第2日 2019年4月17日(水)
== 五島・福江島から久賀島、奈留島の教会・天主堂を巡り中通島へ〈後半〉 ==
13時30分に遣唐使ふるさと館を出て、国道を東から東南へと向かう。
間もなく田植えの始まりそうな水田や入江の横などを通過して、島の東部の中心市街地
に戻って福江島の観光を終え、福江港に14時05分に着いた。
この後は、福江港から貸切りの海上タクシーに乗り、2つの島を巡って新上五島町(し
んかみごとうちょう)の中心地、中通島に向かう行程である。
イエローカラーの海上タクシーは14時30分に福江港を出航した。
ガイドは大崎五月さん、船長は三宅さんとのこと。船体は小さいがかなりのスピードで
エンジン音も大きい。
北に向かって進み、朝一番に訪れた堂崎天主堂の北東側にある久賀島(ひさかじま)に
向かう。
久賀島が近づき島の東側を北上すると、東側の小さい島、前島と南西側のさらに小さい
末津島との間が干潮でつながった状態になる「トンボロ」と呼ぶ景観が見られた。
潮の流れで小石が堆積してできた砂洲で、幅約10m、長さ約400mに及ぶという。
普段は海なのに、干潮時になると石州を歩いて渡ることができる現象を「トンボロ現象」
ということから、トンボロと呼ばれているようだ。
景観として美しいだけでなく地形学的にも大変貴重で、日本三景のひとつ京都の天橋立
も同じ成り立ちだという。
トンボロを見て数分、15時過ぎに久賀島の東部の波止場に着いた。すぐ近くに、国の
重要文化財に指定されている旧五輪(ごりん)教会がある。
旧五輪教会は、明治14(1881)年に島の西南側の浜脇教会として建築されたのを
昭和6(1931)年に移築したもので、五島に現存する木造教会では最古の建物とのこ
と。
この教会は、キリシタン弾圧時の殉教者の遺徳をしのび、信者が総力を結集して建設し
たもので、五島カトリック史上重要な意義をもつもののよう。
内部意匠は、三廊式板張肋骨穹窿(ろっこつきゅうりょう・リブボールド)と呼ぶ純教
会様式を用いており、建築本体は地元大工による和風建築であり、明治初期の日本教会建
築を考察する上で、わが国の建築史上極めて重要な位置を占める文化財という。
教会に入りそれら建築の様子や祭壇、ステンドグラスなどを眺めた。ここは今回観覧し
たキリシタン教会中、唯一写真撮影が可能だった。
そばに新五輪教会もある。
ちなみに、この五輪地区の共同墓地をたずねると、「五輪」という姓が多く、かつては
地区のほとんどが五輪姓だったよう。ただし本家筋の人だけが「ごりん」姓を、本家筋の
人以外は「いつわ」を名乗っていたという。
シンガーソングライターの五輪真弓(いつわまゆみ)のお父さんも五輪地区の出身で敬
虔(けいけん)なカトリック信者で、おじいさんは教会でオルガンを弾いていたとか。
五輪真弓さん自身も久賀島を数度訪れており、デビュー40周年の2013年には久賀
島を訪れ、先祖の弾圧の歴史を知ったときに作曲した「時の流れに〜鳥になれ〜」を熱唱
しているという。
15時20分に旧五輪教会そばの波止場を出発して北東側の奈留島(なるしま)に向か
い、15時35分に島の北西部の江上(えがみ)港に着いた。
湾沿いに少し歩いた山すその木々に囲まれた一角に木造白亜の江上天主堂がある。
江上天主堂を含む奈留島の江上集落は、先ほど訪れた久賀島の集落とともに、福江市内
の世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されている。
江上天主堂は、教会建築の名工という鉄川與助(てつかわよすけ)の設計施工で、木造
ロマネスク様式の天主堂として最も完成度が高いといわれているよう。
湧水による湿気を意識して床を高く上げ、軒裏には装飾を兼ねた通風口を設けるなど在
来技術を用いており、1918年にキビナゴ漁などによって蓄えた資金を元に潜伏キリシ
タン集落だった江上の人々により建築されたという。
柱には手書きの木目模様、花を描いた窓ガラスなどの特徴があり、内部は三廊式の平面
を持ち、リブ・ヴォールト天井(こうもり天井)構造で、美しい曲線が祈りの空間を包ま
れており、それらについて説明を聞きながら閉館時間の16時までに拝観を終えることが
できた(撮影禁止)。建物は国の重要文化財に指定されている。
海上タクシーに戻り、16時05分に江上港を出港した。江上港のある奈留島までは五
島市で、この先北東側の若松島・中通島とその周囲の島々は新上五島町(しんかみごとう
ちょう)になる。
海上タクシーは次の目的地、奈留島の北東にある新上五島町の若松島に向かい、島の南
端近くまで進んで、16時35分に手前の小島にある「キリシタン洞窟」のそばを通過す
る。
キリシタン洞窟は、明治時代初期に始まったキリシタン弾圧の迫害を逃れるために、4
家族8名が船でしか行けないこの断崖の洞窟に身を隠したが、たき火の煙を漁船に見つか
り、水責めなどの厳しい拷問を受けたという。
すぐ近くには、「ハリノメンド」と呼ぶ岩礁がある。「メンド」とは五島の方言で穴の
こと。
「ハリノメンド」は「針の穴」という意味で、その形状が聖母マリアが幼いイエスを抱
く姿に見えることから注目されているようだ。
さらに15分ほどの16時57分に若松島東岸中央部の若松港に着いた。港のそばに待
機していた西肥バスに乗る。ドライバーは山下さん、ガイドはオダさんとのこと。
17時05分にバスは出発する。
バスは東進して若松大橋を渡り、新上五島町の中心で最大の島、中通島(なだどおりし
ま)に向かう。
橋の下は若松瀬戸と呼ばれ、激しく流れる潮流が望まれる。
島に入って間もなくバスは北に進んで中ノ浦教会の横を通過する。
中ノ浦教会は大正14(1925)年建築の木造教会で、高い鐘塔は昭和41(1966)
年の増築とか。海辺に映る姿から「水鏡の教会」とも呼ばれているという。
濤静かな湾沿いに進み、島の中央部近くまで行くと、はるか海上に浮かぶ国内最大とい
う洋上石油備蓄基地が望まれる。
巨大な人工浮島を使用した、世界初の洋上タンク式石油備蓄基地で、日本の石油需要7
日分に相当する440万㎘もの原油を貯蔵しているとか。
折島と柏島との間に防波堤が設けられ、二重の浮式防油堤に囲まれた海域に5隻の貯蔵
船を係留したもので、1隻あたり長さ390m、幅97m、深さ27.6m、野球場3個
分の広さがあるという。
島の中央部東側、榎津港かと思われる辺りの繁華街を進み、中通島北部高台にある2日
目の宿、五島列島リゾートホテル マルゲリータに18時15分頃到着した。
(歩数 9,700)
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