あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

西武鉄道小手指基地を見る

2007-02-10 22:08:29 | 鉄道
 今日は、埼玉県所沢市にある西武鉄道小手指(こてさし)車両
基地を公開する催し、『Varentine 小手指車両基地 Day』が
開催されました。

 東側の市道跨線橋から見た小手指車両基地の全景です。この
東側(背後)に西武池袋線小手指駅があります。

 車両基地入口の看板、普段はありませんからこの催しのために
作られたようです。


 基地の西側に並ぶ車両を間近に見ることが出来ます。

 電車の好きな子どもさんを連れた家族など、大勢の人が基地を
訪れました。


 西武線沿線の方には、おなじみの車両がいろいろ並んでいましす。


 休日に走行する急行奥武蔵号。


 遠距離用の2ドア車両。


 夏の華火シーズンに、東京メトロ有楽町線乗り入れの臨時電車
「華火ライナー」号。


 最新型の20000系車両。
 

 東京メトロの乗り入れ車両(左)も並んでいました。


 運行種別というのでしょうか、その区分の表示板。


 いまは運行機会が少ない電気機関車もあります。


 制服を借りて写真を撮る制服撮影会は、かなりの人気でした。


 休憩できる車両もあり、この中で弁当を食べている人もいます。


 このほか、ピットと呼ぶ屋根のある車庫で、2000系車両の床下
車両の見学、車輪を削る転削場の公開、時間を限って運転台乗車
体験、子どもさん向けのぬりえ・ペーパークラフト制作なども行われ、
売店、臨時トイレも設けられ、盛況でした。

 西武鉄道では、小手指基地以外でも、飯能市の武蔵丘、西武新宿
線の入曽(いりそ)車両基地でも、同様の催しが1年1回開催されて
います。
 
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ブログ『あるきメデス』まる1年

2007-02-09 21:10:19 | Weblog
 2006年2月9日に、当ブログ『あるきメデス』を開設し、
今日で1年になりました。毎日、多数の皆さんにご覧いた
だいたことにつき、厚く御礼申し上げます

 この1年を振り返って、データを集計してみました。

<1>月別投稿数(投稿数/日数)
2006年2月 18/20
      3月 27/31
      4月 27/30
      5月 25/31
      6月 28/30
      7月 19/31
      8月 30/31
      9月 30/30(毎日投稿)
     10月 27/31
     11月 30/30(毎日投稿)
     12月 31/31(毎日投稿)
2007年1月 31/31(毎日投稿)
      2月  7/8 (昨日まで)
     計 331/365<投稿率90%>

<2>カテゴリー別投稿数(投稿数順)
1.Weblog              97
2.英国のウオーキング       39
3.ウオーキング           30
4.四国遍路(前編)         27
4.四国遍路道ふた旅(前編)   27        
6.四国遍路(後編)         22
7.カントリーウオーク        16
7.中山道を歩く           16
9.英国いろいろ           15
10.所沢だより            14
11.京都を歩く            10
12.関東山の辺の道         8
13.塩の道を歩く            7
13.国際ウオーキングトレイル実査 7
13.地図                 7
16.関東百駅巡礼歩行        5
16.カタツムリ歩行           5
16.道路                 5
19.歩きたくなるみち500選     4
19.奈良を歩く             4
 
<3>使用画像数
 1年間合計 2,949枚(155.74MB)
 1日平均     8枚

 ちなみに、当ブログ(gooブログ)では合計3,000MB(3GB)
まで無料で使用できますので、現在のペースで投稿しても約
19.2年間写真をアップできることになります。

 19年も先まで心身とも健全で、ブログ造りを続けることが
出来るとは思えませんが、いましばらくは続けたいと思います

 これからも、より容易に理解していただけるよう、写真を多用
したブログづくりを続けたいと考えておりますので、引き続きご
覧いただき、ときにはコメントもいただけますよう、よろしくお願
いいたします
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歩道を走る危ない自転車

2007-02-08 22:20:49 | Weblog
 昨夜のNHK総合TV、「クローズアップ現代」のテーマは、
『歩道か車道か▽危ない自転車』でした。

 まず、自転車はどこを走るべきなのでしょうか。

 警察庁交通局監修の「交通の教則」によれば、「自転車の
通るところ」として、以下のように書かれています。

(1)自転車は、車道を通るときは、道路工事などの場合を
   除き、車道の左端に沿って通行しなければなりません。

(2)自転車は、路側帯を通ることが出来ます。しかし、歩行
   者の通行に大きな妨げとなるところや、白の二本線の
   標示のあるところは通れません。

(3)普通自転車は、自転車歩道通行可の標識のある歩道を
   通ることが出来ます。この場合、次の方法により通行
   しなければなりません。
 
   ・歩道の車道寄りの部分(歩道に白線と自転車の表示
    がある場合は、それによって指定された部分)を徐行
    すること。

   ・歩行者の通行を妨げるおそれのある場合は、一時停止
    すること。

(4)普通自転車は、自転車道のあるところでは、道路工事な
   どの場合を除き、自転車道を通らなければなりません。

(5)道路を横断しようとするとき、近くに自転車横断帯があれ
   ば、その自転車横断帯を通行しなければなりません。
   また、自転車横断帯がないところでも近くに横断歩道が
   あるときは、自転車を押してその横断歩道を渡るように
   しましょう。

 自転車に乗る人で、このことを全部ご存じで、しっかり守っ
ておられる方は少ないのではないでしょうか。

 そのため、歩行者の私にとって歩道を通る自転車は、『走る
凶器』に思えることがよくあります。

 今日日没近くに歩いた所沢航空記念公園周辺は、歩道に
自転車通行帯が設けられていますが、それを守らずに走行
する人を何人か見ました。

 自転車歩道通行可の標識や、自転車走行者などの模様を
紹介します。

 歩道と自転車道が植え込みで分離されているところです。

 歩行者も自転車通行者も、それぞれの区分を守ってくれ
れば、お互いに安心して通行できます。

 白線で分離するほど広くない歩道です。自転車は車道
側と標示されています。


 自転車歩道通行可の一般的な標識ですが、自転車はどこ
を走るのかが標示されていません。

 何も知らない自転車通行者は、車道側を走行してくれる
とは限りません。

 この歩道は、白線で歩道と自転車走行路が分離されてい
ます。車道はけやき並木の右側なので、自転車は車道寄り
の右側を走らなければいけないのですが、この自転車は歩
道部分を走行しています。


 この歩道も上と同じで白線で分離してありますが、自転
車も歩行者もおかまいなくそれぞれのゾーンに入ってしま
っています。歩行者もゾーンを守って欲しいですね。


 自転車横断帯のある横断歩道です。ここで待っている人
のように決められた横断帯を通行してくれるといいのです
が……


 左の自転車のように、自転車横断帯を無視して(全く意
識してない)横断する自転車が多いのは困りものです。


 いつも自転車を利用される方、初めに書いた『自転車の
通るところ』の説明と、下の図をよく理解していただき、自転
車通行可の歩道を通行するときは、歩行者に十分注意され、
『歩道は歩行者優先』で『自転車は通らせてもらっている』と
いう意識で走行してもらえると、歩行者も安心です。

 ぜひご理解のほど、よろしくお願いいたします

 
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カントリーウオーク蓮田(埼玉県)

2007-02-06 23:07:40 | カントリーウオーク
 本日は、埼玉県内を中心にカントリーウオークをしているグル
ープの、一昨年2月例会の模様を報告します。

===========================

 =カントリーウオーク蓮田=  2004年2月11日(宿)



 JR宇都宮線蓮田駅に集まったメンバー23人は、10時16分
に出発する。

 まずは、東口から南東へ直線の道を1㎞ほどの神亀(かみか
め)酒造へ行く。

 神亀酒造の創業は嘉永元年(1848)という老舗。日本で最初
の、純米酒だけの醸造を始めたことで知られているという。

 酒造のHさんの案内で、洗米して蒸す釜場、大きな貯蔵タンク
群、吟醸中のこうじ室、積み上げたこうじ棚を圧力をかけて絞る
絞り機などの行程を拝見し、絞ったばかりの新酒の試飲もさせ
てもらう(写真はこうじの棚積み)。


 さらにお土産に「神亀」300ミリ㍑ビンと酒粕までいただき、
深謝して神亀酒造を出る。

 道路を隔てて直売店もあり、何人かが神亀酒造の酒や酒粕を
購入した。

 この後はグループごとに分けて昼食地へ向かう。梶ヶ谷戸公
園を抜け、住宅地を南西に進んで慶福寺へ。

 まにわ塔と呼ぶ新しい大きな半円塔がある。

 まにわとは摩尼珠のことらしく、塔に108体の摩尼珠車が
あり、回して礼拝するようだ。

 古い本堂のぬれ縁には、田んぼの耕耘(こううん)に使ったと
思われる木製の古いそりや竹製のビクがある。


 庭には、新潟中越地震物故者の慰霊と復興祈願にご住職が
制作したという、かわいい河童五百羅漢がたくさん並んでいた。


 また、精巧な彫刻を施した石灯ろうも立っていた。


 県道322号を横切り、蓮田南中の東から北を回って、JR宇
都宮線の西に出る。

 見沼代代用水右岸沿いに進んで、瓦葺伏越(かわらぶきふせ
ごし)にある小公園に12時ちょうどに着いた。

 瓦葺伏越は、見沼代用水が綾瀬川と交差するところ。綾瀬川
の下を樋管(パイプ)で潜るサイフォンとなっており、代用水はここ
から西縁(にしべり)、東縁に分流されている。

 少し風があり小公園は寒い。南側の田んぼは、風よけになり
そうな土手と、はさ掛けに使う丸太の保管場所があるので、乾い
た田んぼにシートを敷く。



 
 午後は、もう1度グループを組み変えして13時に出発する。
最後のグループがザックの忘れ物を発見し、呼びかける。背中
が軽いのに気づいたのはIさんだった。

 見沼代用水右岸の緑のヘルシーロードを北に向かう。豊富な
流れにカイツブリが2羽浮いていた。1.5㎞ほど先、見沼町の
勤労青少年センターでトイレを借りる。

 県道150号を東に少しの駐車場に、関山式土器の説明板が
あった。約6千年前の縄文前期の遺跡で、3軒の住居跡やほぼ
完形の関山式土器、5千点を越える土器の破片が出土したと
いう。

 県道を代用水の西まで戻る。栄6丁目の住宅地の北側に出
ると、一面に田園地帯が広がり、東北新幹線の向こうに雪の
赤城山や日光連山などが遠望できる。

 途中から2本北の農道に進んで西に向かったが、吹きさらし
なので風がやや冷たい。

 本集落に入ると樹木畑が多く、マンサク、ロウバイ、梅などが
咲いていた。

 東北新幹線の西側に出て、県道311号の薬王寺へ。小さめ
のお堂に薬師如来を中心に十二神将像が並び、みこし蔵には
百貫みこしが保管されていた。

 新幹線の東に戻り、南に進んで別所の法光寺に寄る。延暦
10年(791)開山という古寺。本堂は工事中で、境内に上の方
が欠けた十三仏板碑があった。

 約束の集合時刻、15時丸山駅到着に間に合いそうにないと
気づく。小室別所交差点から県道323号を急ぎ、丸山駅前を
通過し、原市の長久寺前のだんご屋・もみじ庵に15時28分
に着いた。

 予め担当のAさんが連絡し、休業日なのに特に営業してもら
ったもの。

 厄除け、みそだれ、磯部などの素朴なだんごや、コーヒー、
抹茶などを各自注文して味わった。

 ゴールの沼南(しょうなん)駅には16時6分に着いた。埼玉
新都市交通のモノレールで大宮駅に出て、有志は西口のT倶
楽部で、グループ発足12周年記念の宴を開く。

 いつもの居酒屋とは違うふんい気でにぎやかに歓談した。

(参加 23人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、
 歩行地 埼玉県蓮田市、伊奈町、上尾市)
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「東京マラソン2007」コースウオーク

2007-02-05 22:38:28 | 江戸・東京を歩く
 2007年2月4日(日)

 北風の冷たい昨日でしたが、「東京マラソン2007」コース
ウオークに出かけました。

 「東京マラソン2007」は、今年から始まる新しい市民マラ
ソンで、2月18日(日)に実施されます。

 ちょうど青梅マラソンと日にちが重なり、危機を抱いた青梅
マラソンの主催者は、昨日に変更して実施したことは、報道
された通りです。

 コースは、西新宿の東京都庁をスタートし、靖国通りを東へ、
飯田橋から竹橋を経て皇居東側の内堀通りを南へ進み、日
比谷公園から日比谷通りを南に、品川駅前で折返して日比
谷公園まで戻ります。

 その先が、私が参加した後半のハーフコース(21km)です。
銀座通りから茅場町、浜町、浅草雷門まで往復し、晴海通り、
築地本願寺前、佃大橋を通過し、東京メトロ有楽町線沿いに
東雲(しののめ)橋まで行き、有明テニスの森公園を経て、
東京ビッグサイトをゴールとするものです。
 
 東京の著名な名所をひととおり通過するというのが売り物で、
マラソン当日は多数の市民ランナーが参加するようです。

 ハーフコースのスタートは日比谷公園。8時受け付け開始、
9時にスタートしました。

 快晴ですが風が冷たく、気温も10度以下なので、厚いジャ
ンパーを着たままで出発しました。

 晴海通りを東に向かい、銀座4丁目交差点で左折し、銀座
通りを北へ向かいます。通りにはもう、東京マラソンののぼりも
掲げられていました。


 京橋から八重洲まで行き、永代通りを東へ、茅場町まで進み
ました。

 左折して北東へ、水天宮前交差点を通過します。


 浜町で左折し、明治座前を通過しました。


 繊維製品などの問屋街、東日本橋を過ぎ、神田川を渡り
ました。

 橋の下流には、屋形船が幾つも係留されていました。
 
 すぐ先、総武線浅草橋駅横を進み、浅草雷門前が折返しと
なり、10時45分に通過し、もとの道を戻ります。

 
 浅草橋の周辺には、久月、秀月など人形店が並び、3月の
ひな祭りを控え、買い物に訪れた家族連れが何組も見られま
した。


 明治座には、公演中の出演者の、萩本欽一、坂上二郎など
の名を記したカラフルなのぼりが並んでいました。


 銀座通りは、12時から歩行者天国、ちょうど始まった頃、通
過です。

 銀座4丁目交差点から晴海通りを東へ向かい、歌舞伎座前
を通り築地で左折、築地本願寺前を北東に進みました。


 入船橋交差点を右折、東京メトロ有楽町線の走る通りを東に
進み、佃大橋を渡ります。

 ちょうど下流から水上バスが上がってきました。

 月島交差点を経て、春海橋(下の写真は橋からの風景)で晴
海運河を渡り、晴海通りを南東へ、新しいビルの林立する豊洲
の町並みを抜けました。


 東雲運河の東雲橋を渡って南に向かい、湾岸道路の手前を
右折し、有明コロシアム横を南下して、有明の東京国勢展示場
(東京ビッグサイト)に、13時57分にゴールしました。


 途中で昼食をしようと考えたのですが、風を避けて日当たりの
良い公園などが見つからず、結局、ゴール後、そばに並んでたく
さんのテーブルの一つを借りて遅い昼食としました。

 都心の繁華街なので、信号待ちが数限りなくあり、ペースを乱
されましたが、マラソン当日は交通規制が敷かれ、ランナーは
そのようなことなく走れることでしょう。

 この日も、下見をかねて軽くランニングするグループが、何組
も見られました。

 マラソン当日は、四国遍路をしているはずなので、実況中継を
見られないのが残念です。





  

 

 

 

 
 

 

  
 
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関東百駅巡礼歩行・JR八高線丹荘駅

2007-02-04 23:10:20 | 関東百駅巡礼歩行
 今日は、再来週の日曜、18日に開催される「東京マラソン
2007」大会のコースを歩くウオーキング大会に参加し、半分の
距離、ハーフコースを歩いてきました。

 そのレポートは後にして、昨日歩いた関東百駅巡礼歩行の模
様を報告します。

===========================

 2007年2月3日(土)

 昨日の冷たい風も治まり、快晴に恵まれた今日は、関東百駅
巡礼歩行に出かけました。

関東地方の鉄道の駅のうち、普段あまり降りたことの無さそうな
駅に下車し、その付近を歩こうという、カントリーウオーカー・やま
さんの企画の第32番目です。



 今日の駅は、JR八高(はちこう)線丹荘(たんしょう)駅。この線
では埼玉県最北の駅です。神流(かんな)川を挟んで北側は群馬
県藤岡町で、歩いたのは埼玉県神川町(かみかわまち)です。

 参加者は、私を入れて4人、10時半に丹荘駅を出発し、駅の南
側にある神川町役場に向かいます。

 役場の北にある小公園に、記念碑のようで何も彫ってない石が
ありました。

 町内の二ノ宮で発掘された、7世紀前半築造と考えられる横穴
式石室の古墳の奥壁で、重量約4.5トンとのことです。

 土曜なので閉庁している役場の守衛室に立ち寄ったら、町内の
観光地図や日帰り温泉のパンフレット、飲食店マップなどが置い
てあったので、もらってきました。

 市役所や役場の守衛室で、休日に町のパンフレットをもらえる
ところは少ないように思います。

 まず、役場周辺の植竹集落を訪ねました。日枝神社では、ちょ
っと変わった朱塗りの鳥居が目につきました。

 境内には、「猿田彦大神」と刻まれた大きな石碑が3つもあり
ます。社殿の裏手でスイセンが花盛りでした。

 近くの農家の屋根は、3つの煙出しがついていて、大きな養蚕
農家だったことがうかがえます。

 隣の家のご主人の話では、昭和47年(1972)ころで収支償え
なくなり、養蚕を終えたとのことでした。

 このエリアの2万5千分の1「藤岡」(平成12年8月発行)には、
まだ桑畑マークあちこちに残っていますが、現在はほとんど無い
ようです。

 集落の南に進むと、展望の良い畑作地帯となり、西に雪をた
っぷり乗せた浅間山や、妙義山、雪の谷川連峰、赤城山などが
望まれます。まだ棒のままのタラノキ畑がありました。


 南西の中新里集落にある御霊神社で、浅間山を見ながら
昼食をしました。境内は、大きなイチョウとケヤキが枯れ枝の
ままそびえています。

 コブシの木は、花のつぼみがかなりふくらんでいました。


 さらに西に進んだ三差路際に馬頭観音堂があり、そばの小
公園に火の見やぐらの上部だけが置いてあります。

 もともとここにあったものだと、孫を遊ばせに来ていた女性が
教えてくれました。私は、火の見やぐらを見つけると写真を撮
っているのですが、このような形で残っているのを見たのは
初めてです。

 九郷用水を越え、田んぼに囲まれた阿弥陀堂横を進んで、
神流川の右岸堤防に上がりました。風もなくポカポカした陽気、
節分の日とは思えぬ日和です。

 右岸河川敷は、野球場、サッカー場など広い運動場が続き、
例年より雪の少ない男体山も望まれます。

 小浜集落の堤防際にある普門寺に行きました。本堂前の
しだれ梅はまだつぼみです。

 境内に宝暦元年(1751)銘の供養塔があり、山門横のロウ
バイが花盛りでした。

 すぐ南西には小松神社があります。、鳥居と社殿に大きな
しめ縄が下がっていました。いずれも合成繊維製ですが、見た
目はなかなか見栄えがします。

 境内で7月31日に行われる茅の輪くぐりの行事は、室町時
代初期の延元年間(1336~9)から続くと伝えられる古くか
らの行事のようです。社殿の龍などの彫刻は極彩色に彩られ
ていました。

 もう一度神流川堤防内に回ると、「神川ゆーゆーランド総合
案内板」があり、一連のグランドもその施設のようです。

 グランドの西側、水車の回る池の横に、「かんなの湯」と呼ぶ
日帰り温泉施設があります。最近はやりの岩盤浴も始めた
ようで、会員制で安くなる料金制度に変えたので来たのか、
かなりの人が入館していました。

 円筒形の屋根には太陽光発電のパネルが並んでいます。

 そばの農産物直売所にも入ってみました。地元の野菜や果
物、それらの加工品などがたくさん並んでいて、それぞれに
生産者の名前のシールが貼ってありました。

 そろそろ帰路へということになり、荻平集落周辺から丹荘
駅に向かっう旧上武鉄道廃線跡を活用した「健康緑道」を駅
に向かいます。

 緑道の両脇は、サザンカやハナミズキ、ドウダンツツジなど
が植えられています。

 もとの神川中学校前駅跡に、上武鉄道日丹線の歴史が記
されていました。


 14時52分に丹荘駅に戻りましたが、こんなに長い時間、
雪の浅間山を眺められたのは初めてのことで、2月初めとは
思えぬのどかなカントリーウオークを楽しみました。

(天気 快晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 藤岡、歩行地
 埼玉県神川町、歩数 12,600)
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関東百駅・JR八高線丹荘へ

2007-02-03 21:45:08 | Weblog
 快晴の今日は、カントリーウオーカーやまさんの「関東百駅
巡礼歩行」第32番の、JR八高線(はちこうせん)丹荘(たん
しょう)駅に参加し、群馬県との県境、埼玉県神川町を歩きま
した。

 昨日の冷たい風も治まり、雲ひとつ無い青空で、雪をたっぷ
りかぶった浅間山を終日ながめながらのカントリーウオークを
楽しみました。

 詳細は明日以降にレポートします。とりあえず浅間山の写真
だけご紹介します。
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所沢航空記念公園寸景

2007-02-02 22:16:28 | 所沢だより
 北海道、東北、日本海側から西日本まで、降雪があったよう
ですが、首都圏は引き続き好天となりました。

 当地も風は冷たかったのですが、午前中、所沢航空記念公園
周辺を歩いてきました。

 航空記念公園内に春をさがして一周してみたのですが、まだ 
少し早いようです。園内で見つけた花などを少しだけ紹介します。


 梅林の白梅、紅梅ともまだ1,2本しか開花していません。

 池にはカモがたくさん泳いでいました。

 ナノハナも寒いのか、くきも伸びていません。

 ロウバイ園のロウバイは、今年は早く咲きだしたので、盛りを
過ぎていました。


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四国遍路道ふた旅(前半)・愛媛その5

2007-02-01 18:23:45 | 四国遍路道ふた旅
 2007年を先日迎えたと思ったら、早くも1か月が済んで
しまいました。それにしても1月は、昨年とは大違いの暖かさ。
所沢もこの冬、まだ降雪はありません。

 2度目の四国遍路前半、最終日のレポートです。後半は、
今月中旬に再開し、3月上旬に88番大窪寺での結願を目指
す予定です。

==========================

 第27日 2006年12月7日(木) 雨
 =内子駅で前半の区切り=



 6時20分起床、7時に朝食。昨夜、毎日の行程をブログに
投稿していることを話したら、宿の若ご主人が早速探したよう
で、『もしかして「あるきメデス」がそうではないですか』と問わ
れた。

 四国遍路前半の最終日は雨になった。雨支度をして7時49
分にときわ旅館を出る。

 出発前、マスク、竹炭入りカイロ、ばんそうこう、まち針、あめ
などの入った袋と、次の44番大宝寺までの宿の入った「遍路
道中案内地図」をいただいた。

 大洲の中心街を抜ける国道56号を北へ向かう。歩道はある
が、トラックのしぶきを浴びぬよう、出来るだけ車道から離れて
進む。

 両側は、スーパー、電気、薬、本、衣料、レストランといった
チェーン店など、比較的大規模な商店が途切れなく続いている。

 それらの店が少なくなった頃、右手にガスに霞む円錐形の山
が見えてきた。

 その名も富士山、標高319.6mだから、日本一の富士山の
10分の1に満たないが、均整のとれた山容だ。

 松山自動車道大洲ICへの進入路際、交通量の多い道路に面
し、別格霊場十夜ヶ橋(とよがはし)永徳寺がある。

 弘法大師が、日が暮れたが泊まるところが無いので橋の下で
1夜を過ごしたが、夜明けまでが長く、10夜にも感じたという
ところ。

 橋の下に、弘法大師の寝姿の石像が祭られている。雨の中、
自転車で参拝に来られた地元の奥様から、あめ玉のお接待を
いただいた。


 1.5㎞ほど先で、松山自動車道をくぐり、JR予讃線の北側
の旧道に入る。ガスが低く垂れ込め、山すそまで下りてきた。



 新谷(にいや)の町並みを進むと、商店の一角が遍路無料接
待所になっている。休ませてもらい、お茶をいただいた。


 家並みがほぼ終え、国道に合するところには、神南(かんな
ん)堂と呼ぶ遍路休憩所の東屋がある。


 国道を1.5㎞ほど進み内子町へ。五十崎(いかざき)駅の
近くで国道に分かれて北側に入る。

 少し進むと幅広い草の道となり、気持ちよい遍路道が1㎞
ほど続く。


 車道に出て緩やかに下ると、町営の運動公園。野球場や
テニスコート、陸上競技場などがあり、池のほとりで、色鮮や
かなモミジの紅葉が雨に濡れていた。


 高架になっているJR予讃線内子駅に11時10に着いた。
ここが、区切り打ち前半のゴールである。濡れた雨具をビニ
ール袋に納め、白衣や菅笠を脱いだ。

 帰宅する明日までの通しきっぷをジパング割引で購入し、
内子駅11時41分発特急宇和海に乗る。松山駅で途中下車、
構内で昼食をして、1時間余り後の特急しおかぜ20号に乗り、
岡山駅に15時57分に着いた。

 迎えに来て下さった車で、Iさん宅に行く。Iさんとは、30数年
前、東京・霞ヶ関の職場が一緒、四国遍路の先輩でもある。

 奥様が、前半の区切りを祝い炊いて下さった心づくしの赤飯
や、珍しく入手したというシャコなどの夕食をごちそうになりな
がら、遍路の思い出や、職場の昔話などに話が弾んだ。

(コースタイム〉ときわ旅館7:49ー十夜ヶ橋永徳寺8:30~9:00
ー山宝炭店無料接待所9:35~54ー五十崎の遍路道へ10:34
ーJR内子駅11:10

(距離 11㎞、地図 大洲、歩行地 大洲市、内子町、歩数
 18,400)
     
 ちなみに、今回の歩行日程は26日(初日と最終日は半日)、
歩行距離731㎞(1日平均28.1㎞)でした。    〈前半完〉
コメント (2)
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