2017年10月29日(日)
埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの「特別例会」と称する1泊のウ
オーキングは、台風22号接近による風雨が懸念されたが、予定通りに実施した。
== 小菅神社・北竜湖から野沢温泉へ ==
10時33分着の北陸新幹線下り、はくたか555号で飯山駅に下車した。長野から先
着のYさんの出迎えを受け、用意してもらった弁当を受け取る。本降りなので雨の完全装
備をして、10時50分発の路線バス野沢線に乗る。
飯山の市街地を北へ、雨で濁る千曲川の中央橋を渡る。右岸の集落沿いを北上して11
時20分に内野バス停で下車した。
近くにあった小屋でYさんから今日のコースの説明を受け、11時32分に出発した。
車のほとんど通らぬ車道を南へ、緩やかな上りが続き、道路沿いのハゼなどは紅葉の彩
り。沿道のあちこちにある柿の木は、どれも鈴なりの豊作である。
次第にガスが濃くなり視界は100m以下か、行く手もはっきりしない。標高444m
の十字路際に、周辺から集めたらしい庚申塔などが10基近く並んでいた。
十字路を左折して東に少し、小菅(こすげ)集落の西端に元隆寺の西大門である仁王門
があった。
元隆寺は、中世に戸隠、飯縄と並ぶ三大霊場として栄えたとか。仁王門の両側に金剛力
士像が立っている。建物は元禄10(1697)年頃の再建と考えられているようだ。
ちなみに、この辺り一帯は国の「重要文化的景観」地区に選定されていて、仁王門の横
にその標識が立っていた。
小菅の文化的景観は、修験道の中心地だった小菅山及びその参道沿いに展開した計画的
な地割りを示す景観地で、カワまたはタネと称する池など特徴的な水利を伴う生活・生業
によって形成された景観のようだ。
小菅集落の中心部に向かうと、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が幾つも見られる。
火の見やぐらの横を左へ、スギの並び立つ石段を上がり、小菅神社里宮本殿に参拝する。
小菅神社は、古来から戸隠山、飯縄山とともに奥信濃三山と称され、小菅山山頂近くの
奥社とともに小菅山元隆寺と号しているとか。
桓武天皇の御代に坂上田村麻呂が東征の折、戦勝祈願するなど朝廷との関係が厚く、平
城・嵯峨天皇の勅願所となったという。近年は商売繁盛、開運、交通安全、工事安全、学
業成就、厄除けなどの神徳で、多くの信仰と参拝を集めているようだ。
里宮本殿は、万治3(1660)年に飯山城主、松平忠倶により改築され、大正12
(1923)年に大改築して現在の建物になり、付近には神饌殿、神楽殿、神馬殿なども
ある。
里宮本殿の下にある、講堂の屋根下を借りて昼食をすることとした。12時時25分頃
腰を下ろし、Yさんに用意してもらった北信濃伝統の味という、ぜにがめ堂の「笹ずし」
をいただいた。
講堂の再建年は不明だが、元禄10(1697)年に飯山城主の松平忠喬が修復した記
録が残るとか。堂内に、享保17(1733)年の造立という↓金色の阿弥陀如来像を中
心に、やはり金色の観世音菩薩と勢至菩薩が並んでいた。
講堂前の広場には六地蔵や古い石仏が並び、葉の落ちた↑イトザクラの古木が雨に濡れて
いる。道路の南側には、かやぶき屋根の民家も1棟だけ残っていた。
昼食を終え、集落の中心を貫く道をさらに上がると三の鳥居が立っていた。その先から
は、奥社に向かって急坂の両側に県天然記念物の杉並木が延びている。
鳥居の左手前に、講堂前広場のと並びこの近辺では横綱級という、樹齢200年以上と
思われるイトザクラの古木が立ち、春には薄い桜色の見事な花をつけるようだが、いまは
葉がすっかり落ちていた。
講堂付近まで戻り、北に延びる北竜湖への道に向けて13時21分に出発する。わずか
な家並みを抜けると山道となり、あちこちの広葉樹が色づき始めていた。
少しずつ高度を上げながら北西に向かい、ピークからはU字状に折れて北東に向きを変
え、北竜湖の南西端近くまで下った。
湖畔に「いいやま北竜温泉 文化北竜館」と呼ぶ大きな日帰り温泉施設があり、駐車場
際のモミジなどが鮮やかな彩りを見せる。
三方を山に囲まれた北竜湖の周辺はまだ緑が濃く、雨が止んでしっとりした彩り。北竜
湖は、南側が乙女池と呼ぶ自然の池だったが、江戸時代に西側に堤防を築いて水面を広げ
て北竜湖としたとか。「長野の自然百選」に選定されているようだ。
日帰り温泉の下側にはかやぶき屋根の大きな曲り屋があり、その間の駐車場から、はる
か下に田んぼや千曲川右岸に近い柏尾集落だろうか、集落の家並みや丘陵などが雲の下に
広がるのが望まれた。
湖を背にして記念撮影をして、日本画のような風景を眺めながらしばし休憩する。
曲り屋の表には、「北竜湖資料館」の看板がかかっていた。東京の文化学園服飾博物館
が収集した、日本全国の民芸品や玩具の一部を展示し、2階はロシアと周辺諸国の民芸品
を展示しているという。建物は、江戸時代後期建造の飯山の旧家を移築したようだ。
さらに少し下ると「北竜湖の館」と呼ぶ建物があり、ボートや釣り具を借りたり、食事
などができる施設ようだ。ここで再び雨となったので雨具を付け、北竜湖岸から離れた。
山すそのカーブ道を少しずつ下って行くと北竜湖スキー場があり、リフトは外されてい
たが2本の急斜面のゲレンデが望まれた。
近くには、枯れて赤い実の付くアスパラガスの畑が広がる。
さらに緩やかに下り、野沢温泉に通じるバス道路の北竜湖入口バス停際に出た。東側眼
下に前坂集落や刈り入れ前で色づく棚田が広がり、その向こうに野沢温泉に通じる家並み
や、温泉を挟む山並みなどが一望である。
バス道路から下の旧道へ少しの急坂を下り、前坂集落に向かって上がって行く。この辺
りは豪雪地帯なので消火栓の高さは3m前後はありそうで、無雪時と積雪時用の二つのホ
ース接続口がある。
近くの流れは降り続く雨で水量が多く、激しい音を立てて流れ下っていた。
次の中尾集落でバス道路に合し、中尾観光案内所の横に「野沢菜発祥の地」と記された
大きな漬物樽が目に付く。そばに、野沢菜や柿などの並ぶ「湯のさと市」と呼ぶ農産物直
売所もあった。
両側に民宿など建物が増え、路傍には古い石碑や道祖神などがあちこちに立ち、特産の
野沢菜の畑も増えてきた。
坂道は次第に斜度が増し、大きな道祖神のあるY字路でバス道から右に入り、15時
34分に宿泊する「民宿まさぞう」に着いた。
濡れた雨具を脱いで土間の建物に並べて、部屋に入る。多くの皆さんはさっそく入浴し
て、幹事部屋でアルコールを口にする。
私は17時近く、Yさんと温泉街の北西部にある村営の温泉「塩釜温泉公園ふるさとの
湯」に向かったが、スリッパで行ったので止まぬ雨で靴下が濡れた。でも久しぶりの温泉
で暖まり、帰りは女性4人とも合流して宿に戻った。
夕食はいろりのある大部屋で18時半から。宿のご主人Iさんは、Yさんが下高井農林
高時代の教え子とのことでご挨拶いただく。Nさんの音頭で乾杯して楽しみの宴が始まる。
大きなナメコやクリタケ、エノキなど何種類ものキノコや豆腐、ネギなどをたっぷり鍋
に入れ、馬刺しやイワナの刺身、野沢菜漬けなどをいただきながら20時頃まで歓談した。
(参加 15人、天気 雨、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 往郷(おうごう)、野沢温
泉、歩行地 飯山市、野沢温泉村、歩数 15,200、累積標高差 上り約360m、
下り約180m)
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埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの「特別例会」と称する1泊のウ
オーキングは、台風22号接近による風雨が懸念されたが、予定通りに実施した。
== 小菅神社・北竜湖から野沢温泉へ ==
10時33分着の北陸新幹線下り、はくたか555号で飯山駅に下車した。長野から先
着のYさんの出迎えを受け、用意してもらった弁当を受け取る。本降りなので雨の完全装
備をして、10時50分発の路線バス野沢線に乗る。
飯山の市街地を北へ、雨で濁る千曲川の中央橋を渡る。右岸の集落沿いを北上して11
時20分に内野バス停で下車した。
近くにあった小屋でYさんから今日のコースの説明を受け、11時32分に出発した。
車のほとんど通らぬ車道を南へ、緩やかな上りが続き、道路沿いのハゼなどは紅葉の彩
り。沿道のあちこちにある柿の木は、どれも鈴なりの豊作である。
次第にガスが濃くなり視界は100m以下か、行く手もはっきりしない。標高444m
の十字路際に、周辺から集めたらしい庚申塔などが10基近く並んでいた。
十字路を左折して東に少し、小菅(こすげ)集落の西端に元隆寺の西大門である仁王門
があった。
元隆寺は、中世に戸隠、飯縄と並ぶ三大霊場として栄えたとか。仁王門の両側に金剛力
士像が立っている。建物は元禄10(1697)年頃の再建と考えられているようだ。
ちなみに、この辺り一帯は国の「重要文化的景観」地区に選定されていて、仁王門の横
にその標識が立っていた。
小菅の文化的景観は、修験道の中心地だった小菅山及びその参道沿いに展開した計画的
な地割りを示す景観地で、カワまたはタネと称する池など特徴的な水利を伴う生活・生業
によって形成された景観のようだ。
小菅集落の中心部に向かうと、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が幾つも見られる。
火の見やぐらの横を左へ、スギの並び立つ石段を上がり、小菅神社里宮本殿に参拝する。
小菅神社は、古来から戸隠山、飯縄山とともに奥信濃三山と称され、小菅山山頂近くの
奥社とともに小菅山元隆寺と号しているとか。
桓武天皇の御代に坂上田村麻呂が東征の折、戦勝祈願するなど朝廷との関係が厚く、平
城・嵯峨天皇の勅願所となったという。近年は商売繁盛、開運、交通安全、工事安全、学
業成就、厄除けなどの神徳で、多くの信仰と参拝を集めているようだ。
里宮本殿は、万治3(1660)年に飯山城主、松平忠倶により改築され、大正12
(1923)年に大改築して現在の建物になり、付近には神饌殿、神楽殿、神馬殿なども
ある。
里宮本殿の下にある、講堂の屋根下を借りて昼食をすることとした。12時時25分頃
腰を下ろし、Yさんに用意してもらった北信濃伝統の味という、ぜにがめ堂の「笹ずし」
をいただいた。
講堂の再建年は不明だが、元禄10(1697)年に飯山城主の松平忠喬が修復した記
録が残るとか。堂内に、享保17(1733)年の造立という↓金色の阿弥陀如来像を中
心に、やはり金色の観世音菩薩と勢至菩薩が並んでいた。
講堂前の広場には六地蔵や古い石仏が並び、葉の落ちた↑イトザクラの古木が雨に濡れて
いる。道路の南側には、かやぶき屋根の民家も1棟だけ残っていた。
昼食を終え、集落の中心を貫く道をさらに上がると三の鳥居が立っていた。その先から
は、奥社に向かって急坂の両側に県天然記念物の杉並木が延びている。
鳥居の左手前に、講堂前広場のと並びこの近辺では横綱級という、樹齢200年以上と
思われるイトザクラの古木が立ち、春には薄い桜色の見事な花をつけるようだが、いまは
葉がすっかり落ちていた。
講堂付近まで戻り、北に延びる北竜湖への道に向けて13時21分に出発する。わずか
な家並みを抜けると山道となり、あちこちの広葉樹が色づき始めていた。
少しずつ高度を上げながら北西に向かい、ピークからはU字状に折れて北東に向きを変
え、北竜湖の南西端近くまで下った。
湖畔に「いいやま北竜温泉 文化北竜館」と呼ぶ大きな日帰り温泉施設があり、駐車場
際のモミジなどが鮮やかな彩りを見せる。
三方を山に囲まれた北竜湖の周辺はまだ緑が濃く、雨が止んでしっとりした彩り。北竜
湖は、南側が乙女池と呼ぶ自然の池だったが、江戸時代に西側に堤防を築いて水面を広げ
て北竜湖としたとか。「長野の自然百選」に選定されているようだ。
日帰り温泉の下側にはかやぶき屋根の大きな曲り屋があり、その間の駐車場から、はる
か下に田んぼや千曲川右岸に近い柏尾集落だろうか、集落の家並みや丘陵などが雲の下に
広がるのが望まれた。
湖を背にして記念撮影をして、日本画のような風景を眺めながらしばし休憩する。
曲り屋の表には、「北竜湖資料館」の看板がかかっていた。東京の文化学園服飾博物館
が収集した、日本全国の民芸品や玩具の一部を展示し、2階はロシアと周辺諸国の民芸品
を展示しているという。建物は、江戸時代後期建造の飯山の旧家を移築したようだ。
さらに少し下ると「北竜湖の館」と呼ぶ建物があり、ボートや釣り具を借りたり、食事
などができる施設ようだ。ここで再び雨となったので雨具を付け、北竜湖岸から離れた。
山すそのカーブ道を少しずつ下って行くと北竜湖スキー場があり、リフトは外されてい
たが2本の急斜面のゲレンデが望まれた。
近くには、枯れて赤い実の付くアスパラガスの畑が広がる。
さらに緩やかに下り、野沢温泉に通じるバス道路の北竜湖入口バス停際に出た。東側眼
下に前坂集落や刈り入れ前で色づく棚田が広がり、その向こうに野沢温泉に通じる家並み
や、温泉を挟む山並みなどが一望である。
バス道路から下の旧道へ少しの急坂を下り、前坂集落に向かって上がって行く。この辺
りは豪雪地帯なので消火栓の高さは3m前後はありそうで、無雪時と積雪時用の二つのホ
ース接続口がある。
近くの流れは降り続く雨で水量が多く、激しい音を立てて流れ下っていた。
次の中尾集落でバス道路に合し、中尾観光案内所の横に「野沢菜発祥の地」と記された
大きな漬物樽が目に付く。そばに、野沢菜や柿などの並ぶ「湯のさと市」と呼ぶ農産物直
売所もあった。
両側に民宿など建物が増え、路傍には古い石碑や道祖神などがあちこちに立ち、特産の
野沢菜の畑も増えてきた。
坂道は次第に斜度が増し、大きな道祖神のあるY字路でバス道から右に入り、15時
34分に宿泊する「民宿まさぞう」に着いた。
濡れた雨具を脱いで土間の建物に並べて、部屋に入る。多くの皆さんはさっそく入浴し
て、幹事部屋でアルコールを口にする。
私は17時近く、Yさんと温泉街の北西部にある村営の温泉「塩釜温泉公園ふるさとの
湯」に向かったが、スリッパで行ったので止まぬ雨で靴下が濡れた。でも久しぶりの温泉
で暖まり、帰りは女性4人とも合流して宿に戻った。
夕食はいろりのある大部屋で18時半から。宿のご主人Iさんは、Yさんが下高井農林
高時代の教え子とのことでご挨拶いただく。Nさんの音頭で乾杯して楽しみの宴が始まる。
大きなナメコやクリタケ、エノキなど何種類ものキノコや豆腐、ネギなどをたっぷり鍋
に入れ、馬刺しやイワナの刺身、野沢菜漬けなどをいただきながら20時頃まで歓談した。
(参加 15人、天気 雨、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 往郷(おうごう)、野沢温
泉、歩行地 飯山市、野沢温泉村、歩数 15,200、累積標高差 上り約360m、
下り約180m)
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