あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

2年前のきょうの四国遍路から(香川県)

2009-03-06 23:04:04 | 四国遍路道ふた旅
 今日、3月6日(金)は、夕方までかなりの雨量だったので、外出も
せず家に閉じこもっていました。

 そんなわけで今日の話題がないので、ちょうど2年前の3月6日に
歩いた、2度目の四国遍路後半の写真から、未公開のものを何枚か
拾い出してみました。

 この日は、88番大窪寺への参拝を翌日に控えた、結願(けちがん)
前日でした。

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 2007年3月6日(火)
 =四国遍路 84番屋島寺から86番志度寺へ=

 朝、高松市内の宿を出て、市街の東にそびえる屋島に向かって上が
る。上り口の中ほどにある番外霊場・不喰梨(くわずのなし)。
 

 その近くから見下ろす高松市街の展望。


 屋島山上にある84番屋島寺境内には、可正桜(かしょうざくら)と呼ぶ
桜の古木がある。

 高松藩士・松平半左衛門可正が寛文6年(1665)に数本植えたもの
のうち、ただ一つ残っている木。

 屋島寺の大師堂。境内は広く、幾つもの堂塔があった。


 屋島山上から、東の壇ノ浦に向かって下った川の先にある、番外霊場
須崎寺。境内に、「遍路の父」と呼ばれる信念の墓が立つ。

 信念は、江戸時代初期の僧で、四国遍路を20数回して、遍路の案内
書をつくった人。

 牟礼北小の先から、細い遍路道を進むと、「うどん山田家」という店の
前を通過する。名物らしく、たくさんの車が来て止まっていた。 


 私は、手前のスーパーで買った弁当を、ここで食べた。

 雨でなければ昼食時はいつも、マメの出来ぬよう靴も靴下も脱ぎ、足
の裏や靴下と靴を乾燥させるようにしていた。

 昼食地のすぐ先にある鳥居をくぐって、85番八栗寺(やぐりじ)に上が
る。多宝塔のそばの紅梅が見ごろだった。


 本堂の左手には鳥居があり、その奥に喜天が祭られ、神仏習合の
名残が見られる。 


 大師堂の先から寺を出て、車道を緩やかに下って琴電沿いに行くと
瀬戸内海の展望が得られ、対岸の本州も望まれる。


 古い家並みの残る志度の町中に、平賀源内の旧邸が残っていた。


 さらに進めば、86番志度寺。山門と本堂は国の重要文化財。これは
大師堂。山門の近くには、大きな五重塔も立っている。


 この日は、近くのいしや旅館に泊まり、翌3月7日(水)無事88番
大窪寺に結願することが出来た。

〈注〉カテゴリー欄の「四国遍路ふた旅(後編)」に、当時の詳細な
レポートが掲載してあります。

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