車を処分し、運転を止めて、かれこれ2年になる。物を運ぶのにどうしても必要な時があるから、その時はレンタカーを借りる。たまに乗るから、とても緊張するが、たぶんその方が慎重運転で良いのだろう。
50代でも高速を逆走した人がいる話を聞いて、ボケる前に止めようと考えたものの、昔たばこを止めた時より悩んだ。
しかし、実際に止めてみると、日常生活にはほとんど必要ない。
何よりも、車を持たないことの気楽さに初めて気づいた。
一番気楽になったのは、これで加害者にならなくてすむことだった。無自覚でいたが、実は、その不安の緊張状態で暮らしていた。車を手放した時の、得も言われぬ開放感で、初めてそのことに気づいた。
次に気づいた気楽さは、あらゆる手続きの心配をしなくて良いことだ。点検、車検、保険の三ケン。税金、駐禁、駐車料金の三キン・・・
三権分立!参勤交代!・・・小学生のように叫んでサヨナラだ。
習い性で気づかないでいたことを発見した。運転することで見落としてきた時間と空間の景色を取り戻した。
徒歩、自転車、公共交通機関で見える空間は、なんと豊で楽しいものか。公共交通機関は、発着時間の心配さえすれば、後は寝ていられる。
今はとにかく、良いことだらけのノンカー生活だが、この先、ヘタに長生きして体が動かなくなり、買い物に行けない、いわゆる生活弱者になったらどうするか。
隣りの90近い独居女性は、腰の手術を何度かして、ようやく立てる程度だが、軽を運転しているから不自由がない。年寄りこそ、実は、足回りの心配をしなければならない。
一刻も早く、行き先を告げたら勝手に運んでくれるような、自動運転の車を売り出して欲しいものだ。
少子高齢化は、運転者が減り物流が滞る、今そこにある危機だ。
戦争中は、殺人のために、驚くべきスピードで技術革新が進むが、物流の麻痺は社会の死であり、戦争と変わらない死活問題だ。
今や、産官学総掛かりで、自動運転や自動交通システムに傾注すべき時だろう。
「二輪サイズの四輪車」「バスシステム」