魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

誰の責任

2017年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

どのあたりでそういう意見があるのかよく知らないが、「韓国人は東洋のユダヤ人」だという見解があるそうだ。
これに対し当の韓国人は、「優秀なユダヤ人」と同一視されたことがまんざらでもないらしく、よくこの話を引用する。

今日、韓国ではパク大統領弾劾妥当の判決が出た。
これまでも、韓国の裁判の情緒判決はよく知られるところだが、今回も、77%の世論情緒と一致している。

2000年前、イエスを死刑にと叫ぶユダヤ人に対し、ローマのピラト総督は、この男には何の罪も見いだせないとして、死刑の責任はユダヤ人が負えと言い、死刑を言い渡す。
冷静な部外者には理解のできない罪でも、ユダヤ人の情緒は死刑を熱望した。

韓国人がどれほど優秀なのかよく知らない。
ただ、ユダヤ人の優秀さは、放浪の民の厳しい歴史の中から育まれたものではなかろうか。韓国人は、ユダヤ人が辿った苦難の歴史の道を2000年にわたり歩んでいくのだろうか。それとも、既に、充分優秀なのだろうか。幸多からんことを祈るのみだ。


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