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最小限の家・畑の開墾

2006-12-07 06:44:15 | 自給
いよいよ最小限の家の地縄張りを行った。この場所に建てるのだな、とちょっと緊張した。一通り綱を張って、それだけで充分満足した。3、2メートルの正方形これだってけっこう難しい。穂田さんに見てもらったら、これじゃダメだと言う事で、やり直しになった。水準器で、水平を出さなければいけないと言う事だ。言われてみれば当然な事で、今日のところは、止めにした。
竹薮の片づけをやることにした。

新しい田んぼのハザ掛けの竹が無いので、竹を切らなくてはならない。竹薮が荒れていて、竹の整理は懸案だった。今竹を切るにはいい時期だ。でも、水土社の岩越さんなら、新月に切らなければだめだ、と言うだろう。今は満月だ。新月には時間が無いかもしれない。この際重い腰を上げて切る事にした。現在竹薮の広さは、100坪ぐらい残っている。昨日はそれでも、30本程切ったが何の変化も無い。一坪に10本とすると、1000本は生えているのだろう。大変な事だ。近い内に竹薮の上部に生えている榎の巨木を、大山さんに切ってもらう。そうすれば、大分スッキリするだろう。

すごいアイデア住居がある。生きた竹を組み合わせた小屋、というのも作ろうと思っている。竹薮の中に5メートルほどの丸い空間を切り開く。この周辺の竹をしなわせて、くくりあうのだ。周辺の竹を引っ張っては、どんどん結わえて、生きた竹の屋根にする。来年は、生えてくる竹の子は上手く誘導して、壁を作る。これは地震に最も強い家だ。果たして、雨が防げるほど茂るだろうか。これは課題だ。割った竹を横に縫うように差し込んで、やれば、壁は結構いい雰囲気が出るはずだ。こんな事を考えて居る時が一番楽しい。

平行して畑の開墾も行っている。一年前切った、竹が積み上げてあった。これが枯れて、弱ってきているので順次燃やしてきた。一年がかりで燃やしきった。もうパンパンはじける音もしなくなっている。確かに燃やすのは、後ろめたい。そこに生えていたものを、そこで燃やすのは、許されるのでないかと思う。積んで置いて腐るに任せるのがいいのだろうが、その場所を来春は畑にしたいので、待っているわけにも行かなかった。竹の根はホダさんにユンボで抜いてもらった。1年経った竹の根は大分弱くなって、簡単に抜く事ができた。

畑は、100坪ほどは出来る予定だ。ここに自給自足のモデル農園を作る。100坪在れば、1家族の野菜類は生産できる。お米は、田んぼで共同で作る。そして、最小限の家に暮す。60までにそこまで進めれば、いいだろう。今暮している家はどうなるのだ。穂田さんに、世間に笑われると言われた。笑われるのは一向構わないが、無駄にしようと言うつもりも無い。出来れば今の家を水彩画の展示館にしたいと思っている。

竹薮跡の土は単なる赤土なので、全く肥料分が無い。どうも上部の黒土を掘って売ってしまったらしい。そうやって畑を切り崩して、山崩れを起こしたようなところが、この辺りには結構ある。その後に竹が生えてきて、竹薮になったようだ。だから、ミカンの切り株がなかったのだ。赤土を冬の間に、充分いい土に育て、春に備えたい。養鶏場の床を出来る限り運ぼうと思う。冬の間に堆肥をたっぷり入れて、何度か耕してやろう。ここは人力だけでやるのだから、手作業になるが、今のうちに土を育ててしまえば、後が楽になるだろう。
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