近年、日本の企業が中韓にやられっぱなしなのは「雑さ」がないからだと言ったのだが、この件についてもう少し考えてみたい。
日本文化は、1500年の箱入りの個室で育ってきた一人っ子だ。
誰にも生活文化をジャマされることがないから、他人のニーズに「とりあえず素早く」間に合わせる必要は無かった。
物を作ることは、他人の要求に応じてではなく、自分の興味を満たすために行われた。
基礎から仕上げまで、徹底して手間と時間を惜しまず、自分の納得いくまで完成度を高める。
作者の精神と作品が一体化することが「ものづくり」というものであり、それが職人気質として、尊重された。
幕末に来日した西洋人は、日本の職人が、納得いくまでゆっくり眺めて考えながら、仕事をしていることに、驚いたという。
この精神は、縄文1万年で培われたものであり、流入してきた大陸の合理性に出会って1500年、さらに洗練された。
縄文の執拗なまでのこだわりに、弥生の「使い勝手の良さ」が加わり、それが、シンプルな様式美に磨き上げられた。
美しさと合理性が、日本製品のクオリティーとなり、「MAID IN JAPAN」の信用を高めた。現時点で品質は世界一だろう。
世界は幼稚園
しかし、大量生産工程までクオリティーを高めたことで、その工作機械と行程を用いれば、誰でも、高品質な製品が作れるようになった。
つまり、日本製の高品質な「レゴ」があれば、子供でも素晴らしい作品を簡単に作れるようになったのだ。
日本は「レゴ」を作っても、それでできる造形を作品とは考えない。レゴで作る作品はあくまで玩具であり、改めて完成度の高い製品にしようと時間をかける。始めからレゴで製品を作ることなど考えない。
一から製品作りをしようとするから、組み直しの融通が利かない。
ところが、品質にこだわっているのは日本人だけで、世界の多くの人々は、使って便利、楽しい新体験を求めているから、美しい美術品でなくても、面白ければレゴ作品で充分なのだ。
「iPod」など、まさにこのレゴ作品の代表だ。しかも、この「アイデア」を、レゴで真似るだけなら、ほんとうに誰でもできる。
「産業革命パラダイム」大量生産の究極の時代に、勝って利益を上げるのは、完成度より、アイデアと素早さだ。
職人の目から見れば、子供の玩具であっても、「子供だまし」を買いに来るのは、子供なのだと言うことを知らなければ、売りさばけない。
産革パラダイムは、子供に等しくパンを配るシステムであり、王様に宝石を奉るものでは無い。雑さも商品価値なのだ。
日本の伝説となった工業製品も、決して、完成度の高い物ではなかった。実用アイデアが価値であったということが、忘れられている。
ゼロ戦、トランジスターラジオ、ウォークマン・・・
あり合わせの知識素材を駆使して、実用を追求するアイデアの塊だった。
無から有を生む時に、始めから完成度など求めるべきではない。
ただ、「子供だまし」ほど儲かる商売はないが、
人命を乗せる乗物や原子力に、決して雑は許されないことも事実だ。