地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

最小限の家

2007-06-20 07:33:41 | 最小限の家
ついに、建築確認を申請した。6月18日だった。5月始めに、申請内容を整理し、担当のSさんのところに伺った。しかし、まだ不充分のところがあり、もう一度整理修正してくることになった。慣れないことと言う事もあるが、意味のわからない数字とか、倉庫業を営まない倉庫。とか独特の記載様式がある。Sさんは行政マンらしく、かたくなな所はあるが、親切な人ではある。丁寧な人である。しかし、その能力のない私に、説明しなければならないというのは、辛いバカバカしいものがあるだろう。何度か切れていた。何故、私がこんなことで、怒られなければならないのか分からないが、起こりたくなる気持ちは、よく分かった。バカバカしいのだ。何とか建築可能にしてあげようとしているのに、何故その趣旨を理解し、いうとおりにしないのだ。

11回目で申請に到ったことになる。この間空いたのが、田植え。田植えの事で頭が一杯だったので、この申請は気に成っていたが、手がつけられなかった。結局慣れない事で、理解できていない事を、やってしまうには、助走が長くかかる。どの書類も3部いるという。こんなことはすぐやれるはずだが、結構気が重く、渋っていた。そんなこんなで、修正して出せばいいことに1ヶ月かかった。いつも小屋を作る準備のため、積み上げてある、材料の木材の山が、なんとも恨めしそうに見ていた。木の色もすっかりねずみ色になった。これが時間が経過して、良くなっている面と、保存が悪くて問題化している点とがあるようで、木の方が何とかしてくれと悲鳴を上げていた。まだ紆余曲折はあるだろうが、遠からず着工になるようだ。

一番の問題は、ここで養鶏業をやることにある。初めて市役所に言ったのは、「養鶏場をやりたいのですが。」と言う事だ。「養鶏場をビニールハウスで行う事は出来ません。」と言う驚くべき見解から始まったのだ。あれこれたらい回しにされて、Sさんのところに流れ着いたのだが、Sさんも養鶏場というものに触れないで、進めようとしている。養鶏場をやる為に小屋を建てるのは、現実だ。にもかかわらず、現在の書類上は、あくまで、倉庫業を営まない倉庫、だ。私としてはこれをおかしいと感じている。ところが、養鶏作業小屋というと、建てることはできないと言う。それならそれで申請するから、建てられない理由を明確にして、拒否してくれ。これが私の方針だった。ここで手間取った。Sさんが言うには、「行政が養鶏業をここで営む事を、承認したと言う事にしようとしているなら、とんでもないことだ。」このように言われる。

確かにそうなのだろう。養鶏場はトリインフルエンザで嫌われものだ。行政としては、どんな形であれ、かかわりたくないのだろう。しかし、鶏を飼う事が、こうして、暗に排除されてゆく事は、危険だと思う。実際養鶏場をやるには、地域の暮らしから、一定の距離を持ってやるのだろう。それが、情けないが今の現実だ。養鶏が無理としても、ここで最小限の暮らしの畑を体験してもらう事はできる。むしろ主旨はそこにある。自宅のほうも、そうした開放した場に徐々に変えてゆくつもりだ。最小限の家は、それでも、倉庫業を営まない倉庫として、建てられることになりそうだ。養鶏をやれないでも、ここの農地に作業小屋が必要なことは確かだ。作業小屋を建てて、ここで遠くの海を眺めながら、お茶を飲める日が来ることを、待っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田園居住

2007-06-16 06:34:44 | 最小限の家
田園居住は言われだして、もう20年以上が経つが成果が出ていない。良さそうに思われるが、何故実際に動き出さないのか。その辺を考えて見たい。小田原市もいよいよこのことで調査を始めるようだ。市街地調整区域に農地を所有する者に、アンケートを行っている。近所の方で息子さんの家を作るのに、大変苦労されて、結局は作れなかった方がいる。その方の家は、たぶん350年はその場所に暮らしてきた方だ。長く勤めをされてきたが、現在退職されてお茶などの農業をされている。勤めはされていたが、お茶の栽培では県下では著名な方だ。大変立派な農家作りの家に住まわれている。ところがこの家に息子さん家族と同居は難しい。それは全てが、ふすまや障子で仕切られただけの家で、今の時代2世代が暮らすのは難しいと言う事だ。無理に一緒に暮して、出て行ってしまった家も少ないくない。

そこで、家の脇に農地があるので、そこに息子さんの家を建てるべく、申請した。ところが、これが以外にも不許可になった。良く農家の利権として、子供が農地に家を建てることが出来る。と言う事が言われる。二男住宅とか言われるが、実体さえ伴えば、三女であろうと、当然可能だ。ところが実はそう簡単ではない。様々な用件がある。実態と言う事が重視される。農業への影響と言う事もある。この場合、市街化区域にも土地を持っていると言う事が、問題に成った。それは良いにしても、では市街化調整区域の人口の減少は、農業の担い手の減少は、どのように保全するのだろう。息子さんに手伝ってもらいながら、農業を頑張ってゆく。近くに住むほうが良いに決まっている。

農地を住宅地化するために、田園居住制度を利用しようと言うのが、一般に行政が志向する所だ。これでは問題を悪化するだけだ。その為に、実態この制度が進まないのだ。今の小田原の状況で言えば、荻窪の丘陵地帯が、この対象と見られている。海を臨む極めて景観の良い地域だ。この丘陵が以前より宅地開発の希望が出ている。このすばらしい景観の丘の農地を、住宅地化するためだけに、この制度を利用してはならないと言う事だ。先ず、大きな方向付けをする条例の制定が必要だ。志摩市は行っている。地域ごとに明確な小田原の方向を定める事だ。宅地化すれば、利益が出る。こうした農地を財産として考えると、地域は方向なく荒れてしまう。こうしたすばらしい地域を小田原共有の財産と考え。方向を決めたうえで、取り組むべきだろう。

私の暮す久野にもそうした候補地があり、先行投資で農地が買われている。これでは健全な農業は育つわけがない。先ず、市街化調整区域の農地は今後とも農地として保全してゆくことが大前提だろう。その上で、農地の中に、その農地を保全してゆく為の人が住む住宅を配置して行く方法、を考えるべきだろう。都会生活者のための住宅を開発すると言う発想では、良い地域の形成は出来ない。この地域を活性化する人が、、この地域を支えてゆく人が、この地域に暮す為の住宅を作る。あくまで地域を良くするために田園居住を考える。この基本的な発想を大切にしなければならない。そのための歯止めが必要だ。
1、地域設定が住民・行政合意で作られる。2、居住者は農業者であるか、それに順ずる職種であること。3、土地は条件付の賃貸にする。地権者が売買を望む場合は、公社が買い取り、運営を行う。現在は、今思いついたことを書いただけだが、よく検討して、市に対し意見書を出したいと考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建築許可申請

2007-04-10 05:18:39 | 最小限の家
最小限の家の建築確認申請を行っている。ともかく合法的に進めようという訳で、だいぶ手間取っている。申請の建前は、養鶏作業小屋と言う事である。「農家が農業の為に使う小屋は、市街化調整区域であっても、許可される場合もある。」これが、行政の考えだそうだ。実は、昨日9回目役所に行った。1回目は、建築指導課というところに行った。ここで、事の進め方のあらましを教えてもらった。どうも最小限の家という、形ではダメだと言う事がわかった。名前が良くない。養鶏のための小屋はどうかと言うと、これもダメだ、と言う。おかしな事だと思って再度聞いて見ると。何でもダメだと言う事にしているようなので、さらに根拠が法のどこにあるか聞いた。そして、2回目書類を整え事前審査書というのを出した。もし、だめだといった事に根拠が、なければ訴訟しても覆すと強く言うと。あっさり、いとも簡単に、意見を変えて、養鶏なら大丈夫だと意見を変えて。隣の開発審査課に行けと、回された。

ここで3回目は、又、事前審査というのをやれと言う。しかし、隣の指導課に事前審査の書類を出しているから、それでやってくれと言うと、それなら良しとなる。どうも10㎡以下は、開発審査課の対象外と言う事だそうだ。それで、又、指導課に行く。この辺であっちだこっちだで。その日は終わり。4回目。もう一度指導課に行き、隣の審査課では、対象外だから、と言うが一緒に来て、相談してくれと頼む。それで、やっと開発審査課にも改めて、事前相談書類を出す事で、了解。回せば済むのに。事前相談の書類に、農家証明の農業委員の選挙人名簿記載証明がないという事で、再度呼び出され、その事情を又説明して、5回目。6回目は、事前相談後、なしのつぶてなので、どうなったか催促に行く。もう少しかかるが、つまり見に行く時間がないのでのびている。もう3週間も経ったがどうなっているのだと、怒る。早速やると言う事になる。それで、承認されたと言う電話で、指導課に行けとなる。

7回目はもう顔見知りの指導課に行くと、審査課で承認されていないとなる。冗談じゃない。それで一緒に行ってくれると。4月で人が移動。前の人は居なくなる。新しい人が初めからやり直すと言う。驚きと怒り。前の人をここに呼んで来い。となって。呼んで来ると「承認した。」と成る。その書類が居るのだ。しかし、10㎡以下だから書類は要らない。押し問答。そんな事はこっちは関係がない。2時間も揉めた。結局もう一度改めて、事前相談を審査課に出す事になって8回目。その結果。電話で、今度は正式に大丈夫になったからと、3日後に電話がある。そして、昨日が9回目。建設指導課に行く。配置図。と設計図を持って行く。これでは、ダメ。設計事務所に頼んでくれないかと再度言われる。「農家が農作業小屋を作るのに、設計事務所に頼めとは何事か。」自分でどうしてもやると言うと、又書類をくれて、このとおり書いて欲しい。みかん小屋の申請があるから、と参考に見せてくれる。

後何回かかるやら。もう4ヶ月が経った。これでは、自分では出来ないに等しい。この間隣の家で、農作業小屋を建てた。届出など全くしない。舟原には何十と言う、違法の建物がある。しかし、今建てているから、と言っても見に来る事もない。見に来れば厄介な事になるのが、解っているからだ。にもかかわらず、合法的に建てようとすれば、農家の能力では出来ないレベルの事になる。これでは、暗に違法で建てなさいよ。と役所が言っているようなものだ。怖い事だ。
以上が現在進行形の役所仕事だ。私が手間がかかるのは仕方がないにしても、税金で働いている、役人がこれほど無駄に時間を費やしていいものだろうか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最小限の家、始まる。

2006-11-23 06:57:39 | 最小限の家
11月11日最小限の家の5回目の集まりがあった。一棟目を建てる現場の下見をした。傾斜地なので、土台の作り方の検討が先ず行われた。13名が集まり、今回はかなり実際的な検討を行った。製材業をされる大山さんが参加されたので、かなり具体的な方向が見えてきた。

今回立てる小屋は、久野の笹村自宅の裏山になる。真竹の竹林だったところだ。いまだ、真竹の根が当たり一面にあって、油断すればすぐ竹林に戻るだろう。南傾斜地で、500坪ほどの場所だ。地目は山林。全体としては、最小限の家に始まり、自給自足のモデル園にしてゆこうと考えている。最小限の暮らしが体験できる場にして行きたいと考えている。

この竹林は10年前までは、畑だった。それが放棄されて、あっという間に竹林が広がった。ミカンがあったのだと思うのだが、その痕跡は無い。畑を取り囲む檜が植えられていた。これは割合大きな木で、長径で40センチぐらいはあった。竹林を切り開く時この檜も切り倒した。長さを2間ほどにして、積み上げてあった。半年以上経ったので、大分乾いてきていた。しかし、本当に乾かすには、更に製材して、2ヶ月ほど積み上げて乾かす必要があるそうだ。

写真は製材後、乾燥の為に積み上げた木だ。4センチの厚さに全部を引いてもらった。予定ではこの木で、小屋を立てる予定だったので、そうお願いしたかったのだが、大山さんによると、そんなには材が取れないという。そんな事はないとは思ったのだが、専門家の言を尊重し、全てを4センチに引いてもらった。その方が作業が簡単と言う事もある。作業時間で、製材価格は決まるそうなので、4センチ板は、軒下の部分が広がれば、いくらでも必要な物なので、今回は全部板でいい。

2ヶ月乾燥させたら、再度乾燥曲がりを引き直す必要があるそうだ。その上で、板に溝を入れるかどうか。この辺はどの程度価格がかかるかが、見えてきて決めようと考えている。丸太のままでは乾かないから、相当曲がるといわれていたが、私はそんな事は無いと思っている。このままでも、使えるぐらいの曲がりで収まるような気がしている。

柱材を早急に手配しなくてはならない。柱は間伐材で、調達する予定だが、山北の森林組合に、間伐材の払い下げの申請書類は2度出したのだが、森林組合の方からは、一向に返事が無い。どういう訳かはわからないが、話が見えないので、今度は直接、お願いに行きたい。もしダメと言う事なら、周辺の山で間伐させてもらうと言う事も考えられる。

もう一つは土台工事だ。これも徐々に進めなければならない。こちらは穂田さんが石垣の崩れを治しに来てくれるので、そのときに、再度相談してからはじめようと思っている。床下を、収納庫にしたいので、それなりの構造にしないといけない。電柱のような、高い土台の足が立つ事になるので、どんな構造がいいのか、慎重に決めたい。いずれにしてもシンプルで、誰にでも出来るものがいい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最小限の家作り いよいよ実施計画

2006-10-12 06:30:29 | 最小限の家
最小限の家作りはこの冬の農閑期に、一棟めを建設する。場所は小田原市久野舟原。笹村の自宅に隣接する。元、竹林だった場所だ。4月に竹林を切り始め、5月に片づけをした。その後も、草刈を何度も繰り返し、今は、竹の根っこの残る傾斜地となっている。中段の西端、見晴らしの利く場所を、予定している。

11月11日16時から、18時笹村自宅で「最小限の家・プチカフェ」を予定している。誰でも参加できるので、申し込んでください。現場を見ながら、皆さんの意見を伺う、集まりだ。プチカフェとして行うのは、この最小限の家が、この地域の平和な暮らしの原点になってもらいたいからだ。お茶でも飲みながら、ゆっくり出来たらナー。そんな場所になることを願っての事だ。

この後、大きな木で残っている物を、2本切る予定だ。これは専門家に頼まなければならない。その後どのように整地するか。現状では必要最小限の作業にしておいて、来春、竹の根の掘り起こしをしたいと考えている。切って一年、出てくる竹の子をとことん掘っていると、竹の根っ子はだいぶ弱くなるという。弱くなってから掘るなら、作業が楽だと言う。2本の木は、整備が進んでから切りたくても、困難になるので、思い切って切ることにきめた。

切り倒して、積み上げてある檜は、だいぶ乾いてきているので、いい時期を見計らって、製材してもらう予定だ。多分、製材するとそりが来ると思うので、予定としては、製材即、建築に入るのがいいと考えている。それは板倉作りで作る場合、落とし込む溝巾との適合余裕に、限界があると考えている。そらない前に落とし込んでしまい。溝の中で暴れながら、治まればいいかと考えている。

建物の設計も最終段階に入る。誰でも作れる簡単な構造。必要の美。倉庫小屋の機能性。湿度、通風、日照、作業性、安全性。小さいながらも知恵は十二分に加えた物にしたい。「地場・旬・自給」の考え方を表現している建物になる。この建物を見れば、農の会とはこうした方向を目指しているのかと、納得できるような建物にする。

この1棟めの建設には、2つの今後につながる具体的な目的がある。行政の了解を得ること、これには、まず実態を存在させる事が、重要だと考えている。その上で、これを了解させてゆく。届出など要るのかどうか、慎重に、確実に、書類を残しながら、行政に対応させたい。

もう一つは労力の助け合いのシステム作りだ。結いのような、相互扶助の仕組みを作りたい。忙しい中で、協力し合うわけだから、気持ちよく協力し合える仕組みでなければならない。農の会では様々助け合う形で、活動が行われている。この仕組みは、できる物が行うという、極めて奉仕的な形態だ。このことが会の気持ちの良い、空気を作り出している。

あえて、平等とか、時間換算とかは、出来る限り持ち込まないで助け合ってきた。ここは家作りでも大切だと思う。10日働いたから、10日分返してくれと言うような、世知辛い関係はよくない。体力も技術能力も違う様々な人が、出来ることでお互いの為になるように、心をこめて助け合える、精神を育ててゆく場に成らなければ、と考えている。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし、家造りから 千葉・鴨川で塾生募集

2006-09-15 05:45:10 | 最小限の家
「東京から一番近い棚田」で知られる、千葉県鴨川市のNPO法人・大山千枚田保存会(石田三示理事長)が10月、家造り体験塾を開講する。田舎暮らしに欠かせぬ住宅建築と古民家再生を10カ月で習得できるという。鴨川市に寄贈された、囲炉裏や土間がある古民家(110平方メートル)を使って、講座は月1回、1泊2日のペースで開かれる。 家造り体験塾は会費9万円(宿泊費を含む)。募集は20人。問い合わせは大山千枚田保存会(電話04・7099・9050)へ

この企画には興味を持った。田舎暮らしをしたい人が、セルフビルドする、基本的な技術を身に着けたいというのは、良く聞く希望だ。私は鳥小屋作りを、子供の頃から繰り返し行って、自己流の方法で小屋作りを身につけた。しかし、穂田さんに教えてもらいながら、4,5回小屋作りを体験して、なるほど専門家から学ぶということは、随分合理的な手順が身につくということだと思った。

最小限の家作りもこの冬の農閑期に、1棟目を立てる予定だ。先日の集荷場の建築でも、穂田さんの指導で、随分技術が上がった。一人で可能かというと、少し不安になるが、大勢でやるなら、何とかなりそうな所まで来ている。今回の家作りに参加してもらえば、何とか自作できるところまで進める様な、技術体験の場にしたい。ここで、「結いのような仕組みづくり」も提案したいと考えている。

1棟目の予定している場所は、私の家のすぐ脇だ。全体で600坪の南傾斜の地目山林の所有地がある。竹薮だったところを、刈り払って、現在草原になっている。一応建設する場所として、眺めの良い場所を、平らにしてある。水も家のほうから引いてある。材料の木はその竹薮の周囲にあった、樹齢50年ほどの檜だ。材としてはいいものではないが、そこにあったものをそこで使うということが、自給の精神から一番いいと考えている。

この家は自給の家にしたいと考えている。「この家で自給体験ができる。」一人の人間が、生きてゆく自給的要素をこの場所に徐々に、整えてゆきたいと考えている。この小さな家に寝泊りして、周辺の畑や田んぼで、自給分の労働を実践してもらう場にしたい。一人の人間は100坪の土地で自給できる。このように私は体験から、発言しているが、自分でやって見なければ分からない事だし。その労働がどの程度のものかは、働いて見なければ、実感できるわけが無い。

この小さな家に泊まって、農の会の仲間のところで、農作業の体験をするのもいい。みんなのところを順次廻れば、新規就農するという事が、どんなことで、自給的に暮らすということが、どんな状態なのか。おおよそわかって貰えるだろう。

「地場・旬・自給」の新しい暮らしの提案をしたい。やって見なければわかるわけ無い暮らしの在り様を、体験できる場を作るつもりだ。多分この自給の暮らしの提案は、やってきた私以外に出来ないだろうと思っている。
こう思い立ったのは、小田原の若い方で、アフリカで亡くなられた女性がいる。この方は自給の暮らしを求めて、徳島の奥に入植したそうだ。そして自給に挫折して、戻られたとき。アフリカから帰ったら、笹村のところに来て、自給法を学びたいと言われて出かけたが、帰らなかった。実に残念だ。
 
どんな方法なら、自給生活が実現できるのか。もう一度私も挑戦するつもりでやります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最小限の家作り:集荷場

2006-07-30 05:43:31 | 最小限の家
最小限の家作りの最初の事業として、集荷場作りが行われた。土台は、水曜日に作ったので、その上に一日でどれだけ家が作れるかを。やってみた。穂田さんの指導で今回も進めた。穂田さんに家作りで指導してもらうのも、これで4回目になる。
午前中は12名、最終的には16名の参加で行われた。

10坪の中は何も無い、小屋だ。棟上までは、午前中の作業だった。ここでは、基礎作りの難しさに較べると、難なく進んだ。ただ、建築用語の、厄介複雑な事はなにやら暗号のようで、部外者を排除している気にすらなる。もやが何処で、火打ちが何処で、意味が無い符丁で困る。いろはと漢数字表記で、材料が刻まれているが、これが、いとりの違いが見えなかったり、表記の場所が決まりがあるようで、そうでも無い。つ六とよ三がどちらが先で、どの辺りかが、一瞬でわかるのだろうか。A1とU6これのほうが判るというのも困るか。せめてアイウエオにしてくれないだろうか。

初めての人もいるとしても、人数が揃っているので、作業は瞬く間に進む。体験者も多いので、そう困ることも無いようだった。技術的には、特段質問は無かったが、構造的に、強くするための、筋交いの入れ方や、張りの持たせ方か。しかし、3坪の最小限の家ではそう心配も無いかもしれない。

いずれにしても、今回は下準備を穂田さんがしてくれて、一番厄介なところが省かれているので、簡単なようだったが、この辺りを、次回では勉強したいと思う。釘一つでもどのサイズがどれだけあればというのは、判りにくい物だ。ちなみに屋根の釘は10坪で、2キロだった。5センチ9センチの釘も、5キロの準備が必要。その他ボルトや、羽子板。カスガイ。

今後、結いのような協力の形を整理することが、大切だと思う。今回は、集荷場なので、農の会生産者の人にはどうしても必要な場所なので、自分のこととしてかかわらざる得なかった。次回は、何処になるかわからないが、個人の最小限の家を作ることになるだろう。その時には「協力した人は、協力してもらえる。」体制の作り方の、合理的な仕組みを作りたいと思う。

自分は作る予定は無いが、協力はしたいと言う人の場合。どのような形を作るか。日当を払うより、何かいい方法があればいいのだが。

午後から屋根を作った。しっかりとした屋根を葺いて、雨樋まで進んだ。その間に壁の方に、ブリキを貼ろうかと準備をしたが、それはやれなかった。下地はあるのだから、すぐにもやれるのだが、どうも、感じがよくないというのもあった。全体としては中々、立派な物になったのだが、外壁がブリキ一枚というのもどうかというので、ストップした。
当面外壁は無くても、むしろ無いほうが、作業場として夏の間はいいぐらいだ。近所の人にも、よく見えて安心だろう。野菜の集荷をするだけだから、屋根さえしっかりしていれば、問題は無い。台などを持ち込めば、作業を始められる。

私が予定している最小限の家は、冬にやりたいと思う。皆の手も少しはすくし。こちらの準備も整う。予定地は、夏草がすごく、2週間に1回は草刈をしている状況だ。竹林の後はさすがに竹の子も出ては来るが勢いがなくなってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

集荷場の建替え

2006-06-28 07:23:52 | 最小限の家
あしがら農の会では火曜・金曜の朝、野菜の宅配のために、集荷場に集まる。
現在の建物は、2間に3間半という大きさで、半分が土間になっている。10年位前に、加藤さんが中心になって作ったものだ。生産者も増えて、手狭に成った事もあって、立替が考えられていた。

先日、建築工事をされている、農の会の顧問をしてくださっている、Hさんから集荷場に丁度いい建物を、解体したので、使わないかと電話を頂いた。既に壊して車に積んであるというので、早速頂く事にした。箱根細工をされていた方の作業場で、2間半の4間という本建築だ。

現在はそらやさんの畑に積ませてもらっている。早く立て直したいのだが、田んぼの田植えがまだ終わらない人がいる中で、とてもそれどころではない。という事で気にはなっていたが、進められないでいた。昨夜は、生産者の打ち合わせの集まりがあって、夏祭りでの出店内容の詰めなども話し合われた。その最後に、集荷場の話があった。

以前から、建物を自作する技術は、農業者の基本技術として、学んできた。足柄農学校の中でも、Hさんに講師になっていただいて、小屋作りを学んだ事がある。機械置き場の大きなパイプハウスも、みんなで教わりながら作った。こうした経験で、鶏小屋ぐらいは自分で出来る技術は、習得してきた。今回も、折角の機会だからということで、Hさんが指導して上げてもいいよ、事になった。

すばらしくありがたい機会なので、これを最小限の家作りの技術研修会として、位置づけて、しっかり教えていただこう。自分で簡単な家ぐらい作れる、という技術があると、暮らしの気分が、随分違ってくる。

まず、7月16日の日曜日に材料の下準備をすることになりました。下準備と言っても、解体がが作り直すつもりでされた物です。
印もついているので、要するに材料から釘を抜く事だ。みんなで金槌やバールを持ち寄って、釘を抜こうという事です。立て直す周辺の整備や、必要な物の下準備に成ると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セルフビルド

2006-05-16 06:55:41 | 最小限の家
最小限の家作りの見学会が、中断している。申し訳ないことに私の責任だ。どうも作業に追われてしまい、時間が取れない状況が続いている。この時期農作業が多く、草刈など、やりきれないままだ。

今年は、竹薮の片づけを3箇所経験して、竹薮の事が少し分かってきた。最小限の家の敷地になる場所、元竹薮の整備が、いよいよ最終段階になった。今まで、丸10日かかった。傾斜地に、竹の葉が厚く積もり、竹が埋もれている。ここを竹を担いで、一日中歩くのだから、足がきつい。一日一回は、それは思い切って転ぶ。運がいいことに転んだところに、竹の切り株が無かった。昔は切り口は鎌のようなもので、鋭く切ってあったそうで、大怪我をしたそうだ。今はチェーンソウで切るから、その点だけは有り難い。山仕事の方が言われていた。

集落の方が、何をしているのか、何にするのか。心配そうに見に来る。どこで会っても良く聞かれる。私自身がまだ何をどうするかまでは分からないので、応えようがない。正直片付けだけで、先ずは畑にしようかと思うと相談すると。えらく感心される。畑を新たにやると言う事が、あまり信じがたい事のようだ。
私がやっている事が、あまり常識的でないらしく、不安をもたれてしまう。
それにしてもあの竹薮をよく片付けたと、これだけは褒めてもらえる。皆さん竹薮の片付けがいかに大変かを経験されているようだ。

いよいよ最終段階まで来た。100坪ほど竹薮は残す予定だ。そこまでは切ったのだが、その中の整理はまだ出来ていない。竹林は美しいと思う。あの美しい揃った感じにできればと思う。太い竹だけを残し、細いのは全部切ってしまうつもりだ。この作業は実は楽しみなのだ。ゆっくりと楽しみながらやりたくて、残してあるのだ。考えただけでも楽しみになる。

この竹薮も以前は篠竹が繁茂していたらしい。そこに真竹が入ってきて、優位になったようだ。枯れた篠竹が一面に倒れている。唯一細々と残っているのは青木だ。私は青木は嫌いだ。子供の頃から嫌いだった。あれの斑入りを庭木で使う人がいるが、信じがたい事だ。水を含んでいて、防火林としては役に立つそうだ。
篠竹も青木も、どこでも困る物だが、それを真竹は凌駕するのだから、真竹を凌駕する何かはないものか。

アメリカでは、厄介者のくずを、日本から持っていって、鉄道の土手補強に使い、今えらい困っているらしい。よく考えれば分かりそうな事を、目先の便利さに惹かれてしまい。安易に使う。これが後で大変な仇になる。こういうことは、多いいと思う。まず自然を充分に観察すること。これに尽きるだろう。外国から物を移すというのは、よほど気お付けないと、いけない。環境が変化した時に、どんな事が起こるか、極端に優位な植物になるかもしれない。

そろそろ、真竹の竹の子が顔を出し始めた。この竹の子を頑張って取ってしまえば、真竹は再生しないそうだ。1年たてば、トラックターなら耕せるぐらいにはなる。と言うが、ちょっと信じがたいぐらいの根の大きさだ。ともかく出てきた竹の子は、全部食べつくさないといけない。湯がいて冷凍したい。この冷凍庫も買いたい。余分な出費になるが、以前から必要だとは思っていたので、いい機会かもしれない。やっぱり塩漬けにすべきなのか。

セルフビルドは敷地の整備から。所がこの敷地の整備に現在、10日かかった。と言う事は1ヶ月で出来る、最小限の家としては、既に3分の1を使ってしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツリーハウスと穴居生活

2006-05-14 06:04:03 | 最小限の家
赤色ヤケイは樹上生活なのか、茂みの中での暮らしなのか。資料では両方の記述があり、私としては自分の類推から、茂みの中ではないかと考えていた。その後東南アジアを何度も現地調査している、山科鳥類研究所の柿澤博士にうかがったところ、即座に樹上です。との事でした。しかし、私としては今でも茂みの方が捨てがたく、色々想像するところだ。つまり、鶏は巣は作らない。巣を作るのは卵を抱く時だけだろう。その時は間違いなく、地上の茂みの中だ。巣の作り方や、ヒヨコの状態からして、樹上は考えられない。とすると、抱卵時期だけ巣篭もりで藪の中。藪の中だから、わからない。

鶏が高いところに上るのはよく知っている。飛び上がるというより歩いて上る。子供の頃は、放し飼いだった鶏は、夜になるとはしごを上り、空中からつるされた鳥かごで寝る事になっていた。どの鶏も暗くなると、家の中に来て、そのままはしごを順番に上っていった。すると、はしごをはずしてしまう。多分猫が食べてしまうのを防いでいたのだと思う。

山北にいた頃も、黒チャボの放し飼いで、3年ほど生きていた鶏は樹上生活だった。斜面に斜めに延びた木を、ヨチヨチ登り見えないところまで上がってしまう。この鶏は人にも近づかないのだが、何故か家からも離れなかった。なんか少し弱ったようだな、と思ったときには見なくなった。野生は厳しい。

樹上が安全か、穴の中が安全か。海がすきか、山がすきか。どちらも好みで捨てがたい所だが。人間の場合は樹上に憧れて、穴の中に暮らすということか。縄文住居を以前作った。小田原で一番眺めのいい丘の上に、作った。最初はティピを作った。所が、あまりに風が強く、畳んだり、広げたりで、傘のような家だった。其の度に4人の作業班が必要と言うので招集が掛かり、あまりの迷惑で、縄文の家建設に挑むことになる。

いい齢をして少年探偵団のような活動ばかりしているわけだが、どうしても泊まりこめるような活動拠点が必要だったのだ。その顛末は又別の機会にして、
穴か木かだ。
ツリーハウスの魅力は、はしごを上げてしまえば、世界から隔絶する、事だろう。下界から独立して、世界を睥睨している感じだ。

最近、縄文の櫓跡が見つかったというが、こういうのはツリーハウスではない。ヨーロッパ人はかなり本格的なものを作ったようだ、メジチ家ではツリーハウスのコンクールを行ったというから、ダビンチの考える樹上家屋など見ものだ。南太平洋全域に樹上生活の先住民がいた。暑い地域だと、暑さと湿気から、ジャングルのもろもろから、ツリーハウスは実用かもしれない。
下からの風の心地よさで、高床が普通だから、樹上へはもう一息だ。

そもそも横穴に住んだのが、始まりで、竪穴住居に変わる。乾燥地域では縦穴を掘りそこから又横穴を掘る家もある。多くは崖に横穴を掘る。ペルシャ人といわれる菩提達磨がインドから中国にやってきて、面壁9年したというのは穴の中の壁と言う事になっている。「壁観」は達磨の宗旨の特徴で、壁となって観る。と言うのだから壁は大切な要素だ。穴の中の壁が信仰の対象という事は多々ある。絵が描いてあるのはおまけのような物で、大地と言うか、壁の奥に延々と続く、重厚な絶対世界への畏敬の念が根本だろう。

穴居生活の内省的世界。ツリーハウスの開放感。最小限の家はどんなものになるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅行人

2006-04-18 07:03:51 | 最小限の家
「旅行人」という雑誌を出されている、蔵前さんご夫妻が来宅されました。
蔵前さんが今度、家作りの本を出されると言う事で、【最小限の家】に関心を持たれたのだそうです。

蔵前さんと話していて、気付いてたのは、【最小限の家】のコンセプトの中で、まだに煮詰まっていない事が、沢山あるということでした。例えば、「屋根材をどうするのですか。」こう聞かれた時、屋根でかぼちゃを作ると言う事は、つまり、屋根は畑にするということは考えているのだけれど、屋根をどんな素材にするのかという点は、明確に成っていないことに気付いた。

ガリバリュウム鋼板を何となくイメージしていたけど。確かに、地の素材と言う考え方ならば。桧皮葺き、とかも在りえる。しかし、実用的かどうか。板葺きと言うのもあるがどうなんだろう。こだわるのも、おかしいので、廃材のトタンと言うのがそれらしいのか。など考えた。板を挽いた時のバタザイを重ねて貼ると言うのはどうだろう。

同様に「ミズ・エネルギー・電気」などもどう考えるか。具体的に、整理してゆく必要があるだろう。

蔵前さんは世界中のスラムを見てきているようで、ブルーシートハウスに自然話題が進む。日本が何でも捨てられていて、材料にそう困らないと言う事。困らないけど、差別がひどいから、暮らしにくいのは日本だろう。
ニューデリーのスラムの家は大変高いものについている。つまり、ただで落ちている物などないから、ダンボール一枚探すのに、大変苦労するらしい。そのダンボールも粗悪な物で、強度がないから、家とはとても言えない様になってしまうらしい。日本人が器用というのは、ブルーシートハウスに表現されていて、住まいの工夫にあふれている。

日本の場合、とにかくブルーシートが安く手に入るので、住宅産業の規格住宅のように、ブルーに統一化されてしまったが、これが工夫する人にとってはそう優れた素材ではないようで、すぐ太陽光で劣化して、ぼろぼろになる。ダンボールで骨組みを作り、それを、ビニールハウスの廃棄ビニールで、包んでやる方が、安定するし、耐久性もある。

そのダンボールがゴミであるからということで、勝手に行政が捨ててしまうので、これに絵を描くのだそうだ。絵を描けば、これは文化財。財産だ。これを勝手に廃棄する訳にはいかない。一応文化国家という建前だ。この絵を、関西では大阪芸大の学生達が、ボランティアで描いているらしい。この絵は志がいいから、遊びでやっている日比野先生より、面白いんじゃないか。本物のダンボールアート、「何で絵が描いてあるんだ」とは、撤去の映像で思ってはいました。もし、近くのダンボールハウスで、壁画を描いてほしい人がいたら、描きに行きますので、言って下さい。

木材は間伐材がいいか。廃材がいいか。これも難しい選択です。どちらも捨てられていて、無料。廃材は角材はいくらでもあるが、板材がない。では、角材をログに組んだらいいのか。釘を抜くのはどのくらいの手間になるのか。間伐材は4トントラック一台分で、材にする手間が、10万から15万円だそうだ。くぎ抜きに10日かかったら同じくらいだけど。いい勝負か。廃材を使った茶室が、南足柄にあるが、これが又美しい。新しい材には出ないいい雰囲気がある。要するに、あるものを上手く使えばいいわけだ。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松永亭「茶室の検討会」

2006-04-01 05:54:19 | 最小限の家
小田原にある松永記念館には、松永氏の茶室がそのまま保存されています。広間の太い大きな床柱は平等院山門に使用されたとされ、原三溪から贈られたものだそうです。
「葉雨(ようう)庵」 野崎廣太(幻庵)によって建てられた茶室です。
「烏薬(うやく)亭」
「老 欅 荘」
四畳半台目の茶室や三畳大の床の間を設けた広間、母屋に取りつく三畳の寄付などの意匠に数寄屋建築としての特徴が顕著。

東海大学の杉本教授に、最小限の家の視点から、解説をお願いできることになりました。
日程は4月16日に決まりました。

先日、桂離宮の解体修理にたずさわった安井清氏から、南足柄の茶室の説明を頂いた。一緒にお茶を頂き、茶室でご飯を頂くと言う、大変貴重な体験をさせていただいたわけです。この茶室が又、解体材で作ったと言う、一風代わった物でありながら、約束は備えていると言う、面白い物なのです。安井氏がどのように言われるのか、注目の中、にこやかに、穏かに、でも辛らつに、解説くださいました。
お茶では一期一会と言うそうですが、まさに茶席であったから、私のような者にも、等しく素晴らしい機会をいただけたと思います。

そのなかで、最小限の構想を、私からお伝えしました。ところ、実はそうした構想は古くは室町期から、あって、注目すべき要素は茶室の中に、残されている。新しいと思うことでも、繰り返し、試みられている事が普通である。まず、歴史をしっかりと学ぶ事の大切なのだ。と示唆いただきました。

それが、今回の茶室の見学会に繋がりました。小田原にかつてあった、財界の茶人が、どんな物を作ったのか、穏かに、辛らつに見てみたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写生会

2006-03-27 07:12:30 | 最小限の家
「水彩人写生会」が志賀高原(木戸池温泉ホテル)で行われます。
新春の志賀高原は装いを取り外し一番その姿を現す季節です。

今春の計画を載せます。こうした写生会に随分長く係ってきました。
水彩連盟での写生会を加えると20年以上になると思います。
プランを紹介します。興味をもたれた方が居られましたら、お申し込みください。
この写生会の特徴は、指導と言う事ではなく、互いの研究を徹底的に行う事です。
水彩人同人も、その場で同じに描き、同じに並べ、相互批評に加わります。
この活動の中で、絵を描く事を探ってきたのは、計画を立ててきた私自身だと思います。

募集人数は40名です。費用は23,000円になります。

開催日時 :5月22日(月)、23日(火)、24日(水)
集合受付 :木戸池温泉ホテルに5月22日13時に各自集まってください。
      
開催場所 :〒381-0400長野県下高井郡山ノ内町志賀高原木戸池温泉ホテル
TEL0269-34-2821 担当 倉科芳俊さん
荷物は事前に送ることが出来ます。
<一人部屋の希望、同室を希望する方の希望>など、はがきで連絡下さい。
問い合わせおよび申し込み先:〒250-0055  小田原市久野3545  笹村 出  ℡0465-32-6733
交通例 :  東京発:8時46分(長野新幹線)長野着:10時20分長野電鉄乗り換え11時51分発 信州中野 11時30発 ホテルの送迎バスがお待ちします。
帰路は13日11時にホテルの送迎バスが出ます。  

進行:1日目・受付が終了しましたら、荷物を整理次第、写生が始まります。新鮮な気持ちで描く場所を見極めてください。自分をひきつける場所をスケッチをしながら探ってください。自分をひきつけてくる要素を探りながら、自分の絵画との関連を考察して下さい。直感が大切です。場所探しは制作の一番大切な要素です。一日の日の光の変化や、画面を置く角度、画面から離れる距離、足場の状態、雨の予測、など充分考慮してください。
      水彩人同人が廻って歩きますので、積極的に疑問点やヒントを尋ねてください。夕食後描いた作品の研究会が開かれます。

   2日目・は本格的に制作をしてください。紙サイズは考え方にもよりますが、自分が考えるものより一回り大きな紙で制作する事が、勉強になります。制作中は同人がいちいち口をはさむことはマイナス面もあります、質問・指導を受けたい人は自から同人に積極的に尋ねてください。同人は複数居ることもあり、指導が食い違う事も当然あります。制作は自分の世界ですから、自信を持って自分の絵画を制作して下さい。講師は出来る限り捜して歩きますが、広い為に見つからないこともありますが、自分から場所をアピールして下さい。
      夕食後描いた作品の研究会があります。

   3日目・は午前中の制作になりますが、各自のペースで描き、解散してください。、夕方まで描いている同人もいますので、自由に批評を受けてください。10時に一応の解散式を行います。ここで総合的な質疑を行います。また、6月頃予定している、「第2回標会」についての話し合いを持ちます。
帰りの送迎バスが11時にありますので、間に合うような簡単なものに成ります。

研究会 :  夜には昼間描いた作品を持ち寄り、研究会を行います。
1日目は制作準備として参考になる点を、研究します。翌日の制作に生きるような点を考えてみたいです。少しでも絵が前進できるよう率直に意見を述べ合います。時間も短い為、きつい言いまわしに成る事もあるかも判りませんが、絵が良くなる為に本気で発言しますので、そのつもりで受け止めてください。

2日目は作品としての課題を研究したいと思います。水彩画としての研究が行えればと考えています。研究は徹底してやりたいので、失礼な言動もあるかもしれませんが、作品向上のため遠慮なく発言させてもらいます。参加者はどなたも対等ですので、発言を積極的にお願い致します。同人も同様に並べて研究します。

準備 :  画材は各自が充分準備してください。紙や絵の具は充分お持ちください。
スケッチブック、イーゼル、水入れ、充分な筆数、ドライヤー、帽子
高原の雨や朝の寒さは真冬と考えてください、防雨寒対策は万全にしてください。
      雨はあるものと考え、作品が濡れない準備(ビニール袋)をしてください。
2か目の昼食はお弁当を用意します。
描き出しは戸惑いが出やすいですので、事前に制作の予行演習を行っておくと、最初から調子が出ます。出発前の準備も万全にして下さい。
注意 :  荷物は事前に宅急便で送ることが出来ます。ついたらすぐに制作できるように、時間の余裕を持って送ってください。
      キャンセルは出来だけ早めに連絡ください。遅くとも1週間前に連絡がないと、ホテルの規約にもとずきキャンセル料が請求されます。
同人も同じように制作します。同人にとっても大切な制作の時間となります。指導は活発に行いますが、その点は了解下さい。
<一人部屋の希望、同室を希望する方の希望>など、はがきで連絡下さい。

写生地の案内
1、 ホテル周辺では、窓からも描ける木戸池があります。ボート小屋や木陰など、ゆっくりと描ける所があります。ホテルに近いこともあり、雨宿りも出来安全な場所です。特に夜明けの朝日が霧の降りた湖水に差し込む頃は、絶好のポイントになります。注意点は背景となる山のラインです。これで失敗しますので注意して下さい。
2、 田の原湿原が高原の春のあたたかい広がりを感じさせているはずです。特に描く位置の高低差が自由に取れますので、湿原の広い空間を大きく自由に構成するには、又とない場所です。
3、 周辺のスキー場もなかなかの写生地になります。残された茂みや潅木、高原らしい白樺など、草地との組み合わせが魅力的です。
4、 道路を少し登ったところに、テント場があります。ここからは遠望する山陰が美しく広がります。高原の春の芽吹きを描くことが出来ます。
5、 15分ほど歩きますが、石の湯に別世界のような廃園があります。廃屋となったホテル、プール、の作られた美しさが、消え去ろうとしながら自然の馴染んでいます。
特に新緑の樹間からの、眺めはすばらしいものがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山北森林ホーラム

2006-03-20 05:36:44 | 最小限の家
山北森林ホーラムの集まりに昨日参加しました。
どちらかと言うと、こうしたイベントはいつも企画する側で、他のグループの活動に参加するということは、少ないので、いくつか学ぶ点がありました。
おおよその実際を整理してみると。
日曜朝、10時10分に山北駅に隣りにあるふるさと館に集合。
案内ではそこに集合だけだったので、今日何があるのか。何時までかも知りませんでした。いっても説明が無いまま、そこに居ると。どうも時間に予定の人が集まらないので、携帯電話で状況の確認を主催者はしている。
10時35分になると出発、ここでは挨拶など一切無い、何となく、間伐の場所に歩いてゆくから、いきましょうと言う事で、ぞろぞろ出かける。どこに行くのか、車で行かないのか、など質問が出る。丸山の向こう側に行くのだが、歩いてゆく。
菜の花で美しい山北のまちをぶらぶら、だらだら、かなり遅いペースなので、私はいつの間にか先頭に居る。振り返ると15人ぐらいの集団だと言う事がわかる。

11時10分頃、到着。場所は岸の新しい団地を作ったとなり当たりの、取り残されたような、4反ほどのヒノキ林。
既に、間伐をしていた、山北森林組合の3名を大声で、呼ばわり。
説明が始まる。森林組合の方の名前の紹介があり。いけやさん。
いけやさんによると。「山に親しんでください。木の香を利を味わってください。山の土を感じてください。」どうもこうした森林ボランティアの活動のお手伝いには大変慣れている様子で、では好きな木を要らないような木を切ってくださいということで、ヘルメットとのこぎりを渡される。
ここで、いかにも、わたしたちが期待されていない。どちらかと言うと地元の方にとってはありがた迷惑と言う事が感じられる。
早速間伐すべき木を切り始める。沿うその前に一本切って見てくれと言う声が掛かり、若い人が呼ばれて、チェーンソウでたちまちきる。
好きに始めてくださいと言う事で、12時40分までに3本切る。
それでは終わりと言う事で、声がかかり。降りて、道具を返すと。帰ろうとするいけやさんに、主催者が一言お願いします。と食い下がると。特に話は無いけど、と言う事で、「今日の体験を山で感じた事を又思い出してください」と言う事でした。
では丸山を反対に回って帰ります。と又だらだら歩き始める。40分ほどして、旧町役場まで来た時に、強い雨が降り始める。
私は、走って、ふるさと館まで戻る。
雨宿りしていたとかで、主催者は1時30分頃、戻ってくる。
どこかでご飯を食べてきてください。午後には木工教室があります。
と言うので、それではこれで、帰らしてもらうということで、今日の活動を終わらせてもらいました。

人から期待されない、何の意味があるかもわからない活動をする。これほどつまらない事はない。
参加者こうした活動に参加したとき、何を感じるのか。いい体験になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第4回「最小限の家」

2006-03-09 06:31:34 | 最小限の家
1、 法的な問題で疑問が出ておりましたが、調査したところ農業者が農地及び山林に、10平米以下の農業用倉庫あるいは作業小屋を建築する事は、建築基準法の対象にならないことが、わかりました。又、農地法上も転用の許可等もいらない事が分かりました。つまり、農業者なら最小限の家は正式に建てられるということです。
といっても、行政の事ですから何を言ってくるかわかりません。笹村のところで、実際にやってみて、どんな事になるか。実験したいと思います。

2、  Oさん(O材木店の専務)にお願いして来て頂きました。既に2度、山北の間伐材の製材を頼まれて、(杉本先生グループ)やった事があるそうです。製材については間伐材は手間の割りに、バラバラのため割に合わない事。一日仕事で、10万円の費用になること。本数で90本が限界。3寸5分の角ものが中心になること。板倉に使うような溝を入れる仕事は無理である。バタ材は持ち帰った方がいい。

2、 最小限の家のコンセプトをさらに明確化すること。
   農の会のが目指す家は、生産現場だろう。(杉本先生指摘)

質素なくらしを表現した家。  →農の会的暮らしの方向を検討。本質的な意味で豊かな暮らし。
自然に馴染んだ家。     →美しく風景を形成するような、家でありたい。耕作地との融合。
循環する合理的な家。    →利用可能時間を決める必要がある。2・3年か10年ぐらいか。100年か。
必要最小限の家。      →四畳半に1人。1間半のキュウブを基本にしたら。高床式。テラス的機能部分。屋根の意味。床下収納による断熱。床下が家畜小屋。
安心して眠れる家。     →これが案外難しい。シェルターとしての家。
センターハウス       →各戸にいらない機能を、何処か別に設ける必要がある。
地域で入手できる材料の家。 →竹は注目。廃材やガラス等どう考えるか。
自然エネルギーの家。   →今後の課題。ライフライン。別個部会を設ける必要がある。建てる場に応じて考える。
費用のかからない家    →100万円以内で出来る家
簡単に出来る家      →1ヶ月で自作できる家

3、 模型に基づき意見の交換を行う。
  小林さん、兼藤さん、笹村の3点の家の模型が、でました。
☆ 小林さんは正三角形を壁面として、3角形から、8角形まで、変化の可能な、移動式住居。簡単に組み立てて、持ち運べる事が特徴。パオを思わせる形態。皮製にしたらいいのでは、紙で作り柿渋を塗ったらどうだろうなどの意見が出る。
☆ 兼藤さんは陶器製の家、まさに作品そのもので、その中で住みたいという気持ちのにじみ出た物。炭焼き釜や、登り窯の作り方を応用すれば可能か。小宮旭農園で、パン焼きガマとして、作ってもいいとの意見が出る。
☆ 笹村の家は常識的なもので、315センチのキュウブを基本にした物。板倉方式。家は寝るためのシェルター、下部には窓をとらず、上部にのみとる。軒先を長くして、土間を作業場とする。テラスを作り、下を倉庫にする。周辺に竹壁を作り、生活はその外部で行うようにする。9月以降に建築を予定しています。材料はそこにあった竹、ヒノキ(3Mから4Mで20cmから50cm)を切り倒してあります。で、40数本ある。製材について大山さんにお願いしてある。

○ 畑とそこを通る小道を景観を作る基本とする。
○ 生産現場としての家、土間の多面的活用を重視する。
○ 倉庫としての機能、床下屋根裏の活用。
○ トイレ、炊事の別棟、水周り全体の方式の検討が必要。

4、 現在、候補地として、笹村の自宅裏と、Kさんの植木の圃場が出ております。
○ 実際に作る場合のルール作り、結いのような労働力交換の形、地域貨幣

5、 見学会について、伊豆、下賀茂の自給自邸。
自給自邸の中でも最も美しい建物だった下賀茂の家を、冬の農閑期の間に、見学したらどうか。
お茶室を見学する事が大切。と言う事に成り、こちらをまず、計画する事になりました。近いうちに、計画を発表します。
箱根美術館の茶室。松永記念館野崎廣太(幻庵)の茶室「 葉雨庵」。沼津御用邸記念公園内の茶室「駿河待庵」「翠松亭」を回るツアーをしたいと思います。3月に予定したいのですが。茶会との日程調整もあり、日取りが困難を極めております。また、最小限の家の観点で、茶室の説明を行える方の、人選をしております。

6、  エネルギーについて、マイクロ水力発電の可能性、これは額田さんに構想があるので、機会を設け
る。
安藤さんから、非電化住宅の藤村さん(http://www.hidenka.net/index.htm)に来ていただき、お話を伺う必要がある。の提案がありました。安藤さんがコンタクトとしてくれる事になりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする