魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

兄弟関係 2補足

2007年06月23日 | 兄弟関係

エライとは?
「偉い」という価値観は比較論だ。
自分がしたいからしている時、それは「ただの行為」だが、誰かと比較すると良かったり悪かったりする。他人のためになる行為は良い行為で、ためにならないのは悪い行為だ。
自分のための勉強も、社会人として役立つための行為だから良い行為とされる。だから、社会性を無視してまでもする利己的な勉強は「ガリ勉」として悪い方に見なされる。しかし、その社会が悪ガキ社会なら気にする必要もない。

その「良い」行為が、他の人にマネできないくらいになると「偉い」行為であり、それをした人を「偉い人」という。
しかし、「うちのお母さんは偉い」と言っても「うちのお母さんは偉人だ」とは言わない。偉人は「比較の結果、比較しようのない存在」と社会が認めて建立した銅像(偶像)だからだ。

つまり、人を偉いと見なし、自分もそうありたいと思うのは、どこまでも比較論であり、人間関係論なのだ。
そういう意味で、一人っ子や長子には身に付かない価値観であり、下の子にはむしろ死活問題の価値観でもある。
だから、よく「すごいですね、エライですね」とほめても、答えに窮する人がいるが、たいていは長子だ。
ただし、社会生活や兄弟関係で学習して、むしろ不自然なまでにこの価値観を強調する人もいる。
もう一つ付け加えると、「家庭で無視されている」と本気で怒る父親は下の子だ。