健さんが死んだ。森繁久弥、森光子、高倉健と、昭和の名優の命日がそろって11月10日だそうだ。何だか意味深げだが、これこそ偶然と考えるべきだろう。
ただ、いずれも定着宮で、森繁久弥も森光子も5月初旬生まれの牡牛座だから、命日は太陽と180゜の位置になる。水瓶座の高倉健の場合も90゜で木星は180゜だ。土星も死の宮サソリ座にあるが、何らかの因果関係に結びつけるには無理がある。
それよりも、あえて興味深いことと言えば、リンパ腫だ。これも偶々だろうが、知る限りでは、いわゆる「いい人」がよく罹る印象がある。もしかしたら、良い人と思われるためのストレスと関係あるのではないだろうか。
人は何時でもどんな形でも死ぬ。死に方を評するのは、生きている人間の都合による。
死は平等だ。例え殺されても、死そのものに善し悪しがあるわけではない。死んだ人は全く同じ状態になる。地獄も極楽も、生きている人の都合で創られたものだ。
墓を暴こうが首を晒そうが、人間は死んだ人にいかなる手出しも出来ない。
死と葬式
機能停止する物理的な死はサソリ座だが、ここで言う死は、人間界からの離別、意味的な死は山羊座だ。
死の問題は、山羊座の管轄になり、山羊座に惑星が来ると、死の問題が脚光を浴びる。
現在、山羊座にいる冥王星は、元来、サソリ座の星であり物理的な死を司る。それが意味としての死と同居するこの時代は、社会全体の死生観が変わる。
どこからを人間の死とするのか。物理的な死を完全な死にするのは何か。その線引き、考え方が変わる。
例えば、植物人間や脳死の判定や、生命維持装置の停止を、どの段階でどのような手順で行うのか。そのルールや、社会的コンセンサスが極めて大きく変わるだろう。
また、死や埋葬、葬儀や除籍手続きに対する考え方が変わり、スタイルが変わる。
そして、当然のことながら、死に対する心構えも変わってくる。
山羊座とサソリ座の関係はそれを示しており、現実に、高齢化社会にあふれる大量の死がそれを促すだろう。