魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

昔の日本

2022年11月16日 | 日記・エッセイ・コラム

昔の工作」を書きながら思った。
凧から何か撒いたりすれば、すぐ、抗議や警察の目にとまる時代になった。凧を揚げることさえ問題にされるかも知れない。電線や電車など危険もあるし、他人の家に落ちても問題だ。小さな問題も防ごうとする時代と日本の衰退と、ほぼ比例しているように思う。

「昔は良かった」と言うわけではない。何事にも一長一短がある。日本の高度成長期には、様々な事故や犯罪、喧騒に溢れていた。小さな気象異変でも大災害になった。
だが、それでも皆、自由気ままな生活をしていた。猫が魚屋の魚を盗み、道には犬の糞が転がり、野良犬が徘徊し子供が追っかけられた。至る所で子供が喧嘩をし、野球のボールが窓ガラスを割り、どこかのオヤジが怒鳴り、オバサンがなだめに入った。

細かなことまで抗議する不寛容な人間は、子供から大人まで、放置され相手にされなかった。皆、食うのに必死で、前しか見ていなかった。
面白いのは、敗戦直後、精神病が激減し、経済成長と共に少しずつ増えていったそうで、生活に追われている時には、些細なことなど気にしているヒマがないと言うことだろう。

そんな、敗戦から高度成長の時代には、飛行機からのビラ撒きが日常で、今、毎日スマホに送られてくるような、お知らせや広告ほど頻繁ではないが、毎日のように飛行機からビラが撒かれ、子供達が拾いに走った。戦時中、米軍がプロパガンダビラを撒き、それを拾うだけで罰せられた時代の反動だったのかも知れない。ゴミ問題や拾う子供の危険で、今なら考えられない。時々、ビラが塊のまま落ちた話まであったように思う。
ただ、空中で広がるビラには花火のような感動があった。しかも、花火と違い、雪のようにいつまでも空に舞っている。だから、凧から自分で何かを撒けるのは、工作の醍醐味だった。

黒船、進駐軍の次の霹靂は?
何でもありの戦後昭和は、他人にケチを付けても誰も聞いてないし、そんなヒマがあったら、自分のやりたいことをやっていた。その中で、HONDAバイクやSONYラジオが生まれ、手塚アニメや、円谷怪獣が生まれた。
今と比べれば、目標の障害以外には、何の足かせも無い時代だった。これを言うと解ってもらえないのだが、今のように日本人を萎縮させたのは、ひとえに進学社会、偏差値社会だ。

今の日本の現役社会人は、偏差値の中で育っているから、画一的な基準で人を測ることがいかに異常かが、実感として解らない。自分の基準に気づかず是非を語り行動する。その結果が、企業の内部留保や、あらゆる規制であり、いちゃもんだけのメディアだ。
日本が敗戦まで突き進んだ過程は、画一的に優秀な軍人エリートによって社会が動かされていたからだが、平成後の衰退は、偏差値エリートによる「失点」を避ける職務遂行と、宗教団体のような画一社会を、誰も疑わないことだ。変わったことは何も許されない。

統一教会問題で、誰を責めれば良いのか、みな愕然としている。あまりにも広汎に広がっており、この問題が、日本の体質問題、自分の問題であるとは思いたくないために、取りあえず政治家を責めている。
しかし、最も重要な啓示は、自他にかかわらず、誰かを責めても何も始まらない。そんなヒマがあったら、自分のやりたいこと、自分の信じることをやれということだろう。
もしかしたら、これは新しい黒船なのかも知れない。