魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

まほろば(1)ふるさと

2010年09月03日 | 探訪・紀行

奈良が好きでよく行く。今年は遷都1300年で、観光客が多いから、奈良市を避けて、なるべく周辺に行くことにした。

奈良がいいのは、何も無いからだ。
京都は幾度も街の姿を変えて来たが、同じ名前の建物が、形や位置を移しながらも、そのまま在るので、想像の余地がない。
そこに行くと、奈良は昔のままに残っているか、姿を失っているだけで、何も隠されていない。

地図を持たないで歩いていても、小川や丘にであうたびに、万葉や記紀で聞いたような名前が記されている。そのたびに、古代の人がそこにいるような気がして、一瞬でタイムスリップする。

以前、明日香に行った時、リュックをしょった80歳ぐらいの女の人が、ステッキを突きながら、独りで甘樫丘を降りてきた。
女学生の青春が、万葉集一色だった頃の人だろうかと思いながらすれ違った。

萬葉の人々の寿命は短く、女学生の胸をときめかせた歌は、まさに青春物語だっただろうが、80歳になっても、やはり心ときめいて訪ねさせる魅力が、大和にはある。
人それぞれに、自由な思いを映し出すロマンの地だ。

初夏、ふと思い立って、「山辺の道」に出かけた。思い立ったのが、昼だったので、桜井駅に着いたのが午後2時過ぎ。
駅の観光案内で、『今から?』と怪訝そうな顔をされながら、地図をもらい、それから何度も迷いながら、結局、2万6000歩。
柳本の崇神天皇陵まで歩いて、日が暮れた。

薄暮の中、道を間違えて引き返してくると、地元の70歳ぐらいの男の人が、笑いながら、
「道、間違えはった? さっき、そうかなと思ったけど、えらい慣れた顔して歩いてはったもんで・・・」
「いやあ、間違っても、覚悟の顔ですわ」
「天理までですか ? ここがちょうど半分ですわ、残りは今度にしなはれ、そこ、降りて行ったら、柳本の駅ですわ」

根っからのハイキング嫌いなので、これまで訪ねることがなかったが、
思い立ったが吉日。ふとした衝動のおかげで、初めて来ることができた。

日本最古の官道とは言え、失われた道を、強引に再現している。
けもの道のような山道や、田畑の畦のような頼りない道、民家の軒下を通り抜けながら、旧跡を辿って行くと、大和盆地の西に二上山が見え隠れして、やがて、後ろの空に三輪山が大きく姿を現した。

近江遷都に向かう道すがら、雲で三輪山が見えないと嘆いた萬葉人の、大和への思いがわかるような気がした。

  →「リベンジ


反省 \0

2010年09月03日 | 世相史観

酷い残暑が続いている。
久々の更新は、先ず反省からだ。

5月。今年は冷夏の予報を聞いて、
なるほど、土星が天秤座に来た年も冷夏だったから、そうだろうと、確かめもしないで安易に信じたが、まったく逆だった。
やはり今年は、予想外が頻発する。

この大外れは何なんだ! と、前回の冷夏1980年を見てみた。

1980年、土星が天秤に入ったのは、9月21日で、夏場は乙女座にいた。さらに、木星も10月末まで乙女座にいた。
冷夏は、土星と木星、さらに、火星まで通過した乙女座の問題だ。
(なお、言うまでもないが、乙女座は農業)

最も重要な原則を忘れて、安易に気象と惑星周期を一体視してしまった。惑星で運命周期を考えることは、第一義的には、自然現象とは関係ない。

運命は結果だから、原因は様々だ。
日照りも冷夏も、どちらも、農業被害をもたらす。むしろ、その結果として起こる、大量死や社会不安、戦争を観るのが占いの目的だ。

この基本原則を忘れて、安易に占いを適用すると、失敗する。
占いが人事問題であることを思い知ったのは、日航機逆噴射事件だが、少し気が緩むと、この手の失敗は常にやってしまう。

反省 \(~_~)

ところで
では、冷夏予報を聞いた時、どうあるべきだったか、整理すると。
先ず、星の配置を考え、その結果の世相を考え、そこから逆にその原因を考え、天気予報の正否を考える。

惑星が、日本の窮地を表しているなら、必ずしも冷夏だけが原因ではない、日照りだってある。
また、土星と木星・天王星が180度のピーク状態にあること、1980年のような集中とは、むしろ逆であること、さらに、天王星(意外)の影響をを考えれば、この天気予報は外れると考えるべきだった。

さらに、土星が乙女座ではなく、天秤座にあると言うことは、農業問題より、外交や経済の方が日本を窮地に追い込むことを表している。