2015年10月18日(日)午後
続カタツムリ歩行の例会が、ゴールの越谷市東町二丁目の水神社で13時頃散会となり、
帰路は中川の吉川橋を渡り、東側の吉川市内を少しだけ巡ることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f0/8c7a3ccbe2aa3e4e4d7f84be05c0eb56.jpg)
東町二丁目を東へ、中川の吉川橋近くに小さな笠門神社が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b2/83c6b5b4a5a78452dfa29328d9e86d4b.jpg)
吉川橋に近い県道52号際の墓地前には新しいお堂が出来ていたが、南面は草地になっ
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a1/fb74fc6dfde45d528fd98fb6f2c2de7b.jpg)
その背後で西北からの元荒川が北からの中川と合流し、そばに架かる吉川橋を渡る。中
川の水量は豊富で、ゆったりと流れていた。 こちらは上流。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2e/629614eefdc37b8c74129f67a670a3f3.jpg)
下流の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/75/8def795f408dc67709514f193c07000d.jpg)
川が市境で、越谷市から吉川市に入る。渡り終えてすぐのところに「まるしん」という
和菓子屋があり、吉川名産のなまずにちなむ最中(もなか)があったので、購入した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8f/86f1ef435b9f08e9e916d6d9d81a254c.jpg)
東にすぐ、南北に走る県道67号と交わる吉川交番前交差点の手前に、延命寺の大きな
本堂が目に付く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/29/fc08f7fe19a4342b03bc8d3ec78c1d6a.jpg)
延命寺は、永仁3年(1295)に清仙が開基したと伝わる古寺、3代将軍徳川家光の
頃には、祈願所として朱印地10石を賜っているという。武蔵国新西国三十三霊場の1番
札所でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/2c/673471d4094afdd6d7924ef3c9fc5a92.jpg)
本堂前にその札所第第一番標石が立つ。天明6年(1786)に、吉川観音講の54名
により建てられたもの。当時は、3年前の浅間山の噴火で天明飢饉(ききん)だったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/de/3465a2723d4f04164fc9853befa055a1.jpg)
境内には文安3年(1446)銘の十三仏板碑と文安4年銘の六字名号板碑があるとい
うが、確認は出来なかった。
山門前には、江戸時代と推定される青面金剛石や庚申塔などが並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/34/044b6f58291ff63d33f0441a64a8c056.jpg)
吉川交番前交差点を通過して、その先の芳川神社に背後から入る。芳川神社は、文治3
年(1187)に吉川氏が土着神を氏神諏訪神社として再興し、この地域の総鎮守とした
もの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d5/e9e2065ef939e867794f05c3e10fb20c.jpg)
境内には八坂神社、古峯神社、稲荷神社、吉川天満宮なども祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/92/36438857131c01a31a72c2d280fa44e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2d/ae98245cb428c03542b6d8142087d6c8.jpg)
社殿の背後にご神木の大きなクスノキ木が立ち、南面の鳥居際にはタブやクスノキが何
本か、大きく枝を広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/95/06a74039254f98de9e6cf34d1b774780.jpg)
寺の南側から、県道67号との交差点へ。県道沿いには、古くからの米屋さんが残って
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f0/d49a6fb5cf6127689814a5e7e57b9709.jpg)
西進して吉川小の北にある神社を探したが、住宅地に変わったらしい。芳川小の東には、
吉川名物うなぎを味わえる料亭がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/df/5af36fdbeebdae6c8ccb66135c1d7580.jpg)
南に向かい、次の十字路を左折したところには銭湯があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8c/99b18797eb56839134e404b21fc07626.jpg)
その隣が智勝院だが、境内に樹木は少ない。智勝院は江戸時代に火災にあい、寺歴を証
する資料などは堂宇とともに焼失し、開山や開基年代などは不詳らしい。武蔵国新西国三
十三ヶ所の第2番札所である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/34/bbee16ff34560b44e8b5948c6b930427.jpg)
県道西側の細い通りを南へ、県道に合するところには鷲神社の小さめの社殿が祭られて
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/dd/25d6636e777b956a9c0c8a4828665f96.jpg)
県道を横断して東へ、すぐ先の駐車場北側の広い民家に数本の柿の木があり、実がたく
さん色づく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/76/f904096e4162e7e052e70aa3d8b9691b.jpg)
その先の南側に大きな本堂が見えたが入れず、東からコの字状に回って日蔵院へ。コン
クリート造りの本堂は東向き。東側には幼稚園が併設されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/83/45c612bfce4ecde95fa477433aa08e5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3a/4371e187cffd4fe158e3006913716056.jpg)
本堂前面の屋根下に新しい薬師如来像が祭られ、傍らに弘安7年(1284)の板碑の
標柱が立つている。寺の方に聞くと、板碑は本堂内に保存さられているとのこと。いただ
いたリーフレットでは、吉川市最古の板碑らしいが、上部、下部とも欠損しているようだ。
南側の県道52号を横断し、県道67号の東に平行する細い通りを南進して、JR武蔵
野線の吉川駅に14時35分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/be/d464e6e9ee598b738023d1648f8c6a1e.jpg)
駅南口広場には、1995年5月に設置したという、金色で体長約5mと約1mの親子
なまずが輝いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c2/7b39ea9a6be45d46b0e69dd3f4281790.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/6e/626213336b80d6593665ef1b4affcb62.jpg)
14時46分発、府中本町行きの上り電車で帰途につく。
(天気 快晴、距離 4㎞弱、地図(1/2.5万) 越谷、歩行地 越谷市、吉川市
午前からの合計距離 8㎞、同 歩数 17,500)
アウトドア ブログランキングへ
![](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)
にほんブログ村
続カタツムリ歩行の例会が、ゴールの越谷市東町二丁目の水神社で13時頃散会となり、
帰路は中川の吉川橋を渡り、東側の吉川市内を少しだけ巡ることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f0/8c7a3ccbe2aa3e4e4d7f84be05c0eb56.jpg)
東町二丁目を東へ、中川の吉川橋近くに小さな笠門神社が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b2/83c6b5b4a5a78452dfa29328d9e86d4b.jpg)
吉川橋に近い県道52号際の墓地前には新しいお堂が出来ていたが、南面は草地になっ
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a1/fb74fc6dfde45d528fd98fb6f2c2de7b.jpg)
その背後で西北からの元荒川が北からの中川と合流し、そばに架かる吉川橋を渡る。中
川の水量は豊富で、ゆったりと流れていた。 こちらは上流。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2e/629614eefdc37b8c74129f67a670a3f3.jpg)
下流の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/75/8def795f408dc67709514f193c07000d.jpg)
川が市境で、越谷市から吉川市に入る。渡り終えてすぐのところに「まるしん」という
和菓子屋があり、吉川名産のなまずにちなむ最中(もなか)があったので、購入した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8f/86f1ef435b9f08e9e916d6d9d81a254c.jpg)
東にすぐ、南北に走る県道67号と交わる吉川交番前交差点の手前に、延命寺の大きな
本堂が目に付く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/29/fc08f7fe19a4342b03bc8d3ec78c1d6a.jpg)
延命寺は、永仁3年(1295)に清仙が開基したと伝わる古寺、3代将軍徳川家光の
頃には、祈願所として朱印地10石を賜っているという。武蔵国新西国三十三霊場の1番
札所でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/2c/673471d4094afdd6d7924ef3c9fc5a92.jpg)
本堂前にその札所第第一番標石が立つ。天明6年(1786)に、吉川観音講の54名
により建てられたもの。当時は、3年前の浅間山の噴火で天明飢饉(ききん)だったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/de/3465a2723d4f04164fc9853befa055a1.jpg)
境内には文安3年(1446)銘の十三仏板碑と文安4年銘の六字名号板碑があるとい
うが、確認は出来なかった。
山門前には、江戸時代と推定される青面金剛石や庚申塔などが並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/34/044b6f58291ff63d33f0441a64a8c056.jpg)
吉川交番前交差点を通過して、その先の芳川神社に背後から入る。芳川神社は、文治3
年(1187)に吉川氏が土着神を氏神諏訪神社として再興し、この地域の総鎮守とした
もの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d5/e9e2065ef939e867794f05c3e10fb20c.jpg)
境内には八坂神社、古峯神社、稲荷神社、吉川天満宮なども祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/92/36438857131c01a31a72c2d280fa44e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2d/ae98245cb428c03542b6d8142087d6c8.jpg)
社殿の背後にご神木の大きなクスノキ木が立ち、南面の鳥居際にはタブやクスノキが何
本か、大きく枝を広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/95/06a74039254f98de9e6cf34d1b774780.jpg)
寺の南側から、県道67号との交差点へ。県道沿いには、古くからの米屋さんが残って
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f0/d49a6fb5cf6127689814a5e7e57b9709.jpg)
西進して吉川小の北にある神社を探したが、住宅地に変わったらしい。芳川小の東には、
吉川名物うなぎを味わえる料亭がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/df/5af36fdbeebdae6c8ccb66135c1d7580.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/76/2a7f4e27024dbe436246c8a3143862dd.jpg)
南に向かい、次の十字路を左折したところには銭湯があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8c/99b18797eb56839134e404b21fc07626.jpg)
その隣が智勝院だが、境内に樹木は少ない。智勝院は江戸時代に火災にあい、寺歴を証
する資料などは堂宇とともに焼失し、開山や開基年代などは不詳らしい。武蔵国新西国三
十三ヶ所の第2番札所である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/34/bbee16ff34560b44e8b5948c6b930427.jpg)
県道西側の細い通りを南へ、県道に合するところには鷲神社の小さめの社殿が祭られて
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/dd/25d6636e777b956a9c0c8a4828665f96.jpg)
県道を横断して東へ、すぐ先の駐車場北側の広い民家に数本の柿の木があり、実がたく
さん色づく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/76/f904096e4162e7e052e70aa3d8b9691b.jpg)
その先の南側に大きな本堂が見えたが入れず、東からコの字状に回って日蔵院へ。コン
クリート造りの本堂は東向き。東側には幼稚園が併設されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/83/45c612bfce4ecde95fa477433aa08e5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3a/4371e187cffd4fe158e3006913716056.jpg)
本堂前面の屋根下に新しい薬師如来像が祭られ、傍らに弘安7年(1284)の板碑の
標柱が立つている。寺の方に聞くと、板碑は本堂内に保存さられているとのこと。いただ
いたリーフレットでは、吉川市最古の板碑らしいが、上部、下部とも欠損しているようだ。
南側の県道52号を横断し、県道67号の東に平行する細い通りを南進して、JR武蔵
野線の吉川駅に14時35分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/be/d464e6e9ee598b738023d1648f8c6a1e.jpg)
駅南口広場には、1995年5月に設置したという、金色で体長約5mと約1mの親子
なまずが輝いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c2/7b39ea9a6be45d46b0e69dd3f4281790.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/6e/626213336b80d6593665ef1b4affcb62.jpg)
14時46分発、府中本町行きの上り電車で帰途につく。
(天気 快晴、距離 4㎞弱、地図(1/2.5万) 越谷、歩行地 越谷市、吉川市
午前からの合計距離 8㎞、同 歩数 17,500)
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2000_1.gif)
![](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます