あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

「旅の図書館」講演会『〝テーマのある旅〟を楽しむ』へ

2008-10-04 23:36:29 | Weblog
 2008年10月4日〈土〉

 今日は、東京・新宿のホテルサンルートプラザ新宿で開催され
た「旅の図書館」開設30周年記念講演会に出かけました。

 旅の図書館とは、(財)日本交通公社が1978年10月に開設
したもので、日本及び世界各地の観光文化に関する図書・地図・
雑誌や資料類を幅広く集めていて、旅を愛する人が誰でも利用
できるようになっています。

 場所は、東京駅八重洲口から2分の、第二鉄鋼ビル地下1階
にあるようですが、実は私もまだ利用したことはありません。

 この催しのことは、やまさんから聞いて申込みましたので、も
ちろん、やまさんも参加されました。


 最初に、(財)日本交通公社会長、新倉武一氏の挨拶です。

 それによれば、旅の図書館の利用者は、ピークの年には年間
3.5万人の利用があったが、近年は2万人台とのこと。

 蔵書の数は、当初の4000冊から3万2千冊に増えていると
のことでした。

 講演の第1部は、旅行作家の山口 由美さん。
 山口さんは、旅をテーマに紀行、エッセイ、小説など幅広い
ジャンルで執筆されていて、箱根富士屋根ホテルの創業者・
山口仙之助氏は曾祖父にあたるようです。


 山口さんは、外国旅行の話をされましたが、その主なものは、

 20年前、外国旅行をすると、は日本人観光客が多かったが、
最近は日本人が減り、代わって、中国、韓国、ロシア、印度人
などの旅行者が目につく。

 【なぜ日本人が海外旅行をしなくなったか】
①インターネットなどで、バーチャルリアリティの旅ができる。
②格差社会の進展で、若い人が貧乏になり、旅に行く余裕がな
くなった。
③日本が便利で快適で住みよい国になり、外国の魅力が薄れた、
 ということではないだろうか。

 【海外旅行の面白さは何か】
・目的やテーマにより、見たいもの、したいこと、求めているもの
が得られる(しかし、好奇心がないと行こうと思わない)。
・本や映画や舞台などを見て、その場所に行ってみたいと思う。
・豊かさの形の違いを体験できる。ヨーロッパの地方都市や小さ
な町が、それぞれの暮らしを守り、文化を残している(それに比
べ、日本の旅文化は廃(すた)れている)。
・現地でしか出会えぬ本物に会える。日本国内でも外国の絵や
オペラやコンサートなどは見聞できても、持ってこられないもの
(例えば礼拝堂の天井画、風景、大きな遺跡、自然環境、祭り
など)が、たくさんある。

 私(山口さん)自身は、何を求めて旅に行くか→日本の環境と
突拍子もなく違うものをキーワードにしている。つまりビックリ旅
を探している。その体験例を2つ。

①ナミビア(アフリカ南西部) 1990年独立の新しい国だが、
首都から車で6~7時間で行けるナミブ砂漠という美しい砂漠が
ある。

 砂丘を上ってみて、歩きにくさ、風紋の美しさ、風などを感じた。
そして、そこがダイヤモンド鉱の採掘跡だったので、採掘した当
時の廃墟が残っていて、人間の欲望を感じ取ることができた。

②パプアニューギニア国 独特の文化を持ち800もの全く違った
原語を話す部族が棲んでいる。

 その中のニューブリテン島ラバウルは、日本では第2次世界大
戦の激戦地としか知られていないが、現在も貝の通貨が通用し、
男だけの秘密結社のようなものをつくる民族があり、この民族の
中で潔斎された男が独特の服装で踊る祭りがある。

 戦時中ここに従軍した水木しげるさんも知っていて、「ゲゲゲの
鬼太郎」の妖怪のヒントにもなっているらしい。

 【世界の旅を楽しむコツ】
 何で海外旅行に行かないかと問うと→金や時間が無く、言葉が
できないというが、金や時間ができても、言葉ができたらと言って
いたら、いつまてたっても行けないだろう。

 間違ってもいいから恥ずかしいと思わず、心臓に毛を生やして
話せばよい。旅が最高の語学教室であり、自分自身も語学教室
に通ったわけではなく、すべて旅で勉強した。

 日本人は大勢の宿などでも、グループの人とのコミュニケーシ
ョンしかしないが、イタリア人は、英語をろくに知らなくても、知ら
ない外国人とどんどん話す。気負わずに、コミュニケーションを
とるという気持ちを持つことだ大切。

 日本国内でも、いろいろな国の料理が食べられるが、その土地
でしか食べられぬものがたくさんある。

 例えば、パプアニューギニアの屋根に落ちてくる熟れたマンゴー、
メキシコのチョコレートのカレー(七面鳥をチョコレートとスパイスで
味付けする)。
 
 まずいものに出会ったときには、「このようなまずいものも味わう
ことができた」と、寛容の心を持てば旅は一層楽しめる。

 「郷に入れば郷に従え」の心で、日本の感覚を引きずらないこと。
例えば時差、「日本ではいま深夜だから…」などと日本時間を気に
せず、過去の時間は忘れること。

 旅のスタイルとして、パック旅行と自由な旅の2つがあるが、どち
らもメリット、デメリットがある。

 パック旅行では、情報収集などの準備を怠りがちで、どこに行っ
てきたかも分からぬことになりかねない。

 自由な旅では、好奇心、冒険心を持って行くのはよいが、情報
収集を怠ったまま行くと、恐い思いや危険なことにはまってしまう
ことがある。

 つまり海外旅行では、ガイドブックを読むなど、情報収集は十分
しておく必要があり、計画を立てても起きるハプニングにも身を任
せて楽しむゆとりも必要。 

 休憩を挟んで第2部は、ドイツ文学者でエッセイストの池内 紀
さんの「旅する心」と題しての話。



 旅は、その気になればどこでもいつでもできる。今日もこの会場
には1時間前に来て、周囲を回ってみたら、エンパイアステートビ
ルのような見たこともないビルが見えた。

 自分が旅行者の目で見たり、旅をしているつもりで風景を見る
と面白い。

 自分は10代、20代で旅の楽しさを知った。その中の2つの旅
について。

①姫路で育った高校2年の時に、父親代わりで頼りにしていた兄
が死に、大きなショックを受けた。

 それを振り払うために周遊券をつくり、姫路から下関へ行き、
日本海沿いを北上して秋田から青森へ、十和田湖から東京へ来
て、中央線で辰野から飯田線に入り、豊橋に出て、名古屋、大
阪を経て姫路に戻った。

 途中、青森では残金が200円になり、板チョコ1枚を買って1日
ひと切れと水だけで旅を続けたこともある。

 姫路に帰ったら、ふるさとに戻って安全で安らぎの場にについ
たという安心感で、へなへなになって階段を下りたことを覚えて
いる。

 その旅自体はそうではなかったが、旅とは、ふるさとを捨てた
状態で、危険や不安などがつきまとうものと思わなければいけ
ない。

②大学卒業の年に母親がガンで53歳で死亡したが、その前年、
病院での単調な看護から逃れたい気持ちと母親の全快を祈るた
めに、四国遍路を思い立った。

 神戸から徳島県境に接した高知県甲浦(かんのうら)までバス
で行き、1週間かけて室戸岬から足摺岬まで歩いた。

 宿泊は寝袋で寺や地蔵堂、観音堂などに泊まった。あるところ
で子どもと話したら、その夜、親からという食事をその子が届け
てくれ、いただいたことがある。

 ただ1カ所だけ遍路宿にも泊まったが、風呂にまきをたいてく
れたお下げ髪の少女のことを今でも覚えている。

 3日目くらいからは、ひたすら何かを念じながら歩いた。

 この2つの旅が、私が旅好きになった原点のように思う。

 言語や文化が違っても、人間性はそう変わるものではない。
20代の旅の体験が後になって、その人の人生に大きな影響を
与えると思う。

 山口さんの話にも関連、外国語のプロとしての私の意見だが、
外国旅行の際はペラペラしゃべらぬ方がよい。ペラペラ話せば
相手は言葉ができると思って対応する。しかし、話はできても
完全に聞きとることは難しい。そこでいい加減な応答を繰り返
すうちに、言葉がひとり走りして、お互いの意志がかけ離れて
しまい、誤解を招いてペラペラな人間だと思われる。

 カトコトの話なら、それなりの意見を持っているなと感じて、相
手も自分の言いたいことを聞こうとしてくれる。なるべく言葉の
できないところに行けば、誤解されにくい。

【旅をするための工夫】
 いつも両手を開けて行動できるように、荷物はできるだけ減
らすこと。大きなバッグ幾つも持って行く人を見るが、行動が
制約されてしまう。

 自分は毎年、旅の手帳を1つ用意し、その最後に「いつも要
るもの」「あると便利なもの」「あっても無くてもよいもの」のリス
トをつくり、年末にチェックしてリストの入れ替えをする。

 それを続けると最小限必要なものが見えてくる。旅は最小も
ので過ごす実験場でもある。

 着替えなどは1組で十分であり、安くてうまいものを見つける
知恵など、金をかけずに旅行するから楽しい。旅を通して自分
のスタイルをつくるとよい。

【日本の旅の魅力と憂い】
 ヨーロッパなどに比べ風景が多様で豊かであること。「いまは
山中いまは浜…」の唱歌に歌われているような、めまぐるしい
変化が日本の風土の特長。

 海岸でも、湾、入江、浦といった違いとか、湖や池と比べられ
る「沼」という言葉はドイツやイタリアなどにはない。

 お金が介在しない方が人間同士のつながりが深まる。講演依
頼が来たときは、遠くて不便で謝礼の安いところに行く。なぜな
ら、芸能人を招くような高いお金が出せないが、あの人なら来て
くれるだろうと、厳選して自分を選んでくれたと思うから。

 地元の人と話すと、掘り出し物の見どころが見つかる。それは、
地元の人が悪く言うところ。そんなところはガイドブックに無いが、
訪ねてみると興味深いところが多い。

 旅は、車で行かずに鉄道で行く。駅に咲く花、待合室に掲げら
れた俳句や短歌、これらは他の国にはない駅舎文化である。とこ
ろが駅が無人化され、捨てられて惨めな建物に変わってしまった。

 物質的には豊かな時代になってもローカル線は貧しくなってしま
った。バスはもっと悲惨である。

 持っている人には申し訳ない話だが、別荘を持つとその場所以
外にはあまり行かないし、維持管理につねに気を使わなくてはな
らないのではないだろうか。しかし「全国の宿やホテルが自分の
別荘だ」と思えば、どこへでも行ける。行かないときには、その
別荘はほかの人に利用させているんだと思えばよい。

 宿泊は、同じ宿に連泊する2泊3日の旅がよい。そうすれば朝
早く出ることもなく、その日のうちに着くように予定が組める。夫
婦で行くにも、何も一緒に行くことはない。各々が自分のペース、
自分の寄りたいところに寄り道したりして、夕方までに着けば
よい。

 2日目は朝早くから出られるし、連泊なので不要な荷物は置い
て軽装で行動できる。宅配便という便利なシステムを利用すれば、
往復に重い荷物を持つこともない。

 旅の拠点となる定宿を5つくらい選んでおき、何年かに1度ずつ
行ってみると、その土地の変化が分かり興味深い。

 憂いていること=日本の持つ原風景が失われてしまった。白壁
土蔵やかわら屋根の家、田んぼや山など、人間が作り上げた農
村風景が失われている。

 観光ポスターは確かにきれいな風景だが、それはそのスポット
だけ。少し横を見ると調和が崩れたちぐはぐな風景があふれてい
る。自販機が増え、広告板がいたるところにある日本の風景は貧
しくなった。

 伊那谷から広告を一切なくすことが、最大の広告力だと言った
ことがある。

 ヨーロッパでも広告はある。しかしそれは、文字の大きさや色な
どを規制しているので、求めている人が見れば分かるが、旅行者
には目につきにくい広告になっている。日本の広告はいやでも誰
の目にも入ってしまう。

 スポット的な観光地でなく、ドイツのように生活や家や川などが
面としてつながっている観光地が日本でも望まれる。


 といったような話で、お二人とも「旅の達人だけ」に、どちらも興
味深い話ばかりで、飽きさせない「話の達人」でもありました。
コメント (4)
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