魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

無法地帯

2011年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

こんどは、NHK職員が靴にカメラを仕掛けてスカートの中を盗撮していた。
この手の事件も、近頃、珍しくない。
見てはダメを見てみたい。見る道具があれば、迷わず使う。

今のような「誰でもパパラッチ」時代の前は、カメラという武器を持つと、遠慮も怖さもなくなり、どこにでも、カメラと土足で入り込んでいった。

日頃、社会的規範に萎縮している人ほど、武器を持つと強気になる。
武器とは、日頃、自分にできないことを可能にする魔法のランプだ。
車に乗ると豹変する人。マイクを握ると離さない人。地位に就くと威張り出す人。取材と称して暴言を浴びせる人・・・

これは、自分が確立していない人だ。
自分を自覚して自己制御しながら生きるのではなく、刑罰を恐れ、権威、威力、腕力を恐れ、無自覚に従っているだけの人だから、抑えが無くなると、逃げ出した動物園の猛獣になる。(賢い動物は、餌のもらえる檻に帰るし、もう一つ賢いと自由を求めて山に帰る)

自分を制御できない人は、幼児期に虐げられ、自由にノビノビと育っていない人だ。気の毒ではあるが、いわゆる、育ちの悪い人であり、大なり小なり、庶民にはこうした要素がある。

兵隊が、略奪に走るのは、日頃、抑圧の中で暮らしている庶民だからだ。戦場という無法地帯で、軍の力をカサにきて、人間として自制心のない行動に走るのは、日頃は、従順なだけで、真に人間としての自覚がないからだ。

指揮官がよほど賢明で、厳しく罰しない限り、どこの軍隊でもどの戦場でも起こりうる。
遊牧略奪民でなくても、縦社会でありながら、庶民から士官学校に上がるような国では、ほとんど例外なくこういうことが起こる。

痴漢や盗撮をする人間だけではない、状況で豹変する人間は、日頃は「我慢」しているだけで、
無法地帯で、武器を持てば、何をする人間なのか・・・
そういうことだと思う