2013年7月13日(土)
関東百駅巡礼歩行の第97回に参加した。集合は東武佐野線の佐野市駅。佐野線の電車
は1時間に1本のみ。早めに着いたが待合室にテーブルがあったので、やまさんからもら
った地図に色塗りをして、11時ちょうどに駅をスタートした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/15/e2e8ed518001b796ab67da2fa1829eee.jpg)
駅の東側、七軒町の細い通りへ。T字路に出たところに普門院と呼ぶ寺があったが、地
図には記されてない。七軒町の「軒」の字の辺りなので記入できなかったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f3/e83dc35ab2cf185a0d779f876d28f538.jpg)
更に東進して、赤坂町で秋山川沿いに出る。川をまたいで送水管が通っている。川原に
はアシが繁り流れは少ない。左岸堤防上の舗装路を上流に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d9/be3aa801ec75dd9f17e634064214274d.jpg)
堰堤(えんてい)の少し先、流れから離れるところに「頭首工(とうしゅこう)竣工記
念碑」があり、3年かけて昭和43(1968)年にこの堰が完成したことなどが記され
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/8b/eb4a6994650d53f7ed703bf1ab072ba8.jpg)
北側の厳浄寺↑の横を北進すると次の橋際の涅槃寺(ねはんじ)の大本堂が目に付く。
橋からの通りを右折した南側に、関東の三大師のひとつ「佐野厄よけ大師」で知られる、
広い境内の惣宗寺(そうしゅうじ)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b3/3d325c57631413a9b30c51f1ef404103.jpg)
朱塗り鮮やかな山門を入ると、これも塗り替えて間もないと思われる佐野東照宮が祭ら
れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a7/664e884b0cf5b05dac559b99e9c984ae.jpg)
徳川家康の霊が静岡県久能山から日光遷座の途中、元和3(1617)年3月にここに
一泊したのを縁に、諸大名の寄進で文政11(1838)年に造営されたもの。全国の東
照宮400余社中最も優れた建造物と評価されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/7b/9505a0b7f2f6c948afb3061135b44dc5.jpg)
その奥にもきれいな彩りの建物が並び、厄よけや方位よけ祈願者のための表示が幾つも
並び、本堂では、祈願者の姿も見られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/fe/a156566b459a3b1608f0b57ca3d664b5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4d/513bee2c7a9d10f09d318d8248365d5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/98/ddd5307c2462a1cf369e4d5bec6c14bb.jpg)
境内には、昭和62(1987)年に建立された高さ8mのパゴダ供養塔や、佐野生ま
れで足尾銅山の鉱毒事件を告訴したことで知られる代議士、田中正造の墓、日本一大きな
金(きん)の梵鐘という金銅(きんづくり)大梵鐘など、幾つもの建物や石造物などが目
に付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/20/d671a4ab59e5704a62dc85747ddb4c85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/85/cd3af5242067a7a3b2593a714829967a.jpg)
惣宗寺の道路を隔てた北側には、佐野市観光物産会館があったので入ってみた。広い館
内には土産物や地元産品などが多数並び、観光パンフレットも置いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/21/22da203d8b259f666a7ae54834a04b3e.jpg)
通りを東に400mほど進み、小さい社の住吉神社に12時2分に入り、社殿の濡れ縁
を借りて昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ed/a8e62b86e859a02b88be8c929a92553f.jpg)
木が1本だけの開放的な境内だが、昨日までの数日のような晴天でなく、曇っているの
で幾分暑さがしのぎやすくて助かる。
20分ほどで神社を出る。通りの北側に小さい竹細工店があり、手作りのかごが幾つも
並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c1/8a3f4b9296136b0dec8d656b56a3e71e.jpg)
次の交差点を北に入ってうなぎ屋の前を通過し、金屋仲町の北側の広い通りを東に向か
う。ところどころに古い住宅が残るが、その数は少なく交通量も少ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/cb/3b1166a7b403d8be657bb4d6cdb9e4aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d5/5cd8aca2ead07dcc910f076c71dee55f.jpg)
亀井町の東端で通りは終わり、突き当たりに徳雲寺がある。庭は狭く南側一帯は広い墓
地。その片隅のサルスベリが色鮮やかに咲く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9a/2849e4ebb545181ba9b9634be6d312d4.jpg)
振り返る通りは、真っ直ぐに西に延びていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/0f/23866a7b3de99be7b7ff7730e46ae364.jpg)
墓地の南側の狭い通りを東へ。東武佐野線の踏切を渡って浅沼町に入り、すぐ先の八幡
神社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/33/7a70ac3b549910acf1c946c2e9f4801c.jpg)
神社周辺は寿永元年(1182)に佐野氏の一族、阿曽沼四郎広綱が築いた阿曽沼城跡。
境内東側に、土塁と堀跡が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/c8/3ebef6985c43459ad1ff246406ca3c1d.jpg)
拝殿前に新しい茅の輪(ちのわ)が造られ、そばに茅の輪くぐりの回り方の説明板があ
る。拝殿左手には、「ふるさと佐野百選」の「おしどり塚歌碑」が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/50/70d0852f2292ffed359d765beb86d87b.jpg)
北側の民家は天井の高い造りで、庭木もりっぱ。すぐ先の十字路を北へ。変則四差路際
に、「ボンペール」というケーキ店があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/36/9dee68174b2eff3997379d4225157a3b.jpg)
店にいた若い男性のお父さんが10年ほど前に開業したとか。店は小さいが美味しそう
なケーキが並び、町外れではあるが繁盛していそう。
県道67号・例幣使道(れいへいしみち)を越えて並行する細道を西進し、樹木に囲ま
れた標高44mの台地上にある日向寺に上がり、小休止した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/90/944e4883f83aad2d7e88735642136585.jpg)
高台なので、木々の間から佐野の市街地が望まれる。古い造りの本堂↓は無人で神社風
の建築。本堂に並んで北側には神社もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f0/f97f2d462106d6eef22be0920d94c508.jpg)
西に向かって下り、通りを横断して蛭子(ひるこ)神社とも呼ぶ西宮神社へ。七福神の
恵比寿神として知られ、11月の例祭には近郷の商売繁盛を祈る人で賑わうという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/66/d21f4ab86a3b562321df4680c0ffc42a.jpg)
境内を西に抜け、次の通りを北進して金成院横の台地を上がる。北に下ってJR両毛線
の踏切と東武佐野線のガード下を抜けて久保町に入り、左折して球形のガスタンクの北側
を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/6a/0e74e00d8cbe2a240415a99b86d79a93.jpg)
市の花、カタクリの描かれたガスタンクの西に回って線路際に出て、佐野駅の北側に延
びる佐野城跡である城山公園に上がる。
佐野城は、慶長7(1602)年に唐沢山城主佐野信吉がこの地にあった惣宗寺を移転
させ、築城と現在の佐野の原型となる町割りを開始したとのこと。
佐野氏は慶長12年に唐沢山城を廃してこの地に移ったが、同19(1614)年には
所領を没収され、間もなく廃城になったという。
当時の内堀と外堀は市街化が進んで完全に埋め立てられたが、東西110m、南北390
mの主郭部は堀割をよく留めており、市指定史跡・名勝となっている。
公園の南側にあった城山記念館に入り、城山の四季の映像を見る。受付には、公園内で
とれた木の実が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/17/18ea4b8a69f0deb255395e389009bcb8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1b/cebadc86f0b153db15b3d494705e33f8.jpg)
緑豊富な園内を貫く遊歩道を北端まで進むと、日清日露と大東亜戦争の市内戦没者の霊
園があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ea/541c4e8042ba2b26014c7465775869b9.jpg)
遊歩道を戻り、ゴールの東武佐野線とJR両毛線の佐野駅に14時12分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d0/b8c3a7135a4fcfdc7c195caa5088f558.jpg)
蒸し暑かったが曇り空だったので、前日までの猛暑のような中を歩かずに済み、幸いだ
った。
(参加 4人、天気 曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 佐野、歩行地 佐野市、
歩数 11,000)
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関東百駅巡礼歩行の第97回に参加した。集合は東武佐野線の佐野市駅。佐野線の電車
は1時間に1本のみ。早めに着いたが待合室にテーブルがあったので、やまさんからもら
った地図に色塗りをして、11時ちょうどに駅をスタートした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/15/e2e8ed518001b796ab67da2fa1829eee.jpg)
駅の東側、七軒町の細い通りへ。T字路に出たところに普門院と呼ぶ寺があったが、地
図には記されてない。七軒町の「軒」の字の辺りなので記入できなかったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f3/e83dc35ab2cf185a0d779f876d28f538.jpg)
更に東進して、赤坂町で秋山川沿いに出る。川をまたいで送水管が通っている。川原に
はアシが繁り流れは少ない。左岸堤防上の舗装路を上流に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d9/be3aa801ec75dd9f17e634064214274d.jpg)
堰堤(えんてい)の少し先、流れから離れるところに「頭首工(とうしゅこう)竣工記
念碑」があり、3年かけて昭和43(1968)年にこの堰が完成したことなどが記され
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/8b/eb4a6994650d53f7ed703bf1ab072ba8.jpg)
北側の厳浄寺↑の横を北進すると次の橋際の涅槃寺(ねはんじ)の大本堂が目に付く。
橋からの通りを右折した南側に、関東の三大師のひとつ「佐野厄よけ大師」で知られる、
広い境内の惣宗寺(そうしゅうじ)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b3/3d325c57631413a9b30c51f1ef404103.jpg)
朱塗り鮮やかな山門を入ると、これも塗り替えて間もないと思われる佐野東照宮が祭ら
れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a7/664e884b0cf5b05dac559b99e9c984ae.jpg)
徳川家康の霊が静岡県久能山から日光遷座の途中、元和3(1617)年3月にここに
一泊したのを縁に、諸大名の寄進で文政11(1838)年に造営されたもの。全国の東
照宮400余社中最も優れた建造物と評価されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/7b/9505a0b7f2f6c948afb3061135b44dc5.jpg)
その奥にもきれいな彩りの建物が並び、厄よけや方位よけ祈願者のための表示が幾つも
並び、本堂では、祈願者の姿も見られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/fe/a156566b459a3b1608f0b57ca3d664b5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4d/513bee2c7a9d10f09d318d8248365d5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/98/ddd5307c2462a1cf369e4d5bec6c14bb.jpg)
境内には、昭和62(1987)年に建立された高さ8mのパゴダ供養塔や、佐野生ま
れで足尾銅山の鉱毒事件を告訴したことで知られる代議士、田中正造の墓、日本一大きな
金(きん)の梵鐘という金銅(きんづくり)大梵鐘など、幾つもの建物や石造物などが目
に付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/20/d671a4ab59e5704a62dc85747ddb4c85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/85/cd3af5242067a7a3b2593a714829967a.jpg)
惣宗寺の道路を隔てた北側には、佐野市観光物産会館があったので入ってみた。広い館
内には土産物や地元産品などが多数並び、観光パンフレットも置いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/21/22da203d8b259f666a7ae54834a04b3e.jpg)
通りを東に400mほど進み、小さい社の住吉神社に12時2分に入り、社殿の濡れ縁
を借りて昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ed/a8e62b86e859a02b88be8c929a92553f.jpg)
木が1本だけの開放的な境内だが、昨日までの数日のような晴天でなく、曇っているの
で幾分暑さがしのぎやすくて助かる。
20分ほどで神社を出る。通りの北側に小さい竹細工店があり、手作りのかごが幾つも
並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c1/8a3f4b9296136b0dec8d656b56a3e71e.jpg)
次の交差点を北に入ってうなぎ屋の前を通過し、金屋仲町の北側の広い通りを東に向か
う。ところどころに古い住宅が残るが、その数は少なく交通量も少ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/cb/3b1166a7b403d8be657bb4d6cdb9e4aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d5/5cd8aca2ead07dcc910f076c71dee55f.jpg)
亀井町の東端で通りは終わり、突き当たりに徳雲寺がある。庭は狭く南側一帯は広い墓
地。その片隅のサルスベリが色鮮やかに咲く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9a/2849e4ebb545181ba9b9634be6d312d4.jpg)
振り返る通りは、真っ直ぐに西に延びていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/0f/23866a7b3de99be7b7ff7730e46ae364.jpg)
墓地の南側の狭い通りを東へ。東武佐野線の踏切を渡って浅沼町に入り、すぐ先の八幡
神社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/33/7a70ac3b549910acf1c946c2e9f4801c.jpg)
神社周辺は寿永元年(1182)に佐野氏の一族、阿曽沼四郎広綱が築いた阿曽沼城跡。
境内東側に、土塁と堀跡が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/c8/3ebef6985c43459ad1ff246406ca3c1d.jpg)
拝殿前に新しい茅の輪(ちのわ)が造られ、そばに茅の輪くぐりの回り方の説明板があ
る。拝殿左手には、「ふるさと佐野百選」の「おしどり塚歌碑」が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/50/70d0852f2292ffed359d765beb86d87b.jpg)
北側の民家は天井の高い造りで、庭木もりっぱ。すぐ先の十字路を北へ。変則四差路際
に、「ボンペール」というケーキ店があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/36/9dee68174b2eff3997379d4225157a3b.jpg)
店にいた若い男性のお父さんが10年ほど前に開業したとか。店は小さいが美味しそう
なケーキが並び、町外れではあるが繁盛していそう。
県道67号・例幣使道(れいへいしみち)を越えて並行する細道を西進し、樹木に囲ま
れた標高44mの台地上にある日向寺に上がり、小休止した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/90/944e4883f83aad2d7e88735642136585.jpg)
高台なので、木々の間から佐野の市街地が望まれる。古い造りの本堂↓は無人で神社風
の建築。本堂に並んで北側には神社もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f0/f97f2d462106d6eef22be0920d94c508.jpg)
西に向かって下り、通りを横断して蛭子(ひるこ)神社とも呼ぶ西宮神社へ。七福神の
恵比寿神として知られ、11月の例祭には近郷の商売繁盛を祈る人で賑わうという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/66/d21f4ab86a3b562321df4680c0ffc42a.jpg)
境内を西に抜け、次の通りを北進して金成院横の台地を上がる。北に下ってJR両毛線
の踏切と東武佐野線のガード下を抜けて久保町に入り、左折して球形のガスタンクの北側
を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/6a/0e74e00d8cbe2a240415a99b86d79a93.jpg)
市の花、カタクリの描かれたガスタンクの西に回って線路際に出て、佐野駅の北側に延
びる佐野城跡である城山公園に上がる。
佐野城は、慶長7(1602)年に唐沢山城主佐野信吉がこの地にあった惣宗寺を移転
させ、築城と現在の佐野の原型となる町割りを開始したとのこと。
佐野氏は慶長12年に唐沢山城を廃してこの地に移ったが、同19(1614)年には
所領を没収され、間もなく廃城になったという。
当時の内堀と外堀は市街化が進んで完全に埋め立てられたが、東西110m、南北390
mの主郭部は堀割をよく留めており、市指定史跡・名勝となっている。
公園の南側にあった城山記念館に入り、城山の四季の映像を見る。受付には、公園内で
とれた木の実が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/17/18ea4b8a69f0deb255395e389009bcb8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1b/cebadc86f0b153db15b3d494705e33f8.jpg)
緑豊富な園内を貫く遊歩道を北端まで進むと、日清日露と大東亜戦争の市内戦没者の霊
園があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ea/541c4e8042ba2b26014c7465775869b9.jpg)
遊歩道を戻り、ゴールの東武佐野線とJR両毛線の佐野駅に14時12分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d0/b8c3a7135a4fcfdc7c195caa5088f558.jpg)
蒸し暑かったが曇り空だったので、前日までの猛暑のような中を歩かずに済み、幸いだ
った。
(参加 4人、天気 曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 佐野、歩行地 佐野市、
歩数 11,000)
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