あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

矢田丘陵の古寺をめぐる①(奈良・大和郡山)

2010-05-05 23:13:16 | 奈良を歩く
 2010年4月19日(月)

 朝、近鉄奈良線の新大宮駅から乗車し、大和西大寺駅で近鉄橿原線に乗りか
え、近鉄郡山駅で降りた。8時36分にスタートして、駅北側のやや狭い車道を西
に向かう。

 歩道は無いが車は結構通過し、自転車で通学の高校生が次々に追い抜いて行
く。家並みが途切れた県道249号との交差点際には、「奈良西の京斑鳩(いかる
が)自転車道」の大きな案内図があった。

 その先の富雄川を渡って右折、すぐに左折して外川八幡に上がる。小さな社殿
だが、明治12年(1879)に奉納された、きれいな武者絵が掲額されていた。


 自転車で追い抜いていった生徒の行き先、郡山高専の東に、こんもりした丘陵
があり、「本田忠常公・祿姫廟所」と記されていたので上がってみる。

 「歌ヶ崎廟」と呼び、本田忠常(1661~1709)は郡山藩主、江戸時代の大名
の墓碑としては模範的なものとか。碑文は大学頭林信篤によるものという。そばの
八重桜が見ごろだった。

 高専の北を回り込み、北西の丘陵に広がる奈良県立大和民俗公園に入る。

 新緑がいっぱいの園内には、八重桜やツツジが色鮮やかに咲く。民俗博物館が
あるが、月曜日なので休館だった。


 園路を北西に少しずつ上がると、県内から移築された民家を集めた古民家集落
が2か所あり、やはり閉館で中には入れないが、多くの民家は園路から眺めるこ
とができる。

 手前の町家(まちや)集落には国重文や県文化財の住宅があり、その先の国中
(くんなか)集落には、県文化財の住宅や土蔵などがあった。




 民俗公園を北西端に抜け、「子どもの森」に向かって長屋門の多い集落を抜ける。
林間を緩やかに上がる1車線の車道を進み、「子どもの森」の一角にある、静かな
2つの池のそばに出た。



 池のほとりは芽吹いて間もない淡い新緑に覆われ、八重桜が彩りを添える。2つ
の池の間を通る近畿自然歩道に入り、林間の石畳を上がって南に向かう。

 ウグイスが間近でさえずり、新緑が気持ちよい。


 狭い峠を下って落ち葉道を進むと、石の古い道しるべがある。その先にも何か
所も残されていて、この道が古くからの街道だったことが知れる。


 池から1㎞足らずの山腹に、無住の東明寺(とうみようじ)があった。持統天皇
(在位690~7)のころ、天武天皇の皇子、舎人(とねり)親王が開創した古寺だ
という。

 いまは静かなたたずまいの境内、社殿には色鮮やかな龍などの彫刻が施され、
石段を下ると小さな弁天池があった。

 寺の周辺には数戸の民家があり、それを過ぎると雑然とした竹林の上り下りと
なる。

 東に回りこみ、林が切れると奈良盆地の展望が開けてきた。


 「県立矢田自然公園」の標識の横を上がり、ウグイスやキジの鳴き声を聞きな
がら進む。


 太いクヌギに、みごとな花が下がっていた。〈続く〉

コメント
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