中国人は日本を「小日本」と罵る。日本だけではなく何事に対してもバカにする時は「小」を付ける。
中国には「大きいことは良いことだ」の価値観がある。「大は小を兼ねる」も中国由来の言葉だ。大きければ良いという感覚が「雑」につながり、「白髪三千丈」の途方もない言動が出てくる。根拠や裏付けなどどうでも良い、取りあえず手を広げて大きくしようと言うことになる。
今日、中国が「大国」を連呼するのも、侵略に走るのも、とにかく大きければ正義であると信じているからだ。
旧日本が大日本帝国や大東亜共栄圏と「大」を掲げたのは、中華文明の毒が抜けていなかったからで、大英帝国とは趣が異なる。
大英帝国は大きくなった自国を結果的に「Great」偉大と説明したまでだが、中華文明の「大」は「Big」であり、それ自体が目標になっている。英国は貿易覇権抗争による結果的侵略だが、中華文明は「大」への衝動が侵略を生む性質を持っている。
大日本帝国も占領地域をただ広げただけで、管理できなくなり、間単に失った。中華は張り子の虎と言われるように、国域を広げることばかりに傾注し、着実な内部管理が出来ないから、内外のちょっとした切っ掛けで間単な消滅を繰り返してきた。
英国の場合は、「大」そのものが目的ではないから、5アイズのように分散しながら実質の拡大につながり、今では英語が事実上の世界標準言語にまで拡大した。
中華文明の形から入る物質主義と、欧米の中身から積み上げる物理主義の違いなのだろう。
日本が、罵る時は「バカ」をつける。ここが中国とは少し違うところだろう。
大小よりも、質を問題にし、「大男総身に智恵が廻りかね」、「一寸の虫にも五分の魂」などと、知恵や精神を重視する。閉ざされた島国で、内面に目が向けられていったのは、英国などと通じるのかも知れない。ただ、日本の場合、弥生後は他民族支配を受けたことがなく、外敵に対する駆け引きノウハウを持ち合わせていない。占領軍との関係は結果的にそれが幸いしたのかも知れない。
日本の知恵は今、眠っている。しかし、何かの刺激でまた働き出す。一方、広げるだけ広げた中国は必然的に崩壊する。日本が心がけることは中国との対決ではなく、崩壊爆発の煽りを受けない備えだ。
アメリカに追随する防衛策より日本の自立が先で、自己完結型の食料、エネルギー、産業、防衛を確立し、事実上の鎖国中立を可能にする実力に専心することだ。
いつまでもアメリカに追随していると、また、米中国交樹立のようにハシゴを外される。
アメリカも中国に劣らぬやんちゃ坊主なのだから。