あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

印西牧の原駅から千葉ニュータウン中央駅へカントリーウオーク(千葉)

2015-09-26 22:18:23 | カントリーウオーク
 2015年9月23日(水・祝)

 北総鉄道の季刊誌「ほくそう」では毎号、「北総線の小さな旅」と呼ぶウオーキングコ
ースを紹介しているが、昨年12月発行の冬号のコースを逆行することにして、秋分の日
に出かけた。

 逆行することにしたのは、「やまさん」こと山浦正昭さんが言われた、「小さい駅から
大きい駅へ」というカントリーウオークの原則ともいえることに従ったから。

 北総鉄道の印西牧の原(いんざいまきのはら)駅に10時12分に着き、駅構内のコン
ビニで弁当を求めて、10時20分に北口をスタートする。


 すぐ先、南北に延びる道路を挟んで牧ノ原公園があり、駅寄りには間もなく出し咲きそ
うなコスモス畑が広がる。

 東北端の十字路を東へ、この先歩く亀成川(かめなりがわ)の源流という遊水池の「め
がね橋」からは、公園の北エリアの中心に盛り上がる「ひょうたん山」が見える。


 橋を渡り、標高41mというそのひょうたん山に上がる。

 眼下にはビッシリ並ぶ住宅や公園の南部など、西方にはゴールの千葉ニュータウン中央
駅周辺のビル↓などが望まれる。


 公園を東北端に抜けて西へ、交差点を渡った北側の木立の中に、小さな社殿の皇大神宮
が祭られていた。
      
 延宝4年(1676)、この地に宗舗村(そうほむら)が成立した際に建立されたと伝
わるとか。境内には、文化12年(1815)造立の青面金剛や庚申塔、道祖神など、
10基ほどの石塔が並んでいた。

 次の三差路を北に折れて宗甫集落へ。柿の実が色づき、集落の西側にはK家の大きな長
屋門が目に付く。


 集落を北に抜け、緩やかに左カーブして雑草地になっているUR都市再生機構の保留地
の間を進む。
      
 雑草地にツリガネソウが、その先の畑にはオクラに似た花などが咲いたいた。
           

 亀成川沿いの田園地帯に出て、さかさ川橋を渡る。逆川(さかさがわ)とは、この川が
利根川水系に属しているのに、利根川とは逆に東から西に流れることから呼ばれているら
しい。


 川沿いの田んぼの多くは刈り入れ後だが、コンバインで収穫中の田も残っていた。


 北側の台地に上がり、県道64号との交差点の手前で左折して根口集落に入る。突き当
たりのT字路の西側に、熊野神社(右)と地蔵堂(左)が並んでいる。


 道路際には古い庚申塔が3基立ち、付近のヒガンバナが花盛り。


 熊野神社は延暦年間(782~806)に創建されたと伝わり、元文年間(1736~
41)に紀州熊野の本宮を再勧請(かんじよう)したという。


 左に並ぶ地蔵堂には、鎌倉時代初期の制作と推定され、60年に1度開帳される秘仏の
木造地蔵菩薩立像が安置され、県の文化財になっている。


    
 お堂の天井板には、龍などが描かれていた。地蔵堂境内では毎年8月24日、印西市無
形民俗文化財の別所の獅子舞が奉納されるという。


 どっしりとした仁王門を出て、南西へ200mほどで地蔵寺がある。天長から承和年間
(824~48)にかけて慈覚大師により建立されたと伝わる古寺。

 仁明天皇の勅願寺である地蔵堂を所持していたことから、中世には七堂伽藍を備え、東
国一の霊場だったといわれているとか。現在は本堂のみの静かなたたずまい。

 堂内をのぞいてみたら、大きな駕籠(かご)が吊されていた。
   

         境内には、印西七福神の一つ、福禄寿が祭られている。
         

 まだ行程の1/3足らずだが、正午が近いので本堂左手の木陰で昼食に。そばの樹上で
は、ツクツクボウシが鳴き続けていた。

 12時13分に地蔵寺を去り、集落の南に出て西に流れる亀成川の右岸沿いを進む。



 やはり刈り入れ後の田んぼが多くて黄金色の田は少ないが、その幾つかでコンバインが
動いていた。


 川沿いを1㎞余り進んで古新田橋で川を離れ、北西側台地上の大森集落へ。集落内を西
進して県道4号を横断、ケイトウやホウセンカ、ヒャクニチソウなど懐かしい花々の咲き
競う畑の前を通過する。


 集落内の道路が左カーブする突き当たりが、大森鳥見神社である。
      

 創建年代は不明だが、本殿は寛永13年(1636)に再建され、延宝4年(1676)
に修繕などの記録があるとか。

 現在の本殿は文久3年(1863)の再建で、周囲には八幡太郎義家や新羅三郎義光、
常盤御前などの見事な木彫が施されている。


 本殿を囲む玉垣の代わりは珍しい赤レンガで、大正初期に近くの木下(きおろし)にあ
ったレンガ工場で製造されたものという。


 杉木立に囲まれた境内は797坪(約2,630㎡)あり、拝殿の左右には樹齢500年
以上というカヤとイチョウのご神木が並び立っていた。

 神社から南への畑の間をすぐに、西側の墓地から長楽寺に入る。
      
 まず目に付くのが、本堂横に大きく枝を広げたイチョウの大木。本堂前にはバショウが
数本並んでいた。

 長楽寺は、承和年間(834~48)に慈覚大師の建立と伝わる天台宗の寺院。寺が隆
盛を極めた室町時代には寺中に12坊が甍(いらか)を連ねていたとか。天正12年
(1584)の戦火で焼失して荒廃し、延宝7年(1679)に観音堂、鐘楼堂、仁王門
を再建したという。

 本堂内には、足利時代の応安2年(1369)ここ大森の檀那、森内家吉が寄進したと
いう寺宝で県の文化財に指定されている梵鐘が保存されている。
        

      
 国宝だった観音堂は昭和25年(1950)に焼失し、平成元年(1989)に再建と
のこと。観音堂はその奥に祭られていた。


 南側の亀成川沿いに下り、再び右岸を次の橋まで西進する。


 橋を渡って南側の鹿黒(かぐろ)集落に上がり、Y字路を右に入って間もなく、林間の
石段上に平屋民家風の八幡宮が祭られていた。


 集落を南西に抜け、次の和泉集落に入ると、Y字路の左手から来たウオーキンググルー
プと合して、和泉鳥見神社に入る。

 秋分の日に「いなざき獅子舞」が奉納されると「ほくそう」に記載されていたが、間も
なく始まるとのこと。すでに午前中に終えたのではと思って来たが、思いがけずの良いタ
イミングだった。
      
 ちなみに「いなざき」とは稲の収穫前のことで、豊作への感謝を表しているという。


 間もなく、2人の笛の演奏に合わせて4匹の獅子が入ってきた。最初は「道化の舞」で、
子孫繁栄を祈願するというユーモラスな舞が観客の笑いを誘う。
    




 次は女獅子の「四方固めの舞」↑、そして中獅子の↓「四方固めの舞」と続く。
    


 この後も続いていたが40分ほど観覧したので、この辺でと神社を後にする。境内西側
には金刀比羅宮が祭られ、道路側には庚申塔が並んでいた。


 和泉集落内を南西に進む。集落西端のY字路際に、「米作日本一記念碑」が立っていた。
         
 昭和28年(1953)、当時の農林省など主催の「米作日本一表彰全国競作大会」で、
当地の河内房吉氏が千葉県一になったことを顕彰したものという。

 収穫量は田1反(約300坪)あたり12俵半だったとか。西側の亀成川支流沿いの田
んぼの中には、刈り取り前の水田も残っていた。


 南進すると小倉集落、集落北部の泉倉寺(せんそうじ)に背後から入った。泉倉寺は、
大同2年(807)に平城天皇が空海に命じ、弟子の慈観が本埜(もとの)に建立した延
命院が前身とか。

 永正4年(1507)に時の主僧、覚道が小田原北条氏の焼き討ちにあい、ここに先蔵
寺を再興、慶長16年(1611)には、寺地のある当地、和泉、小倉にちなみ「泉倉寺」
と改名したという。

 江戸幕府の本末制度により、天台宗の下総48か寺の本寺になったが、その後2度の火
災にあっているようだ。

      
 本堂前にイチョウの古木が大きく枝を広げ、その南側には印西七福神のひとつ、毘沙門
天が祭られていた。
         

 南側から車道に出て、入口を探して少し戻り、標識に従い西側のカシなどの常緑広葉樹
の茂る細道を回って、宝珠院観音堂に行く。

 かやぶき屋根の観音堂は「光堂」とも呼ばれ、永禄6年(1563)の建立と推測され、
禅宗様式という中国唐代の様式を伝承するお堂として、国指定重要文化財である。

 お堂は泉倉寺が管理しており、内陣には本尊の観音像を祭る厨子(ずし)が安置されて
いて、毎月17日の正午から15時まで開扉され、厨子を参拝できるという。境内にはご
神木の老杉が立ち、一帯はうっそうたる樹木に覆われていた。

 小倉集落を南に向かう。集落内には、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が幾つか見ら
れた。


 集落が尽きたところでY字路に合し、すぐ先右手のカシなどの林間にもほこらのような
小さな社殿の鳥見神社があり、同様の大きさの摂社が4社ほど並ぶ。


 境内の道路際には10基を越える庚申塔と、月山、羽黒山、湯殿山参拝記念の供養塔が
幾つか並んでいた。
    

 畑作地帯となり、道路の左カーブ店にある手焼きせんべい店の先まで進むと、ネギ畑の
向こうに駅周辺の中高層建物が近づく。



 新しい住宅の増えた小倉台の通りを進み、16時10分にゴールの千葉ニュータウン中
央駅に入る。10分後の上り電車で帰途についた。

(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 小林、白井、歩行地 印西市、歩数
 25,000)




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