あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

春を待つ別所沼公園(埼玉・さいたま市)

2011-02-14 17:39:19 | Weblog
 1月の晴天続きと変わって、日替わりとなった2月前半の天気、2日続いた雪模様
の後の、きのう2月13日(日)は、快晴となりました。

 そこで、さいたま市内で開催中の2つの作品展を見に行くことにして、JR武蔵野線
の武蔵浦和駅で降り、会場に向かう途中にある、別所沼を抜けることにしました。

 沼の周囲には、大きく育ったメタセコイアが並んでいます。いまは枯れ枝ですが、
晩秋の頃は黄葉が見事です。



 沼には、春を待つカモの仲間が、たくさん泳いでいました。




 沼の西側、弁天様の祭られている小島の近くには、こんな像が…。

 さいたま市浦和は、昔からウナギの産地です。

 北側にある噴水 


 東岸には、たくさんの釣り人が静かに糸を垂れています。




 沼の周囲を西から北へと半周して、東の斜面を上がって埼玉県庁構内を抜け、近くの
埼玉会館で開催中の、カントリーウオークの仲間、Tさんが参加している水彩画のグル
ープの、年1度のスケッチ展を観覧しました。

 そのあと、国道17号を北へ、JR北浦和駅西口の北浦和公園内にある県立近代美術
館へ。ここでは、この日が最終日の 『私がみつけた「埼玉の自然」フォトコンテスト』 の
入賞・入選者の方々の作品展の鑑賞です。

 天気がよいのでもう少し歩くことにして、さらに国道17号を北へ、JR埼京線の北与野
駅まで行き、そばの大型書店、「書楽」をのぞいた後、JR埼京線上りで帰途につきました。

 

 

 
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門前仲町から両国へ、芭蕉ゆかりの地を訪ねる(東京)(続き)

2011-02-13 17:02:23 | 江戸・東京を歩く
 2011年2月11日(金・祝)(続き)

 ゆっくりと見た資料館を出て、清澄庭園の北に回り、臨川寺へ。松尾芭蕉がたびた
び参禅した寺とのこと。

 小公園のような一角に、芭蕉像と芭蕉由緒の碑、それに墨直しの碑が並んでいた。

 清澄二丁目のこのあたりには、八百長問題で揺れる相撲部屋が幾つかあったが、
いずれも玄関は固く閉ざされていた。


 隅田川に近い萬年橋通りに出て、その萬年橋を渡る。江戸時代の萬年橋は、葛飾
北斎の「富嶽三十六景」や、安藤広重の「江戸名所百景」に描かれたという。


 橋のたもとに、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句が掲げられていた。

 橋の北岸には、「川舟番所跡」の説明板があり、江戸時代に、江戸から小名木川を
経て利根川を結ぶ流通網の出入口として、川舟を利用してここを通る人と荷物を検査
したことが記されていた。

 北側の通りを左折すると、「芭蕉稲荷大明神」ののぼりの林立する、狭い境内の稲荷
神社がある。

 芭蕉庵のあったところで、芭蕉は延宝8年(1680)から元禄7年(1694)まで、ここ
を本拠としていたという。

 近くの隅田川と小名木川との合流点に、芭蕉庵史跡展望公園が整備されている。少
し高見の公園に上がると、下流間近に清洲橋↓が、上流には新大橋周辺が望まれる。


 園内には芭蕉像があり、小さな池などが設けられていた。


 堤防に沿って少し進み、裏口から芭蕉記念館に入る。建物に沿った、狭いながらも趣
ある庭園に、滝が流れて白梅が咲き、ところどころに芭蕉の句が吊されていた。



 館内2階と3階が展示室。句人の書簡や短冊、芭蕉の肖像や系譜など、ゆかりの品
々が並んでいた。ちなみに、館内は撮影禁止である。

 表門のある萬年通りに出て、八名川小の前を東に抜け、深川神明宮に詣でる。境内
南側に、近代的な御輿蔵が2棟あり、近隣八町内の御輿が収蔵されていた。


 本殿は近代的なコンクリート造りだが、ここは400年前、深川八郎右衛門が開拓して
伊勢皇大神宮を祭った「深川」の地名発祥の地だという。

 深川ゆかりの地で、今日の記念撮影とする。


 新大橋通に出て、都営地下鉄森下駅上を通過し、清澄通へ。首都高小松川線下を抜
けてすぐに左折、桐の博物館前を過ぎる。


 両国小の西に回ると、忠臣蔵でおなじみ、赤穂義士、吉良上野介の上屋敷跡の一角
が、本所松坂町公園と呼ぶ小公園になっていた。

 当時の吉良邸は約2,550坪(約8,400㎡)あり、公園はその86分の1に過ぎないと
いう。当時の海鼠壁(なまこかべ)を模した塀に囲まれた園内には、新しい吉良上野介
像があり、壁面には、義士関係の記録や絵画が並び、首洗い井戸などが残されていた。

 墨田両国三郵便局の先で、裏門をくぐって回向院(えこういん)に入る。

 回向院は、明暦3年(1657)の江戸大火・振袖火事の死者、10万8千を弔らうために
建立し、その後、安政大地震(1855)の死者2万5千人余りなども埋葬され、大正12
年(1923)の関東大震災の死者10万余人の分骨も、納骨堂に安置されているという。

 広い境内には、宝暦7年(1757)建立の塩地蔵↑、鼠小僧(ねずみこぞう)の墓、木遣
塚、江戸時代の戯作者・岩瀬京伝、京山兄弟の墓、江戸中期の国学者、加藤千陰の墓、
明暦大火横死者供養塔、力塚など、見るべきものが多い。


 一時小降りになった雪が、またかなり降ってきた。

 表門から出て北へ、名横綱の力士像や手形の並ぶ国技館通を進み、ゴールのJR総武
線両国駅に、13時35分に着いた。


 (天気 雪、参加 17人、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地 江東
  区、墨田区、歩数 9,900)


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門前仲町から両国へ、芭蕉ゆかりの地を訪ねる(東京)

2011-02-12 21:07:55 | 江戸・東京を歩く
 2011年2月11日(金・祝)

 まる18年となったカントリーウオークグループ、今年最初の例会は、東京メトロと都営
地下鉄の接する門前仲町駅に集まり、10時15分に出発した。今日は、カントリーウオ
ークではなく、芭蕉ゆかりの地など、江戸の面影を探るタウンウオークである。

 門前仲町の交差点から永代通りを東に向かい、門前に菓子やせんべい、飲食店など
の並ぶ通りを入り、まずは深川不動尊へ。


 お札(ふだ)などを授かる建物の前に、大きなわらじが立てかけてある。境内には、奉
納された力石もあった。



 すぐ東側が、富岡八幡宮。きらびやかな社殿に参拝し、御輿蔵(みこしぐら)にある日
本一という御輿をのぞく。重さ4.5トン、ダイヤモンドやルビーをたくさんちりばめてあり、
金色に輝いている。


 鳥居の近くには、ここから出立し、日本中を測量して精密な地図を作った、伊能忠敬
(いのうただたか)の像が立つ。


 境内にはほかに、大関力士碑、横綱力士碑などがある。


 境内を北に抜けて、首都高9号線の高架下を西へ向かう。清澄通りに出て北へ少し
で、深川ゑんま堂で知られる法乗院に行く。

 本堂左手の焔魔(えんま)堂に、真っ赤な顔をした大きなえんまさんがにらんでいる。

 願ごとに分かれた賽銭(さいせん)筒にお賽銭を入れると、えんま様の厳かなお声
が拝聴できる。

 本堂正面には、金色の仏像が並び、両側のミラーで数限りない像が並んでいるよう
に見える。周囲の壁面には、極楽浄土を描いた極彩色の絵が並んでいた。


 さらに北へ、仙台堀川の南側は、芭蕉が「奥の細道」に旅だった採茶庵跡。旅姿の
芭蕉像が、小さな建物の前で雪に濡れていた。

 車道の向こうに塗れる芭蕉像を見て、仙台堀川を渡る。


 橋の北側、深川老人福祉センターの一角が、江戸後期の小説家・滝沢馬琴誕生の
地。馬琴の代表作である、「南総里見八犬伝」の書を積み上げた像が出来ていた。


 通りの西は三菱の創始者、岩崎弥太郎が造った清澄庭園。東側一帯には、振袖
(ふりそで)火事以降に集まったという寺院が密集している。

 その墓地の一つに、紀伊国屋文左衛門の碑が立ち、背後にはゆかりのミカンの木
が植えられていた。


 北側に、広い境内にコンクリート造りの大きな本堂が目に付く霊巌寺がある。境内
には、都指定文化財で江戸六地蔵の一つ、銅造地蔵菩薩座像が祭られている。


 石柵に囲まれた一角には、八代将軍徳川吉宗の孫で、陸奥白河藩主だった松平
定信の墓があった。


 門前の通りを東に少しで、江東区立深川江戸資料館に入る。


 館内の広い空間に、江戸時代の深川の町並みや、人々の暮らしを再現した展示が
あり、一巡して観覧した。


                               (続く)


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門前仲町から両国へ(東京)

2011-02-11 22:37:11 | ウオーキング
 雪となった今日、2月11日(祝・金)、カントリーウオークグループの例会で、東京・江東
区内の芭蕉ゆかりの地や、江戸の名残の場所などを訪ね歩きました。

 レポートは別途とし、簡単に写真で、訪ねた主要ポイントを紹介します。

 出発地は、東京メトロと都営地下鉄の門前仲町駅。まず、近くの成田山深川不動堂を
経て、富岡八幡宮に入ります。境内南側にある伊能忠敬(いのうただたか)の像。


 ルートは、ほぼ北に向かいます。これは、深川2丁目の法乗院の深川えんま堂のえん
ま様。「悪いことはいたしません」とお祈りしました。


 清澄庭園の東側一帯には、寺院がたくさんありますが、その一角の墓地にある、
紀伊国屋文左衛門の碑。


 近くにある深川江戸資料館に入り、休憩をかねて江戸をしのぶ建物や展示を観覧し
ました。


 芭蕉記念館分館の史跡展望庭園からの、隅田川下流と清洲橋の眺め。


 両国2丁目まで進み、吉良邸跡の小公園を訪ねました。


 最後に訪ねたのが回向院(えこういん)。裏から入ってこの北側の門に抜け、ゴール
の両国駅には、13時半頃着きました。


 雪だったので、予定よりかなり早く回り、ゴール後は、駅の近くの店で、ちゃんこ鍋を
楽しんで帰りました。
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ヤマケイ山岳選書 『地形図の楽しい読み方』 発刊

2011-02-09 21:15:59 | 地図
 2011年2月9日(水)

 首都圏としては、この冬の初雪となった今朝の雪でしたが、わが所沢では、朝、
雨戸を開けたらチラチラしていましたが、間もなく薄日が差し始め、積雪とはなり
ませんでした。

 そこで午前中、いつものようにしないウオーキングに出かけました。小手指町に
回ったら、民家の庭先のしだれ梅が、ほぼ見頃となっていました。




 市内ウオーキングでは、ほとんど必要ありませんが、あちこちに出かけるウオーキ
ングの際、私にとって欠かせないものが、国土地理院発行の地形図です。

 毎月のように参加しているカントリーウオークグループの例会や、カタツムリ歩行の
例会、関東百駅巡礼歩行、春秋の国際ウオーキングトレイル実踏をはじめ、これまで
報告している四国遍路や熊野古道、中山道ウオークなど、さらに奈良や京都の市内
の寺社巡りを含め、私が訪ね歩くときには、いつもは2万5千分の1を、四国遍路で
は5万分の1地形図をコピーして持って行きます。

 地形図さえあれば、どこでも歩けるということになり、以前訪ねたイギリスや、ドイツ
でも、言葉が分からなくても、地形図を片手にその土地を巡ることができました。

 そんなわけで、自分で購入した地形図も増え続けていて、今日数えてみたら、2万
5千分の1地形図が500面、5万分の1地形図が92面になっていました。

 日本全体では、2万5千分の1地形図が4,336面、5万分の1が1,291面なので、
私は、2万5千分の1の11.5%を、5万分の1の7%を持っていることになります。

 ウオーキングの際の地形図は、私にとって必携品なので、これからも増え続けて行
くものと思われます。

 地形図は、2万5千分の1図が270円、5万分の1図が290円という値段ですが、
1枚に盛り込まれた情報は大変なもので、1枚でたくさん楽しめる、貴重な資料です。

 ところで、普段地形図を読み慣れていない方には、地形図はわかりにくい、難しい
ものという意識があるかもしれません。

 限られた紙面に、一定のエリアの幅広い情報を盛り込むのですから、省略したり、
記号化したり、本当の位置より少しずらして表現しなくてはならないものもあります。

 そんな地形図の読み方を理解して、より楽しく地形図を使えるようにと企画された
本が、最近発売されました。

 ハイカーにはおなじみの、山と渓谷社の新書版、ヤマケイ山岳選書の『地形図の
楽しい読み方』です。



 著者の今尾恵介さんは、「地図を愛読書としている」といわれるほどの地図愛好家
で、地図に関する著書をたくさん刊行され、私も何冊も購入しています。

 本書では、地形図の魅力を引き出すために、地形図がつくり出す小宇宙、地形図の
表現法、地形図上に広がる不思議な世界、地形図にまつわるよもやま話といった章に
分け、ご自身のスケッチ図や写真、地形図の例などを豊富に盛り込んで、分かりやす
く、また興味深い話がたくさん盛り込まれています。

 地形図のことをもっと理解したい、地形図を使って迷わずに歩きたい、地形図の楽し
み方を知りたい、といった方に、ご一読をおすすめします。

 (今尾恵介著、新書版206頁、山と渓谷社発行、本体952円) 
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Lake to Lake ウオーク(下妻から古河へ)(茨城)(続き)

2011-02-06 14:55:17 | ウオーキング
 2011年1月31日(月)続き

 小さい池のほとりに、丸山農村ふれ合い広場があり、東屋や子どもの遊具などがあ
ったので、小休止した。


 恩名の丸山集落を抜け、飯沼川沿いの田園に出ると、行く手に赤と白に塗り分けた、
高いアンテナ群が目に入る。



 次の流れを渡って台地に上がり、そのアンテナ群のそばに行く。KDDIの八俣送信
所である。

 高さ100m近くあろうか。アンテナ塔は30以上あり、その間をたくさんの電線で結ば
れている。塔の横を進んで、送信所の北側に回ると、工事中の広い道路があった。

 その先では、南北に抜ける広い通りも工事中。山田の下町集落に入り、東漸寺の駐
車場を借りて、昼食にした。



 集落を出て小さい流れを渡る。雲が増えてきて、風が冷たく感じる。新和田集落を
鍵の手状に抜ける。集落には、吉祥寺があった。



 さらに田園地帯となり、突き当たって右折、国道四号バイパス↑下を西に抜けと、
十間(じゆつけん)通りと呼ぶ広い車道へ。地形図上にはない通りだ。南北に走る通
りとの交差点際に、今日初めてのコンビニ、セブンイレブンがあった。

 予定の道は、北に少し進んでから左折するのだが、十間通りを進めば、その通りと
行き交い、近くに目印の神社があるはずだと考え、十間通りに入った。

 しかし神社は見つからず、そのまま十間通りを進む。北に、雪の日光連山が望まれ
る。



 通りは、左カーブして宮戸川の流れを過ぎた先で、右からの車道と合流した。道は
真っ直ぐに西進し、県道190号と交差する関戸交差点で、現地を確認する。


 その先は、丘里工業団地。山崎製パンやヤマザキナビスコの工場があり、車道沿い
には松並木が続く。


 すぐ先で左への細道を入り、予定のコースに向かって軌道修正し、高野集落で予定
の通りに入る。


 東北新幹線の高架下を抜け、上辺見集落にあった、香取神社で最後の休憩をする。


 小さい流れを渡り、東本町四丁目の住宅地を進む。

 国道4号の交差点で関戸からの車道に入り、電線の地中化された新しい広い通り
を真っ直ぐに西進、15時50分にJR宇都宮線の古河(こが)駅にゴールした。


 今日も向かい風が強く冷たかったが、日照が多かったので、昨日の「とりで利根川
七福神」めぐりほどの寒さは感じなかった。でもこの日の古河市の最高気温は、6.7
度、この冬一、二の寒さだった。

(天気 快晴一時晴、距離 29㎞、地図(1/2.5万) 下妻、諸川、古河、歩行地
 下妻市、八千代町、古河市、歩数 45,500)

【コースタイム】下妻駅8・15ー砂沼東岸8・35ー鬼怒川橋東詰9・09ー八千代保育園
 9・43ー大日霊貴社10・06~10ー体育館前10・40ー・吉田用水間中支線11・04ー
 飯沼川11・52ーKDDI八俣送信所正門前12・05ー東漸寺(昼食)12・32~13・00
 ー吉祥寺13・25ー大和田交差点(R4バイパス下)13・45ー関戸交差点14・23ーJR
 東北新幹線下15・00ー香取神社15・07~12ー古河駅15・50


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Lake to Lake ウオーク(下妻から古河へ)(茨城)

2011-02-05 19:06:30 | ウオーキング
 2011年1月31日(月)

 「やまさん」こと山浦正昭さんのLL(Lake to Lake)ウオーク、今年は、茨城県下妻
(しもつま)市の砂沼(さぬま)から群馬県館林市の多々良(たたら)沼までの55㎞、
ゴーゴーウオークが、1月10日(月・祝)と2月11日(金・祝)に計画された。

 1月10日、私は引っ越し翌日のため参加できなかったので、一人で歩くことにして、
1月31日(月)朝、関東鉄道常総線の下妻駅に下りた。

 快晴で冷え込んだ朝、帰宅後調べたら、この日の下妻の最低気温は零下7度との
こと。コースは、古河まで、ほぼ西に向かう。

 まずは駅西口を出て、線路沿いの旧道を北へ、下妻拘置支所の横を通過し、広い
通りに出て左折して西に向かう。すぐ先のカーブ点に下妻神社があり、境内にご神木
で推定樹齢500年、高さ20mという大ケヤキが立つていた。


 その角を西に入って行くと、砂沼東岸の中ほどに出る。釣りに使うのだろうか、木造
の貸し船がたくさん並んでいる。



 沼のほとりに鎮座する愛宕神社の境内を抜けて、砂沼の中間にかかる橋を渡る。東
側に、筑波山が姿を見せる。


 沼の周辺は、砂沼広域公園になっていて、緑陰にたくさんの遊歩道が巡らされてい
る。市民プールの脇を抜け、駐車場のところで公園の西の車道に出た。

 長塚集落の細道を抜けて、鬼怒川左岸堤防へ。

 国道125号線の新鬼怒川橋に平行する歩道橋を渡り、国道に平行する道で本郷集
落を西に抜ける。

 その先は、広々とした田園地帯。向かい風がやや強く冷たい。振り返ると、筑波山
から加波山へと続く山並みが望まれる。沼森集落のあたりからは、西に富士山らしい
姿も見られる。沼森の金剛寺の山門前には、大ケヤキが枯れ枝を広げていた。


 集落の北、八千代保育園を過ぎると再び田園地帯。北に、雪をまとった日光連山が
見えてきた。近くの田んぼでは、早くも耕耘機で耕している。


 振り返ると、相変わらず筑波山が全容を見せている。


 次の菅谷集落が近づき、こんもりとした森に上がったら、大日霊貴社と呼ぶ神社が
祭られていた。



 山川沼排水路を渡って県道20号を横断し、菅谷集落を抜けて国道125号を横切る。


 送電線の下を流れる細い水路、入沼排水路を過ぎ、根ノ谷集落へ。


 保存林となっている平地林と体育館の間を抜けると、八千代町町民公園があり、や
ちよ乃湯憩遊館と呼ぶ日帰り温泉施設などが見える。


 大戸新田のY字路を左に入ると、茶畑がと製茶工場がある。わが所沢や隣接する入
間、狭山市は、狭山茶のの産地だが、このあたりでは珍しい茶畑だ。


 水口集落の西で、吉田用水間中支線と呼ぶ細い流れを渡り、平塚集落を抜ける。西
側一帯に、地形図上はNTT名崎送信所のアンテナマークが、40以上記されているが、
マイクロウェーブのアンテナ塔1基だけ。あとはすべて姿を消して、キャベツなど普通の
畑が広がっていた。


                                 (続く)

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とりで利根川七福神めぐり(茨城)(続き)

2011-02-03 22:01:44 | 七福神めぐり
 2011年1月30日(日)続き

 東谷寺本堂前の急な石段を下り、竹林の間を進んで、利根川左岸の舗装路に出た。


 枯れススキに沿って斜面林の下を右に回り込むと、高い堤防が現れた。先ほど北
側を通った、国交省相野谷川排水機場の手前で堤防に上がる。


 相野谷川が利根川へ流入する地点を通過し、上流である西に向かって堤防を進む。
向かい風が強く、雲も増えて寒くなってきた。


 浄水場横を過ぎると、北に筑波山が、午前中よりはっきりと望まれる。



 堤防上に展望台があったので上がり、利根の流れや筑波山などを一望する。


 その先の河川敷は、取手緑地運動公園になっていて、少年野球やサッカーなどの
グランドがある。対岸の遠くのビルの上に、霞んではいるが↓富士山も望まれた。


 海から83㎞地点の少し先で堤防を離れ、東三丁目の住宅地付近から県道11号の
本陣通りに入った。

 右手に墓地が見えたので、石段を上がると、突き当たりに念仏院の本堂があり、
その前に大イチョウが枝を広げている。


 福禄寿は、本堂前のツバキの生け垣の中に、赤ずきんと赤い前垂れをかけて立って
いた。


 県道には、街道筋らしい古い蔵造りなどの建物が、幾つか見られる。


 取手総鎮守の八坂神社には、節分祭ののぼりが立ち、鳥居の両側の狛犬は、溶岩
のような黒い固まりの上に乗っていた。


 取手一丁目まで進み、旧取手宿本陣・染野家住宅前へ。公開しているとの表示が
あったので、門を入ってかやぶき屋根の建物に上がって、内部を拝観した。


 染野家は、代々取手宿の名主で、貞享4年(1687)に水戸徳川家から本陣を命じ
られたという。建物の西側斜面を上がると、九代水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)の読
んだ、歌碑があった。


 漬け物の新六本店の先を右折して、突き当たりの石段を上がり、最後の長禅寺に入
る。承平元年(931)、平将門が創建したと伝えられ、三代将軍家光以来、代々の徳
川将軍から朱印地を賜っているという。

 新四国相馬霊場八十八か所の総本地で、一番、五番、八十八番の札所にもなって
いる。

 山門を入った突き当たりの三世堂は、宝暦13年(1763)の建立。外観は二層だが
内部は三層で、守り本尊の十一面観音と、坂東三十三か所、秩父三十四か所、西国
三十三か所の本尊が祭られていて、参拝者は入口から順路を進めば、交差すること
なく一巡できる「さざえ堂」形式になっているという。



 七福神最後の大黒天は、本堂前に祭られていたが、本堂内にもあるようだ。広い境
内には大樹が多く、ほかに大師堂、八十八か所総拝堂、鐘楼などの建物がある。


 午後は雲が増えて風が冷たく、体も手も冷え切った。寺の西側下を回り、取手駅に
は15時32分に戻った。

 (天気 快晴後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 取手市、歩数
 23,700)

 【コースタイム】JR取手駅10:15ー光明寺10:43~50ー普門院11:03~13ー相野谷川
  機場公園11:49~58ー明星院(昼食)12:15~45ー福永寺12:53~13:01ー東谷寺
  13:12~23ー展望台13:55~14:00ー念仏院14:25~35ー八坂神社14:39~43ー旧
  取手宿本陣14:46~15:05ー長禅寺15:10~27ーJR取手駅15:32


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とりで利根川七福神めぐり(茨城)

2011-02-02 22:33:21 | 七福神めぐり
 2011年1月30日(日)

 寒かった1月、最後の日曜日に、「とりで利根川七福神」めぐりに出かけた。


 JR常磐線取手駅東口を10時15分に出て、線路に沿って北へ。取手一高や取手
井野郵便局前を通過し、次の通りで踏切を渡り、線路の北側に回った。


 線路沿いに進み、キリンビール取手工場の東へ回り、まずは寿老人の光明寺へ。
石造りの寿老人は、本堂前に立ち、その前に、陶器製のミニ七福神がたくさん並ん
でいた。


 境内には、松が4本のほかにナンテンが多く、「南天の寺」と呼ばれている。また、
「一本刀土俵入り」の作者、長谷川伸がこの地を愛したとのことで、土俵入り姿の新
しい石像と、長谷川伸作の歌碑もあった。


 南に向かい、線路を渡って屋敷集落に入る。昌松寺のそばを回って行くと、田んぼ
を背にした布袋尊の普門院がある。


 石造りの布袋尊は、本堂前に軍配を持って立ち、その前にもミニ七福神や宝船が
並ぶ。


 境内には筆塚もあり、ロウバイが花を見せる。幕末に近くの牛久藩に生まれ、カッパ
の絵で知られる、小川芋銭(うせん)ゆかりの寺のようだが、その説明は何もなかった。

 集落東側の広い車道に出た。すぐ先で左折し、田んぼの中を貫く真っ直ぐの車道を
南東に向かう。車道には桜並木が続き、北に目を向けると、少し霞んではいるが、筑
波山が望まれる。



 相野谷(あいのや)川沿いに出て、カモの泳ぐ流れを見下ろしながら南進し、県道
11号の下をくぐる。国交省相野谷川排水機場の近くで橋を渡って戻ると、県道横に
小公園がある。


 相野谷川機場公園で、この場所が旧相野谷機場跡。公園の中央に、農業用水の
汲み上げに用いたポンプらしいのが展示され、機場の概要の説明板もあった。


 県道に出て、広い歩道を東へ、すぐ先のカーブ点北側に、上の面足(おもたる)神社
周辺を回る「市民いこいの森遊歩道」の看板があり、その台地に上がると、茨城百景
「大利根の展望」が得られるようだが、寄るのは省略した。

 信号のある交差点際にセブンイレブンがあり、その先に並ぶ大師霊園と呼ぶ墓地の
間を回って、少し高台にある、大きな本堂の明星院に上がった。


 明星院は、関東八十八か所四十三番と相馬八十八か所十九番札所で、厄除大師と
しても知られているようだ。


 恵比寿神は、本堂前の梅の古木の下の大岩に、色鮮やかな朱の衣をまとい、笑顔
で座っている。下の台座には、やはり陶器製のミニ七福神が並んでいた。

 本堂手前の大師堂前そばに、シダレザクラがあり、近くの白梅やロウバイが花を開
き始めていた。道路を隔てた東側、薬師堂横の集会所風の前にシートを広げて、昼食
の場とさせてもらう。

 県道に戻り、次の信号のある交差点を北に入り、中妻集落の中心にある、毘沙門天
の福永寺へ。本堂には色鮮やかな五色の幕が張られ、本堂前のモクレンのつぼみが
かなりふくらんでいる。


 本尊の毘沙門天は本堂内に、七福神の毘沙門天は、本堂の右に並ぶ寺務所奥の
お堂に祭られているようだが、朱印をもらえる時期を過ぎているので、拝観は省略した。

 県道の交差点に戻り、南東への斜めの小道に入り、カーブの多い道を進むと、弁財
天の東谷寺本堂裏手に出る。朱印所は本堂北側にあり、道を挟んだ北側が墓地。

 本堂の東側を回って境内へ。弁財天は本堂内に鎮座しているようだが、ここも拝観
は省く。


 新四国八十八か所六十六番札所で、相馬八十八か所の札所でもあり、本堂東側に
大日堂や如意輪観音堂がある。


                                (続く)

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