あるきメデス

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関東百駅巡礼歩行 関東鉄道常総線 水海道駅(茨城)

2013-09-12 22:05:30 | 関東百駅巡礼歩行
 2013年9月10日(火)

 関東百駅巡礼歩行の第98回は、あの猛暑のピークだった8月10日(土)に実施され
たが、私は法要で参加出来ず、ひと月遅れて一人で訪れた。

 スタート地は関東鉄道常総線の水海道(みつかいどう)駅。地図は前回にやまさんから
もらってある。

 10時50分にスタート、まずは駅前の観光案内所に入って常総市のパンフレットを入
手し、駅前から北へ、宝町の商店街に向かう。

 今日は休業日なのか、閉じた店が多い。宝町会館のそばに、かなり背の高いりっぱな火
の見やぐらが残っていた。


 県道330号に出て西へ、すぐ先の十字路で折り返して広い通りを南に向かう。

 みらいみそという店の先で、ひとつ西の細い通りに回る。県道357号を横断すると市
立図書館があり、構内に旧水海道町役場だった二水(にすい)会館と呼ぶ和洋折衷の建物
が移築されていた。

 大正12年(1913)に建てられたもので、国登録文化財になっている。

 西に回り込んで再度県道を横断し、北へ向かう上り坂の横の水海道天神社に入る。菅原
道真を祭り、後村上天皇の時代(1339~67)の創建。

 現在の本殿は永禄9年(1566)の再建のよう。

 本殿の南には、一の日と六の日に開かれる「六斎市」の守護神とされる、「一六(いち
ろく)神社」の小さい社殿がある。

 天神社の前には青銅製の撫牛(なでうし)が座り、祈りを込めて撫でると身体健全にな
るという。


 坂を上がって水海道一高の北側を入ると、広い境内の報国寺。大本堂の前のサルスベリ
がきれいな彩りを見せる。


 鐘楼はどっしりしとした造り。境内の西隅に、古い石仏が100体近く並んでいた。


 西側にある愛宕神社の横を進んで、鬼怒川の豊水橋のそばまで行く。手前の三差路際に、
レンガ造りの古い建物が残る。「五木宗(ごきそう)レンガ蔵」といい、幕末から明治に
回漕業を営んでいた五木田家のもの。

 明治15年(1828)の建造で国登録有形文化財。近年に改装され、現在は五木宗関
連資料などの展示やギャラリーとして活用されているという。

 道路を挟み、鬼怒川に面した小さいエリアは観水公園。鬼怒川の眺めを見下ろせる東家
といすがあり、「水海道遊泳会発祥之地」碑が立つていた。



 橋桁を塗装工事中の豊水橋の、上流側歩道を渡る。このところ雨が多かったので流れは
豊富で、左岸の新八間堀川水門の北方はるかには筑波山が望まれる。


 橋を渡り終えてすぐ北側の河原集落に入り、右岸堤防沿いを進む。民家の柵際に、縞模
様のまん丸い柑橘が実っていた。


 集落の北端にあった安養寺へ。正応元年(1288)の創建で、寛文年間の鬼怒川改修
工事で現在地に移され、江戸時代には朱印地となったとか。南側の不動堂は、霊験あらた
かな厄除(やくよけ)不動として信仰されているという。


 本堂前のシダレザクラは「称名桜(しょうみょうざくら)」と呼ばれ、推定樹齢300
年の古木である。


 本堂の北側には、西国、秩父、坂東を合わせた百観音石像が並んでいた。


 西に向かい、台地上の古い住宅地を進み、前原集落の北西端にある池のほとりに下る。

 「けんちの苑」の看板があり、「水辺周辺には、環境省の絶滅危惧1類に指定する貴重
な生物の生息が確認されている」と記されていた。

 池には紅白のスイレンが咲き残り、カルガモの姿も見えた。


 池の西側を北進して谷津集落に上がり、三差路際にあった「明星菴」と記されたお堂の
濡れ縁を借りて遅い昼食とする。

 陽の当たる道路はやや蒸し暑いが、日陰は風が通りしのぎやすい。

 通りの西には、かやぶき屋根にトタンを被せた古い民家が残っていた。


 お堂から折り返すように南西に少し進むと、地図上にはない不動院があり、境内は公園
のように広くて開放的。


 地図上の標高18.8m三角点を探したら、不動堂と並ぶ不動会館のそばのモミジの下
に、三等三角点が見つかった。


 境内北側の三差路を西へ、県道134号に出たところに、石塚酒店の古い建物が残る。


 この辺りは報恩寺集落、その名の寺は、すぐ北にあった。

 報恩寺は、建保2年(1214)に親鸞聖人二十四輩の第一弟子、性信房(しようしん
ぼう)の創建とされ、親鸞聖人の旧跡として知られているという。


 本堂は文化2年(1806)の造営で、境内の幹回り4.22mの大イチョウや、西本
願寺門主御手植杉などが目についた。

 県道を北へ、水海道豊岡郵便局のある次の三差路を右折して豊岡小の前を通過すると、
やわらかな彩りのソバ畑が広がろ。

 横曽根の十字路を左折して、すぐ北にある法性寺(ほうしょうじ)に入る。法性寺は、
永徳2年(1382)に聖商上人の開創、聖商上人は浄土宗の開祖、法然上人から数えて
七代目の継承者で、教団の基礎を固めた重要な人物という。

 本尊の如意輪観音は、子育て・安産の守本尊として知られ、「横曽根の観音様」と呼ば
れて多くの信仰を集めているとか。

 本堂をのぞくと、茨城県有形文化財の木造如意輪観音座像が拝観できた。

 集落の北側に、結城街道三社のひとつという諏訪神社が祭られ、境内は杉木立に覆われ
ている。


 神社の横を北進し、国道354号バイパスである水海道有料道路下を抜ける。周辺には
水田があるがほとんど刈り入れが終わり、わずかに残る有料道路手前の田で、収穫の準備
をしていた。



 花の咲き出したソバ畑の横を過ぎて飯沼集落に入り、東京芝の増上寺の別院で、関東十
八檀林のひとつという弘教寺(くぎょうじ)へ。

 応永21年(1414)の創建、第十世了学の時代に徳川家から莫大な寄進が寄せられ、
堂塔を再建したとか。

 了学が導師を努めていたことから家康の孫娘、千姫(せんひめ)の菩提寺となり、遺言
や遺骨の一部が納められた墓所があり、遺愛の品々が寺宝として納められているという。


 寺には旧水海道市文化財という鐘楼や山門、教蔵、絵画や扁額、工芸品などが多く、落
ち着いたたたずまいの広い境内の中で、幹回り7.53m、樹高33mという大杉が目に
ついた。境内西南隅には、八幡宮が祭られている。


 門前を南東に向かい、台羽生集落の十字路を南進する。十字路際の電柱にノウゼンカズ
ラが絡まり、独特の景観を見せる。


 水海道有料道路に出て、下流側に付けられた歩道で水海道大橋を渡る。橋からは、豊水
橋よりはっきりと筑波山が望まれた。


 料金所の手前で道路下をくぐり、北側の左岸堤防下にある諏訪神社に寄る。天和3年
(1683)に、先ほど寄った横曽根の諏訪神社から分霊したもので、鬼怒川水辺の安全
と流域住民の安住のために信仰を集めて来たという。


 県道354号に出て有料道路を横断し、北水海道駅に15時28分に着いた。ホームは
一面だけ。15時34分発上り1両の気動車で水海道駅に向かった。

(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 水海道、歩行地 常総市、歩数 歩数
 計故障)


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