魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

戦争犯罪

2022年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ロシア軍の撤退した後に多くの無残な死者が横たわり、残虐なロシア軍が強調されている。
こうなることは必然であり、これが「戦場」の真実だ。
事実、今、ロシアを非難する全ての国はスネに傷がある。
アメリカはベトナムで、NATOはコソボで、古くはポーランドのドイツを挙げなくても、目の前で続く中東の惨状は、もはや、誰の目にも届かない。

きれいな戦争など、絶対に無い。戦争は起こってしまったらお終いだ。
ドレスデンで東京で、米軍爆撃の死者は今も把握できず、広島長崎だけが語られるのは死者数ではなく、核爆弾だったからだ。戦争に正義などどこにも無い。
人間は死に物狂いになったら何でもやる。指導者がどう考えようが命じようが、戦場に人間性など無い。狂気だけだ。
戦争を起こさないことが、最後の正義であり人間性だ。
だからこそ、被害者側のウクライナ、欧米、NATOが絶対正義なのか、どんな外交努力をしたのか、その視点を見落としてはいけないのだ。
戦争が起こった後で、戦争犯罪を裁けるのは勝者だけであり、勝者の論理だけが残る。
日本人は東京裁判を知っている。戦争犯罪以前に、戦争そのものが犯罪なのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿