関係、環境保全的意味合い、どうしても田んぼとして残した方がいいと考えられる水田を、地域を決める。ここで耕作放棄が起きた場合は、公的機関が借り上げる。そして、市民が耕作する。市民による耕作は農の会が行ってきたやり方も提案できる。自給のための水田である。経営とは別の目的での農地利用を国が認めることである。この地域での水路整備や、石垣の管理などには、公的な補助も行う。保全水田地域として認定した場所には、地主、行政、耕作者で管理組合を作る。この項はさらに細かく書きたい。

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6 コメント

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競争的農業と自給的農業 (やまかく)
2013-05-31 23:43:47
お上からはいつも「強い農業・競争に勝てる農業・攻めの農業」といったことが言われます。そのような農業を否定するつもりはありません。それが出来る人や企業は、大いにやれば良いし、そのための環境を公が整備することには賛成です。ただし、農業に限らずですが、全員が競争に勝てるわけではないこと、競争に勝てるのは飛び抜けた能力と運の持ち主だけであることに注意する必要があります。

農業の全てが資本主義的競争原理に従うことになれば、資本主義競争社会に適応した能力が非常に高い人か、資本力のある人しか、農業を営むことはできなくなってしまいます。平凡な一般人は、農業に携わることはできても、雇われで農作業に従事するしか道は無くなります。否、雇われで生き残ることすら難しいと思われます。ごく特殊な人にしか、自主・自立・自由の生を生きられないというのは、大きな問題だと思います。

また、資本主義的農業では、条件の悪い中山間地の農地は放棄されるでしょう。農業が担っている多面的機能、すなわち環境・景観・地域社会・地域伝統文化の保全なども、二の次となってゆくでしょう。

特別な能力や資本力が無くても、自主・自立自由の生を生きる術として、自給的農業をする余地を認めるべきではないでしょうか。自給的農家は、資本主義社会が拾いきれない、環境・景観・地域社会・地域伝統文化の保全、生活保障、新しい公共などの役割を担うものです。自給的農家は、アナキズム的なものではなく、むしろ、資本主義社会を補完するものだと思います。

得てして、資本主義的体制の側の立場からは自給的農家を敵視し、自給的農家の立場からは資本主義社会を敵視しているように見受けられますが、双方は敵対関係ではなく、共存・相互補完の関係にあると位置づけるのが妥当と考えますが、そのような考え方は出てこないものなのでしょうか。
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同感 (笹村 出)
2013-06-01 06:02:40
競争力のある農業を、やれる場所で、やれる人がやればいいと思います。

その結果、お米が余る問題です。
たぶん将来的には、水田用地は今の半分ぐらいでいいのだろうと思います。

そこで政府の本音は、競争力のある農地だけを
残し後は、止めてもらおうという方向なのでしょう。

しかし、その時に競争力はないが、残した方がいい、水田がある。
これは、地域の人、あるいは都会の人も、合意できる残すべき水田地域なのだと思います。
採算は合わないが、やってゆこうという田んぼ。
コウノトリ米、メダカ米、タゲリ米、トキ米
千枚田、遊水地の田んぼ。

美しい日本なのでしょう。
農業遺産というものがあるようです。
これをもう少し広く制定して行き、
農地は公的機関が借り上げ、
耕作は自給的市民を中心にゆだねる。
水路や、農道など、行政が整備をする。

この考え方を受け入れにくいのは、政府よりも、農協だと思います。
農協の対象農家は、競争力のないやめなければならない農家の位置づけになる。
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余ったお米の使い道 (やまかく)
2013-06-01 07:56:33
お米が余っても、使い道はあるはずです。

輸出(そもそも競争力がある農業をやるのなら、海外輸出は可能なはず)、海外人道援助、災害・凶作・国際情勢の急変・市場価格急変等に対応するための備蓄米、エネルギー国産化(それこそ、原発代替エネルギーの一つとして位置付けてはどうか)、などなど。

余った農産物を活用する方法、およびその対価をどうするのかを考えるのが、課題だと思っています。
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お米の使い道 (笹村 出)
2013-06-02 04:44:41
40%の経費削減では、輸出は出来ないでしょう。

国際備蓄米は、今後重要性が増す。
世界の食糧事情と、人口増加は、日本とは状況が逆。
それまで、田んぼを維持することが、実は重要である。
世界の100年の計であれば、田んぼを止めるなどあってはならない。
と私も思いますが。

このところを、農協がどう考え提案して行くのか。
TPP反対の内容という部分かと思います。
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Unknown (むらた)
2013-06-03 15:38:43
>農業の全てが資本主義的競争原理に従うことになれば、資本主義競争社会に適応した能力が非常に高い人か、資本力のある人しか、農業を営むことはできなくなってしまいます。

全くその通りだと思います。企業でも倒産や破産があるのと同じですね。

>平凡な一般人は、農業に携わることはできても、雇われで農作業に従事するしか道は無くなります。否、雇われで生き残ることすら難しいと思われます。

雇用賃金を賄えるほどの利潤を産み出す「農業」を考えれば、可能だと思います。これは、サラリーマンと同じだと思います。

>ごく特殊な人にしか、自主・自立・自由の生を生きられないというのは、大きな問題だと思います。

現在でも、これを実現している人は非常に稀でしょう。往復3時間を超える通勤者、単身赴任を強いられている家族...

「自主・自立・自由の生」というのは、青い鳥かも知れません
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青い鳥? (やまかく)
2013-06-03 22:21:26
ここは私のブログではありませんので、コメントについたコメントに対して応えることが適切なのか、判断に苦しむところですが、私(やまかく)が書いたことに関してコメントがついているようですので、一応お応えしておきます。

私としては、ほぼ全員がサラリーマンになり、ほぼ全員が競争するのが当然の前提となっていることに対して、疑問を呈しているわけです。サラリーマンや競争を否定しているのではありません。

また、「自主・自立・自由の生」が青い鳥だということについては、現状がそうだから今後も半永久的に青い鳥だとして、それを当たり前だと受け入れるのも一つの考えなのでしょう。ただ、それでは「現状自分が苦しいから、他の人も苦しむのが当然だ、自分ほどに苦しんでいない人が許せない、そして将来の世代も同じように苦しむのが当然だ」という考えにつながってしまうのではないでしょうか。現状を急には変えられないことは当然ですが、現状に対して疑問を持ち、より良い方向を考えることは、必要なことだと思います。
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