アメリカのアジア人比率が上がり、しかも、アジア人は進学熱心なので、社会の上層に占める比率が高いそうだ。
しかし、それでいながらアジア人自身は、指導層には上がれないと不満を持っているらしい。
アジア人とアメリカ人の学歴意識は、表面上かなり似ているが、根本が全く違う。
今やアメリカは学歴社会だ。先日も米ヤフーのトンプソンCEOが学歴詐称で辞任した。あると言った学歴が無かったことは、アメリカ人の正義感、不正に対する嫌悪感を刺激したこともあるが、学歴が職域にふさわしくないとされたことも大きな理由だ。
アメリカ人の学位に対するこだわりは、開拓の国アメリカのイメージからはほど遠く、不思議なくらいだ。
一方、アジア人が勉強熱心で、進学にこだわるのも、一見似ているように思える。しかし、両者には文化背景に大きな違いがある。
アジア人の勉強熱心は、中国の科挙制度の影響であり、「合格」は実力の証明より、階級アップの証明ととらえられる。
古代から続くタテ型のアジア社会では、唯一の階級離脱の方法として、科挙の合格があり、個人の出世と言うより、一族の命運がかっている。
だから、科挙の合格者を出すことは一族の誇りであり、同時に利権の獲得でもある。この意識があるから、中国や朝鮮では、誰かが出世すると必ず寄って「たかって」甘い汁を吸おうとする。これが、アジアで賄賂や汚職が断てない理由だ。日本も完全に断てたとはいえない。
この意識が、アメリカに行ってもアジア人が進学に熱心な理由だが、これに影響されたのか、アメリカも学歴社会になった。
だが、アメリカの場合、学歴は直接的に社会のステータスをあげるものではない。
科挙は指導層に入る試験だが、(今のところ)タテ社会ではないアメリカは、進学と学位は階級に直結しない。学位は資格のようなもので、実際の出世には実力(現実対応能力)も必要になる。
第一、それによって一族郎党が利権を得られる社会構造ではない。
ゆく河の流れは絶えずして
しかし、アジア系がこのまま増え続け、社会の上層部をアジア系がしめるようになり、貧困層が固定化すると、アメリカの価値観もタテ型に変化しないとは限らない。人類史を俯瞰すると、平等より動物的な階級に流れやすい。しかも動物のような力ずくではなく、「知的に」システム化される。
また、アジア的氏族(民族)意識を持った集団は、自由であればなおさら自分たちのテリトリー(タウン)を作り、坩堝のアメリカを再びモザイクに返し、しかも権益を争うようになるだろう。
その結果、集団同士が相容れない社会での平等のため、再び、科挙のような「機会均等な出世」を必要とするようになる。
すると、アメリカが中国化し、中国に混乱が起きれば、むしろ中国がアメリカ化しないとも限らない。
アメリカは中国化というより、むしろ日本化だろうが、人類が生き続ける限り、そう大きな変化が起こるとは思えない。歴史は同じではないが、やはり繰り返す。「また、もとの水にあらず」だ。
もし、人類の歴史が大きく変わるとすれば、生物としての生食と生殖をやめてからだろう。(生食とは命を奪って生きること)
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