あるきメデス

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五島列島7島20景めぐり3日の旅② 福江島・久賀島・奈留島など(長崎・五島市他)〈前半〉

2019-06-13 22:34:12 | 国内旅行
 第2日 2019年4月17日(水)
 == 五島・福江島から久賀島、奈留島の教会・天主堂を巡り中通島へ〈前半〉 ==



 福江島の東部、福江市の中心街にあるカンパーナホテルで6時に起床した。天気は曇り
空で降り出しそう。今朝の朝食は近くの食堂でするので、7時03分に五島バスでホテル
を出た。今日のガイドも昨日と同じシロタニさん、ドライバーは中村さん。


 2分ほどで漁師食堂・魚市に着いた。2階の食堂に上がると周囲には大漁旗が張られ、
海産物の直売コーナーもある。


         
 さっそくの朝食は、ヒラマサとキビナゴの刺身、鯛とブリのあら汁、キビナゴの南蛮漬
け、野菜のかき揚げ、野菜サラダなどである。
    


 食事後にクイズや海産物の直売品の購入などの時間もあり、8時25分に漁師食堂を後
にした。

 福江島の東岸沿いを北へ、県道162号線を進んで島の北東部にある堂崎(どうざき)
天主堂近くの駐車場に8時40分に着いた。少し小雨模様の中を歩いて4分ほどのところ
に堂崎天主堂資料館がある。


 天主堂のある堂崎教会は長崎県指定有形文化財で、五島のシンボル的教会のよう。禁教
令が解かれた後、五島キリシタン復興の任を帯びてフランス人宣教師フレノーとマルマン
の両神父が五島を訪れて布教にあたり、1879年にマルマン神父により五島における最
初の天主堂(木造)として建てられた。

 その後着任したペルー神父により、1908年に現在のレンガ造りの教会堂が完成した
という。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コー
モリ天井などの教会堂建築となっていて、現在は、弾圧の歴史や資料を展示するキリシタ
ン資料館として一般公開されている(入館料300円)。

 キリシタン資料館の開館は9時なので、それまで周辺の入江や構内のキリシタン庭園を
見る。
     
 庭園には五島キリシタン復活の礎になったマルマン神父・ペルー神父と子どもたちの像、
日本26聖人のひとりで1578年に福江島で生まれ1597年に殉教した聖ヨハネ五島
「受難のとき」像、五島の人々とキリスト教との「出会い」を記念する『アルメイダの宣
教碑「出会いの日」』碑、マリア観音碑などがあった。
     

          

 9時の開館とともにキリシタン資料館に入館し、聖ヨハネ五島関係の資料、かくれキリ
シタン資料、布教用の木版画、名取洋之助氏撮影の写真など貴重なキリシタン関係資料を
10分ほど観覧した(館内は撮影禁止)。


 入江の風景を眺めながらバス駐車場に戻り、9時25分に出発する。



 県道162号を南下して福江市街地に戻り、島の中心部を東西に貫く県道27号を西進
して西岸へ。国道384号線に入って荒川温泉の横をして玉之浦町を南下する。




 島の西南部に入ると、路傍に「立谷教会跡地 無原罪の聖母像」の案内標識とミニアチ
ュアな教会があった。そこから350mほど入ったところが立谷(たちや)教会跡地との
こと。
    
 立谷教会は、1878年に五島最初の教会として建設されたが、1987年の台風後、
老朽化により自然倒壊し、安置されていた無原罪のマリア像は、これから行く井持浦
(いもちうら)教会で保管され、信徒たちも井持浦教会に通うことになったとか。

 以後、立谷教会跡地は放置されたが、1998年にマリア像が戻されて野外教会として
整備され、信徒たちの祈りの場になっているという。

 その井持浦教会の駐車場には10時20分に着いた。

     
 少しの階段を上がって井持浦教会へ。井持浦教会のある玉之浦地区は、五島に迫害の嵐
が吹き荒れた明治初期に、唯一迫害を免れた地区とのこと。

 明治30(1897)年、フランス人宣教師ペリュー師の指導で五島で最初のレンガ造
りの立派な教会が建設され、大正13(1924)年には教会内部が拡張されたが、昭和
62(1987)年の台風被害により取り壊され、現在のコンクリート造りの教会は翌年
に建立されたものだという。


 敷地内の斜面に「ルルド」がある。ルルドとは、南フランスのピレネー山脈にある町の
名でカトリックの聖地であり、聖泉の水を飲んだり浴びたりした者は病が癒やされるとい
う奇跡が起きたといわれ、世界的な聖地のよう。
     
 井持浦のルルドは、ペリュー師の指導により信徒が五島各地から集められた岩石により
築造され、内部に聖母マリア像が安置されている。
         


 傍らの井戸には聖地ルルドの聖泉の水が混入されていて、第2のルルドとして全国各地
から熱心な信徒が訪れているという。ルルドを見たあと教会内も拝観した(撮影禁止)。


 10時41分に井持浦教会の駐車場を出て西へ、福江島の最西端の大瀬崎(おおせざき)
に向かって次第に高度を上げ、大瀬崎断崖展望台に10時55分に着いた。
     
 大瀬崎は、東シナ海の荒波で浸食された断崖が高さ100~150m、延長15㎞にわ
たって続き、断崖に立つ白亜の灯台と雄大な自然が織りなす絶景は「日本の灯台500選」
に選定され、西海国立公園を代表する景観だという。
     
 突端の灯台は明治12(1879)年に初点灯され、現在のものは昭和46(1971)
年に改築され、200万カンデラの明かりが50㎞沖合まで届き、東シナ海を航行する船
舶の重要な道標になっているようだ。

 ちなみに、解体された旧灯台は船の科学館(東京・品川区東八潮)に展示されていると
のこと。


 展望台は3か所あり、それぞれを回り眼下の荒々しい断崖、周辺の山並みや入り組んだ
湾などの大展望を楽しんだ。







 11時15分に大瀬崎断崖展望台の駐車場を後にした。国道384号線を北へ、複雑に
入り組んだ福江島の西岸沿いを進む。
     

 車中でガイドのシロタニさんが、福江島の魚介カレンダーを紹介してくれた。
    
 1月ブリ、4月はタイ、7月アワビ、9月アゴ、12月フグといった旬の魚介が福江島
では毎月味わえるようだ。


 沿道に広がる幾つもの湾や漁港、緑の草地、湾内に浮かぶカツオのいけすなどが望まれ
る。








 12時ちょうどに西岸中央部よりやや北の高浜ビーチ(海水浴場)に着いた。

 「日本の渚(なぎさ)百選の地」碑と「新観光百選の地」碑が立ち、「快水浴場百選」
にも選ばれている日本屈指のビーチのよう。



 白銀色の砂浜、波打ち際から水色、青色、沖合では深い藍色のコントラストを見せる海、
周囲を囲む深緑の原生林、沖に浮かぶ嵯峨島などの景観で知られ、西海国立公園の特別地
域に指定され、周辺地域を含めて人の手がほとんど加わっていないことから、渚本来の浄
化能力が保たれているという。


 砂浜を波打ち際まで行き、きめ細かな砂や砂浜に残る水紋、野生の鹿の足跡などを確か
めた。




















 12時20分に出発、国道384号線を北へすぐの浜を見下ろす高台でバスを止めてく
れたので、眼下のビーチとそれを囲む緑豊富な山並みなどを一望した。







 さらに国道を北上して島の西北側、三井楽(みいらく)町にある「遣唐使ふるさと館」
に12時32分に着いた。


 2階のレストランに入り、五島美豚のハム、ブリとアオリイカの刺身、鯖寿司などの昼
食をする。
        
  

 昼食後はまず、屋上のステンドグラス展望台に上がって周辺の海や山並みなどを眺める。



 その後2階に戻り、物産販売コーナーをのぞいたり三井楽ゆかりの遣唐使と万葉集関係
の展示室を観覧した。



 ちなみに、ここ三井楽は唐への遣唐使船が最終の寄港地としたところとか。唐の文化を
学ぶために赴く多くの若者にとっては、生きて帰れるという約束のない船旅だったので、
激励する村人、家族や恋人たちとの別れなどのドラマの舞台でもあったようだ。





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コメント (2)
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