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横綱大鵬の死去

2013-01-22 04:08:18 | 身辺雑記
大鵬が死んでしまった。横綱というイメージは大鵬から作られたものではないだろうか。それくらい立派な姿だった。対戦相手が怪我をしないように、そーと倒して勝つあたりが、他の力士とはまるで違った。あまりに強くて、相撲人気は下火になってしまった。1960年入幕というから、まさにテレビ時代の力士である。テレビ中継には反対の親方も多く、相撲が無くなるとも言われる中、中継が始まり民放ですら相撲放送をするようになった。1940年、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、第二次世界大戦終戦の混乱期に五歳で北海道に引き揚げた。高校の定時制を一年で中退し、二所ノ関部屋に入門。五六年秋場所、本名納屋で初土俵を踏んだ。定時制に通いながら営林署で働く。この時営林署に勤めていた、母の叔父に当たる人が北海道勤務で上司に当たった。大鵬少年の入門にかかわったと聞いている。納屋少年が相撲取りになることに協力し、地元後援会のようなこともやったらしい。

それまでの栃錦、若乃花はラジオである。ラジオにしがみついて、写真のイメージを膨らませながら聞いていた。ラジオ中継でだいたいの取り口が分るようになった。聞き手の方も相撲言葉を熟知しなくてはならない。また表現が上手で、講談風のものだった。「上手投げ、上手投げ、」と叫ばれて、どちらが投げたのだか分からないで、固唾をのんで待っていると、「若乃花の勝ち、」と大音声を上げる。聞いてほっとしたり、しょげてしまったものだ。今の相撲のラジオ中継を聞いていると、全く分からない。名前と力士が合わないから、体型がイメージできない。「突っ張った、突っ張った」と言われても、あんこ形と、小兵力士では突っ張りの姿が違いすぎる。突っ張った後、そのまま付ききるのか、かわしてははたくのか、まわしを取りに行くのかが分からないと、ラジオではどうしようもない。テレビに慣れてしまい、受身で見ていることが良く分かる。名前を覚えられなくなってもいる。

大鵬の思い出を語るテレビ中継では、同時期横綱を張った北の富士さんが大鵬さんは若い頃、「一枚アバラだった」と話していた。雷電こそ一枚アバラの力士と言われていた。胸から胴にかけて、あたかも肋骨が1枚の板であるかのように、骨が太く間がないぐらいに厚みがある体形のことで、痩せ形ではあったが肩幅が極端に広かったそうだ。これはロシア人の父親を持つという事も原因していると思う。ハンマー投げの室伏選手の素晴らしい肉体も、日本人離れしている。最近の外国人力士の活躍は当然のことで、格闘技においては肉体の優劣が決定的である。大鵬は横綱になったのが21歳だった。横綱になった時が133キロで現代幕内で一番軽量の力士と一緒だそうだ。それが春馬富士である。それでも当時は大きい方だった。横綱になってどんどん大きく成って、153キロになった。大鵬は横綱になって、一度驕ってしまったそうだ。それを座禅修行して修正する。伊豆の方のお寺だったと記憶するが違うだろうか。

一つの時代が終わって行くことが分かる。大鵬のように樺太から命からがら、北海道に逃げ帰り、北海道各地を転々としながら苦労を重ねて育つ。こんな人生はもう想像もつかない時代だ。樺太から逃げなくてはならなかったのは、ソビエトの不可侵条約を破っての侵攻だ。最後の引き揚げ船で北海道に引き揚げる。船酔いで稚内で下船したために、幸運にも魚雷による沈没を免れたそうだ。相撲のけいこが苦しくなかったというのだから、すごいものである。大鵬の悠然たる態度から、天性で強かったと思われているが、ともかく稽古をした力士ということである。それが姿態度にに現われない所まで修業が進んでいたのだろう。当時は何となく、祖父がロシア人と言い伝えられていた。横綱がロシア人ではまずかったのだろう。しかし今では、日本人が横綱になれるだろうかという状態である。

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2 コメント

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Unknown (Take)
2013-01-22 08:48:53
1960年生まれで奥手(発達の遅い)の僕は、大鵬さんと長嶋さんはピークを過ぎてからと言う感じがします。
同時に夕餉の時の真空管ラジオからの音声のイメージが強いですね。
巨人・大鵬・卵焼き・・・は子どもが好きだったのではなく、それしか情報がなかった時代です。知っている中で一番強くあこがれたものの代名詞でしょう。
昨日何かのTV番組で今の子ども(小学生)の好きな食べ物ベスト10をクイズにしていましたが、すし・お刺身・ステーキ・カレー・オムライス・ピザ・・・と、僕らの子どもの頃のそれとはまったく違っていましたが、やはり情報が過多になり、それに伴い食べるものも変わったな(贅沢になったな)と言う感が拭えません。

小錦関、曙関、武蔵丸関が台頭した時、部屋の親方はその強力な体格で『プッシュプッシュ』と指導し当たり負けしない体格の力士が必然上位に挙がってくるようになってきました。相撲が少し変わった感があります。

スポーツも文化、時代とともに変化し、変化ができなければ消えゆく運命なのかもしれません。
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雷電か双葉山 (笹村 出)
2013-01-23 04:55:19
春馬富士が最軽量でも横綱という所が、
相撲の面白さ。
大鵬はすべての点で当然強いという印象がありました。
勝てる可能性があったのは、柏戸だけ。
勝負の前に勝っていたような所がありました。
とこかく、精神が安定していました。

我が家の真空管ラジオは、いざとなるとガーガ―音が割れて、
星とり表を付けるのに苦労しました。
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