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参加自由の農の会のお茶摘み

2021-05-03 04:18:01 | あしがら農の会


 ことしはお茶摘みに出ることができた。お茶摘みは想像以上に楽しかった。一年ぶりに会う事の出来た人が沢山いた。お茶の会は原発事故で一度停止した。そして、10年経って復活していた。これお茶の会を支えた人たちをこころから尊敬する。

 あしがら農の会の活動は誰にも責任はない。辞めるのも誰にも話さず来なくなれば、それまでのことだ。原発の時には止めろという声も聞こえてきた。どこまでも緩やかに集まりのなかで、やりたい人がいて活動が始まる。この活動を支えているのは思いだけなのだ。その思いは誰から言われたものでもなく、その人自身が考えた思いである。

 お茶摘みが出来ていることはある意味奇跡の様な、この経済主義の世界ではありえない様に、尊いことだと思う。何でもお金だけで計算するような世界の中で、お茶摘みがこうして実現していることの大切さを深く思わざる得ない。

 お茶摘みには延べ100人ほどが参加しているそうだ。農の会の活動の中でお茶摘みだけに参加している人も多い。様々な形でお茶摘みに参加してもらえることは農の会の良さなのだと思う。農の会にかすめるように参加できるという事も農の会らしくていい。

 推測では農の会の活動は200人ぐらいの範囲なのだと思う。面積的に言えば、10ヘクタールぐらいかと思う。農業専業的な人が10人ほどいる。通信が毎年発行され、ホームページとフェースブックがある。周囲に顧問のような人が4名。原発以前に現在、規模的には戻ったのではないだろうか。

 今では私は参加させてもらうだけの立場である。私が離れてから、とても良くなっていると思う。今は私は農の会の成り行きを眺めさせてもらっている。そして都合よく小田原に来た時にだけ参加させてもらっている。自分がどうこうしようなど考えたところで仕方がない。ただ農の会が継続されるとすれば、人間も見捨てたものではないという事だ。



 私の予想では全国にこうした市民自給の農業活動が自然発生的に広がるのだと考えていた。ところがこういう活動は意外に広がらない。農の会は、政治哲学が共通する仲間ではない。もちろん宗教活動ではない。中心になる人物がいるわけでもない。代表は初めから2年交代である。

 名簿は作らない。会費はない。どこまで緩やかなものとして維持できるかが試されてきた。例えば、山北田んぼグループでは初めから中心になっていた山下さんが種子島に越した。それでも今年も新しいグループで継続しているのだそうだ。もちろん私がいなくなっても、欠ノ上田んぼは続いている。

 やりたい人がいる限り続くという事である。それだけ農業に対する希望者がいるという事だろう。希望者はもちろん小田原だけにいるわけではない。全国で農業者希望は増加していると言われている。何故小田原を中心にこうした活動が広がったかである。

 その一番の要因は地の利である。東京へ通勤できる距離にあるという事だ。小田原周辺には普通に東京や横浜に通勤している人がいる。そして、あえて小田原に住もうという人はどちらかといえば田園志向なのだ。農業に関心のある人が多いい地域かもしれない。

 2番目が遊休農地が多い場所である。小田原周辺は仕事が沢山ある地域である。農家の息子や娘さんが農業以外の職につこうと思えば、多様な就職先がある。それで農地が空いてきている。特に専業農家が出来ないような条件不利農地から耕作放棄されている。

 3番目がある意味農業で生計を立てることは可能な地域でもあるので、立派な農家も多い。そしてその大きな農家の方の中に農の会の活動に理解を持ってくれて、農の会の顧問になってくれた人がいたことである。そうした後ろ盾がなければ、25年前には難しいことだったと思う。

 小田原の条件に近い場所はいくらでもあるだろう。ところが以外にこうした活動は始まらない訳だ。その原因は農業の好きな人の多くが、孤立思考だからではないかと思っている。社会の諸々に嫌気がさすところが田園志向の始まりである。

 一人でやりたいという人は一人で始めてしまい、農の会の様なみんなの農業は気持ちが悪いなど感じてしまう。組織で苦労している気晴らしなのに、まさか組織を作ろうとは思えない。一人で初めて一人で頑張り、農業が実現すればそれで充足できてしまう。

 だから、農の会の中でも常に孤立を求める方角がある。新しい人を拒む人は登場する。自分の自給が大事なのに、なんで面倒くさい新しい人を受け入れなければならないのかという事になる。ある意味今の世の中の余波のようなものである。

 だから、こうした農業組織の類は、企業主催のもの。宗教的傾向のもの。カリスマ農業者を取り巻くもの。あるいは特殊な農法を信奉するもの。そうしたちょっと近づきたくないものが多いのだ。ごく当たり前の、自由主義の組織が良い。

 特に始めた私は民主主義が好きなのだ。そこで、注意深くそういう個人の自由を奪う物が入り込むことを避けた。だから、農の会ではそれぞれが好きな農法で農業をしている。有機農業を逸脱しないものであれば、これが良いという決まりはない。農薬や化学肥料を使う事だけは、他の人に迷惑になるので禁止されている。

 お茶畑の管理はお茶摘み参加者に年2回の管理作業の参加が要望されている。面積は1反5畝ぐらいあるのだろうか。管理日が年5回あり、そのうちどれかを選んで参加する。参加者は適度に散らばっていて、草取りや刈込をしている。昨年から台刈込みをしている。老齢の木なので、これが復活するのは少し大変なようだ。

 いつも10人以上が参加している。この作業もとても楽しい。この日に合わせて小田原に行くようにしているのだが、残念ながら昨年はコロナでままならなかった。今年は何としても作業に参加させてもらおうと考えている。

 小田原を離れてますます、農の会の活動の重要さを感じている。コロナで孤独が求められている。然し野外活動であれば、密は避けられる。むしろ精神衛生的にも、こうした活動は行うべきだと思う。お茶の会の皆さんよろしくお願いします。

 
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