魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

丸山酔拳

2019年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

丸山穂高事件。詳しく読んでないので、全くの野次馬的感想だが、酔っ払ってくだ巻くと、たいてい本音が出る。
日本の政界は一斉に抹殺に動き出した。当然だ。平和憲法の下、あってはならないこと、言ってはならないことだ。
ロシアの報道官も議員辞職が当然だと、参加した。これも、世界正義の立て前上、当然だ。

臭い物に蓋をするのは簡単だ。だが待てよ!?
政治家の端くれである者が、酔ったとは言え、何故そんなことを言ったのか? 一体、この酔っ払いは何を言いたかったのか。
言葉の深層に隠れた思いが、色々に想像できる。
重要なことは、聞く限りでは、「戦争しよう、戦争すべきだ」とは言ってない。
「戦争でなければ取り返せない」と言っているようだ。

これは、「戦争による結果であることが事実だ」と、認めていることになる。
このことを理解したとすれば、四島はソ連の不正義の侵略により占拠されているものであり、未だに日本の領土であるとする、「北方領土」論の見地からは、絶対認められない。
また、それが解ったとしても、政争上の敵失と見る側も、格好の目標にできる。
したがって、政界一致で抹殺に向かう。

おかしいのはロシアだ。「日本は戦争の結果であることを認めよ」と主張しているのだから、むしろ酔っ払いの本音を肯定すべきところだろう。
「(戦争で決まった領地は)戦争でなければ取り返せませんよ~(やるならやってみな)」と構えていれば、日本から戦争を仕掛けることはあり得ないのだから、「戦争の結果」が確定する。
このあたりは、日本人でも解らないような、酔っ払いの日本語の機微など解るハズもないから、立て前の反戦の見地から「そうだ、そうだ」と叫んでいるのだろう。

何としても、北方領土出身者を故郷に帰したいとの思いが有ったとすれば、現実の前に、「北方領土論」では、帰れないと痛感したのではないか。
穂高酔拳の繰り出す技の 「戦争でなければ取り返せない」の続きには、「領土より、実際に故郷に帰ることが大事だろう」、さらに、「別のアプローチ、別の世界観から、故郷に帰ることを考えてはどうか」があったのかも知れない。

「女はいないのか」とも言う酔っ払いは、完全に本音モードになっている。
酔拳が強いのは、正統では出せない力が出てくるからだろう。酔拳の「あり得ない姿」より、
秘めたる思いに目をやることも必要かも知れない。