2015年9月23日(水・祝)
北総鉄道の季刊誌「ほくそう」では毎号、「北総線の小さな旅」と呼ぶウオーキングコ
ースを紹介しているが、昨年12月発行の冬号のコースを逆行することにして、秋分の日
に出かけた。
逆行することにしたのは、「やまさん」こと山浦正昭さんが言われた、「小さい駅から
大きい駅へ」というカントリーウオークの原則ともいえることに従ったから。
北総鉄道の印西牧の原(いんざいまきのはら)駅に10時12分に着き、駅構内のコン
ビニで弁当を求めて、10時20分に北口をスタートする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/41/361f304ed2e4989ab0163280b2cb147b.jpg)
すぐ先、南北に延びる道路を挟んで牧ノ原公園があり、駅寄りには間もなく出し咲きそ
うなコスモス畑が広がる。
東北端の十字路を東へ、この先歩く亀成川(かめなりがわ)の源流という遊水池の「め
がね橋」からは、公園の北エリアの中心に盛り上がる「ひょうたん山」が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cf/2335af4b8342dce6e5283312a72b80b7.jpg)
橋を渡り、標高41mというそのひょうたん山に上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a7/90206877881e10b0a068aee6af98b354.jpg)
眼下にはビッシリ並ぶ住宅や公園の南部など、西方にはゴールの千葉ニュータウン中央
駅周辺のビル↓などが望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/71/a2112c020abcf3442ebbf544802c5237.jpg)
公園を東北端に抜けて西へ、交差点を渡った北側の木立の中に、小さな社殿の皇大神宮
が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/30/c96215c47ceba410e689ad4b58e8ea70.jpg)
延宝4年(1676)、この地に宗舗村(そうほむら)が成立した際に建立されたと伝
わるとか。境内には、文化12年(1815)造立の青面金剛や庚申塔、道祖神など、
10基ほどの石塔が並んでいた。
次の三差路を北に折れて宗甫集落へ。柿の実が色づき、集落の西側にはK家の大きな長
屋門が目に付く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5c/984941e8c2b9ae745084eb82ea3c5cb0.jpg)
集落を北に抜け、緩やかに左カーブして雑草地になっているUR都市再生機構の保留地
の間を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/f3/91db08e7ffebec692c1081ad7921638c.jpg)
雑草地にツリガネソウが、その先の畑にはオクラに似た花などが咲いたいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a3/437339368ce91b2cc3de583ef22e4610.jpg)
亀成川沿いの田園地帯に出て、さかさ川橋を渡る。逆川(さかさがわ)とは、この川が
利根川水系に属しているのに、利根川とは逆に東から西に流れることから呼ばれているら
しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e5/9fa10622d9ea208faf739effba72fb7e.jpg)
川沿いの田んぼの多くは刈り入れ後だが、コンバインで収穫中の田も残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/fe/998bd291a58d547ed4b8af9d22d33173.jpg)
北側の台地に上がり、県道64号との交差点の手前で左折して根口集落に入る。突き当
たりのT字路の西側に、熊野神社(右)と地蔵堂(左)が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a8/5befe81397cd21604eaaf07576220c2d.jpg)
道路際には古い庚申塔が3基立ち、付近のヒガンバナが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/f6/4fd19c2d45580a4db0804545db566357.jpg)
熊野神社は延暦年間(782~806)に創建されたと伝わり、元文年間(1736~
41)に紀州熊野の本宮を再勧請(かんじよう)したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/fd/d5084d425fb8cd99c0e14a16c1cf78bf.jpg)
左に並ぶ地蔵堂には、鎌倉時代初期の制作と推定され、60年に1度開帳される秘仏の
木造地蔵菩薩立像が安置され、県の文化財になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e7/19ac0a145d22ee06ae53ee204b675a78.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/cc/06120235bd6c1757acb4bb600bca0cbe.jpg)
お堂の天井板には、龍などが描かれていた。地蔵堂境内では毎年8月24日、印西市無
形民俗文化財の別所の獅子舞が奉納されるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5a/c4fef234ace46663d23275df26dd4787.jpg)
どっしりとした仁王門を出て、南西へ200mほどで地蔵寺がある。天長から承和年間
(824~48)にかけて慈覚大師により建立されたと伝わる古寺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b6/47a1f69fdfb7350591d1481a06fc31ce.jpg)
仁明天皇の勅願寺である地蔵堂を所持していたことから、中世には七堂伽藍を備え、東
国一の霊場だったといわれているとか。現在は本堂のみの静かなたたずまい。
堂内をのぞいてみたら、大きな駕籠(かご)が吊されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4c/63cdcb3fa3adec6a7d7db3ffd07da1a6.jpg)
境内には、印西七福神の一つ、福禄寿が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c3/8560cbf9bc423695f5f8d3acbfff6fc5.jpg)
まだ行程の1/3足らずだが、正午が近いので本堂左手の木陰で昼食に。そばの樹上で
は、ツクツクボウシが鳴き続けていた。
12時13分に地蔵寺を去り、集落の南に出て西に流れる亀成川の右岸沿いを進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/2e/fca6d37d27919faa995c011736d0203a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d5/763c9a26f659b2ed54d4937e8a4ee80b.jpg)
やはり刈り入れ後の田んぼが多くて黄金色の田は少ないが、その幾つかでコンバインが
動いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/93/6af2d765e555eb980b4f3a6870488150.jpg)
川沿いを1㎞余り進んで古新田橋で川を離れ、北西側台地上の大森集落へ。集落内を西
進して県道4号を横断、ケイトウやホウセンカ、ヒャクニチソウなど懐かしい花々の咲き
競う畑の前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/b9/f02f2dbdadeef9619501cf4cb4ac17a0.jpg)
集落内の道路が左カーブする突き当たりが、大森鳥見神社である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a3/ec3c33257ab33184615aa056136ba34e.jpg)
創建年代は不明だが、本殿は寛永13年(1636)に再建され、延宝4年(1676)
に修繕などの記録があるとか。
現在の本殿は文久3年(1863)の再建で、周囲には八幡太郎義家や新羅三郎義光、
常盤御前などの見事な木彫が施されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f9/98c861f4f7eb2aed4e4bcc7c9e8d3c2c.jpg)
本殿を囲む玉垣の代わりは珍しい赤レンガで、大正初期に近くの木下(きおろし)にあ
ったレンガ工場で製造されたものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c6/e7a3bdd219625b7a8ce703f41a42e790.jpg)
杉木立に囲まれた境内は797坪(約2,630㎡)あり、拝殿の左右には樹齢500年
以上というカヤとイチョウのご神木が並び立っていた。
神社から南への畑の間をすぐに、西側の墓地から長楽寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8d/cac56eac8426be2349b1ed22c1cf9832.jpg)
まず目に付くのが、本堂横に大きく枝を広げたイチョウの大木。本堂前にはバショウが
数本並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/db/7a35f900ab50475e2da7888e08d5067e.jpg)
長楽寺は、承和年間(834~48)に慈覚大師の建立と伝わる天台宗の寺院。寺が隆
盛を極めた室町時代には寺中に12坊が甍(いらか)を連ねていたとか。天正12年
(1584)の戦火で焼失して荒廃し、延宝7年(1679)に観音堂、鐘楼堂、仁王門
を再建したという。
本堂内には、足利時代の応安2年(1369)ここ大森の檀那、森内家吉が寄進したと
いう寺宝で県の文化財に指定されている梵鐘が保存されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/78/ce2fd8ceff60ed71828980a814a92168.jpg)
国宝だった観音堂は昭和25年(1950)に焼失し、平成元年(1989)に再建と
のこと。観音堂はその奥に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a9/121e1191fb21c69a69ffab7f1c88e479.jpg)
南側の亀成川沿いに下り、再び右岸を次の橋まで西進する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/1c/b998d81f434f9ed9a70c78464a5ae3bc.jpg)
橋を渡って南側の鹿黒(かぐろ)集落に上がり、Y字路を右に入って間もなく、林間の
石段上に平屋民家風の八幡宮が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/6e/643645eecd74dedb2c8f75b2fe979146.jpg)
集落を南西に抜け、次の和泉集落に入ると、Y字路の左手から来たウオーキンググルー
プと合して、和泉鳥見神社に入る。
秋分の日に「いなざき獅子舞」が奉納されると「ほくそう」に記載されていたが、間も
なく始まるとのこと。すでに午前中に終えたのではと思って来たが、思いがけずの良いタ
イミングだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/03/eb013aeba4f484340baadad7c4a60853.jpg)
ちなみに「いなざき」とは稲の収穫前のことで、豊作への感謝を表しているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/5a/a26a9eabdfe1a9f7e22f727e7e16217d.jpg)
間もなく、2人の笛の演奏に合わせて4匹の獅子が入ってきた。最初は「道化の舞」で、
子孫繁栄を祈願するというユーモラスな舞が観客の笑いを誘う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/75/f44e6e2e365a3406fc08e07ff300fa59.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/b6/5429c48cd89044e964540a840910ef1d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/d2/4a112f62fef33bb18c69647b088c6c0c.jpg)
次は女獅子の「四方固めの舞」↑、そして中獅子の↓「四方固めの舞」と続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f9/873ba8f407458bba78baba5ed0340332.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c9/eb4d86bba8fd8258b4fc5fdbebbe093f.jpg)
この後も続いていたが40分ほど観覧したので、この辺でと神社を後にする。境内西側
には金刀比羅宮が祭られ、道路側には庚申塔が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f2/afb13aea21b1d7a3151b96d4a599d957.jpg)
和泉集落内を南西に進む。集落西端のY字路際に、「米作日本一記念碑」が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/e9/5938b63b1566e91c89dcb84879eefa8a.jpg)
昭和28年(1953)、当時の農林省など主催の「米作日本一表彰全国競作大会」で、
当地の河内房吉氏が千葉県一になったことを顕彰したものという。
収穫量は田1反(約300坪)あたり12俵半だったとか。西側の亀成川支流沿いの田
んぼの中には、刈り取り前の水田も残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/78/f579b84ad7449b8b2286c8105d9fbb6c.jpg)
南進すると小倉集落、集落北部の泉倉寺(せんそうじ)に背後から入った。泉倉寺は、
大同2年(807)に平城天皇が空海に命じ、弟子の慈観が本埜(もとの)に建立した延
命院が前身とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a2/c823527c36be8e8d60c261a9a01f70b8.jpg)
永正4年(1507)に時の主僧、覚道が小田原北条氏の焼き討ちにあい、ここに先蔵
寺を再興、慶長16年(1611)には、寺地のある当地、和泉、小倉にちなみ「泉倉寺」
と改名したという。
江戸幕府の本末制度により、天台宗の下総48か寺の本寺になったが、その後2度の火
災にあっているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/9e/c0789df2ba2eac789c8e92b07a734fb9.jpg)
本堂前にイチョウの古木が大きく枝を広げ、その南側には印西七福神のひとつ、毘沙門
天が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/78/eb7b85c05ef5020f837ac8efc2250919.jpg)
南側から車道に出て、入口を探して少し戻り、標識に従い西側のカシなどの常緑広葉樹
の茂る細道を回って、宝珠院観音堂に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/23/ecb577a63cd4ff6f0c0be9558903a649.jpg)
かやぶき屋根の観音堂は「光堂」とも呼ばれ、永禄6年(1563)の建立と推測され、
禅宗様式という中国唐代の様式を伝承するお堂として、国指定重要文化財である。
お堂は泉倉寺が管理しており、内陣には本尊の観音像を祭る厨子(ずし)が安置されて
いて、毎月17日の正午から15時まで開扉され、厨子を参拝できるという。境内にはご
神木の老杉が立ち、一帯はうっそうたる樹木に覆われていた。
小倉集落を南に向かう。集落内には、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が幾つか見ら
れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/97/cebb5ea614504a2d2917d7e244499fd2.jpg)
集落が尽きたところでY字路に合し、すぐ先右手のカシなどの林間にもほこらのような
小さな社殿の鳥見神社があり、同様の大きさの摂社が4社ほど並ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/85/abcd93292ea0e0dccf0eb7e31a548ae8.jpg)
境内の道路際には10基を越える庚申塔と、月山、羽黒山、湯殿山参拝記念の供養塔が
幾つか並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/96/ffc686267f7ac1793802e18c2be9c1c6.jpg)
畑作地帯となり、道路の左カーブ店にある手焼きせんべい店の先まで進むと、ネギ畑の
向こうに駅周辺の中高層建物が近づく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d3/1185079f8dbea65dd558a71e34e6cdbc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/49/8485a13e610604f67e0d57c5de5ea97b.jpg)
新しい住宅の増えた小倉台の通りを進み、16時10分にゴールの千葉ニュータウン中
央駅に入る。10分後の上り電車で帰途についた。
(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 小林、白井、歩行地 印西市、歩数
25,000)
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北総鉄道の季刊誌「ほくそう」では毎号、「北総線の小さな旅」と呼ぶウオーキングコ
ースを紹介しているが、昨年12月発行の冬号のコースを逆行することにして、秋分の日
に出かけた。
逆行することにしたのは、「やまさん」こと山浦正昭さんが言われた、「小さい駅から
大きい駅へ」というカントリーウオークの原則ともいえることに従ったから。
北総鉄道の印西牧の原(いんざいまきのはら)駅に10時12分に着き、駅構内のコン
ビニで弁当を求めて、10時20分に北口をスタートする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/41/361f304ed2e4989ab0163280b2cb147b.jpg)
すぐ先、南北に延びる道路を挟んで牧ノ原公園があり、駅寄りには間もなく出し咲きそ
うなコスモス畑が広がる。
東北端の十字路を東へ、この先歩く亀成川(かめなりがわ)の源流という遊水池の「め
がね橋」からは、公園の北エリアの中心に盛り上がる「ひょうたん山」が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cf/2335af4b8342dce6e5283312a72b80b7.jpg)
橋を渡り、標高41mというそのひょうたん山に上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a7/90206877881e10b0a068aee6af98b354.jpg)
眼下にはビッシリ並ぶ住宅や公園の南部など、西方にはゴールの千葉ニュータウン中央
駅周辺のビル↓などが望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/71/a2112c020abcf3442ebbf544802c5237.jpg)
公園を東北端に抜けて西へ、交差点を渡った北側の木立の中に、小さな社殿の皇大神宮
が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/30/c96215c47ceba410e689ad4b58e8ea70.jpg)
延宝4年(1676)、この地に宗舗村(そうほむら)が成立した際に建立されたと伝
わるとか。境内には、文化12年(1815)造立の青面金剛や庚申塔、道祖神など、
10基ほどの石塔が並んでいた。
次の三差路を北に折れて宗甫集落へ。柿の実が色づき、集落の西側にはK家の大きな長
屋門が目に付く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5c/984941e8c2b9ae745084eb82ea3c5cb0.jpg)
集落を北に抜け、緩やかに左カーブして雑草地になっているUR都市再生機構の保留地
の間を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/f3/91db08e7ffebec692c1081ad7921638c.jpg)
雑草地にツリガネソウが、その先の畑にはオクラに似た花などが咲いたいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a3/437339368ce91b2cc3de583ef22e4610.jpg)
亀成川沿いの田園地帯に出て、さかさ川橋を渡る。逆川(さかさがわ)とは、この川が
利根川水系に属しているのに、利根川とは逆に東から西に流れることから呼ばれているら
しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e5/9fa10622d9ea208faf739effba72fb7e.jpg)
川沿いの田んぼの多くは刈り入れ後だが、コンバインで収穫中の田も残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/fe/998bd291a58d547ed4b8af9d22d33173.jpg)
北側の台地に上がり、県道64号との交差点の手前で左折して根口集落に入る。突き当
たりのT字路の西側に、熊野神社(右)と地蔵堂(左)が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a8/5befe81397cd21604eaaf07576220c2d.jpg)
道路際には古い庚申塔が3基立ち、付近のヒガンバナが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/f6/4fd19c2d45580a4db0804545db566357.jpg)
熊野神社は延暦年間(782~806)に創建されたと伝わり、元文年間(1736~
41)に紀州熊野の本宮を再勧請(かんじよう)したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/fd/d5084d425fb8cd99c0e14a16c1cf78bf.jpg)
左に並ぶ地蔵堂には、鎌倉時代初期の制作と推定され、60年に1度開帳される秘仏の
木造地蔵菩薩立像が安置され、県の文化財になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e7/19ac0a145d22ee06ae53ee204b675a78.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/cc/06120235bd6c1757acb4bb600bca0cbe.jpg)
お堂の天井板には、龍などが描かれていた。地蔵堂境内では毎年8月24日、印西市無
形民俗文化財の別所の獅子舞が奉納されるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5a/c4fef234ace46663d23275df26dd4787.jpg)
どっしりとした仁王門を出て、南西へ200mほどで地蔵寺がある。天長から承和年間
(824~48)にかけて慈覚大師により建立されたと伝わる古寺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b6/47a1f69fdfb7350591d1481a06fc31ce.jpg)
仁明天皇の勅願寺である地蔵堂を所持していたことから、中世には七堂伽藍を備え、東
国一の霊場だったといわれているとか。現在は本堂のみの静かなたたずまい。
堂内をのぞいてみたら、大きな駕籠(かご)が吊されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4c/63cdcb3fa3adec6a7d7db3ffd07da1a6.jpg)
境内には、印西七福神の一つ、福禄寿が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c3/8560cbf9bc423695f5f8d3acbfff6fc5.jpg)
まだ行程の1/3足らずだが、正午が近いので本堂左手の木陰で昼食に。そばの樹上で
は、ツクツクボウシが鳴き続けていた。
12時13分に地蔵寺を去り、集落の南に出て西に流れる亀成川の右岸沿いを進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/2e/fca6d37d27919faa995c011736d0203a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d5/763c9a26f659b2ed54d4937e8a4ee80b.jpg)
やはり刈り入れ後の田んぼが多くて黄金色の田は少ないが、その幾つかでコンバインが
動いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/93/6af2d765e555eb980b4f3a6870488150.jpg)
川沿いを1㎞余り進んで古新田橋で川を離れ、北西側台地上の大森集落へ。集落内を西
進して県道4号を横断、ケイトウやホウセンカ、ヒャクニチソウなど懐かしい花々の咲き
競う畑の前を通過する。
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集落内の道路が左カーブする突き当たりが、大森鳥見神社である。
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創建年代は不明だが、本殿は寛永13年(1636)に再建され、延宝4年(1676)
に修繕などの記録があるとか。
現在の本殿は文久3年(1863)の再建で、周囲には八幡太郎義家や新羅三郎義光、
常盤御前などの見事な木彫が施されている。
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本殿を囲む玉垣の代わりは珍しい赤レンガで、大正初期に近くの木下(きおろし)にあ
ったレンガ工場で製造されたものという。
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杉木立に囲まれた境内は797坪(約2,630㎡)あり、拝殿の左右には樹齢500年
以上というカヤとイチョウのご神木が並び立っていた。
神社から南への畑の間をすぐに、西側の墓地から長楽寺に入る。
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まず目に付くのが、本堂横に大きく枝を広げたイチョウの大木。本堂前にはバショウが
数本並んでいた。
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長楽寺は、承和年間(834~48)に慈覚大師の建立と伝わる天台宗の寺院。寺が隆
盛を極めた室町時代には寺中に12坊が甍(いらか)を連ねていたとか。天正12年
(1584)の戦火で焼失して荒廃し、延宝7年(1679)に観音堂、鐘楼堂、仁王門
を再建したという。
本堂内には、足利時代の応安2年(1369)ここ大森の檀那、森内家吉が寄進したと
いう寺宝で県の文化財に指定されている梵鐘が保存されている。
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国宝だった観音堂は昭和25年(1950)に焼失し、平成元年(1989)に再建と
のこと。観音堂はその奥に祭られていた。
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南側の亀成川沿いに下り、再び右岸を次の橋まで西進する。
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橋を渡って南側の鹿黒(かぐろ)集落に上がり、Y字路を右に入って間もなく、林間の
石段上に平屋民家風の八幡宮が祭られていた。
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集落を南西に抜け、次の和泉集落に入ると、Y字路の左手から来たウオーキンググルー
プと合して、和泉鳥見神社に入る。
秋分の日に「いなざき獅子舞」が奉納されると「ほくそう」に記載されていたが、間も
なく始まるとのこと。すでに午前中に終えたのではと思って来たが、思いがけずの良いタ
イミングだった。
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ちなみに「いなざき」とは稲の収穫前のことで、豊作への感謝を表しているという。
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間もなく、2人の笛の演奏に合わせて4匹の獅子が入ってきた。最初は「道化の舞」で、
子孫繁栄を祈願するというユーモラスな舞が観客の笑いを誘う。
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次は女獅子の「四方固めの舞」↑、そして中獅子の↓「四方固めの舞」と続く。
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この後も続いていたが40分ほど観覧したので、この辺でと神社を後にする。境内西側
には金刀比羅宮が祭られ、道路側には庚申塔が並んでいた。
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和泉集落内を南西に進む。集落西端のY字路際に、「米作日本一記念碑」が立っていた。
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昭和28年(1953)、当時の農林省など主催の「米作日本一表彰全国競作大会」で、
当地の河内房吉氏が千葉県一になったことを顕彰したものという。
収穫量は田1反(約300坪)あたり12俵半だったとか。西側の亀成川支流沿いの田
んぼの中には、刈り取り前の水田も残っていた。
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南進すると小倉集落、集落北部の泉倉寺(せんそうじ)に背後から入った。泉倉寺は、
大同2年(807)に平城天皇が空海に命じ、弟子の慈観が本埜(もとの)に建立した延
命院が前身とか。
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永正4年(1507)に時の主僧、覚道が小田原北条氏の焼き討ちにあい、ここに先蔵
寺を再興、慶長16年(1611)には、寺地のある当地、和泉、小倉にちなみ「泉倉寺」
と改名したという。
江戸幕府の本末制度により、天台宗の下総48か寺の本寺になったが、その後2度の火
災にあっているようだ。
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本堂前にイチョウの古木が大きく枝を広げ、その南側には印西七福神のひとつ、毘沙門
天が祭られていた。
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南側から車道に出て、入口を探して少し戻り、標識に従い西側のカシなどの常緑広葉樹
の茂る細道を回って、宝珠院観音堂に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/23/ecb577a63cd4ff6f0c0be9558903a649.jpg)
かやぶき屋根の観音堂は「光堂」とも呼ばれ、永禄6年(1563)の建立と推測され、
禅宗様式という中国唐代の様式を伝承するお堂として、国指定重要文化財である。
お堂は泉倉寺が管理しており、内陣には本尊の観音像を祭る厨子(ずし)が安置されて
いて、毎月17日の正午から15時まで開扉され、厨子を参拝できるという。境内にはご
神木の老杉が立ち、一帯はうっそうたる樹木に覆われていた。
小倉集落を南に向かう。集落内には、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が幾つか見ら
れた。
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集落が尽きたところでY字路に合し、すぐ先右手のカシなどの林間にもほこらのような
小さな社殿の鳥見神社があり、同様の大きさの摂社が4社ほど並ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/85/abcd93292ea0e0dccf0eb7e31a548ae8.jpg)
境内の道路際には10基を越える庚申塔と、月山、羽黒山、湯殿山参拝記念の供養塔が
幾つか並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/96/ffc686267f7ac1793802e18c2be9c1c6.jpg)
畑作地帯となり、道路の左カーブ店にある手焼きせんべい店の先まで進むと、ネギ畑の
向こうに駅周辺の中高層建物が近づく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d3/1185079f8dbea65dd558a71e34e6cdbc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/49/8485a13e610604f67e0d57c5de5ea97b.jpg)
新しい住宅の増えた小倉台の通りを進み、16時10分にゴールの千葉ニュータウン中
央駅に入る。10分後の上り電車で帰途についた。
(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 小林、白井、歩行地 印西市、歩数
25,000)
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