あるきメデス

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関東百駅巡礼歩行 東武佐野線 佐野市駅(栃木)

2013-07-15 18:32:25 | 関東百駅巡礼歩行
 2013年7月13日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第97回に参加した。集合は東武佐野線の佐野市駅。佐野線の電車
は1時間に1本のみ。早めに着いたが待合室にテーブルがあったので、やまさんからもら
った地図に色塗りをして、11時ちょうどに駅をスタートした。


 駅の東側、七軒町の細い通りへ。T字路に出たところに普門院と呼ぶ寺があったが、地
図には記されてない。七軒町の「軒」の字の辺りなので記入できなかったようだ。


 更に東進して、赤坂町で秋山川沿いに出る。川をまたいで送水管が通っている。川原に
はアシが繁り流れは少ない。左岸堤防上の舗装路を上流に向かう。


 堰堤(えんてい)の少し先、流れから離れるところに「頭首工(とうしゅこう)竣工記
念碑」があり、3年かけて昭和43(1968)年にこの堰が完成したことなどが記され
ていた。


 北側の厳浄寺↑の横を北進すると次の橋際の涅槃寺(ねはんじ)の大本堂が目に付く。
橋からの通りを右折した南側に、関東の三大師のひとつ「佐野厄よけ大師」で知られる、
広い境内の惣宗寺(そうしゅうじ)がある。

 朱塗り鮮やかな山門を入ると、これも塗り替えて間もないと思われる佐野東照宮が祭ら
れている。

 徳川家康の霊が静岡県久能山から日光遷座の途中、元和3(1617)年3月にここに
一泊したのを縁に、諸大名の寄進で文政11(1838)年に造営されたもの。全国の東
照宮400余社中最も優れた建造物と評価されているという。

 その奥にもきれいな彩りの建物が並び、厄よけや方位よけ祈願者のための表示が幾つも
並び、本堂では、祈願者の姿も見られた。





 境内には、昭和62(1987)年に建立された高さ8mのパゴダ供養塔や、佐野生ま
れで足尾銅山の鉱毒事件を告訴したことで知られる代議士、田中正造の墓、日本一大きな
金(きん)の梵鐘という金銅(きんづくり)大梵鐘など、幾つもの建物や石造物などが目
に付いた。



 惣宗寺の道路を隔てた北側には、佐野市観光物産会館があったので入ってみた。広い館
内には土産物や地元産品などが多数並び、観光パンフレットも置いてある。


 通りを東に400mほど進み、小さい社の住吉神社に12時2分に入り、社殿の濡れ縁
を借りて昼食をした。

 木が1本だけの開放的な境内だが、昨日までの数日のような晴天でなく、曇っているの
で幾分暑さがしのぎやすくて助かる。

 20分ほどで神社を出る。通りの北側に小さい竹細工店があり、手作りのかごが幾つも
並んでいた。


 次の交差点を北に入ってうなぎ屋の前を通過し、金屋仲町の北側の広い通りを東に向か
う。ところどころに古い住宅が残るが、その数は少なく交通量も少ない。



 亀井町の東端で通りは終わり、突き当たりに徳雲寺がある。庭は狭く南側一帯は広い墓
地。その片隅のサルスベリが色鮮やかに咲く。


 振り返る通りは、真っ直ぐに西に延びていた。


 墓地の南側の狭い通りを東へ。東武佐野線の踏切を渡って浅沼町に入り、すぐ先の八幡
神社に行く。

 神社周辺は寿永元年(1182)に佐野氏の一族、阿曽沼四郎広綱が築いた阿曽沼城跡。
境内東側に、土塁と堀跡が残っていた。


 拝殿前に新しい茅の輪(ちのわ)が造られ、そばに茅の輪くぐりの回り方の説明板があ
る。拝殿左手には、「ふるさと佐野百選」の「おしどり塚歌碑」が立っていた。


 北側の民家は天井の高い造りで、庭木もりっぱ。すぐ先の十字路を北へ。変則四差路際
に、「ボンペール」というケーキ店があった。

 店にいた若い男性のお父さんが10年ほど前に開業したとか。店は小さいが美味しそう
なケーキが並び、町外れではあるが繁盛していそう。

 県道67号・例幣使道(れいへいしみち)を越えて並行する細道を西進し、樹木に囲ま
れた標高44mの台地上にある日向寺に上がり、小休止した。

 高台なので、木々の間から佐野の市街地が望まれる。古い造りの本堂↓は無人で神社風
の建築。本堂に並んで北側には神社もある。


 西に向かって下り、通りを横断して蛭子(ひるこ)神社とも呼ぶ西宮神社へ。七福神の
恵比寿神として知られ、11月の例祭には近郷の商売繁盛を祈る人で賑わうという。


 境内を西に抜け、次の通りを北進して金成院横の台地を上がる。北に下ってJR両毛線
の踏切と東武佐野線のガード下を抜けて久保町に入り、左折して球形のガスタンクの北側
を通過する。

 市の花、カタクリの描かれたガスタンクの西に回って線路際に出て、佐野駅の北側に延
びる佐野城跡である城山公園に上がる。

 佐野城は、慶長7(1602)年に唐沢山城主佐野信吉がこの地にあった惣宗寺を移転
させ、築城と現在の佐野の原型となる町割りを開始したとのこと。

 佐野氏は慶長12年に唐沢山城を廃してこの地に移ったが、同19(1614)年には
所領を没収され、間もなく廃城になったという。

 当時の内堀と外堀は市街化が進んで完全に埋め立てられたが、東西110m、南北390
mの主郭部は堀割をよく留めており、市指定史跡・名勝となっている。

 公園の南側にあった城山記念館に入り、城山の四季の映像を見る。受付には、公園内で
とれた木の実が並んでいた。



 緑豊富な園内を貫く遊歩道を北端まで進むと、日清日露と大東亜戦争の市内戦没者の霊
園があった。


 遊歩道を戻り、ゴールの東武佐野線とJR両毛線の佐野駅に14時12分に着いた。


 蒸し暑かったが曇り空だったので、前日までの猛暑のような中を歩かずに済み、幸いだ
った。

(参加 4人、天気 曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 佐野、歩行地 佐野市、
 歩数 11,000)




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