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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



Twitterのトレンドに『空白恐怖症(まとめ まとめ)』が上がっており、調べてみると
「自分の仕事がないときに、あたかも仕事をしているように見せるために
ダミーの予定やフェイクの予定を入れるほど、自分の予定が空白な事を恐れること」
だとわかった。
スケジュールを埋めたがる「空白恐怖症」は若い人特有?
「歳を取ると見栄より体力回復が重要」「休み大好きになった」
(BOGLOBEニュース)
こういうときは、SNSの他人の「リア充投稿」を見ても不安を感じるとのことだ。

私は若い頃から、なんの予定にも縛られない休日に
思うさま寝坊して、一日じゅう何もしないのが何より好きだったが、
最近はそれに拍車がかかった。
ここでは既に幾度も使った言い回しだが、
「誰も来ず」「誰からも話しかけられない」日が、最も気持ちが安定する。
私は食べることにも関心が全くないし、国内・海外問わず旅行の趣味もない。
そういうことを楽しんでいる友人のSNS投稿を見ると、
シンプルに「元気そうだ」「良かったね」等々とは思うが、
私自身は、そのように過ごしたい願望が皆無なので、
何をどう不安に思うというのか?よくわからない。

「年をとると見栄より体力回復のほうが重要」
とも書いてあり、どうやら一般的には、忙しそうに見せるほうが、
「見栄をはれる」ことになるらしいのだが、これにも私は何の共感も覚えない。
「何も、無い!今日も!明日も!明後日も!」というときだけ、
私は人様を不快にさせない心遣いが多少なりともできるようになり、
ホトケの転妻を演じる余裕も出て来るが、
スケジュールが詰め詰めになって来ようものなら、
時間に追われ、せかせかしてキレやすくなり、些細な言動が尖って、
誰から見ても、非常に不愉快な存在になっていると思う。

予定表の空白が減ることを、今の私は何より恐れ、嫌悪している。
最初は真っ白だった予定表に、黒い日がぽつりぽつりと出始めると、
私の心の中にも、黒雲のように不快な気分が湧いて来る。
私の時間を奪うもの、私に用事を言いつけるもの、
私を呼び出すものを、私は不愉快に思う。
『空白恐怖症』の逆は、なんと呼んだら良いのだろうか?
私同様に、ちょっとでも空白が減ると耐えられない人も勿論世の中にはあり、
「予定があるだけでイヤでイヤで、最悪ドタキャンする」
という意味のtweetもあって、私はこちらのほうがずっとよく理解できる(^_^;。

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・現在の私は、実家の村の神社の電話番である。
社務所に誰も居ないときは、神社の電話を私の携帯に飛ばすように設定してある。
数日前、地元会社から電話がかかってきて、
こちらはスマホだったので電話帳登録も既にあり、
時節柄、新年の安全祈願祭のご依頼かなと思って応答したら、
前にも聞いたことのある、その会社の受付にいる男性の声で、
「ボクの家に赤ん坊が生まれたので初宮参りをしたいと思いまして!」
…………完全に個人的な用件やないか(^_^;。
内容は目出度いが、そんな私用に職場の電話を使ってOK(^_^;?

・今月は、村でも七五三があったので、何度か行った。
だいたい総代長と総代2~3名で組んで、受付や授与所を預かる。
私が父のかわりに神社に出向くようになって、これで4年くらいか?
11月15日に近い土日には、毎年何組も七五三があるのだが、
「既に遅刻しているのに全然慌ててない」親子がなぜか毎年一組はある(汗)。
田舎で建物も少ないので、社務所にいれば一帯が一望できるのだが、
先日も、神社駐車場に到着した時点で予約時間を既に10分は過ぎているのに、
なかなか上がって来られない御一家があった。
駐車場で立ち止まって喋ったり、持ち物を点検しているか何かで、あれこれやり、
参道に入ってからも何度も止まって楽しく記念撮影などしているのが見えた。
こういう御一家は、最終的に受付に到着しても全然、悪びれた様子などなく、
「遅くなりまして」云々もなく、笑顔があふれている(汗)。
焦らなさ加減がすごい(汗)。

・11月4日に、大祭の後片付けをしていたら、境内に、
ケースに入った一対のワイヤレスイヤホンの落とし物があった。
え~、完全ワイヤレスって高いよね?数万円するのもあるよね?
と思いながら拾い上げて、
「こんなん落ちてましたけど、どうしましょう?」
と総代長に見せたら、
「そりゃなんか?補聴器じゃの!」

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東京で一泊二日の芝居見物となると、往々にして、
「昼の部」や「第一部」は二日目に初観劇する順序になる。
『新薄雪物語』の通しとか、新作『風の谷のナウシカ』の一日上演、
などになると特に、「観る順番」が本来的なものでなくなり、
私のような遠征組は、到着した日に午後の途中から見始めて、
翌日に初めて冒頭を観て終了、となるのもやむを得ないことが多い。
二日目の朝から通しで夜まで観たら、もう一泊せねばならなくなるし。

今回の歌舞伎座は、第一部が起点で第三部まで続く内容ではないので、
その点は自由な気分で観劇することはできたのだが、
それでもやはり、二日目の10日(水)に観た、第一部の最初の演目は、
「劇場の一日の始まり」として設定されているのだろうという空気を感じた。
今月の歌舞伎座第一部の最初は、舞踊劇『神の鳥(こうのとり)』。
初演からまだ10年経っていない、新しい作品で、
日の光が差して来るような清々しさのある舞台だった。
  
(↑木挽町広場にも、「神の鳥」上演記念特設コーナーが!)

本当に久しぶりに東蔵を真ん中で拝めて、嬉しく有り難く思うのと同時に、
吉弥の傾城ぶりも麗しく、充実の布陣で舞台はまさに錦絵のよう。
そしてここでも、若い種之助の精進と成長を眩しく思い、
やがて愛之助が出て来ると、なんとも大きな貫禄があって、
今や押しも押されもせぬ主演者なのだなと感じ入り、
相方の壱太郎の、きめ細やかで清楚な色香にも目を見張り、
………長い間、生舞台を観なかったことは、観る側にとっても
このように新しい感激が得られる経験となったのだなと初めて知った。

第一部の後半は『井伊大老』。
打って変わって、新歌舞伎で台詞劇、白鸚・魁春という重量級の顔合わせ。
「桜田門外の変」の前夜の、直弼・お静の、静かな深い情愛が、
本当に淡々としたやりとりの中、観る者の胸に迫り、目頭が熱くなった。
魁春は賢く行き届いた女性でありつつも、実に可愛らしく、
直弼が来世もともにと願うのも、さもありなんと思った。
歌六・高麗蔵と、共演も豪華版。
かつて先代の白鸚と歌右衛門が演じたこの芝居を、
それぞれの息子世代が既に歌舞伎界の重鎮となった今、務めていると思うと、
正式な「追善」ではないが、先人の偉大な足跡に捧げる名舞台となったと、
感慨深く思った。

******************

この日は、このあと第二部を再度観て、歌舞伎座を後にした。
歌舞伎座が、完全にもとの賑わいを取り戻すまで、あと一息、
と言ったところだろうか。
大勢の方々の御尽力のたまもので、歌舞伎座の灯が消えずにいてくれたことを、
心から嬉しく思った二日間だった。
次なる目標は、元通りの全客席の開放、昼の部・夜の部のかたちでの興行の再開、
そして團十郎襲名披露の実現、ということになるだろう。
その日が近いことを、心から願っている。



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9日(火)、旦那さん祐経×みっくん五郎×あらしちゃん朝比奈を堪能し、
第二部が終わった時点で、私が東京に来た目的は既に果たせたのであったが、
せっかく歌舞伎座くんだりまで出てきて、一本で帰るのもアレだしと、
第三部の切符も、前売りで同時に買ってあった。
何ひとつ下調べもせず、ろくに情報を得ようともせず、
チラシを横目で見ただけで、席につき、幕が開いて、始まったのは、
『花競忠臣顔見勢(はなくらべぎしのかおみせ)』二幕。
若手スターの競演による忠臣蔵モノ、……よね?
……という程度で見始めたこれが、なんと大変に面白かったのである。

『仮名手本忠臣蔵』でもなく『碁盤太平記』でもなく、
『大石最後の一日』みたいな新歌舞伎でもないのだが、
話が、忠臣蔵のどのへんに来ているかが、ちゃんとわかる起承転結があり、
一力茶屋や山科閑居も背後にきちんと踏まえてあって、
最後は落ち着くべきところに行き着き、観る側も納得&満足、
という、巧みな構成演出と凝った趣向の話だった。
しかも出演者が、猿之助と幸四郎を柱としながらも、
中心で活躍し物語を動かして行くのは、期待の若手俳優たちで、
右近、歌昇、新悟、隼人、廣太郎、福之助、米吉、等々、
二幕九場それぞれが、総花的にきらびやかで、困った(笑)。
私の最近のいちばんの贔屓である鷹之資が大星力弥で大活躍、
以前からの大のお気に入りの猿弥(←若手ではないが・笑)も
味のある良いところで登場して、楽しいのなんの♪
宗之助の美しい所作も私的見どころであった。
最後の「花水橋引き揚げの場」に至っては、もう、
とうとう仇をとったぞ!やったやった~~!的に、
明るくて幸せで完全に満足できた、ハッピーエンドであった。
……えっと、これなら皆さん、切腹とかしなくてももう全然OK(^_^;??
と私は笑顔で晴れ晴れと拍手しながら、思った(爆)。

そこかしこで感じたのは、若手が誰も彼も、素晴らしく成長している、
ということだった。
コロナ禍の、不自由で不本意だった日々を、彼らは決して無駄にしなかった。
芸を磨き、精進して、歌舞伎座がもとの輝きを取り戻す日に備えて来たのだ。
彼らの年齢やポジションで、歌舞伎座の真ん中で大役を務めることができたのは、
三部構成の、この特殊な事情の公演であったからこそかもしれないが、
皆の、日々の努力は報われ、今や大きく実を結びつつあった。
私自身が、1年9か月も歌舞伎を生で観ていなかったので、
私の記憶の中にあった姿より、現在の彼らが何倍も成長していることがわかった。
私の中ではまだまだ若いと思っていた猿之助と幸四郎が、
更に年若い役者たちのために、場を提供する側に回っていたことも、
嬉しい驚きであり、実に頼もしく感じられたことだった。

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行って来た。1年9か月ぶりの歌舞伎座。
まず、9日(火)午後に東京に着いて、第二部から。
コロナ禍以降、歌舞伎座は一日が三部構成になり、
それぞれが2時間~2時間半程度、完全入れ替え制で、
館内も様々な感染対策がとられるようになった。
何しろ、舞台の上も下も年齢層の高い芸能だからして(汗)。

まず、入り口では切符を係員に見せたうえで、自分でもぎり、
検温と手指消毒を経て、入場となる。
イヤホンガイド・カウンターは劇場の外に場所が設定されており、
以前あったオペラグラス・膝掛け・座布団等の貸し出しは無し。
マスクは観客全員、例外なく着用することが定められており、
鼻から口まできちんと覆うよう、繰り返しアナウンスがある。
ロビーや客席では、飲食は禁止、会話もしないようにと放送があり、
会場スタッフさん方も座席案内以外は原則として無言で、
上記の内容の注意書きのある大きなボードを掲げて、
客席通路やロビー等に立ち、観客に示している。
座席はひとつおき(部分的に二席連続を設定したブロックもある)で、
販売されていない席は最初からバンドで固定され、
勝手に座ったりできないようになっている。
 

というわけで、劇場内に人が少なく、どこに行っても静かで、
両隣も誰もいないし、広々と座れて、私には大変快適であった。
そのような中でも第二部は、三津五郎追善でもあり、配役も華やかで、
全体三部構成のうちでは、最も賑わいのある部となっていた。
私にとっては、今回の一番のお目当てであった『寿曽我対面』。
三津五郎の長男である坂東巳之助が曽我五郎時致を務めるのだが、
菊五郎による工藤祐経を初め、菊五郎劇団ほぼ総出演の豪華さで、
一度では見切れないほど見どころが多かった。

三津五郎追善、還暦にもならずに彼岸に逝かれ、早七回忌。
このたびの巳之助の、覇気の漲る大きな舞台姿を、
三津五郎はあの世から眺め、きっと喜んでくれたことだろう。
曽我五郎らしく、力のあふれる台詞回しと、勢いのある動き、
更に要所要所の決まり方が小気味よくて、さすがは坂東流の若き家元と
感じ入った場面もいくつもあった。

菊五郎の工藤祐経は、「高座、御免」の挨拶などは無し。
最初から上手に座っていて、ほぼ動きのない構成になっていたが、
ふと視線を動かすだけで睨みが効いてしまう存在の大きさが圧巻だった。
まさに貫目で見せる工藤祐経!
それに加えて、匂い立つような色気のある祐経で、
武人としての面だけでなく、男として深さのある祐経の人生が見え隠れし、
私にとってこれまで見たことのない祐経であり興味深かった。

松緑の小林朝比奈もまた期待以上。
声の魅力に加えて、こちらは藤間流家元の面目躍如の所作の数々、
更には全体に風格さえ備わっていて、なんとも見事な朝比奈だった。
道化役であると同時に、朝比奈は立派な侍であり、祐経にさえ一目置かれ、
更にこの場では、中立的な立ち場でその目配りの良さを発揮する役だ。
松緑の演じ方からは、多面的な朝比奈の面白さがふんだんに伝わって来た。
そのほか、時蔵が十郎として巳之助の五郎に寄り添い、
忠義の家来・鬼王新左衛門で左團次が出て来るという贅沢さ。
大磯の虎は雀右衛門、化粧坂の少将は梅枝で、眼福ここに極まれり。

私はこれまで、『寿曽我対面』という演目には、
主に儀式美のほうを強く感じていて、
あまりドラマ性については感じ入ったことが無かったのだが、
今回は、登場する人々のそれぞれの心の綾や人間模様を加味した、
芝居としての面白さを初めて感じ、奥深い物語として味わうことができた。
それは、これからの巳之助を守り立てようとする、菊五郎劇団としての
皆の力の結集によって、実現された部分であったかもしれない。

第二部の後半は、仁左衛門と孫の千之助による『連獅子』。
千之助も既に21歳!ときの経つのは早いものだ。
かつて、戦後初の祖父・孫共演による『連獅子』を披露してから10年、
このたびの千之助は、体幹のしっかした鮮やかな動きを随所で見せてくれた。
仔獅子を、実年齢でなく踊りの表現として見せる段階に到達したのだ。
その精進はさぞやと思われた。
この世のものと思われぬほど神々しい、仁左衛門の一挙手一投足を
目の当たりにして過ごす日々の記憶は、
千之助の心に生涯、刻み込まれることだろう。

間狂言(あいきょうげん)の「宗論(しゅうろん)」は
又五郎と門之助で、これまた豪華かつ見目麗しい配役だった。
芝居は文句なしに楽しかったが、又五郎がとてもスレンダーになっていて、
遠目に歌六とよく似て見え、こうなってみるとさすが兄弟だったのだなと
本筋とは違うところで感心したりもした。

後シテは親獅子・仔獅子の精の踊りで、眩いばかり。
かつて三津五郎も、巳之助とともに『連獅子』を踊ったものだった。
坂東はそもそも踊りの家だから、
先代三津五郎の親獅子、八十助だった三津五郎の仔獅子、という時代があって、
やがて巳之助が成長してからは、三津五郎・巳之助の父子で踊り……。
それを思うと、仁左衛門と千之助の『連獅子』の意義もまた格別であった。
各々の道で芸を極め、息子へと繋ぎ、更に次代が継承し、
誰も彼もが皆、そうやって彼方へと行き過ぎて行くのだなと。

ただ、すみません、一点だけ、親獅子の小鼻の隈取りは、
あったほうが良いという判断なのだろうが、
私は個人的には、チラシのようなひたすら真っ白い親獅子のほうが好みだ。
仁左衛門が美しいだけに、なるたけ素に近いところを、
存分に見ていたかったという気が、する(汗)。
申し訳ありません、煩悩ダダもれです(逃)!
あとはもう、本当に、何も、何一つ、申し上げることはございません!

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11月9日(火)10日(水)の一泊二日で、
1年9か月ぶりに東京に行って来た。
築地の定宿に泊まり、歌舞伎座顔見世を観てきた。

新型コロナ感染状況を見つつ、10月半ばあたりから、
「今のうちに一度、行って来なくては。今を逃しては…!」
と感じていたのだが、10月中は忙しくて時間が取れず、
当初11月半ばあたりで計画していたところ、
東京の実効再生産数がじりじりと上昇してきたので、
こりゃマズいのではないかと予定を早め、この火曜日水曜日で決行した。
辛くも間に合った、のではないかと自分では思っている(汗)。

築地本願寺も1年9か月ぶり。
報恩講が始まる直前の時期だった。
このあとのコロナ再拡大の波が小さいものであることを願う。

歌舞伎については、また、いずれ。
みっくん(巳之助)の曽我五郎が目当てで、それは勿論素晴らしかったが、
それ以外にも収穫が多かった。観に行って良かった。

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私がfacebookを嫌う理由は、毎回、手動で設定の一手間をかけないと、
表示が時系列にならないからだ。
「最新情報」設定に自分で変更しても、一度ページを離れると、
facebookによる勝手な「ハイライト」設定に戻ってしまう。
私は、最新の投稿をてっぺんにして、スクロールして戻っていけば、
前回自分が読んでいたところにたどり着ける、というふうにしたいのだ。
そうでなかったら、読み落としが出る可能性があるし、
自分で読み落としたものがあったかなかったかを確認できないではないか。
以前読んだ記憶のある記事を、あとから探すのも難しいし。
↑それは「ブックマーク」しておけばいい、とfacebookは言うだろうが、
後になってほかの話題との関連で、ふと以前の記事を思い出すことがあるのだ。

私はInstagramも、閲覧専用にアカウントを持ってはいるのだが、
こちらも最初は投稿順だったのに、いつのまにか、
勝手なオススメ順の表示が採用され、しかも、
時系列順の表示が完全に廃止されてしまい、戻す方法がなくなった。
ちょっと前に見ていて、もう一度確認したいと思った記事がすぐに消えて、
「あれ?さっきのは、どこ??」となることが私は頻発している。
誰の投稿だったか確実に記憶にあるときは、その人のページに行って探せば良いが、
私はInstaではインテリア系のアカウントを多くフォローしているので、
さっき見ていた壁紙の写真はどの会社のだったか、
うまく思い出せないことがあり、しばらく探しても出会えないと、
面倒になって、見るのをやめたりしている。
逆に、毎日毎日、同じ記事がページの上のほうに表示されることが続き、
邪魔になって、そのアカウントのフォローをやめたこともあった。

『この変更により、ユーザーはフォローしているアカウントの投稿の
90%以上を閲覧できるようになりました。』と書いてあるが
Instagram(インスタグラム)の表示順序はどう決まる?投稿順ではない?
フィード上位に表示されるための指標
)、
私は放っておいてさえくれれば、基本的に100%読む人間なのだよ(--#)。
私は何百もフォローしているような状態ではないし、
性格的に、とっちらかっていることが嫌いであり、
「ここからここまでは全部読んだ」
と自分で管理できないと、どうもスッキリしないのだ(--#)。
現に、結構日数が経ってから、それまで知らなかった興味深い投稿が、
ひょっこりと出現したりもするし(--#)。

唯一、Twitterだけが、「トップツイートの優先的な表示」か
「最新ツイートの投稿順による表示」かを選べ、
かつ、固定できるようになっているので
私にとっては読みやすいツールとなっている。
情報を得るために、Twitterは私にとってかなり有益なものなのだが、
いつかこれも「オススメ順」などになってしまったら痛いなあ、
とInstagramのテイタラクを見るにつけ、思っている。
私のような活用の仕方は、きっとSNSに適していないのだろう、
と反省はしているのだが、向いてないものはどうしようもない(汗)。

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実家両親のいる某老人ホームでは、
ワクチン2回終了して2週間以上が経過している家族に限り、
居住フロアまで上がって面会することが許可されるようになった。
接種記録のコピーを提出し、許可証を作成して貰って、
以後はそれを携帯することにより、中に入れて貰うことができる。
既接種者ならば、他県から来た人・他県に行って来た人なども、
特に待機期間は設けられておらず、いつでも面会が許される。
ただし、今後、流行状況が変わって、また首都圏その他「流行地域」と
見なされる場所が出て来れば、面会の条件も変化する可能性があるとのことだ。

ということで、私もコロナワクチン予防接種済証のコピーを持って行き、
本日、『ワクチン接種済み確認カード』を発行して貰って、
両親のいる居住フロアまで、1年9か月ぶりに上がった。
まだ居室そのものへの訪問は認められておらず、
各階にある共有スペースでの面会となっていたが、
ふたりの部屋から近いので、それぞれ呼ばれてすぐに出てきて、
今まで以上に気軽に会える状態になったことを実感した。
面会人の防護服的なものも、どんどん簡略化されており、
手袋とエプロンはつけるが、フェイスガードやキャップは必要なく
首から上は不織布マスク着用のみで良いことになっていたので、
きょうは「あんた誰」状態になることはなく、
両親にもすぐに私だとわかって貰えた(^_^;。

両親ともに、こざっぱりした感じで、落ち着いた様子だった。
差し入れとして持って行った菓子各種を手渡し、
先日の祭のいろいろや、玄関の幕と提灯の様子などを、
スマホのカメラで撮影してあったので、見せたら喜んでいた。

 父「幕を張るのは難しかったじゃろう」
 私「いや、ちゃんと釘が打ってあったけぇ、そこへ提げるだけでできたよ」
 父「ほんでもよ!大変なよ、ありゃあ」

と、父は長年、自分がやっていただけに、
やはり玄関の幕は感銘度が高かったようだった。
今年は頑張ってやって良かった(^_^;。

面会時間は一家族だいたい15分と定められており、
テーブルにつき、アクリル板を真ん中に、座って会話するスタイルだった。
母は自分が喋るたびにマスクをズラすので、困った(^_^;。
通院介助をしたときは、ちゃんとマスクをしたまま喋っていたのだがな?
ホームでは、各自、居室内ではマスク無しで過ごしており、
廊下や階下へ出るときはマスク着用と決められているようなのだが、
高齢者にそれを守って貰うのは、現実問題としては大変そうだった。
ともあれ、あまり破綻なく、ごく穏やかに話ができて、
面会は滞りなく終わった。

感染状況の悪化がなければ、例えば娘が東京から帰ってきたときでも、
今は待機期間を設定していないので、接種証明のコピーを出しさえすれば、
きょうの私同様に面会ができるとのことだ。
巧く行けば、この冬に帰省して、娘は祖父母に会えるかもしれない。
ロビーに戻ってからも、マスク+エプロン+手袋というスタイルの御家族が、
私の後からも次々と降りて来られていたので、
面会が許可されたことにより、大勢、会いに来られているようだった。
ワクチン接種が進み、感染状況が改善して来た御蔭で、
私たちの活動範囲も広がって来ていることが感じられ、嬉しく思った。

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「休み」、……なんと甘美な響きであろうか(T_T)。
31日から5連勤、村の神社の大祭で忙殺され、昨日片付け終了、
最後に実家の表玄関の幕と提灯も取り込んで、一切が無事、終わった。
はぁ~~~。脱力する。
さきほど、血圧を測ったら、掃除直後に着席していきなり測定しても、
120/75だった。さもありなん。
このくらい心身が解放されていたら、私は高血圧に悩むこともないのだ。

例祭は、年末年始ほどに連勤術師ぶりを発揮する必要はないのだが、
行事としての規模が大きいので、精神的な疲労も1年で一番大きい。
神社としても例祭は最大のお祭なのだから、当然だろう。
これでも去年と今年は、コロナ禍のために余興は全面自粛で、
こちら裏方としては体力的には随分と楽をさせて貰ったのだ。
前夜祭と例祭の神事が済めば、すぐに帰ることができたのだから。

本来なら、2日の前夜祭の晩は神楽奉納で何時間も盛り上がり続け、
終わって撤収したら午前さま、
にも関わらず翌3日は早朝から「餅撒き台」設置作業があるし、
境内も社殿も再度、徹底的に掃除して祭典に備え、
神事が終わってからは数え切れないほど神輿が上がって来るから、
その接待と、次には餅撒きの用意、全部終わったら後片付け、
等々と、拘束時間が長くて皆ふらふらになるものなのだ。
去年と今年、我々は「来年こそは、元通りの賑やかな大祭を!」
を合い言葉に頑張ったのだが、本当にそれが実現したら、私は心底、
「たいぎい~~(=広島弁。「大変だ、疲れる、面倒だ、etc.」)!!」
と思うに決まっているのだ(逃)。

しかし、もう、どうでもいい、来年の心配は、来年すれば良い。
とりあえず今年のは、終わったのだ。もうやらなくていい(^_^;。
きょうは、休日を満喫するぞ。
コーヒー淹れて本を読んで、時計を見ないで、
1日全部を思う存分、無駄にしてやる!!
至福だ。

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実家の表玄関に、祭の幕を張り、提灯を下げた。
家では昔々から、村の神社の例祭のときと、年末年始には、
表玄関をこういう飾り付けにすることに決まっていたのだ。
私が子供の頃には家の大人達が欠かさずやっていたが、
当時の祭や盆暮れに必ず寄り集まっていた親戚も大半が死んで(爆)、
両親が高齢になり、父が脚立に乗れなくなってからは、していなかった。

幕と提灯は通常、箱に仕舞われていて、祖霊舎の横の棚に置かれていた。
父の字で「玄関の幕」と大書してあったので、
これの存在には私は、かなり以前から気がついていた。
祭も正月も、ちゃんと支度すべきだとは私もわかっていたのだが、
過去何年か、忙しかったり寒かったりして、なかなか実行できなかったのだ。
それがきょうは、若干、時間が取れた。ので、張った。

  

ときに、幕に染め抜かれている実家の家紋は、
外輪が二重亀甲で真ん中に梅鉢、なのだが、これは「男紋」で、
私は田舎風に言えば本家の直系ではあるが女なので、この家紋は使わない。
うちの村では家紋についてはテッテー的に「男系」「女系」で
私の場合は、母から貰った琴柱(ことじ)の紋を使うことになっている。
その紋は、母が自分の母(つまり私の母方祖母)から貰ったものだ。
だから実家では、私の父方祖母は自分の実家の母親と同じ家紋を使い、
母は、母の母(私の母方祖母)から貰った家紋をつけていて、
父は上記の男紋で、紋服で全員が集まるときには、それぞれ家紋が違った。
一方で墓石は、墓の下に家の男女のどちらが入っていようと
「男紋」で代表させるのが、村の決まりだ。

まあ、留袖や色無地を母から娘に譲っていた時代には、
紋が「女系」で受け継がれるというのは、
娘の嫁入りで紋が変わるということがなく、
合理的な面があったのだろう、というのはわからないことはない。
母の実家にも男紋と女紋があった訳だが、女紋は女しか使わないので、
高祖母―曾祖母―祖母―母―私、と来ていることになる。
今どきの「選択的夫婦別姓」で妻側が名乗りたがるのは
多くの場合、実家の父の姓だが、
うちの村の「女紋」はそんな生易しいものではなく、男が一切、入ってない。

意味わかんな過ぎて、実際には私は家紋なるものを使用したことはない。
家紋を、紋服や、風呂敷、ふくさ等につけるのが親世代の使い方だったが、
私の現状は、そういうものに用がないので(^_^;。
もしも私が紋付を着る必要が生じたときは、もうレンタルだな。
五三ノ桐かなんか、どこにでもある無難な紋がついているヤツでいい。
「我が家の」紋かどうかなんか知ったことか。
主人のほうも家紋が何だか、よくわからないというか
突き止める気がないらしいし。

ちなみに提灯が「三つ巴」なのは、氏神様が八幡さまだから。
八幡さまの神紋は「左三つ巴」と決まっているのだ。

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