あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

北信濃・飯山と野沢温泉周辺を歩く(長野)(第2日)

2017-11-16 16:41:15 | カントリーウオーク
 2017年10月30日(月)

 == 千曲川右岸の里道と飯山の人形館や寺を巡る ==

 台風22号は関東東方海上を速度を上げて通過して、朝には北海道以東方に進んだが、
日本海に近い北信濃は朝になっても雨が残り、その上に風が強まり今日も雨具が外せそう
にない。

     
 宿泊した、野沢温泉村の民宿まさぞうで7時半から朝食をして、8時50分に宿を出た。


 近くの新田(しんでん)バス停から9時07分発飯山駅行きのバスに乗り、昨日歩き始
めた内野バス停より6つ飯山駅寄りの湯ノ入荘前バス停で、9時20分に下車した。

 近くの老人ホーム、湯ノ入荘に向かう車道の南側を西へ、北に山波が連なる山腹の地図
に無い草道を西進する。


     
 沿道には大きな柿の木があちこちに見られ、いずれもたわわの実を付けている。山腹の
広葉樹も色づき、行く手の神戸(ごうど)集落の向こうに、雨に煙る山並みが望まれる。


 南側一帯にはまだ緑の野沢菜のナノハナ畑が広がる。春には近くの樽川右岸まで、一面
黄色い花で彩られるという。



 神戸集落が近づき、その西側山すそにイチョウの大木が目に入る。地形図上にも「神戸
いちょう」と記されていた。
     
 たくさんの葉はまだ黄葉せず、豊富な緑の葉に覆われていた。手前に見える鳥居と比べ
てその樹高と葉の広がりは、ほかでは見たことのない大樹であることが遠くからも分かる。

        
 そばに行くと鳥居には「銀杏三寶大荒神」の掲額があり、木の右下に小さい社殿が祭ら
れていた。



 「神戸のイチョウ」と呼ぶこの木は、中世から小菅庄内の良蔵坊門前の木と伝えられた
雄木で、胸高幹囲14.7m、樹高36m、長野県内では最大で全国でも上位に入るよう
で、長野県天然記念物に指定されている。


 背後に丸木のベンチがあり、雨も小降りになったので小休止した。


 野沢菜を収穫している畑の横や、たわわに実を付けた柿の木などを通過して神戸集落へ。



 かやぶきにトタンを被せた民家が何棟か残り、ところどころに紅葉、紅葉に色づき始め
た木々がある。



 集落の西端近くで南に向かい、隣の富田集落の中心部を南に抜ける。田んぼと樹林の間
の細道を進むと小屋の下に湧水があり、そばに古い「湯殿山」碑が立っていた。




       
 田んぼと樹林の間の道の中ほどで飯山市から木島平村(きじまだいらむら)に入り、最
初の集落和栗へ。この集落にも何棟か、かやぶきに赤いトタンを被せた民家が目に付いた。



 集落を南に抜けて、田園地帯をさらに進む。右手前方に幾つか建物の並ぶ下髙井(しも
たかい)農林高校が近づき、11時15分に校内に入った。




 ここは、Yさんがかつて2度勤務され、最後は校長を勤められたとのこと。休憩を兼ね
て教室に入り、教え子で現在は生徒指導をされているというN先生から、制作された特製
の和紙や、木や竹、わらなどで作った作品などの説明をしていただく。


     
 さらに校地内も案内され、最近作ったという水車や、チェンソーによる木彫のミミズク、
当地の緯度・経度標石、小学唱歌「故郷」「もみじ」などで知られ近くの中野市出身で野
沢温泉村で没した文学博士・高野辰之作詞の校歌の碑なども説明していただいた。
         






 南側に大きな屋根の寺を眺め、近くの農林高校バス停に行き、12時05分発飯山駅行
きバスに乗る。

この頃には天気は回復して、青空が広がってきた。バスは西進して樽川と千曲川の中央橋
を渡って飯山市街地に入り、すぐの福寿町バス停で下りた。

 「銀座の柳二世」の標識の下がる街路樹沿いに進んでJR飯山線の線路を越えると、す
ぐ先が次の目的地の「高橋まゆみ人形館」↓である。


 まずは展示棟とは別棟の食事処「味蔵 月あかり」に入り、Yさんが予約していた飯山
の郷土料理をおいしくいただく。
     
 料理の膳にはお品書きがあり、各料理の説明が記されていた。


 食事を済ませて13時15分に展示棟へ。ガイドの鈴木さんから説明を受けながら三つ
のギャラリーと映像コーナーを回り、懐かしい野良着姿や普段着姿の、生活感たっぷりの
爺さん婆さんや子どもなどの人形を14時まで観覧した。

    
 館内は撮影禁止なので、もらったリーフレットからそれらの何点かを紹介する。
       

           

                 

 ちなみに、人形作家の高橋まゆみさんは飯山市在住、通信教育で人形創りの基礎を学び、
試行錯誤を重ねて現在の創作人形にたどりついたとか。ユザワヤ創作大賞などを受賞され、
2003年から全国巡回展を展開し、この人形館は2010年に開館したという。



 人形館を後にして、西側を南北に走る愛宕町雁木(がんぎ)通りに入り、歩道を新しい
雁木に覆われた通りを南下する。この通りには幾つもの仏壇店が連なっていた。


 坂上交差点で右折して山際に上がり、北側に連なる寺院を巡る寺巡り遊歩道を折り返す
ことにした。
     


 最初の称念寺は、たくさんのモミジが境内を埋め尽くし、何れもよい彩りになっていた。


 東に接する妙尊寺の本堂屋根は独特の造りで、開山は親鸞の弟子の宗諦とのこと。
     
 本堂前には、第17世住職で明治45(1912)年1月に発祥の飯山一本杖スキーの
元祖だという、スキー姿の市川達譲の立像がある。
       


 次の光蓮寺は、どっしりしたコンクリート造りの本堂を見上げながら通過し、東側の寺
巡りお休み処「奥信濃」に入る。



 正面に飾られた本尊の不動明王は、戸隠の無動寺からのもので、室町時代の作とか。ほ
かに仏壇や木工品などが展示され、寺巡り七福神関連の商品を販売していた。

 トイレには、平成4(1992)年に完成したという金箔1万枚を貼った純金極楽トイ
レがある。


 東側下部を少し迂回して上がると常福寺。どっしりした山門を入った右手に、まだ緑の
葉を付けた大イチョウが立ち、境内はおびただしい数のギンナンで埋め尽くされていた。


 隣接する西念寺には、背の高いシダレザクラが目に付くが、寄らずに通過する。


 さらに進むと、杉木立の多い境内は神明宮とも呼ぶ伊勢神社で、本殿と秋葉殿、天満宮
の三つの社殿が石積みの段上に続いていた。

 明治廃藩まで、歴代飯山城主からの社領寄進があったという。

 次の本光寺の本堂は、かやぶき屋根をトタンで覆っていた。背後の墓所には、江戸時代
に領内の水路、水田の開発に多大な功績を残した野田喜左衛門の墓があるとか。


 少し離れた妙尊寺は、簡素な本堂で境内も質素なたたずまい。遊歩道際のモミジが色づ
いていた。


 さらに離れて最後の大聖寺に回る。石段の上に大きな本堂が構え立ち、境内の何本かの
広葉樹が黄葉の彩りを見せている。



 石段下の地蔵堂には、弘化4(1847)年の地震で亡くなった霊の供養のために作ら
れたという、黄金石地蔵と呼ぶ地蔵尊が祭られていた。


 寺巡りを終え、大聖寺の下を東進してJR飯山線の踏み切りを渡り、15時03に無人
の北飯山駅にゴールした。


 雨が上がった正午過ぎから何か所かでにじが見られたが、駅近くでも最後のにじを見た。



 15時42分発の長野行きに乗り、長野駅には16時34分に着いた。私とNさんご夫
妻は先発の16時45分発北陸新幹線上りで大宮に向かい。ほかの皆さんは17時09分
発で帰途についた。

(天気 雨後晴、距離 4.2+2.3=7㎞、地図(1/2.5万) 往郷(おうごう)、
 飯山、歩行地 飯山市、木島平村、歩数 14,200)




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