魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

平均選挙

2022年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの中間選挙でメディアは盛り上がっている。民主主義と言えば選挙だが、その民主主義は権威主義に押され、近年、疑問視されている。
保革の周期的な波もあって、民主主義がおざなりになり、老朽化しているからだ。
その最たるものが、根幹となる選挙で、情報化時代の認識変化にもかかわらず、古来の対面選挙が全く改められていない。

選挙で議論することで民主主義の活性化を維持していた時代から、相手の意見を聞かない、単なる罵り合いに変わった。
現代人の認識は、目の前の演説ではなく、ネットやメディアで刻々と変化する。にもかかわらず、相変わらず街頭で叫んだり、日本ではドブ板選挙で土下座までする。その上、投票所に出かけて手動の「一発勝負」にかける。しかも、それをまた人手で数え、誤投票や不正だと、枝葉末節のもめ事に終始する。
思考がネットでリアルタイムに変化する時代には、選挙もその実情を反映してしかるべきだろう。

選挙日と投票所を決め、出かけていって一発勝負など、どう考えても不合理だ。
ITで社会コンセンサスが変わる時代には、ITで選挙すべきで、一定期間何回か「ネット投票」し、そのアベレージで当落を決めれば、誤投票や心変わりを吸収でき、投票率など論ずる必要もなくなる。投票所も、演説会場もポスターも要らない。選挙サイトに全て集約し、ポップアップで常時誘導すればいい。
また、立候補も、無条件で誰でも立候補できるようにし、立候補していなくても「成ってもらいたい人」の推薦枠を設ける(ただし、タレントなど、ネットやメディア出演で稼いでいる人は除外)。

民主主義の代表のようなアメリカでの、選挙混乱を見ていると、コミュニケーションの状況変化を全く取り入れていないことが良く解る。ネットそのものが思考の分断を生むインフラなのだから、逆に、ネット環境の改革と、ネットによる民意の形成に向き合うべきで、積極的にネット選挙、ネット投票を取り入れてこそ、現代の民主主義が活性化する。毒こそ薬にしなければ、もつたいない。