2012年2月21日(火)
明日からの国際ウオーキングトレイル実踏に参加するため、伊豆急行線の河津駅に
正午過ぎに降りた。今回の出発地、湯ヶ野の天城禅ノ湯ユースホステルまでは、バス
に乗れば10分前後で着くが、河津桜の見物を兼ねて歩くことにする。
13時11分に駅を出た。改札口と車道を隔てた南東側の線路際から河津川まで桜
並木が続き、手前の3本の河津桜だけが見ごろ。
来る前にネットで調べたら、成長促進剤の注射をした木らしい。
ほかの木々はまだつぼみなのでここだけ人が多く、皆さんカメラや携帯電話を花に
向けていた。
伊豆急のガードをくぐって西北への広い通りを進む。近くの民家の紅梅が見頃に。
通りが右カーブするところにある河津町観光協会の建物・河津桜観光交流館に入り、
観光案内コーナーや地元農産物コーナーなどをのぞく。
そばの広い駐車場には、河津桜見物の観光バスがたくさん並ぶが、つぼみのままの
桜で、皆さんがっかりしていることだろう。
でも、駐車場の前にあった若木の河津桜が1本、見ごろになっていたのがせめても
の慰めか…。
広い通りの延長上、住宅地を抜ける細道を進むと、来宮(きのみや)神社とも呼ぶ
杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社に入る。
石鳥居のそばにクスの古木があり、社殿の右手前にもクスの大木が立つ。
さらに、神社の左手背後にあるのが、平安時代の「延喜式」にも記され、国指定天然
記念物になっている大クス。目通り14m、高さ24mあり、樹齢は千年以上といわれ
ているという。
境内右手から背後を回った先、曲がり角にあった河津正月桜は、かなり色濃い花を見
せていた。
河津川左岸沿いの道に出て、そばに桜まつりのための無料休憩所のある豊泉橋を渡る。
橋の上下流、両岸にびっしりと河津桜の並木が続くが、まだほとんどがつぼみ。流れ
側斜面のナノハナだけが、花を開いていた。
右岸の桜並木の下を少し進んだところに、「豊泉の足湯処」と呼ぶ建物があり、ご婦
人方を中心に10数人が足湯につかっていた。
すぐ先で桜並木を離れ、川に平行する県道14号に入る。
アジを干す店の横を通過し、東洋一の大墳湯が見られるという峰温泉の大墳湯公園に寄る。
9時半から1時間ごとに、木のやぐらのところから上がる墳湯が見られるようだが、
先を急いで噴気だけを眺めて出た。
近くに「新町の大ソテツ」の標識もあったので、こちらものぞいてみる。小公園に
なったところに、主幹の周囲約2.5m、高さ10m、樹齢千年以上と推定される大
ソテツがあり、国指定天然記念物になっている。
確かに枝張りは広いが葉が少なく、いつかどこかで見たものの方が、見栄えがして
いたように思われた。
そばに、「お万の井戸」と呼ぶ石で囲まれた古井戸があるが、由緒を確かめるのは
忘れた。
峰温泉の手前まで戻り、峰温泉バス停横の細い路地を西に抜けて、旧道らしい車道
に出る。斜面を上がって行くと峰温泉が見下ろせ、墳湯を待つ人が先ほどより増えて
いるのが分かる。
さらに上がるとミカン畑が現れ、カーブが続く。東側が開けたカーブ点まで上がっ
たら、眼下の家並みの向こうに海と伊豆諸島の一つらしい尖った島が見えた。
高度が上がり、最後の家並みが途切れるあたりで車道も無くなる。間違えたかと思
ったが、やまさんからもらった地図を確かめたら、細道を上がれるようだ。探したら
見つかり、上にある車道に出た。
携帯電話のアンテナ塔の立つ小集落を抜けてさらに上がる。右下に河津川上流の家
並みや山並みが見下ろせる。
昨年秋、反対に天城禅ノ湯から河津駅に向かったときに通過した山間の小集落や、
温泉のやぐらなどの横を通過する。
やがて下り道となり、林間の斜面に立つ子神社の鳥居下を通過、これから進む川津
筏場集落周辺らしいあたりの展望が開ける。
夏みかんやレモンなど、柑橘(かんきつ)の実る上峰集落の畑の間を下り、河津川
右岸に沿う県道14号に出た。対岸の車道と合する近くまで進み、峰大橋の手前の橋
を渡る。橋の横に、青いカッパが立っていた。
対岸の道路を少し戻り、北側の筏場集落を貫く旧道に入って西に向かう。すぐに素朴
な火の見やぐらがあり、道を隔てて寛政11年(1799)造立の西国供養塔や、お地
蔵さんなどが並んでいた。
夏みかんの実る畑やスイセンの咲く集落を進み、少し高台にある三養院に背後の墓地
から下って小休止する。
西に連なる山並みなどを眺めながら、河津川の支流に向かって大きく回り込み、その
支流の橋を渡る。下佐ヶ野集落に向かって下って行くと、行く手の谷間に湯ヶ野の家並
みが見えてきた。
郵便局と交番のある下佐ヶ野交差点で、県道14号と対岸から来た国道414号に合
する。
国道を、家並みの続く湯ヶ野バス停まで進み、温泉旅館の並ぶ左の旧道に入った。
そばに、「天白(てんぱく)神」と呼ぶ石がある。天白神は、伊勢神宮の民間信仰の神
と考えられ、道祖神的な神とか。
河津町には、ほかにも数カ所、天白神を祭った場所があるという。
幾つかの温泉宿や、やや古びた国民宿舎かわづの前を通過し、小鍋集落の入口で河津川
の支流沿いに回る。
昨年秋、河津駅へ向かう帰路に通った、下田街道小鍋峠越えの看板の前を通過し、小鍋
集落を北に抜ける。
行く手に、今日の宿、天城禅ノ湯の白い建物と、経営する慈眼院(じげんいん)が見え
てきた。
河津川を渡って国道に上がり、宿には16時40分に入る。
慈眼院は、慶安3年(1650)僧・雲国により開山されたと伝わる寺。アメリカ初代
駐日総領事タウンゼント・ハリスが、日米修好通商条約のため下田を出発し、第一夜に泊
まった宿でもある。
ユースホステルにもなっている天城禅ノ湯の熱々の温泉につかり、ベジタブルできれい
に盛りつけられた夕食を美味しく頂き、明日からの国際ウオーキングトレイル実踏に備え
て早寝する。
(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 湯ヶ島、歩行地 河津町、歩数
1,7900、累積標高差 約640m)
なお、河津桜の開花情報は、このウェブサイトをご覧下さい。
にほんブログ村
明日からの国際ウオーキングトレイル実踏に参加するため、伊豆急行線の河津駅に
正午過ぎに降りた。今回の出発地、湯ヶ野の天城禅ノ湯ユースホステルまでは、バス
に乗れば10分前後で着くが、河津桜の見物を兼ねて歩くことにする。
13時11分に駅を出た。改札口と車道を隔てた南東側の線路際から河津川まで桜
並木が続き、手前の3本の河津桜だけが見ごろ。
来る前にネットで調べたら、成長促進剤の注射をした木らしい。
ほかの木々はまだつぼみなのでここだけ人が多く、皆さんカメラや携帯電話を花に
向けていた。
伊豆急のガードをくぐって西北への広い通りを進む。近くの民家の紅梅が見頃に。
通りが右カーブするところにある河津町観光協会の建物・河津桜観光交流館に入り、
観光案内コーナーや地元農産物コーナーなどをのぞく。
そばの広い駐車場には、河津桜見物の観光バスがたくさん並ぶが、つぼみのままの
桜で、皆さんがっかりしていることだろう。
でも、駐車場の前にあった若木の河津桜が1本、見ごろになっていたのがせめても
の慰めか…。
広い通りの延長上、住宅地を抜ける細道を進むと、来宮(きのみや)神社とも呼ぶ
杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社に入る。
石鳥居のそばにクスの古木があり、社殿の右手前にもクスの大木が立つ。
さらに、神社の左手背後にあるのが、平安時代の「延喜式」にも記され、国指定天然
記念物になっている大クス。目通り14m、高さ24mあり、樹齢は千年以上といわれ
ているという。
境内右手から背後を回った先、曲がり角にあった河津正月桜は、かなり色濃い花を見
せていた。
河津川左岸沿いの道に出て、そばに桜まつりのための無料休憩所のある豊泉橋を渡る。
橋の上下流、両岸にびっしりと河津桜の並木が続くが、まだほとんどがつぼみ。流れ
側斜面のナノハナだけが、花を開いていた。
右岸の桜並木の下を少し進んだところに、「豊泉の足湯処」と呼ぶ建物があり、ご婦
人方を中心に10数人が足湯につかっていた。
すぐ先で桜並木を離れ、川に平行する県道14号に入る。
アジを干す店の横を通過し、東洋一の大墳湯が見られるという峰温泉の大墳湯公園に寄る。
9時半から1時間ごとに、木のやぐらのところから上がる墳湯が見られるようだが、
先を急いで噴気だけを眺めて出た。
近くに「新町の大ソテツ」の標識もあったので、こちらものぞいてみる。小公園に
なったところに、主幹の周囲約2.5m、高さ10m、樹齢千年以上と推定される大
ソテツがあり、国指定天然記念物になっている。
確かに枝張りは広いが葉が少なく、いつかどこかで見たものの方が、見栄えがして
いたように思われた。
そばに、「お万の井戸」と呼ぶ石で囲まれた古井戸があるが、由緒を確かめるのは
忘れた。
峰温泉の手前まで戻り、峰温泉バス停横の細い路地を西に抜けて、旧道らしい車道
に出る。斜面を上がって行くと峰温泉が見下ろせ、墳湯を待つ人が先ほどより増えて
いるのが分かる。
さらに上がるとミカン畑が現れ、カーブが続く。東側が開けたカーブ点まで上がっ
たら、眼下の家並みの向こうに海と伊豆諸島の一つらしい尖った島が見えた。
高度が上がり、最後の家並みが途切れるあたりで車道も無くなる。間違えたかと思
ったが、やまさんからもらった地図を確かめたら、細道を上がれるようだ。探したら
見つかり、上にある車道に出た。
携帯電話のアンテナ塔の立つ小集落を抜けてさらに上がる。右下に河津川上流の家
並みや山並みが見下ろせる。
昨年秋、反対に天城禅ノ湯から河津駅に向かったときに通過した山間の小集落や、
温泉のやぐらなどの横を通過する。
やがて下り道となり、林間の斜面に立つ子神社の鳥居下を通過、これから進む川津
筏場集落周辺らしいあたりの展望が開ける。
夏みかんやレモンなど、柑橘(かんきつ)の実る上峰集落の畑の間を下り、河津川
右岸に沿う県道14号に出た。対岸の車道と合する近くまで進み、峰大橋の手前の橋
を渡る。橋の横に、青いカッパが立っていた。
対岸の道路を少し戻り、北側の筏場集落を貫く旧道に入って西に向かう。すぐに素朴
な火の見やぐらがあり、道を隔てて寛政11年(1799)造立の西国供養塔や、お地
蔵さんなどが並んでいた。
夏みかんの実る畑やスイセンの咲く集落を進み、少し高台にある三養院に背後の墓地
から下って小休止する。
西に連なる山並みなどを眺めながら、河津川の支流に向かって大きく回り込み、その
支流の橋を渡る。下佐ヶ野集落に向かって下って行くと、行く手の谷間に湯ヶ野の家並
みが見えてきた。
郵便局と交番のある下佐ヶ野交差点で、県道14号と対岸から来た国道414号に合
する。
国道を、家並みの続く湯ヶ野バス停まで進み、温泉旅館の並ぶ左の旧道に入った。
そばに、「天白(てんぱく)神」と呼ぶ石がある。天白神は、伊勢神宮の民間信仰の神
と考えられ、道祖神的な神とか。
河津町には、ほかにも数カ所、天白神を祭った場所があるという。
幾つかの温泉宿や、やや古びた国民宿舎かわづの前を通過し、小鍋集落の入口で河津川
の支流沿いに回る。
昨年秋、河津駅へ向かう帰路に通った、下田街道小鍋峠越えの看板の前を通過し、小鍋
集落を北に抜ける。
行く手に、今日の宿、天城禅ノ湯の白い建物と、経営する慈眼院(じげんいん)が見え
てきた。
河津川を渡って国道に上がり、宿には16時40分に入る。
慈眼院は、慶安3年(1650)僧・雲国により開山されたと伝わる寺。アメリカ初代
駐日総領事タウンゼント・ハリスが、日米修好通商条約のため下田を出発し、第一夜に泊
まった宿でもある。
ユースホステルにもなっている天城禅ノ湯の熱々の温泉につかり、ベジタブルできれい
に盛りつけられた夕食を美味しく頂き、明日からの国際ウオーキングトレイル実踏に備え
て早寝する。
(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 湯ヶ島、歩行地 河津町、歩数
1,7900、累積標高差 約640m)
なお、河津桜の開花情報は、このウェブサイトをご覧下さい。
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