あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

渡良瀬川を渡り、古河公方ゆかりの古河市内を歩く(埼玉・茨城)

2017-06-07 21:38:15 | カントリーウオーク
 春の北陸路③とその2日後に参加した続カタツムリ歩行のレポートがまだアップできま
せんが、次の例会が迫ってきたカントリーウオークグループの5月例会の模様を先に報告
します。

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 2017年5月28日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第243回例会に参加した。集
合は東武日光線の新古河(しんこが)駅で、4組のグループに分かれて10時15に東口
を出発した。

 
 == 三国橋を渡って古河総合公園へ ==

 東武線と渡良瀬川(わたらせがわ)右岸堤防に挟まれた狭い道を南に少しで、向古河鷲
神社へ。利根川の氾濫に備えてか、社殿は少しの盛土上にある。



 渡良瀬川の堤防に上がって折り返し、埼玉・茨城県境の三国橋↑を渡る。河川敷は広く、
沸き立つ雲の下に渡良瀬川はゆうようと流れ、緑と青空の展望が気持ちよい。
     



 橋を渡り終え、橋際の国交省利根川上流河川事務所横を走る日光街道の細い旧道を少し
進む。事務所前には、70年前の昭和22年(1947)9月のカスリーン台風の記憶を
呼び戻す、写真入りパネルが掲示されていた。


 近くの民家際に「史跡古河城桜門址」碑が立ち、道路を挟む北側のI家には、塀まで届
くような大きなかめが放置されていた。



 渡良瀬川の左岸堤防に上がり、正面に新三国橋を見ながら南下する。橋から500mほ
どで「古河城本丸跡」の説明パネルがあり、堤防から堤内の総合運動公園一帯の草地が本
丸だったと分かる。


 ちなみに古河城は、古河公方(こがくぼう)足利成氏(あしかがしげうじ)が康正元年
(1455)に古河に移り整備拡張し、一応の完成をみたのは土井利勝が本丸御三階櫓
(ごさんがいやぐら)を造営した寛永12年(1635)のことという。

 明治7年(1874)、前年発効された廃城令によりすべて取り壊され、明治43年
(1910)からの渡良瀬川改修工事により、二の丸、本丸、三の丸、東西の帯郭(おび
くるわ)なども失われたようだ。

 新三国橋の下を抜けて300mほど進み、クリーンセンターの先で堤防を下りた。クリ
ーンセンターの大煙突上部には金属の装飾が取り付けられ、夜間は下部の照明により光り
輝くのではないかと思われた。
     

 その南側、「松月院御所塚(しょうげついんごしょづか)」と呼ぶ市の史跡周辺は松月
院公園。塚には2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、そのひとつは5代足利公
方義氏(よしうじ)の孫、義親(よしちか)の妻となった松月院の墓塔と推定されている
という。


  

 わずかに残る水田の間を東へ、古河公方公園(古河総合公園)の西北側、牧の入口から
公園に入る。

 広大な公園は面積は約25㏊あり、四季折々に美しい花が咲くようだが、中でも公園全
体に咲くハナモモで知られ、毎年3月下旬~4月上旬には「桃まつり」が開催されている。


 北側、花菖蒲田に続く池にはコウホネが咲き初め、たくさんのスイレンが清楚な花を競
っていた。
    




 ツツジの咲き残る坂を上がると若葉あふれるハナモノの桃林で、実がかなりふくらんで
いる。


    

 若木のハナモノの間を南西へ、カシなどに覆われた「徳源院跡」の木の下に、茨城県史
跡の「古河公方足利義氏墓所」があり、3基の宝篋印塔が残っていた。
       


 帯状に整備したツジの植え込みに覆われた富士見塚に上がったが、富士山の方向には木
々が伸びていて見えそうにない。


 南側の池を見下ろすと、池の中の東屋(あずまや)に先着のメンバーが見える。管理棟
の横を進んで池の南側から回り込み、昼食地の東屋に12時ちょうどに着いた。


 昼食後、公園内を自由に回る時間があったので、まずは南側の緩斜面を上がり民家園に
行く。ここには県指定文化財の旧中山家と、国指定重要文化財の旧飛田家とが移設されて
いる。


 旧中山家は県内坂東市(ばんどうし)からの移築で、猿島(さしま)地方に多い直屋
(すぐや)といわれる形式の大型農家。延宝2年(1674)に建てられた可能性が高い
という。
        
 土間にはかまどや農機具があり、土間横の部屋には大型の機織り機が残る。


 曲がった丸木を組み合わせた天井の梁の巧みさに、大工の確かな腕前がしのばれた。



 旧飛田家は、茨城県常陸太田市(旧金砂郷村(かなさごうむら))にあったもの。18
世紀後半の建立と推測され、常陸地方によくみられる曲り屋で、茨城県下の曲り屋形式の
農家でも最も古いものとされているようだ。





 民家園から南西に下ると、緑に囲まれた御所沼の南端辺り。三方を御所沼に囲まれた広
葉樹林は「公方様の森」と呼ばれ、鎌倉公方足利成氏(しげうじ)が1455年に移り住
んだ館跡で、以降「古河公方」と呼ばれるようになったという。



 民家園と公方様の森の接するところには、「史跡古河公方館址」碑が立っていた。公方
様の森の一部も散策して昼食地に戻る。


 ミーティングをして、13時15分に昼食地の東屋を出た。

 == 古河の中心街を巡る ==

 管理棟の横から北東へ、ハナモノの林を抜けた台地上の虚空蔵堂(こくぞうどう)↓に
立ち寄り参拝し、隣接する子安地蔵の横から公園を出て北東に向かう。


 新三国橋に通じる国道354号を横断してさらに北東へと進み、原町を通過して県道
261号・日光街道へ。古河台町郵便局の先の浄善寺に入り、緑陰で小休止した。


 境内には、市の名木古木で推定樹齢350年、樹高22m、幹回り3.6mのイチョウ
の古木が高く枝を伸ばし、本堂前には格好良い植え込みと手押しポンプ井戸があった。
     

 南からの広い市道に合したところに「日光街道古河宿」と記された木製の灯ろうがあり、
「この辺りは江戸時代に5㎞ほど松並木が整然と続き、美しい景観だった」ことなどが記
されていた。
     

 次の「日本三長谷観音参道」碑の立つT字路で日光街道に分かれ、西への細道へ。すぐ
先の道路際に、市の名木古木で推定樹齢100年、樹高19m、市内最大というカエデが
高く枝を伸ばして立っていた。
          

 小さい十字路を南に少しで、足腰の神様という子(ね)ノ権現神社があり、小さな社殿
の横にわらじが幾つか奉納されていた。


 次のT字路の北側が、日本三長谷観音のひとつの長谷観音。明応年間(1492~
1500)、初代古河公方成氏が鎌倉の長谷観音から勧請(かんじょう)した、木造十一
面観音像が祭られているという。


 観音堂の横を北へ、すぐ先を右折すると緑豊富な一角となり、道路を挟んで古河歴史博
物館と鷹見泉石(たかみせんせき)記念館がある。



 鷹見泉石記念館は、古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷のひとつ。隠居後に、
蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家とのこと。長屋門を入って記念館内や庭園
を観覧した。




 鍵の手状に北北東に進み、古河文学館前を経て古河一小の校門前へ。校門と塀は歴史を
感じさせる赤レンガ造り。以前は何に使われていたのだろうか…。


 北側の通りの角は古河街角(まちかど)美術館。短時間ながら入館し、昨年の茨城県美
術展の古河市出品者作品展などの展示を見た。


 近くには古河文学館の別館として、作家「永井路子(ながいみちこ)旧宅」が公開され
ていたので、ここにも少しの時間だけ入り観覧する。



 西へ少しで、中央町一丁目の正定寺(しょうていじ)へ。古河藩主土井利勝が開いた寺
で、本堂裏手の墓地には、土井家累代の墓が仕切られることもなく並んでいた。


 スタート直後に渡った三国橋の北側、渡良瀬川左岸堤防際の永井寺にも寄る。桜並木の
参道を入ると、堂々たる本堂が構え立つ。

 永井寺は寛永3年(1626)に、当時の古河城主・永井直勝が開基したとのこと。墓
地には、直勝や幕末の書家・小山霞外の墓があるという。


 境内右手から背後に回り、再び渡良瀬川左岸堤防に上がる。堤内(河川敷)には古川ゴ
ルフリンクスが広がり、堤防際堤外には ユニークな建物のクラブハウス、古川リバーサ
イドクラブが目に付く。


 そのクラブハウスを背にした堤防上に、渡良瀬川上流からの公害問題に立ち上がった
「田中正造翁遺徳乃賛碑」が立っていた。


 北側の雀神社横の堤防上には、万葉集で歌われた東歌の中で、古河の地名を含む2首の
歌碑を刻んだ「万葉古河の歌碑」がある。
     


 歌碑の横の急階段を下り雀神社境内へ。うっそうとした鎮守の森の木の上の、ミミズク
を狙って望遠レンズで狙うカメラマンがいた。教えてもらった木の上を見上げたら、確か
にミミズクらしいのを確認できた。
     

 雀神社は、貞観年間(859~76)に出雲大社から勧請したものといわれ、古河公方
足利成氏をはじめ、歴代の古河藩主や徳川将軍家の崇敬も厚く、朱印地15石を賜ったと
いう。

 境内を東に抜けて北へ、宮前町で桜並木の続く通りを東側の横山町三丁目まで進む。北
側の本性寺に入ったが、本堂は改修中だった。


 長い境内を東側の県道261号・日光街道に抜けて南下する。

 通りには、蔵造りや千本格子などの古い建造物が何棟か目に付き、国の登録有形文化財
の商家もある。


 国登録有形文化財の武蔵屋(うなぎ料理店)。



 ゴールのJR宇都宮線古河駅西口には16時38分に着き、駅前で記念撮影をして散会
した。

(参加 13人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地 埼玉  
 県加須市、茨城県古河市、歩数 24,500)




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