あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

横浜 磯子七福神巡り(神奈川)

2012-01-21 18:27:49 | 七福神めぐり
 2012年1月19日(木)
 
 昨年12月上旬から続いていた、からから天気が明日から崩れるとの予報なので、今春
2度目の七福神巡りとして、横浜磯子七福神を回ることにした。

 横浜磯子七福神は大正7年(1918)に始まったといわれ、太平洋戦争の混乱で一時
途絶えていたが、昭和53年(1978)に磯子区制50周年記念事業の一環として、巡
拝コースが整備されたという。

 10時過ぎ、京浜急行の弘明寺(ぐみようじ)駅に下車する。七福神巡りの前に、駅の
すぐ東側にある、坂東三十三観音霊場第14番札所で「弘明寺観音」とも呼ばれている
弘明寺に参拝する。

 養老5年(721)、インドの禅無畏(ぜんむい)三蔵法師が仏教伝通のために日本に
渡来したときに開創され、天平9年(737)に諸国に悪病流行の際、行基菩薩が観音様
を彫刻し、安置したという。


 堂々たる本堂や太い柱とどっしりした屋根の鐘楼など、坂東札所にふさわしいたたずま
い。境内には、禅無畏三蔵法師ゆかりの七ツ石があり、霊石として多くの信仰を集めてい
るようだ。



 東側の石段を下り、これもどっしりした山門を出て、アーケードの続く観音通りの商店
街に入る。

 飲食店や喫茶、衣料店、靴店など並ぶ活気ある通りを進み、大岡川のさくら橋を渡り、
下を市営地下鉄1号線が走る県道21号へ。

 正面は横浜国大付属中の正門、門前にりっぱな「鎌倉街道」の石碑が立ち、下は地下鉄
弘明寺駅。横浜南警察署のすぐ先、旧道入口交差点から、その旧道に入る。

 善然寺前を過ぎ、大岡二丁目のポストのある角から左折する。上り坂の手前の十字路を
右折、大岡住宅前バス停の先で左折して、東側の大岡三丁目の台地に上がる。

 坂上バス停をピークに下りとなる。大黒天通りに平行する旧道に下って右折、南に少し
で最初の寺、大黒天の金剛院に入る。


 今春の七福神開帳は15日(日)で終わり、納経所は閉ざされている。本堂はコンクリー
ト製。左手の護摩堂のそばに、陶器製の大黒天とタヌキが並ぶ。


 その横のコンクリート製のひな壇にも、小さい七福神が並んでいた。


 地層の露出地点もある旧道を南側の笹堀交差点まで進み、大黒天通りに入る。左側、ポ
ストのある三差路を左折して岡村七丁目の住宅地へ。七曲がり坂を短縮する急階段を台地
に上がった(下の写真は階段上から振り返る)。


 すぐ先の笹堀第五公園横がピークで、その先は下り坂となる。左にカーブし、磯子六丁
目から古い住宅も残る七丁目へ。宮戸屋酒店や斜面にスイセンの咲く旧宅の前を進み、畳
店のところで磯子旧道の手前を走る細道に右折する。

 すぐ先に、「磯子観音」とも呼ばれる弁財天の金蔵院(こんぞういん)があった。


 開創は嘉暦3年(1328)、鎌倉幕府の3代執権北条泰時が、京の明恵上人から薬師
如来をいただき、本尊として祭ったという。

 南側背後に広葉樹林が広がり、本堂の左上に、上州、妙義神社の護摩堂を移築した、朱
塗り色鮮やかな観音堂が目につく。


 観音堂には、色あせてはいるが天井絵が描かれていた。


 磯子旧道に出て北東へ、国道16号に合してすぐ先、浜バス停の横から北西に入る。磯
子小の校門前が、毘沙門天の真照寺(しんしようじ)である。

 寿永元年(1182)、源頼朝の御家人で「吾妻鏡」に名のある平子平右馬丞有長が再
興した寺。有長は、頼朝が富士の巻狩りの折、曽我十郎と刃を合わせた人という。


 白亜コンクリート造りの本堂、正面から見ると人の顔にも見えるのは私だけだろうか…。
毘沙門天は、本堂右手の庫裡(くり)の前に、弘法大師像と並んで立っている。


 境内には、干支の守り本尊の新しい石造の仏像や、当山ご住職と14世ダライラマ法皇
との写真を刻んだ石碑などがあった。


 磯子小の北側を東進し、2つ目の交差点を左折して中浜町交差点を横断、滝頭二丁目に
ある布袋尊の密蔵院に入る。


 慶長時代(1596~1615)の開山といわれ、布袋尊はコンクリート造り方形屋根
の本堂の、わずかに開いた最前部に安置されていた。境内には、枝をいっぱい伸ばしたイ
チョウが立つ。


 密蔵院前の通りを北へ、300m足らずで横浜市電保存館があったので入館する。昭和
47年(1972)3月末で廃止された横浜市電の、滝頭(たきがしら)車庫のあったと
ころ。65歳以上は無料である。


 館内には、横浜市電の歴史パネルや、記念乗車券、市電の運転台、パンタグラフなどと
ともに、保存されている市電6台や、貨物車も展示されている。



 最奥部にある、木製の円テーブルと椅子の並ぶコーナーを借りて、そばで上映している
廃止直前の市電の映像を見ながら昼食をした。

 すぐ北側の丸山二丁目交差点を左折、堀割川に沿った国道16号に出て、北側最初の橋、
根岸橋を渡る。流れには、レジャーボートが何台も係留されている。


 台地下の住宅地の中を進み、少し高見にある恵比寿尊の宝積寺へ。

 道路際に、大きな石に刻まれた真民の詩碑があり、山門前には、双体道祖神や関東大震
災の追悼碑、お地蔵さんなどが並ぶ。「あかし尋常小学校」の古い看板の掛かる山門を入る。


 正面にどっしりした本堂が立ち、その前にパンジーなどの花が咲く。シダレザクラや枝
振りのよい松、石灯籠、仏足石など、境内は趣きよいたたずまい。


 本堂左手には、赤いマントをまとったたくさんの水子地蔵が並んでいる。恵比寿神は、
本堂階段上に釣り竿を持って立っていた。


 ミツマタのつぼみがふくらみ、ロウバイやスイセンの咲く境内を出て、堀割川沿いに下
って磯子区と南区との区境の天神橋を渡る。


 国道の「南区」の標識横を西に入る。本立寺横を過ぎて、台地下を回って西側の石段を
上がると、豊富な広葉樹林を背にした寿老神の宝生寺境内に入る。


 もと灌頂堂だったという本堂は、延宝8年(1680)の造営で市有形文化財に指定さ
れている。

 背後の弘誓院に続く「宝生寺・弘誓院の寺林」は、タブノキ、スダジイ、シラカシなど
の常緑樹に覆われていて、商店街や住宅密集地に残る貴重な自然として、市の天然記念物
になっている。


 鐘楼前にはソテツの古木があり、近くには大きな「関東大震災韓国人慰霊碑」が立って
いた。

 肝心の寿老神はどこにあるのか…、本堂は閉ざされ、これまで回った何か所かで相次い
で出入りしていた、中年の姉妹らしいお二人にも分からなかったようだ。


 鐘楼の裏手、墓地の横に敷石があり、崩れていて危険の立て札があるが、広葉樹林に入
るとすぐにピークとなり、北に下って弘誓院の墓地を通過して本堂横に出る。


 コンクリート造り宝形屋根の弘誓院の、わずかに開いた本堂の最前部に、黒ずんだ福禄
寿が立っていた。本堂前庭は、広い砂利敷きになっている。


 今日回った七か寺とも、高野山真言宗の寺。この寺にも、弘法大師の修行大師像が立っ
ていた。

 午前中は薄日も出て幾分暖かさも感じられたが、午後はすっかり雲が広がり冷たくなっ
てきた。

 寺の北側に回って堀ノ内町の住宅地を西に進み、市営地下鉄の蒔田(まいた)駅に15
時3分に着いた。

 ちなみに、磯子七福神巡りの色紙と宝船は500円、朱印は各寺に用意してあり、参拝
者が各自で押印するようになっているようだ。

(コースタイム)京急弘明寺駅-2分-弘明寺-35分-金剛院-35分-金蔵院-13分
 -真照寺-10分-密蔵院-5分-市電保存館-15分-宝積寺-14分-宝生寺-5分
 -弘誓院-18分-蒔田駅 

(天気 晴後曇、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 横浜西部、戸塚、本牧、横浜東部、
 歩行地 横浜市南区、磯子区、歩数 18,300)
 


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする