前回の投稿とは順序が逆になりましたが、11月8日から9日にかけて1泊で出かけた
信州・上田市内と近郊の別所温泉への小さな旅のレポートです。
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2017年11月8日(水) == 上田市立美術館と上田城跡公園へ ==
JR大宮駅9時58分発の北陸新幹線下り特急はくたか557号に乗り、10時53分
に上田駅に下車した。
今回は連れ合いの希望で来たのだが、歩く距離と移動時間を短縮するために駅北口で貸
し自転車を借りて目的地に向かうことにした。
北口の広場には、大きな水車が回っていた。
最初は、一番の目的地である上田市立美術館に向かう。駅北側から西に下り、JR北陸
新幹線と、旧信越線を第3セクター化した、しなの鉄道の高架下を南西に抜け、「サント
ミューゼ」と呼ぶ上田市交流文化芸術センターと上田市立美術館のある大きな建物に行く。
サントミューゼの構内にはたくさんのドウダンツツジが植えられていて、真っ赤に紅葉
していた。
建物の主要部は円形になっていて、長い円形の廊下を進んで上田市立美術館に入る。
ここで開催されている「平山郁夫展 悠久の旅とシルクロードの遺宝」の観覧が今回の
主目的である。
本展のリーフレット↑の裏面に記された、この展覧会のねらい
会場は撮影禁止なので、リーフレットの写真から展示物の幾つかを。第1室は平山画伯
の作品で、「シルクロード」、「平山郁夫と仏教東伝」、「洛中洛外」、「ニッポンの風
景」の4コーナーに分けて、40点の作品が展示されていた。
「朧月夜ブルーモスク」2007年
「白壁二条城」2004年
リーフレットを飾る「シルクロードを行くキャラバン」の2枚を始め、後にタリバーン
により破壊された石窟などシルクロードを描いた作品、古都京都の寺院、奥入瀬や宮島な
ど、中には見たことのある作品もあったが、観客も少なかったのでゆっくりと観賞するこ
とができた。
第2室は「シルクロード美術」で、「ギリシア・ローマ文化の吸収」、「ガンダーラの
仏伝浮彫」、「仏・菩薩の姿」、「神々と供養者」、「西域の仏教文化」、「シルクロー
ドの工芸」、「コインに見るシルクロードの歴史」のコーナーに、大小合わせて100点
の歴史的にも貴重な仏像や工芸品、コインなどが展示されていた。
これらは、幾たびにも及ぶ平山画伯のシルクロードへの旅で収集されたもののよう。
「弥勒菩薩交脚座像」2~3世紀:ガンダーラ
「仏陀立像」7世紀・パキスタン
「円形切子碗」5~7世紀・イラン
ミュージアムショップでは、会場で見た平山郁夫画伯の複写作品を多数販売していた。
正午頃に入館してゆっくりと観覧し、13時半頃に平山郁夫展を出た。
別室で開催中の「信州の木彫 農民美術新作展」も駆け足で一巡する。
こちらも見たら14時を過ぎた。昼食場所を探して北側の「アリオ上田」と呼ぶ大型店
舗に入り、食堂街の中の「鎌倉パスタ」で遅い昼食をした。
この後は、線路を挟んで北側の上田城跡公園に行くことにした。鉄道のガードをくぐっ
て台地に向かって上がり、東側の二の丸橋から上田城跡公園に入った。
上田城は、天正11(1583)年に真田昌幸により築かれた平城で、上田盆地のほぼ
中央に位置している。塀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城だった
が、2度の徳川の大群を撃退し天下にその名をとどろかせたことで知られ、昨年のNHK
大河ドラマ「真田丸」の舞台にもなっている。
二の丸跡周辺のイチョウやモミジなどは、よい彩りとなっていた。
行く手の東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)の右に立つ北櫓
正面の東虎口櫓門の左手には、南櫓が相対している。
右手前、堀に沿った桜などがよい彩り。
櫓門の右手前、北櫓の石垣には、↓真田石と呼ぶ大石がある。
2代城主真田信之が松代(まつしろ)移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが、
不動だったとの伝説を持つ直径3mの大石で、この真田石を含め城内の石材の大部分は、
市街地北方にそびえる太郎山産の緑色凝灰岩を使用しているという。
櫓門を入ると正面は、真田神社である。
北櫓近くのモミジもよい彩り。
まずは真田神社に参拝する。
神社の左側に回ると、壁面に「真田幸村公」と彫られた古木材がある。「信玄公兜松」
と呼ばれるもので、傍らにその由来が示されていたが細かいので省く。
そばに「真田井戸」と呼ぶ古井戸がある。本丸唯一の井戸で、直径2m、深さ16.5m
あり、この井戸には抜け穴があって、城北の太郎山麓のとりでや上田藩主居館に通じてい
たという伝説があるようだ。
北側の本丸跡に回ると、そちこちのモミジがちょうど見頃で、彩りを競っていた。
その一角で、第二回上田菊花展を開催していたので一巡して見た。
「管物七本盆養」という花のよう
これは「管物ダルマ」らしい
そばのモミジも、キクに負けじと色を競っている。
北に見える山も、太陽が照りだしてよい彩りを見せていた。
本丸を囲む堀の周辺
本丸跡を一巡後、東虎口櫓門を出て東側の二の丸跡に回る。珍しいシダレクワがたくさ
ん並ぶ一角があった。
近くには「小県(ちいさがた)蠶業学校初代校長 三吉米熊胸像」が。
三吉米熊は万延元(1860)年の生まれ。駒場農学校(現東大農学部)卒業後、長野
県職員になり、蠶業事情視察で2年間渡欧し、帰国後、明治25(1892)年に日本初
の蠶業教育の学校である小県蠶業学校(現上田東校)の初代校長に就任するなど、昭和2
(1927)年逝去するまでの36年間、蠶業教育に情熱を傾け、当時の日本経済を支え
た蚕糸業に寄与した功績は計り知れないという。
二の丸跡の桜やイチョウ、ケヤキ、モミジなども、ちょうどよい彩りを見せていた。
公園内にも傾いた太陽が差し込み、青空が広がってきた。
池の向こうの建物は上田市立博物館。
「平和の鐘」
夕日が差し込んで、先ほどより彩りがよくなった北櫓や市立博物館、平和の鐘などを振
り返り、16時を過ぎたので上田城跡公園を後にした。
上田市役所の北側などを東進し、上田駅から北に延びる通りを南下して駅近くまで戻っ
たら、信州の代表的菓子として知られる「みすゞ飴(あめ)」の発売元があった。
みすゞ飴本舗の飯島商店で、建物は国の重要文化財に登録されている。
大正13(1924)年、飯島商店社屋として建築されたとか。木造建築ながら外観は
石造りの用に見えるのは「石目造り」という工法によるもので、外壁のモルタルに小さな
砂利を貼り付けて、石の表面のような造形に仕上げているのだという。
店内に入り、みすゞ飴を購入する。
帰宅後にこの写真を見たら日付が昨日のままになっていたが、店では気付かなかった。
店内も趣ある造りで、置かれていた調度品なども歴史を感じられる物が幾つもあるので、
撮らせてもらった。
これは古いオルガンのよう。
宿泊するビジネスホテルはすぐ近い。冬型が強まり北風が冷たくなった16時40分頃
に入った。
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2017年11月8日(水) == 上田市立美術館と上田城跡公園へ ==
JR大宮駅9時58分発の北陸新幹線下り特急はくたか557号に乗り、10時53分
に上田駅に下車した。
今回は連れ合いの希望で来たのだが、歩く距離と移動時間を短縮するために駅北口で貸
し自転車を借りて目的地に向かうことにした。
北口の広場には、大きな水車が回っていた。
最初は、一番の目的地である上田市立美術館に向かう。駅北側から西に下り、JR北陸
新幹線と、旧信越線を第3セクター化した、しなの鉄道の高架下を南西に抜け、「サント
ミューゼ」と呼ぶ上田市交流文化芸術センターと上田市立美術館のある大きな建物に行く。
サントミューゼの構内にはたくさんのドウダンツツジが植えられていて、真っ赤に紅葉
していた。
建物の主要部は円形になっていて、長い円形の廊下を進んで上田市立美術館に入る。
ここで開催されている「平山郁夫展 悠久の旅とシルクロードの遺宝」の観覧が今回の
主目的である。
本展のリーフレット↑の裏面に記された、この展覧会のねらい
会場は撮影禁止なので、リーフレットの写真から展示物の幾つかを。第1室は平山画伯
の作品で、「シルクロード」、「平山郁夫と仏教東伝」、「洛中洛外」、「ニッポンの風
景」の4コーナーに分けて、40点の作品が展示されていた。
「朧月夜ブルーモスク」2007年
「白壁二条城」2004年
リーフレットを飾る「シルクロードを行くキャラバン」の2枚を始め、後にタリバーン
により破壊された石窟などシルクロードを描いた作品、古都京都の寺院、奥入瀬や宮島な
ど、中には見たことのある作品もあったが、観客も少なかったのでゆっくりと観賞するこ
とができた。
第2室は「シルクロード美術」で、「ギリシア・ローマ文化の吸収」、「ガンダーラの
仏伝浮彫」、「仏・菩薩の姿」、「神々と供養者」、「西域の仏教文化」、「シルクロー
ドの工芸」、「コインに見るシルクロードの歴史」のコーナーに、大小合わせて100点
の歴史的にも貴重な仏像や工芸品、コインなどが展示されていた。
これらは、幾たびにも及ぶ平山画伯のシルクロードへの旅で収集されたもののよう。
「弥勒菩薩交脚座像」2~3世紀:ガンダーラ
「仏陀立像」7世紀・パキスタン
「円形切子碗」5~7世紀・イラン
ミュージアムショップでは、会場で見た平山郁夫画伯の複写作品を多数販売していた。
正午頃に入館してゆっくりと観覧し、13時半頃に平山郁夫展を出た。
別室で開催中の「信州の木彫 農民美術新作展」も駆け足で一巡する。
こちらも見たら14時を過ぎた。昼食場所を探して北側の「アリオ上田」と呼ぶ大型店
舗に入り、食堂街の中の「鎌倉パスタ」で遅い昼食をした。
この後は、線路を挟んで北側の上田城跡公園に行くことにした。鉄道のガードをくぐっ
て台地に向かって上がり、東側の二の丸橋から上田城跡公園に入った。
上田城は、天正11(1583)年に真田昌幸により築かれた平城で、上田盆地のほぼ
中央に位置している。塀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城だった
が、2度の徳川の大群を撃退し天下にその名をとどろかせたことで知られ、昨年のNHK
大河ドラマ「真田丸」の舞台にもなっている。
二の丸跡周辺のイチョウやモミジなどは、よい彩りとなっていた。
行く手の東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)の右に立つ北櫓
正面の東虎口櫓門の左手には、南櫓が相対している。
右手前、堀に沿った桜などがよい彩り。
櫓門の右手前、北櫓の石垣には、↓真田石と呼ぶ大石がある。
2代城主真田信之が松代(まつしろ)移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが、
不動だったとの伝説を持つ直径3mの大石で、この真田石を含め城内の石材の大部分は、
市街地北方にそびえる太郎山産の緑色凝灰岩を使用しているという。
櫓門を入ると正面は、真田神社である。
北櫓近くのモミジもよい彩り。
まずは真田神社に参拝する。
神社の左側に回ると、壁面に「真田幸村公」と彫られた古木材がある。「信玄公兜松」
と呼ばれるもので、傍らにその由来が示されていたが細かいので省く。
そばに「真田井戸」と呼ぶ古井戸がある。本丸唯一の井戸で、直径2m、深さ16.5m
あり、この井戸には抜け穴があって、城北の太郎山麓のとりでや上田藩主居館に通じてい
たという伝説があるようだ。
北側の本丸跡に回ると、そちこちのモミジがちょうど見頃で、彩りを競っていた。
その一角で、第二回上田菊花展を開催していたので一巡して見た。
「管物七本盆養」という花のよう
これは「管物ダルマ」らしい
そばのモミジも、キクに負けじと色を競っている。
北に見える山も、太陽が照りだしてよい彩りを見せていた。
本丸を囲む堀の周辺
本丸跡を一巡後、東虎口櫓門を出て東側の二の丸跡に回る。珍しいシダレクワがたくさ
ん並ぶ一角があった。
近くには「小県(ちいさがた)蠶業学校初代校長 三吉米熊胸像」が。
三吉米熊は万延元(1860)年の生まれ。駒場農学校(現東大農学部)卒業後、長野
県職員になり、蠶業事情視察で2年間渡欧し、帰国後、明治25(1892)年に日本初
の蠶業教育の学校である小県蠶業学校(現上田東校)の初代校長に就任するなど、昭和2
(1927)年逝去するまでの36年間、蠶業教育に情熱を傾け、当時の日本経済を支え
た蚕糸業に寄与した功績は計り知れないという。
二の丸跡の桜やイチョウ、ケヤキ、モミジなども、ちょうどよい彩りを見せていた。
公園内にも傾いた太陽が差し込み、青空が広がってきた。
池の向こうの建物は上田市立博物館。
「平和の鐘」
夕日が差し込んで、先ほどより彩りがよくなった北櫓や市立博物館、平和の鐘などを振
り返り、16時を過ぎたので上田城跡公園を後にした。
上田市役所の北側などを東進し、上田駅から北に延びる通りを南下して駅近くまで戻っ
たら、信州の代表的菓子として知られる「みすゞ飴(あめ)」の発売元があった。
みすゞ飴本舗の飯島商店で、建物は国の重要文化財に登録されている。
大正13(1924)年、飯島商店社屋として建築されたとか。木造建築ながら外観は
石造りの用に見えるのは「石目造り」という工法によるもので、外壁のモルタルに小さな
砂利を貼り付けて、石の表面のような造形に仕上げているのだという。
店内に入り、みすゞ飴を購入する。
帰宅後にこの写真を見たら日付が昨日のままになっていたが、店では気付かなかった。
店内も趣ある造りで、置かれていた調度品なども歴史を感じられる物が幾つもあるので、
撮らせてもらった。
これは古いオルガンのよう。
宿泊するビジネスホテルはすぐ近い。冬型が強まり北風が冷たくなった16時40分頃
に入った。
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