「四国遍路あれこれ」、次は、遍路道にある道案内の標識、
いわば「道しるべ」ともいうべきものを紹介します。
遍路道を歩くには、「へんろ道保存協力会」編集の「四国
遍路ひとり歩き同行二人」という2冊の冊子のうち、「地図
編」に記載された地図が頼りです。
その「地図編」を見ながらでも、実際歩いて行くと、分岐や
山道などで、この道でよいのだろうかという疑問にしょっちゅう
出くわします。
そんなときにタイミングよく、標識があると安心して進めるの
が道しるべで、歩き遍路にとって大変心強い援軍です。
1番霊山寺からの順路に沿って、遍路道で撮った道しるべを、
何回かに分けて紹介します。
最初は、3番金泉寺から4番大日寺に向かう道筋、徳島自動
車道をくぐり、3番奥の院・愛染院(あいぜんいん)へ向かうへん
ろ道にある、いくつかの標識です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/45/cbfdeb4afb870308f81df0fbcbdbff65.jpg)
手前の石の「へんろ道」と彫られているのは、かなり古いもの。
奥の木製は「四国のみち」の標識、それぞれの上にある赤い色
の小さい標識が、もっとも頼りなり数も多い「へんろみち保存協
力会」が設置した標識です。
これも「四国のみち」の標識。「四国のみち」と、へんろ道保存
協力会の地図上の歩き遍路道とは、必ずしも一致しませんが、
かなりのルートが重複しているので、その場合は、地図上と現地
でのルート確認に使えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/17/d22b0b4c8bda7f5fdc6305d0c481e8c5.jpg)
この場所は、8番熊谷寺から9番法輪寺への途中、田んぼの
向こう(写真の左手)に法輪寺の森が見えてくる辺りです。
10番切幡寺から11番藤井寺に向かう道では、幅広い吉野
川の流れの間にある2つの沈下橋を渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/0d/5d14087f3d60888674e92c7aab14cae6.jpg)
この標識は、最初の大野島橋に向かう左岸堤防の上り口に
あるもの。
すぐ先、堤高の高い左岸堤防から大野島橋を見下ろせると
ころに立つ、へんろみち保存協力会の標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/46/7aa50d46cb234397b970785e76dc1fcd.jpg)
11番藤井寺の境内左手奥から、最初の「遍路転がし」と呼ぶ
険しい山道にかかります。その入口に立つ標識です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/46/f94fc07bd23b80ddbe60a41c92084923.jpg)
焼山寺に向かう山道へ。最初のひと上りを終え、端山休憩所
と呼ぶ吉野川の展望が開けた場所を過ぎ、番外霊場・長戸庵
に向かう道すじに立つ「四国のみち」標識と、古い道しるべ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/a4/3bf52cf927ac8fae1033db9b438c2912.jpg)
焼山寺への道は、標高500~600m前後の稜線上の上り
下りが続きますが、最後の下りは、左右内谷川沿いの集落・
左右内(そうち)に向かう急な下り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2e/70a97684caba8a91502cf159447488a9.jpg)
集落への下り口に立つ、へんろ道保存協力会の標識です。
下の「最後まで残った空海の道ウオーク」と記されたもの
は、日本ウオーキング協会が毎年実施する、「空海の道ウ
オーク」のグループが立てたものです。
12番焼山寺から次の13番大日寺へは、2つのルートが
ありますが、北側の玉ヶ峠(450m)への上り口、車道から
山道にかかるところに立つています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/bc/f3873f8391443b49628753793d6f4f53.jpg)
17番井戸寺から徳島市内を通過し、18番恩山寺まで1㎞も
ない辺りに、壇ノ浦の合戦に向かう源義経の上陸地があります。
その記念碑そばにある「四国のみち」の標識です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/63/33b06b4925c3337cd70f54db3e9eeed1.jpg)
19番立江寺から第2の遍路転がし、20番鶴林寺への途中、
少し迂回すると番外霊場・星の岩屋があります。
勝浦川沿いから星の岩屋への上り道の入口、星谷集落の
三差路に立つ標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/48/3a265faeaff5b008d4f44afa58700ece.jpg)
絵入りの大きな板の標識は、地元で建てたもののようです。
20番鶴林寺へ向かう3つのへんろ道のうち1番西側、勝浦
川右岸の棚野集落からの幅広い山道にある、古い標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/55/d4ee567add3b2264d03ed0feb10e743e.jpg)
20番鶴林寺の山門を入り、本堂に向かう杉木立の参道に
立つ、中務茂兵衛(なかつかさもへい)が179度目の遍路で
奉納した遍路石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/7b/accdd5e366e1c1bf6264ada057a774c1.jpg)
中務茂兵衛は、22歳で故郷の山口県を出て、1922年に
高松市で亡くなるまでの明治・大正時代、1度も故郷に帰る
ことなく、280回もの四国遍路をしました。
その間、たくさんの道標を建立し、現存するだけで230基
に及んでいるそうです。
20番鶴林寺から21番太龍寺へのへんろ道、若杉谷川沿い
から標高430mの太龍寺へ向かう山道の、登坂口付近にある
遍路標石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5a/15cef963a3daf79516083ddbacbcdef0.jpg)
21番太龍寺を打ち終えて第2のへんろ道を無事通過し、阿瀬
比から22番平等寺へ向かうへんろ道の最後のピーク、大根峠
(200m)に下がる、へんろみち保存協力会の標札です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3d/e588cf35bee7f5c155abd09c5fef7b7d.jpg)
この中で幾つか紹介した「四国のみち」については、下記Web
をご参照下さい。
http://www.skr.mlit.go.jp/road/smiti/smiti.html 〈続く〉
いわば「道しるべ」ともいうべきものを紹介します。
遍路道を歩くには、「へんろ道保存協力会」編集の「四国
遍路ひとり歩き同行二人」という2冊の冊子のうち、「地図
編」に記載された地図が頼りです。
その「地図編」を見ながらでも、実際歩いて行くと、分岐や
山道などで、この道でよいのだろうかという疑問にしょっちゅう
出くわします。
そんなときにタイミングよく、標識があると安心して進めるの
が道しるべで、歩き遍路にとって大変心強い援軍です。
1番霊山寺からの順路に沿って、遍路道で撮った道しるべを、
何回かに分けて紹介します。
最初は、3番金泉寺から4番大日寺に向かう道筋、徳島自動
車道をくぐり、3番奥の院・愛染院(あいぜんいん)へ向かうへん
ろ道にある、いくつかの標識です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/45/cbfdeb4afb870308f81df0fbcbdbff65.jpg)
手前の石の「へんろ道」と彫られているのは、かなり古いもの。
奥の木製は「四国のみち」の標識、それぞれの上にある赤い色
の小さい標識が、もっとも頼りなり数も多い「へんろみち保存協
力会」が設置した標識です。
これも「四国のみち」の標識。「四国のみち」と、へんろ道保存
協力会の地図上の歩き遍路道とは、必ずしも一致しませんが、
かなりのルートが重複しているので、その場合は、地図上と現地
でのルート確認に使えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/17/d22b0b4c8bda7f5fdc6305d0c481e8c5.jpg)
この場所は、8番熊谷寺から9番法輪寺への途中、田んぼの
向こう(写真の左手)に法輪寺の森が見えてくる辺りです。
10番切幡寺から11番藤井寺に向かう道では、幅広い吉野
川の流れの間にある2つの沈下橋を渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/0d/5d14087f3d60888674e92c7aab14cae6.jpg)
この標識は、最初の大野島橋に向かう左岸堤防の上り口に
あるもの。
すぐ先、堤高の高い左岸堤防から大野島橋を見下ろせると
ころに立つ、へんろみち保存協力会の標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/46/7aa50d46cb234397b970785e76dc1fcd.jpg)
11番藤井寺の境内左手奥から、最初の「遍路転がし」と呼ぶ
険しい山道にかかります。その入口に立つ標識です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/46/f94fc07bd23b80ddbe60a41c92084923.jpg)
焼山寺に向かう山道へ。最初のひと上りを終え、端山休憩所
と呼ぶ吉野川の展望が開けた場所を過ぎ、番外霊場・長戸庵
に向かう道すじに立つ「四国のみち」標識と、古い道しるべ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/a4/3bf52cf927ac8fae1033db9b438c2912.jpg)
焼山寺への道は、標高500~600m前後の稜線上の上り
下りが続きますが、最後の下りは、左右内谷川沿いの集落・
左右内(そうち)に向かう急な下り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2e/70a97684caba8a91502cf159447488a9.jpg)
集落への下り口に立つ、へんろ道保存協力会の標識です。
下の「最後まで残った空海の道ウオーク」と記されたもの
は、日本ウオーキング協会が毎年実施する、「空海の道ウ
オーク」のグループが立てたものです。
12番焼山寺から次の13番大日寺へは、2つのルートが
ありますが、北側の玉ヶ峠(450m)への上り口、車道から
山道にかかるところに立つています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/bc/f3873f8391443b49628753793d6f4f53.jpg)
17番井戸寺から徳島市内を通過し、18番恩山寺まで1㎞も
ない辺りに、壇ノ浦の合戦に向かう源義経の上陸地があります。
その記念碑そばにある「四国のみち」の標識です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/63/33b06b4925c3337cd70f54db3e9eeed1.jpg)
19番立江寺から第2の遍路転がし、20番鶴林寺への途中、
少し迂回すると番外霊場・星の岩屋があります。
勝浦川沿いから星の岩屋への上り道の入口、星谷集落の
三差路に立つ標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/48/3a265faeaff5b008d4f44afa58700ece.jpg)
絵入りの大きな板の標識は、地元で建てたもののようです。
20番鶴林寺へ向かう3つのへんろ道のうち1番西側、勝浦
川右岸の棚野集落からの幅広い山道にある、古い標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/55/d4ee567add3b2264d03ed0feb10e743e.jpg)
20番鶴林寺の山門を入り、本堂に向かう杉木立の参道に
立つ、中務茂兵衛(なかつかさもへい)が179度目の遍路で
奉納した遍路石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/7b/accdd5e366e1c1bf6264ada057a774c1.jpg)
中務茂兵衛は、22歳で故郷の山口県を出て、1922年に
高松市で亡くなるまでの明治・大正時代、1度も故郷に帰る
ことなく、280回もの四国遍路をしました。
その間、たくさんの道標を建立し、現存するだけで230基
に及んでいるそうです。
20番鶴林寺から21番太龍寺へのへんろ道、若杉谷川沿い
から標高430mの太龍寺へ向かう山道の、登坂口付近にある
遍路標石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5a/15cef963a3daf79516083ddbacbcdef0.jpg)
21番太龍寺を打ち終えて第2のへんろ道を無事通過し、阿瀬
比から22番平等寺へ向かうへんろ道の最後のピーク、大根峠
(200m)に下がる、へんろみち保存協力会の標札です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3d/e588cf35bee7f5c155abd09c5fef7b7d.jpg)
この中で幾つか紹介した「四国のみち」については、下記Web
をご参照下さい。
http://www.skr.mlit.go.jp/road/smiti/smiti.html 〈続く〉
几帳面なsaikoroatさんの面目躍如ですね。凄いです。
星の岩屋への麓にある「宙に浮いたベンチ」先日腰をかけて写してきました。
私は腰掛けなかったので気づきませんでした。