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石垣島の文化の魅力は受け入れることにある。

2020-01-02 04:05:11 | 石垣島
 この白い雲の中に西表島がある。写真を撮ったそのときには時間雨量120ミリの雨が降っていた。被害は無かったと言うことだ。すぐそこに見えている島なのに、石垣島では雨も降っていなかった。島のお天気は気まぐれである。

  元旦は若水を汲みに、於茂登神社まで出かけた。ここには小さな瀧があり、気が満ちている。水を信仰する気持ちになる。水彩画を描くものとして、若水だけは気持ちを込めて汲むことにしている。

 石垣島に来て良かったことは島の人が素晴らしい点である。ほどよく接してくれる点である。親切すぎないし、つっけんどうでもない。ごく普通に接してくれる。その普通の後ろにとてもよく考えた配慮があるようなのだ。見えないおもてなし文化と言っていいのだろう。

 島のあちこちで絵を描いている。道の端に車を止めて絵を描いている。畑の脇で長時間止めている。不審者に見ようと思えば見える。イヤな思いをしたことは一度もない。気持ちよく接してくれて申し訳ないくらいだ。

 わざわざ車を止めて見に来てくれて、何かあったとのと言われた事はある。何しているのでは無い。車の故障と思ったよ。と言う具合である。それで絵を描いているというと、決していい趣味だねとは言わない。よそでは普通そう言われる。もし専門家だったら失礼になると言うことへの配慮まであるのだ。

 描かせていただいたお礼に、絵はがきセットを渡すことにしている。絵はがきを微妙な形で受け取ってくれる。断られたことはまだない。地域によっては受け取ってくれないところもある。ものを貰うと言うことを重く考えすぎる地域だ。

 石垣島の受け入れる文化がよく分かるのが、お墓の姿だ。石垣島では街の至る所にお墓がある。住宅とお墓が入り交じってある。正確なことは分からないが、住宅地面積と墓地面積を計算すれば、墓地面積は全国でも上位にあるのでは無かろう。そんなデーターは探しても分からなかったが、多分歩いている感じでは宅地の3%ぐらいがお墓、そうだと思う。

 そのお墓の形が多様な点も実に面白い。中国式や、キリスト教式は当然であるが、沖縄の伝統的なお墓でも、多様な変化がある。これは本島と比べても変化が大きいと言うことらしい。屋根が亀の甲羅型の風呂屋の玄関のような形のものが「亀甲墓(かめこうばか)」。次に多い形が「破風墓(はふばか)」。日本家屋に見られる三角屋根を模した形をしている。そしていずれにも広い前庭がある。

 石垣島で良く見かけるお墓は、伝統的なお墓の形の屋根の上に、本土にあるような普通の長方形のお墓が乗せられている形だ。最初はこの不思議な形には驚かされた。お墓の上にお墓があるのだから、まさに屋上屋と言うことになる。このお墓の形にまさに、石垣の人の感覚がよく現われていると思う。

 正確に言えば、屋根の前に張り出してある部分を台座のようにして、3段重ねにする。お墓がお墓の土台になっている。昔からのお墓の石塔がお墓の屋根の上に立つ。墓石の下が空洞という所に怪しさがない。

 お墓に伴うお寺があるわけでは無い。臨済宗の桃林寺が一番古いお寺なのだが、お墓は無い。檀家制度というものが無かったので当然だろう。檀家制度は江戸幕府が支配のために作った制度である。そういう意味で、石垣島はお墓を持たない臨済宗の寺だったのかもしれない。

 お寺とは関係なく墓地がある。もちろん墓地と御嶽とも、関係が無い。だから、お墓は宗教的に弔うと言うより、一族で収めると言うことになる。もちろん、司やお坊さんが関わるところはあったと思われるが。ご先祖様と家族とのつながりは、宗教とは別物である。このあたりは沖縄を考える上では、大きな要素になる。

 一般にお墓というものはなかなか伝統的な様式から外れにくいものでは無かろうか。肉親など誰かが亡くなり、3回忌も済んだ頃お墓が無かった家で、余裕があれば墓石を作ることになる。大体はお寺さんに出入りの墓石屋さんがあって、そこに頼むのが普通であろう。大抵はその墓石屋さんで他と似たようなものの中から、選んで決める。

 もちろん、お寺関係では無い墓石屋さんに頼んでもかまわないだろうし、どんな特殊なものを作ろうともかまわない。自分で設計する人も結構居る。春日部洋さんのお墓は設計士の息子さんが設計された実に美しいものであった。パレットになっているお墓である。へこみがあり、そこに水が溜まるようになっている。それが油壺のようで雰囲気がある。

 石垣でも自由に設計しているのだろうが、石垣特有の条件がある。お墓の前には16日祭の日には一族で集まる。そのスペースが必要である。できればそこに屋根が欲しい。そこで亀甲墓の屋根前の軒を長くせり出して、その下に集まれるようにしているお墓が多いのだろう。

 こうなるとお墓と言うより、集会施設的な要素が強まる。そこで張り出し屋根の上に、普通の石碑型の本土的なお墓を乗せたくなったのでは無いだろうか。ある意味お墓ではあるが、ユーモラスな感じが演出されて、おどろおどろしい感じはまるで無くなる。
 
 さらに驚くべきはまるで一般住宅のような形のものもある。この場合、宅地法上どうなるのだろう。建設許可は必要なのだろうか。暮らそうと思えば住めないことは無い。違法建築と言うことにならないか。と心配なほど普通の家なのだ。中国式の派手なお寺のようなものもある。ピラミッド型は多分有名なのだろう。

 石垣のお墓は自分が良いというものを自由に作っている。自由闊達なものである。お墓ではあるが、過去に縛られない感じがある。しかも、どこかしらユーモラスな印象がある。こんなご先祖との関わりかたならば、何も墓じまいなどと言わないでもいいかと思ってしまう。

 お寺の土地で無いとすると、墓じまいしてあるいはどこかに統合して、広いお墓の土地を住宅として販売できるのだろうか。そもそも、お墓の土地は個人所有なのだろうか。お寺さんの土地で無いとすると、どういう形で墓地が許可されているのだろうか。自分の土地だからと言って、家の庭にお墓を作ることは出来ない。

 私のような二人だけの家族であれば、死ぬことで終わりである。お墓などいらない。しかし、家に死んだ人をいつまでも置いておくわけにも行かない。畑に埋まって、肥料になるというのもいいが、それは違法だろう。そもそも土葬が違法となっている。火葬は温暖化では良いことでは無い。

 渡部さんの話ではアメリカでは堆肥になるという選択肢があるらしい。これならいい。以前ハザカプラントでは、一週間で豚の頭も土になると豪語していたが、人間も同じであろう。上手く堆肥化すれば、人間など豚より早く消えてしまうにちがいない。しかし、肥料となって役に立つというより、人間の場合悪い物質が出てくる可能性もある。それでも燃やすよりはましだろう。私は薬は使わないのでそれが一番いいが。日本にそういう施設ができるまで、死ねないか。

 話がおかしくなってきたが、石垣島の文化の優れた特殊性のことだ。死んだ私をどこかに埋めて貰っても受け入れてもらえそうだ。何でも受け入れながら、自分たちの形にすることができる。サザエさんやケンシロウの壁の家に住んで、お墓はピラミッドである。この自由闊達さは世界でも珍しいことではないだろうか。

 ここにアジアの交流拠点の基本となる資質がある。それは石垣の考古学の中にもあるらしい。石垣には土器時代の後の時代に、無土器時代が来る。これは考古学の常識を揺るがしている。一見。文化が後退しているかに見える。

 ところがどうもそうではないらしい。土器を知っていながら、使わない暮らしを選択していたらしいのだ。こういう人たちは他にはないらしい。そういう考え方をする人は面白いでは無いか。土器よりも便利な調理法を考えてその方が良かったのではなかろうか。

 芭蕉の葉っぱで食べ物を包んで、たき火の中に入れて土をかけてしまう。あるいは、焼いた石を食べ物の中に入れる。土器は無くとも木の器があったのだろう。土器を必要としなければ土器を捨ててしまう文化。固執しない柔軟である。

 柔軟でいられるという背景には自分というものの確立があるからだ。その自分を押しつけるのではなく、まず相手を理解した上での自分なのだ。相手を理解していなければ、自分の立ち位置を示すことはできないと言うことなのだろう。

 石垣の飲み会ではまず演説である。演説してはぐるぐる飲み回す。演説の気の利き方が、酒の肴である。笑わしながら、演説を聞かせる。自分がない人には出来ない話術である。引っ込み思案等言ってられない。宴会でなくても集会では必ず演説回しである。

 いろいろの場面で演説を繰り返す。じつに素晴らしいと思う。でも、私は演説は避ける方だし、そういう場も端で眺めさせて貰うだけなのだが。そういえば、話は違うが、正月のお屠蘇も玉那覇酒造の泡盛だけだった。そろそろ最初の甕が空くな。



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