魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

不可思議

2016年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

日本が中国のマネをしなかったのは、宦官と纏足だと言われている。
目的のために身体を傷つけることをいとわない感性は、日本人には無い。切腹は、全てを捨てる精神的な最終手段であって、功利目的ではない。
中国では出世のために進んで去勢し、宦官になろうとした若者が少なくなかった。親は娘の足を纏足で歩けなくした。

インドなどの貧困地帯では、母親が子供の手足を折って、物乞いで生きて行かれるようにするという話しがある。
先日、中国の誘拐集団が、誘拐した子供の手足を切って、物乞いをさせていたニュースがあったので、インドの話しを思い出すとともに、現代でも、実際にそんな世界があるんだと、大陸の闇の深さにゾッとした。

ドーピングなども、目的のためなら手段を選ばない感覚が背景にある。日本人には、最初から思いつかないことだ。
こうした発想は、去勢や種付けが、生活に馴染んでいる畜産社会ならではの感性なのだろう。日本では、極刑を超える極刑として、八つ裂きの刑等があったが、中国古典の戦闘表現などでは、当然のように、敵を八つ裂きにして殺す。

日本人でも、戦場の極限状態では、そのような行動を取る人間がいるが、文学の戦闘表現としては好まない。中国古典も日本語訳されると、その部分の表現はぼかされる。
ところが中国の場合は、何かと言えば、八つ裂きや四肢をそぎ落とす刑の話が出てくる。

残虐表現が、やたら出現すると言うことは、それを表現する人間の感性があり、そこまでの表現でなければ納得しない社会であることを、逆に露呈している。
行って見たわけではないが、中韓で好まれる日本軍の残虐行為を展示する記念館は、そういう社会ならではの表現なのだろう。
わざわざ、言説を具象化した人形や、ストーリー映画で溢れている。歴史的資料とされるものが、本物の遺物や、ファクトの積み重ねによるドキュメントではない。史実では過激な感性を納得させることができないのだろう。
世界には、日本人には理解できない感性が存在することは、理解しておく必要がある。

不可思議
中国はパラリンピックに、4大会連続でメダル獲得数が首位であり、今回のリオでも、239個(金107、銀81、銅51)と、他国を抜きん出て圧倒的な強さを誇る。その強さの理由は、国が積極的にバックアップしているからだと言われているが、報道には何故か閉鎖的だ。
北朝鮮やアフリカ等の人権問題は無視し、国内のあふれかえる人権問題を隠蔽しようとする中国。その中国に限って、何故にこんなにもパラリンピックに強いのだろう。オリンピックのメダル率を遙かに超えて、2位の英国に倍近い差を付けている。
不思議でならない。