2012年3月18日(日)
JR武蔵野線周辺の駅を歩く「カタツムリ歩行」の第212回例会に参加する。今回の
集合地はJR中央線の国立(くにたち)駅。南口を10時5分にスタートした。
駅前ロータリーから、南に真っ直ぐ延びる都道146号に入る。ロータリーの紅梅、白
梅はようやく開花し、間もなく見ごろになりそう。どこも、今年の梅の開花は遅れている。
ロータリーの南西にある、多摩信用金庫国立支店のウィンドウには、多摩地方の木の実
や草本などを集めた飾り付けが幾つも並んでいた。
南に延びる通りには、古木のソメイヨシノやイチョウなどの並木が続き、見事な枝振り
を見せている。
300m余り進んだ両側は、国立のシンボルともいうべき一橋大学。まず、西側の門を
入った。運動部や演劇サークルなどの勧誘の看板が幾つも立ち、その先にレンガ色の落ち
着いた彩りの建物が並んでいた。
こちらは西地区と呼ばれ、本館、兼松講堂、付属図書館、経済研究所、情報基盤センタ
ーなど20を越える建物がある。
時計台のある建物の前の、白梅の古木が見ごろ。近くに、昭和10年(1935)まで
長らく一橋大の前身である東京商科大の校長や学長を務め、学園をここに移転することを
推進したという、佐野善作先生の立像がある。
構内には、桜やアカマツをはじめとする樹木も多く、年代を経て大きな緑の空間を形づ
くっている。
通りを越えて東側のエリア、東地区にも回ってみた。こちらには、東本館、体育館・武
道場、国際研究館などがあるが、やはり何れもレンガ色西洋風の建物である。
そのひとつ東本館は、国の登録有形文化財になっていた。東本館前の紅梅の古木が、色
鮮やかな彩りを見せる。
駅の方に戻り、1本目の通りを西に入る。落ち着いた住宅地になっているが、その中に
幾つか、和風の食事処、洋風の喫茶やレストランなどの看板が出ていた。
民家の庭先のしだれ梅や紅梅も、ようやく見ごろになりつつある。
国立音大小の北側まで進んで右折して北へ、国立八小の先で高架化されたJR中央線を
くぐる。
すぐ先のそば屋さんの前に、店のご夫婦が居られたので話を伺う。新潟・津南のご出身
とか。店で出すご飯はもちろん新潟産米、その小さい米俵がウィンドウに飾ってあった。
高層化された都営住宅の構内を抜けて、立川市の北第一公園に入る。ここも、紅梅がよ
うやく咲き出したところだ。
公園の西側から北に伸びる西町緑道に入る。サイクリング道路になっているこの緑道は、
もと「立川飛行機専用線」と呼ばれ、国鉄立川駅から陸軍立川飛行場まで資材運搬用に敷
設された3.2㎞の鉄道の廃線跡。
戦後、米軍に接収された後も1968年までジェット燃料輸送に使われ、1972年に
立川基地が返還されて不要となって路線は廃止され、廃線跡は西町緑地、栄緑地として整
備されたという。
現在は植栽もかなり伸びて、よい緑道になっている。
500mはど進んで緑道を離れて東に向かう。広い通りに出ると、大きな紅梅と白梅の
咲く旧家があり、土蔵が真新しくなっていた。
すぐ先で左折して弁天八幡神社に入る。道路際に、古い青面金剛像が立っていた。
通りの右側、住宅地に囲まれた一角に広い樹木園が残っている。
西町二丁目に入り、広い墓地のある観音寺の東側を緩やかに上がって、寺の北にあるゴ
ールの神明社に、北側を回って11時57分に着いた。
神社の鳥居のある西側からは、石段を上がって豊富な境内林の間を上がって入る。
境内で昼食後、記念撮影をしてミーティングをする。小学生の頃参加していたというK
さん兄弟が青年になって、お母さんと久しぶりに参加し、皆さんの歓迎を受ける。
浦和から初参加のYさんが紹介された後、21日(水)から日本一周歩き旅で、しまな
み街道から愛媛県に入るという、やまさんからは、行程のあらましなどの話がある。
ポツポツ雨が落ちてきたので、いつもより早めの12時40分頃には解散となった。
(天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地、国立市、立川市、
国分寺市、歩数 7,800)
この後私は、神社の背後の通りを東北東へ。高木町一丁目、新町三丁目などを経て、
並木町三丁目で五日市街道に入る。
通りに面した鳳林院、妙法寺、愛宕神社、神明宮に入って参拝し、東小川橋から線路
際まで玉川上水緑道を進み、西武鉄道国分寺線の鷹の台駅に13時55分に着いた。
(神明社~鷹の台駅、4㎞、歩行地(追加)、小平市、トータル歩数 14,500)
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JR武蔵野線周辺の駅を歩く「カタツムリ歩行」の第212回例会に参加する。今回の
集合地はJR中央線の国立(くにたち)駅。南口を10時5分にスタートした。
駅前ロータリーから、南に真っ直ぐ延びる都道146号に入る。ロータリーの紅梅、白
梅はようやく開花し、間もなく見ごろになりそう。どこも、今年の梅の開花は遅れている。
ロータリーの南西にある、多摩信用金庫国立支店のウィンドウには、多摩地方の木の実
や草本などを集めた飾り付けが幾つも並んでいた。
南に延びる通りには、古木のソメイヨシノやイチョウなどの並木が続き、見事な枝振り
を見せている。
300m余り進んだ両側は、国立のシンボルともいうべき一橋大学。まず、西側の門を
入った。運動部や演劇サークルなどの勧誘の看板が幾つも立ち、その先にレンガ色の落ち
着いた彩りの建物が並んでいた。
こちらは西地区と呼ばれ、本館、兼松講堂、付属図書館、経済研究所、情報基盤センタ
ーなど20を越える建物がある。
時計台のある建物の前の、白梅の古木が見ごろ。近くに、昭和10年(1935)まで
長らく一橋大の前身である東京商科大の校長や学長を務め、学園をここに移転することを
推進したという、佐野善作先生の立像がある。
構内には、桜やアカマツをはじめとする樹木も多く、年代を経て大きな緑の空間を形づ
くっている。
通りを越えて東側のエリア、東地区にも回ってみた。こちらには、東本館、体育館・武
道場、国際研究館などがあるが、やはり何れもレンガ色西洋風の建物である。
そのひとつ東本館は、国の登録有形文化財になっていた。東本館前の紅梅の古木が、色
鮮やかな彩りを見せる。
駅の方に戻り、1本目の通りを西に入る。落ち着いた住宅地になっているが、その中に
幾つか、和風の食事処、洋風の喫茶やレストランなどの看板が出ていた。
民家の庭先のしだれ梅や紅梅も、ようやく見ごろになりつつある。
国立音大小の北側まで進んで右折して北へ、国立八小の先で高架化されたJR中央線を
くぐる。
すぐ先のそば屋さんの前に、店のご夫婦が居られたので話を伺う。新潟・津南のご出身
とか。店で出すご飯はもちろん新潟産米、その小さい米俵がウィンドウに飾ってあった。
高層化された都営住宅の構内を抜けて、立川市の北第一公園に入る。ここも、紅梅がよ
うやく咲き出したところだ。
公園の西側から北に伸びる西町緑道に入る。サイクリング道路になっているこの緑道は、
もと「立川飛行機専用線」と呼ばれ、国鉄立川駅から陸軍立川飛行場まで資材運搬用に敷
設された3.2㎞の鉄道の廃線跡。
戦後、米軍に接収された後も1968年までジェット燃料輸送に使われ、1972年に
立川基地が返還されて不要となって路線は廃止され、廃線跡は西町緑地、栄緑地として整
備されたという。
現在は植栽もかなり伸びて、よい緑道になっている。
500mはど進んで緑道を離れて東に向かう。広い通りに出ると、大きな紅梅と白梅の
咲く旧家があり、土蔵が真新しくなっていた。
すぐ先で左折して弁天八幡神社に入る。道路際に、古い青面金剛像が立っていた。
通りの右側、住宅地に囲まれた一角に広い樹木園が残っている。
西町二丁目に入り、広い墓地のある観音寺の東側を緩やかに上がって、寺の北にあるゴ
ールの神明社に、北側を回って11時57分に着いた。
神社の鳥居のある西側からは、石段を上がって豊富な境内林の間を上がって入る。
境内で昼食後、記念撮影をしてミーティングをする。小学生の頃参加していたというK
さん兄弟が青年になって、お母さんと久しぶりに参加し、皆さんの歓迎を受ける。
浦和から初参加のYさんが紹介された後、21日(水)から日本一周歩き旅で、しまな
み街道から愛媛県に入るという、やまさんからは、行程のあらましなどの話がある。
ポツポツ雨が落ちてきたので、いつもより早めの12時40分頃には解散となった。
(天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地、国立市、立川市、
国分寺市、歩数 7,800)
この後私は、神社の背後の通りを東北東へ。高木町一丁目、新町三丁目などを経て、
並木町三丁目で五日市街道に入る。
通りに面した鳳林院、妙法寺、愛宕神社、神明宮に入って参拝し、東小川橋から線路
際まで玉川上水緑道を進み、西武鉄道国分寺線の鷹の台駅に13時55分に着いた。
(神明社~鷹の台駅、4㎞、歩行地(追加)、小平市、トータル歩数 14,500)
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と感激。 一ツ橋大の建物や梅の花も素晴らしかったですね。