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戦後行事

2024年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

紅白歌合戦を観なくなって半世紀近い。
もともと、美容関連など、多くのサービス業や公共インフラに関わる業界には、盆正月に、ラジオは聴けても、のんびりテレビを見る余裕などなかった。TVが中心になった時から、「紅白」も歌「合戦」も終わっていた。
LGBT云々のキャンペーンをやる放送で、男女が合戦をする設定は、古代風景というか、ジェラシック番組だ。
とは言え、初詣も古代の行事が現代化されたものであり、年を区切る何らかの行事自体は必要なのだろう。

正月
この季節には何度か書いたが、正月は宗教行事であり、天文現象とは異なる世界だ。
古代の天文学黎明期には、夏至冬至、春分秋分の事実を敬い、現象そのものを祭っていたが、人類が繁栄し社会が大きくなると、人間が決めた時間割で生活するようになった。アジアでは今でも、日月を敬い、太陰太陽暦の旧正月を祝う地域は多いが、世界規模の営みや宇宙時代には使えない。
現代社会は世界時を基本に動いている。公転・自転に合わせてはいるが、人間に都合の良い時間なので、天文現象に調整するために「閏」が必要になる。

こうした人間時間だから、年の初めを冬至や春分に合わせる必要もなく、古代の習慣とすりあわせて、冬至に近い今の時期を「適当」に年初めにしている。キリスト教のクリスマスも正月であって、キリストの生まれた日ではない。むしろ強引に、冬至頃をキリスト生誕の日としたようだ。聖書には日付の記載はない。
ちなみに、キリストより500年も古い釈迦の誕生日4月8日は、他に暦の必然性が無いことや、王様の子として生まれた背景から明確で、仏典となった時に何らかの伝承があったのかも知れないが、現在の4月8日のことではない。

約束事
現在の1月1日はあくまで、「かりそめ」の区切りだから、その約束事を、共同体の全員で確認しなければ、指標が無くなり、工期も借金も月給も成り立たない。
共同体内だけの正月が、今や世界共通になった。つまり、世界が一つの共同体になった・・・と、欧米は考えた。

日本は明治の開国で時間を欧米に合わせ、欧米の共同体に参加したが、中国を始めとする中華圏はいまだにそれを拒否している。
土地や季節から生まれた様々な文化の継承は大切なことで、人々を安心させ心を豊かにする。しかし、古代からの暦を国家の根幹にすえる限り、世界の共同体の一員になることを拒否することになる。そのような中華圏が、西欧基準に従うはずもないのだが、顔だけ白く塗って洋服を着たオオカミに、欧米はまんまと欺された。

正月は、太陰太陽暦のような不規則な暦だからこそ、区切りを意識するために大々的なイベントにする必要がある宗教行事だ。
ほぼ規則的な太陽暦では、1月1日は機械的に訪れるから、特に意識する必要はない。むしろ、年度替わりの方が大きな意味を持つ。
日本の正月が、年々希薄になっていくのは、それだけ宗教性のない世界暦に順応しているからだろう。

時代の幕開け
1951年に生まれた紅白歌合戦は、戦後の象徴だ。欧米に合わせた暦が、本格的に根付き始め、「旧正月」とともに紅白が衰退していったのは中華圏からの心理的離脱の過程でもあった。そして、その新正月も欧米並みの新年に近づいて希薄になっている。
最早、中華歳時の紅白歌合戦は必要ない。除夜の鐘やお雑煮は、ひな祭りや七夕レベルの文化行事として、祝いたい人だけ盛大に祝えば良い。盆正月の休暇は止めて、自由に長期休暇を取れる社会にする時だ。
紅白歌合戦が終わる時は、新しい時代の幕開けになるだろう。